幸せの花
ある日の夕方。
帰宅を出迎えてくれたアキが扉を開けるなり目をぱちくりと瞬いたのに、シロウは思わず手を伸ばして頭を撫でた。
「……シロウさん?」
不思議そうに問いかけるアキは、シロウのその行為ではなく、うしろの存在について聞いているのだろう。そこには、シロウの隊の隊員四人がそろっていた。
「アキ、驚かせて悪い。実は、」
「こんにちは、アキ」
シロウが事情を説明しようとしたところへ、横から副隊長イズルが割り込んできた。この友人は付き合いが長いため、どうにも遠慮がない。
「この前のデートはすごく楽しかったね。また行こうね」
「はい。とっても楽しかったです。あのときのぬいぐるみも、お気に入りです」
アキが笑えば、イズルはよしよしと満足そうに頷いていた。
イズルはひとりっこで、妹が欲しかったらしい。アキを妹のように可愛がりたいのだと、シロウに嬉々として言ってきたことがある。
アキの無邪気さは確かに可愛がりたくなるところがあるが、今は大人しくしていろと軽くにらめば、はいはいとイズルは肩を竦めた。
だが、イズルが落ち着いたと思えば、今度は部下三人が顔を出した。
「アキさん、副隊長とデートしたんですよね!」
「ずるいです」
「抜けがけー」
シロウの部下であるナガラ、オタカ、ショウズが不満そうに言うのに、アキは再びぱちくりとした。
「俺たちだって、アキさんと仲良くしたいのに」
「同意です」
「隊長のために我慢してたのに、副隊長ってばー」
「ふふん。こういうのは早いもの勝ちさ。それに、僕の得意分野だ」
自慢げに胸を張るイズルにあしらわれている三人を、アキがぽかんと見ている。
シロウの隊の隊員たちは、森で共に怪異を討伐したアキに対して全員が好意的だ。それなのに、王都にアキが来てからはあまり個人的に接触していないのは何故だろうと思っていたが、どうやらシロウに気を遣っていたらしい。だがそろそろいいだろうと、行動を起こし始めたということだ。
その中で一番の早業だったのが、イズルの先日のデートだった。
そのことを知った部下三人から、アキに用事があると言われ、今日は一緒に連れて来ている。イズルは、仲間外れは寂しいと言って勝手について来た。
「それで、俺たちもアキさんと一緒に何かしたいなと思ったけど」
「三人で休みをとるのは難しいので」
「贈り物をしようということになりました」
ナガラが後ろ手に持っていた物を前に出す。
「隊長に花を買ってもらったことがあるって聞きまして」
「これにしました」
「受け取ってほしいっす」
そう言って差し出されたのは、小さな双葉が顔を出した鉢植えだった。
「あの、これ……?」
「これ、リンネの花の苗です」
「もうすぐ品評会があります」
「育てて、出てみたらいいっすよ」
どうぞと渡されてつい受け取ってしまったアキに、三人は口々に説明した。
王都では毎年この時期、リンネの花の品評会が開かれる。リンネは、その花が開くまで何色になるのか分からない不思議な花で、世話の仕方で咲く色が変わるのだ。大事に育てれば、その人にしか咲かせられないきれいな花が咲く。
そして、品評会で優勝できるほどのきれいな花を咲かせると必ず幸せになれると言われていて、幸せの花とも呼ばれている。
「品評会は、誰でも参加できる気軽な感じですよ」
「世話も難しくないし」
「まあ、品評会に出ないにしても、育ててみたら楽しいかなって」
三人の話を聞いて、アキがシロウへ確認するように顔を向けたので、シロウはやってみたらいいと頷いた。するとアキは、ぱっと笑みを浮かべた。
「わあ、きっときれいな花を咲かせてみせますね。ありがとうございます!」
いったいどんな花が咲くのか楽しみだし、王都の催しに参加できるのも嬉しいと言って、アキはリンネの鉢植えを大事そうに抱えた。
頬を染めてうきうきしているアキはとても抱きしめたくなる可愛さだったが、まだイズルたちがその場にいたので、シロウはなんとか微笑むにとどめた。
リンネの苗は、庭の日当たりの良い場所に植え替えた。窮屈な鉢よりも、やはりのびのびと根が伸ばせる庭の方が良いだろうということになったのだ。
絶対にきれいな花を咲かせるのだと張り切ったアキは、翌日にはさっそく、以前に散歩の途中に知り合った花屋の青年に教えを乞いに行っていた。
青年に会いに行ったと聞いたとき、シロウは口元がぴくりとしたが、それで堪えた。あのときはアキにたくさん嬉しいことを言ってもらったし、あまり狭量なところを見せて嫌われたくない。
アキが青年から教わったことによると、リンネの花はいろいろな色が現れるが、大事に育てると多色の花を咲かせることもあるらしい。つまり、全体は赤い花弁でその先だけが黄色といった花が咲いたりもするのだ。
二色のリンネの花というのは、シロウも数えるほどしか見たことがないくらいに珍しいものだ。だがそれはとてもきれいに違いないし、大事に大事に世話をすれば咲かせられるかもしれないと、アキはますます花が咲くのを楽しみにしているようだった。
