30話『龍化病』
龍化病とは、文字通り、人が龍に化ける病だ。
龍と呼ばれるモンスターの中には、瘴気という毒のようなものを身に纏う種類がいる。その瘴気に長時間触れていると、龍化病を発症する恐れがある。
龍化病の患者は、普段は人間の身体のまま過ごすことができる。しかし時折、発作という形で身体が龍のものへと変貌してしまうのだ。発作が終われば身体も人間のものに戻るが、病が進行するにつれて発作の間隔は短くなり、最終的には常時発作が起きている状態に――つまり、龍の身体から戻れなくなってしまう。
「……毒魔龍に、やられたのか」
ベッドに座り込むルシラに、俺は訊いた。
薬を飲んだことでルシラは人間の身体に戻っていた。その白くて華奢な体躯を見ていると、先程の光景が夢幻だったのではないかと思いそうになる。しかし足元に散らばる無数の白い鱗が、あの光景は現実であると知らしめていた。
「メイルから話は聞いている。……王妃が毒魔龍に殺された時、ルシラも傍にいたらしいな。龍化病になったのはその時か」
ルシラは何も言わない。
その無言は肯定だ。
「……どうして、そんな大事なことを言わなかった」
感情を抑えながら俺は告げる。
「龍化病は、病原となった龍を倒さない限り進行し続ける。つまり……毒魔龍を倒さなければ、ルシラはいずれ人間を辞めることになるぞ」
その言葉に、ルシラはピクリと小さく反応した。
「言って、どうなるというのじゃ……」
震えた声が紡がれる。
「毒魔龍は、連合軍を編成しても倒せなかった、正真正銘の化物じゃ。……妾が龍化病だと明かしたところで、あれ以上の戦力が集まるわけではない」
確かに、そうかもしれない。
だが龍化病は――ただの病ではない。
「……龍化病は別名、英雄の病とも言う」
恐らくルシラなら知っているだろう。しかし俺はその事実を今一度突きつけるためにも、敢えて説明した。
「龍化病の症状は、人間が龍の力を宿すと言ってもいい。……つまり龍化病は、呪いであると同時に加護でもあるんだ」
実際に俺は、ギルドの登録用紙にある加護の項目に、龍化病と記している人間を何人か知っている。
「龍の力は、使いこなせば絶大な戦力となる。それこそ、病原となった龍を倒せるほどにな。……だから龍化病の患者は、その身に宿った龍の力を駆使して、自らの手で病原となる龍を倒しに行くことが多い。……これが龍化病の一般的な治療法であり、それ故に英雄の病とも呼ばれている」
俯くルシラに、俺は告げる。
「ルシラも例外ではない筈だ。その龍の力を使いこなせば……毒魔龍と渡り合えるかもしれないぞ」
己の肉体が完全な龍と化す前に、その力を使いこなし、病原となる龍を討ちに行く。それが龍化病の一般的な治療法だ。
「確かにお主の言う通り、龍化病は英雄の病とも呼ばれておる。龍の力を宿した人間と、その力を与えた龍……両者の死闘を綴った御伽噺は、この世界にごまんと存在するのじゃ」
ルシラは、頼りない笑みを浮かべながら言う。
「じゃが問題は……妾が、そのような御伽噺の主人公には、なれんと言うことじゃ」
「……どういう意味だ」
「怖いのじゃ」
短く、しかしはっきりとルシラは言った。
「言ったじゃろう。……妾は、戦いが嫌いじゃ。武器すら触れぬ、臆病者なのじゃ……」
その発言に、俺はメイルから聞いた話を思い出した。
ルシラは目の前で、母親を毒魔龍に殺されている。その記憶がトラウマになっているのだろう。しかし――。
「確かに、ルシラにとって戦いは、嫌な記憶を蘇らせるものかもしれない。しかしもう、そんなことを言っている場合では――」
「――試したことがあるのじゃ」
俺の言葉を遮るように、ルシラは言う。
「妾とて、最初からここまで弱腰だったわけではない。かつては妾も、母上の仇を討つために、この龍の力を使いこなそうとしたのじゃ。……しかし、この龍の力を使った結果……」
ルシラは、手元のシーツをぎゅっと握り締める。
「……目の前に、地獄が生まれたのじゃ。それはまるで、毒魔龍が暴れた後のような光景じゃった」
毒魔龍に母を殺されたルシラは、当然、その時の景色を鮮明に覚えている。そして、自らが龍の力を解き放った時、目の前にはそれと全く同じ景色が生まれた。……その時、ルシラの胸中には、どのような感情が渦巻いていたのだろうか。……想像に難くない。
