森のお土産
Twitter(@torikaitai_yo)の小ネタから派生した話です。
「シロウさん、今日はヌシと一緒に森へ行ってきますね」
「ああ。気をつけてな」
「…………」
「…………」
朝、見送りのときに今日の予定を伝えれば、シロウは少しだけ心配そうにアキの頭へ手を乗せて動こうとしない。昨夜も言っておいたはずだが、まだ心配がぬぐえないらしい。
そんな同居人の様子にアキは仕方なさそうに笑って、遅れますよと追い立てて仕事へ向かわせた。
シロウの姿が見えなくなるまで見送った後、アキは左手の腕輪へ呼びかける。
すると青い鎖がちかりと光り、泉のヌシが姿を現した。何枚も布を重ねた衣装が、さらりと揺れる。
「アキ、準備はいいかい?」
「うん。行こうか」
ヌシの差し出した手を取れば、次の瞬間には森へ移動していた。
「相変わらず、一瞬だね」
「ふふっ」
感心したように呟けば、ヌシは愉快そうに笑った。
アキが餞別としてもらった腕輪でヌシを呼び出せるように、精霊のような存在は一瞬で移動する能力がある。人間は魔術師であっても転移の術は不可能だということだから、人外者というのは途方もない存在なのだなと、改めて実感する。
故郷において精霊はそれなりに身近な存在だったから、アキがヌシに対して必要以上の緊張を感じることはない。だがシロウが言うには、精霊がこのように人間に関わるのは、この国では本当に珍しいことなのだとか。
ちらりと横を見やれば、見た目を自由に変えられる精霊は、今日も女性寄りの中性的な姿をとっている。母と呼ぶには若すぎるが、不思議とその胸に飛び込みたくなるような包容力があった。
姿に限らず、ヌシからは母性のようなものを感じることがあるので、迷子の人間を保護して母性本能が目覚めてしまったのではないかとアキは推測している。
「今日はこちらの方から行こうか」
ヌシが示す方向へ、アキも歩き始める。
今日、こうして森へやって来たのは、ヌシに森の手入れを手伝ってほしいと頼まれたからだ。
ヌシの棲む泉は、大きな森の中にある。森というのは様々な生き物が生息するために、よくないものも溜まりやすい。森の自浄作用でいずれは消え去るものも多いが、ヌシのような高位の存在が手入れをして回ることでより健全な状態に保てる。
手入れを手伝うといっても、大変なことはなにもない。
どこか気になる響きがある場所で、アキは杖を振って調律する。以前のように大きな滞りではないから、少し力を込めるだけできれいに流れていく。
「あれから、森の響きは穏やかだね」
「アキが手伝ってくれているからね」
いいこだねというように、微笑んだヌシに頭を撫でられた。子供の手伝いを褒められたようで、少し照れくさい。
この森に迷い込んですぐのころは、アキに森の調律を頼もうとも、ヌシがこうして一緒に歩くことはなかった。だからシロウたちと出会うまで、アキはひとりで調律して回っていたのだ。それは精霊としては自然な距離感で、アキも不満には思わなかった。
このように一緒に歩くほどに精霊が人間に愛着を持つことは、さすがにアキの故郷でもあまり聞かない話だ。
(やっぱり、母性なのかな…………?)
精霊の考えることは人間であるアキにはよく分からないが、これからも良好な関係を保っていけるように努めるつもりだ。
そんな森歩きの途中で、手のひら大の球根がのしのし歩いているのを見かけた。
「ヌシ、なにか歩いているけど……」
「ああ、魔獣の一種だね。あれは穏やかな性質だから、悪さはしないよ」
たしかに嫌な感じはしないから、悪いものではないのだろう。
目の前を通り過ぎようとしているその魔獣は、大部分は飴色の球根で、その上部から緑色の円筒形の葉が真っ直ぐに何本か伸びている。
その見た目は、アキが故郷で食べていた野菜にそっくりだった。美味しかったのに、もしやあれは魔獣だったのだろうか。
そうなると、この魔獣も美味しいのかもしれないと、がぜん興味がわいてくる。
「あれ、食べられる?」
「んん? どうだろうね」
ヌシには分からないらしい。そういえば、ヌシは食事の必要がなかったのだった。
「私の知っている野菜にそっくりなの」
「ふうん。ためしに持って帰ってみるかい?」
頷けば、ヌシは球根の魔獣を何匹か捕まえてくれたので、アキは喜んでそれらを持ち帰ることにした。
森の手入れが終われば、ヌシが再び王都まで一瞬で送ってくれた。
アキの手には、縄で括った球根魔獣。もちろん暴れないように息の根を止めてある。家に帰ったら、新鮮なうちに調理してみよう。
夕飯の買い出しをしたいからと、ヌシには市場の近くで降ろしてもらっている。
そろそろ市場も混み合い始める時間だから、ささっと買い物を済ませてしまおうというところで、聞き慣れた声がした。
「あれ、アキ?」
名前を呼ばれて振り返れば、そこには深緑の軍服姿のシロウとイズルが立っていた。声をかけてきたイズルは魔術師のローブを羽織って大きな杖も持っているから、まだ仕事中なのだろう。街の見回りかもしれない。