一度、泉のヌシがやって来たときにも、アキはリンネを見せたようだ。
ヌシは、最近ではアキが呼ばなくても勝手にやって来るようになった。シロウが仕事に出ている間に来ることが多いので、直接に会うことはあまりないから、気にしなければいいのだが。そのうち庭に池でも作れと言い出さないかと、シロウは少しだけ警戒している。
リンネを植えてから、朝はふたりで一緒に庭に出て、花が咲いたかどうかを確かめるのが日課になった。
その日の夕食の席では、日中のリンネの様子がどうだったかをアキが語り、シロウはそれを聞くのが楽しみだった。
そうして、咲いた花は。
「わあ!」
「これは、………………」
朝、アキと共に庭へ出てみれば、そこには七色に輝く花が咲いていた。
黄色、紫、赤、青……と、ひとつの花の中できれいに七色が混ざっている。
「すごい! リンネの花って、こんな色にもなるんですね!」
「い、いや。こんな色は見たことがないが…………」
すごいすごいと無邪気に喜ぶアキの横で、シロウは顔を引きつらせていた。
リンネにはさまざまな色の花があるものの、普通は二色以上のものは滅多に咲かない。ましてや、七色の花などシロウは聞いたこともなかった。
隊のみんなやヌシにも見せてあげたいと歓声を上げていたアキが、そういえばと思い出したように言った。
「そういえば、このまえヌシが来たときにおまじないをしてくれていました。あのおかげかな?」
「…………あいつか」
シロウはこの花の度を越えた美しさにようやく納得がいった。
「これなら品評会も優勝できるかもしれませんね!」
「……っ、ま、待て」
意気込むアキの手を、シロウは慌てて押さえた。
「アキ、これは品評会には出さずにおこう」
「え、どうしてですか?」
このリンネは、品評会に出たらいいと言って贈られたものなので、アキはもちろんそのつもりだっただろう。シロウとしても、そうさせてやりたかったが。
「あー……、その、これを出したら、おそらく騒ぎになるからな」
「そうですか?」
「アキは他の花を見ていないから分からないかもしれないが、これは前例がないくらいに珍しい色だ。……アキは他の土地から来た人間だし、今は妙な目立ち方はしない方がいい」
精霊は、そういった人間の機微というものに疎い。おまじないをしたというのも、ただアキを喜ばせようとしただけなのだろうが。
軍に在籍して様々な案件を見てきたシロウには、この花を披露すればあまりよくないことになるだろうと想像できた。過ぎた注目を集めれば、アキの背景についても聞かれるだろう。そうすればアキが遠い地からの迷子で、調律師というここにはない仕事を生業としていることが知られ、それが人々のどのような興味を引くか分からない。
シロウは、アキに嫌な思いをしてほしくなかった。
真剣な顔をしたシロウの言葉にアキの興奮はすっかり冷め、しゅんとした。
「でも、優勝したら幸せになれるって…………」
「アキ…………」
精霊がよけいなことをするからだと悪態をつきつつ、ヌシもアキを思ってしたことだろうから、あまり責められもしない。相手は人間ではないのだから、これはもう仕方がないことだ。
俯いてしまったアキの頭を、シロウはぐりぐりと撫で回した。
それでも、楽しみにしていたことを急に奪われて、アキは落ち込んだままだ。
シロウが落ち込んだとき、アキはいつも元気づけてくれる。それは、仕草であったり、言葉であったり。
「………………」
なんとかアキを元気づけたいと考えたシロウは、普段は口にしないような言葉を頑張って伝えようと考えた。
「アキは、品評会に出なくても幸せになれるさ。その、俺が、………………俺が幸せにするから」
するとアキは、ぱっと顔を上げて目を見開いた。
「俺はアキがいればそれで幸せだ。だから、この花は俺たちだけで楽しもう」
「……っ、シロウさん!」
誘うように腕を広げれば、アキは迷わずシロウの胸に飛び込んできた。ぎゅうぎゅうと抱きついてくる柔らかい体が愛しくて、その背をそっと撫でる。
「私も、シロウさんがいたら幸せです。確かに、シロウさんの鋭い目と筋肉があればそれだけで十分ですね!」
「そ、そうか」
アキがシロウの体を気に入っているのは知っているが、そんなになのかと、少し複雑な気持ちになった。だが元気になってくれたのならいいかと、シロウは腕の中の体をさらに強く抱きしめた。
アキが咲かせた七色の花は、シロウの隊員たちとヌシにだけ見せてこっそりと楽しんだ。
品評会に参加することはできなかったが、花が咲いている間、一緒に庭へ出て七色の花を眺める時間は、ふたりにとって幸せなひとときだった。
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「調律師と隊長」の小ネタも入っているので、興味のある方は2021年4月8日の活動報告をご覧ください(^^)