「妾は……あんな力、使いとうない。あれでは、毒魔龍を倒すどころではなく……妾まで毒魔龍になってしまうのじゃ。……それが、妾にとって、何より恐ろしい」
震えた声でルシラは言う。
「母上が毒魔龍に殺された時の……皆の、恐怖に怯えた目を妾は覚えておる。……妾は、あんな目で見られるのは嫌じゃ……妾は、毒魔龍ではない……っ!」
涙をこぼしながらルシラは語る。
俺がこの部屋に入った時の、ルシラの「見るな!」という叫び声を思い出した。
「だから、龍化病のことを隠しているのか」
「……そうじゃ。龍化病のことを知るのは、メイルのみじゃ」
ルシラの隠し事は、想像以上に大きかった。
だが龍化病の症状は秘匿が難しい。メイド長であるヘルシャは、偶然この隠し事を知ってしまったのだろう。そしてその情報を――俺に打ち明けようとした。
発作のタイミングは制御できないと聞く。そしてそれを堪えようとすれば……凄まじい苦痛に襲われるとも聞いたことがある。だからルシラの部屋の近くには、騎士が待機していない。万一発作が起きた時、部屋から漏れ出る苦悶の声を聞いて、騎士が駆けつけてしまうかもしれないからだ。
「龍化の頻度は、どのくらいだ?」
「長ければ三日に一回。短ければ……一日おきじゃ」
「……そんなに短い間隔で、よく今まで隠し通せていたな」
「これでも我慢には自信があるからのう。日中はとにかく堪えて、深夜から早朝に、城の庭園で龍化していたのじゃ」
その説明に、俺は朝靄の中で見た巨大な影を思い出した。
城の庭園を散歩している途中で目撃した、あの影の正体は……龍化したルシラだったらしい。
「既に……かなり進行しているな」
発作の間隔がかなり短い。
この分だと、ルシラの龍化病はかなり進行している。
――保って三ヶ月。
長く見積もって、その期間だ。
最悪の場合……一ヶ月も保たない。
「何故、それを……俺に言わなかった?」
思わず額に手をやりながら、俺は訊いた。
「最初に俺を拘束しようとした時……龍化病のことまで伝えようとは思わなかったのか? ルシラには、情に訴えるという選択肢があった筈だ」
「……その問いにはもう答えた筈じゃ。言ったところでどうにもならんし……妾は、妾のせいで人が傷つくのを、見たくない」
ルシラは視線を下げながら言った。
「お主も、無理はせんでよい」
そう言ってルシラは、机の上に置かれている小さな石を手に取った。
「ネット、これが何か分かるか?」
「……通信石か」
「そうじゃ。今日一日、これと通信中の石を、メイルに持たせておった」
通信中ということは……会話が筒抜けになっていたということだ。
どうやらルシラは、俺とメイルの会話をずっと盗み聞きしていたらしい。
「既にお主の考えは聞いておる。……毒魔龍の討伐は、厳しいのじゃろう?」
辛うじて作ったような笑みを、ルシラは浮かべた。
「お主は今回の件について、インテール王国を脅迫することで解決するつもりなのじゃろう。……それでよい。それ以上のことを、考える必要はないのじゃ」
「……だが、それではルシラの龍化病はどうする?」
「お主がそこまで抱え込む必要はない。……元より、毒魔龍に関してはエーヌビディア王国の問題じゃ」
儚く微笑んでみせるルシラに、俺は頭を必死に回転させた。
ここで簡単に頷くほど、俺は薄情な人間ではないつもりだ。しかし――ルシラは長く保っても三ヶ月。今から行動を始めるようでは間に合わない。
「まったく……こーゆー空気になるから、秘密にしておきたかったのじゃ」
ルシラは溜息交じりに告げる。
明るい声音だが、それは間違いなく空元気だった。
「今から新しく戦力を用意するのは、難しいかもしれない。でも……ルシラが戦ってくれるなら、勝機を見出せるかもしれないぞ」
「……妾は、戦わん。残り少ない人としての一生を、最後まで全うできればそれでよい」
最早、涙も涸れたのか、ルシラは落ち込んだ顔で告げる。
「心配しなくとも、完全に龍と化す前に、自分の手で決着をつけるつもりじゃ。……こんな化物のような力を使えば、人々に疎まれ……それこそ、生きていられなくなるじゃろう」
まるでそれが己の運命であるかのように。
ルシラは悟った様子で告げた。
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