「今日はヌシと森へ行くと言っていたが……」
「はい、さっき帰って来ました」
ただいまと笑うのに、おかえりと返すシロウがさり気なくアキの全身に目を滑らせたのは、怪我などないか確認したのだろう。
森でヌシと一緒にいてなにかあるはずもないのに、心配性だなと思う。だが、心配されることが嬉しくもあるのが困ったところだ。
「あ、そうだ。お土産があるんですよ」
「みやげ?」
アキが縄で括った球根魔獣を掲げると、その存在に初めて気づいたようにふたりが目を見張った。ぶら下げていたから、陰になってシロウたちには見えなかったようだ。
「私が故郷で食べていた美味しい野菜にそっくりな魔獣です。同じものなのかなと思って、ヌシに捕まえてもらいました。食べたことはありますか?」
久しぶりの味覚を味わえるかもしれないとあって、アキはご機嫌だった。
一方で、シロウとイズルはぽかんとして球根魔獣を見ている。
「あ、よかったらイズルさんも持って帰ります?」
「い、いや、僕は遠慮しておこうかな…………」
欲しいだろうかとイズルに差し出してみたが、すすっと体を引かれてしまった。
どうもふたりの様子がおかしいので、もしやこの辺りではあまり食べない食材なのだろうかという気になってくる。だが、アキは故郷で食べていたのだから、きっと美味しいはずだと考えていると、難しい顔をしたシロウがアキの手に触れた。
「アキ、魔獣を手で掴んではいけない。まずは手を離そうか」
「え?」
「それに、魔獣は食べられない」
「でもヌシに聞いたら、食べてみたらいいだろうっていう雰囲気でしたよ」
「……あれは精霊だから、人間のことなど詳しくないだろう。この国の人間のことなら、俺の方が絶対に詳しい」
たしかにその通りだ。
「じゃあ、これは食べられない?」
「絶対に食べてはいけない。俺が処分しておくから」
「はーい……」
強く言われて、アキは手に持っていた球根魔獣を渋々シロウに渡した。
アキがまだ納得しきっていないのが分かったのか、シロウは、人間に魔獣を食べる習慣はないし、アキが故郷で食べていたものも普通の野菜だろうと、懇々と語った。
「これに似た野菜を故郷ではよく食べていたので。シロウさんにも味わってもらえたら嬉しいなと思ったけど、」
「アキ……」
だが違ったのなら残念だなと、アキはため息を吐く。するとシロウが慌てたような気配がした。シロウを喜ばせたかっただけで、困らせたいわけではないので、アキが顔を上げて仕方ないですねと笑おうとした、そこへ。
「はい、口を開けて」
イズルの声と共に、細い指先につままれた赤い色のお菓子が差し出された。それは艶々とした丸い小さな粒で、甘い香りがする。
どこかの店で買って来たらしいイズルに促されるまま、アキは素直に口を開けて赤い粒を迎え入れた。噛んでみれば、ぐにぐにと弾力のある歯ごたえの後、中から甘い液体が出てくる。
「イチゴ味……」
「うん。いろんな味があるみたい。近ごろ評判のお菓子だよ」
イズルがごく自然に渡してくれた袋には、他にも黄色や紫色の粒がたくさん入っていた。袋の口からふわりと甘い香りがするのに、アキは自然と笑顔になる。
さすが女性に人気のあるイズルは、こういったものに詳しい。それに、用意するのも食べさせるのも、とても慣れている感じがした。
「魔獣より、そっちの方が美味しいよ。今日はそれで我慢しな」
「はい」
たしかに、魔獣よりもこちらの方がずっと美味しいに違いない。
そう思ったアキは、おすそ分けだとシロウの口にも一粒入れておいた。シロウは目元を染めて沈黙してしまったが、とても喜んでもらえたようだ。イズルにも、それでよしと頭を撫でられた。
まだ仕事中のふたりとはそこで別れ、アキは甘い粒をつまみながら、市場で夕飯の買い物をして帰った。
その夜は、アキの故郷の味を披露できなかった代わりに、その野菜を使ってどんな料理を作っていたかなどを話すと、シロウは興味深く聞いてくれた。
「そういう話を聞いていても思うが、本当に、アキの故郷はここからかなり遠いのだろうな。文化がずいぶんと違うようだ」
「そうですねえ。ヌシが帰れないというくらいなので、相当に遠いでしょうね」
故郷に帰れないことは、もうアキの中で受け入れたことだ。そこがどれだけ遠いのかは、それほど気にならない。
終わった過去のことよりも、シロウとの未来を考えたい。
「シロウさんが興味をもってくれるなら、今度、似たような野菜を探してみますね。どこかにあるといいなあ」
「ああ。……くれぐれも、ヌシにそそのかされて魔獣を食べようとしないようにな。初めての食材は、まず俺に相談してくれ」
「ふふっ。そんなに心配しなくても大丈夫ですよ」
「…………」
シロウが疑わしげな目を向けてくるのがおかしくて、アキは声を上げて笑った。




