2. 隊長と交流を深める
和やかな空気も、怪異が発生している場所までだ。
気の流れが乱れた場所は、靄が漂っていることが多く、攻撃してくることもある。そのため、今までは調律中も注意が必要だった。
しかし、今日はアキの代わりに靄の対処をしてくれる調査隊員たちがいる。彼らが靄に当たっている間にアキが調律をすれば良いので安心だ。
調律を終えてしまえば、気の乱れから発生する靄も消え去る。調査隊員たちはそれまで靄を引き付けておけば良いだけなので、危険がぐっと減るはずだ。
シロウの指示のもと、調査隊員たちが靄へ向かっていくのを確認して、アキは杖を取り出す。朝露の杖は今日も美しく透き通っていて、見ているだけで気持ちが落ち着き、調律がうまくいく気がする。
アキがゆったりと杖を振り、しばらく気の流れを整えていけば、不協和音は徐々に消えていった。
ひと仕事を終えて小さく息を吐いたアキに、靄への対処を終えた副隊長のイズルが突進してくる。
「すごい! これが調律するってことかあ! 気持ちのいい力だね」
「うお、ありがとうございます……」
「本当に! しかも俺たちだけで対処するよりも、ずっと場がきれいになっているような気がします」
「俺たちも楽だし」
「すげーっすね」
大興奮のイズルに続いて、赤髪たち部下トリオも口々に称えてくれる。
調律師の力への反応を不安に思っていたのが馬鹿らしくなるくらいに、調査隊の面々は好意的だった。
そこへ、最後の確認を終えた隊長のシロウがやって来た。
「アキ、その、もう少し話したいのだが……」
「あ、いいね! さくっと仕事も終わったことだし、村で一緒に昼食でも食べようよ。僕たちの泊まっている宿屋の食堂、美味しいんだよ」
「いや、俺はアキと……」
「はいはい、シロウも一緒でいいからさ。ね、アキ。みんなでご飯にしよう」
「はあ、分かりました」
イズルの横で、押しのけられたシロウが不満そうな顔をしているが大丈夫だろうかと思いながら、アキは頷いた。
そして調査隊に連れられてやって来た村。
アキはこの地方の人間と関わらないようにしていたので、実は森に隣接するこの村に入るのは初めてだった。
つい、興味深くいろいろと見ていたら、調査隊員たちに置いて行かれそうになり、心配になったらしいシロウに手を引かれることになってしまった。眉間にしわが寄っていたので、さすがに呆れてしまったのかもしれないと、アキは反省した。
「すみません……」
「いや」
「…………」
そこへイズルが、こっそりアキへ囁く。
「シロウのあの顔は、怒ってるんじゃないから。あいつは考えごとをすると顔が険しくなるんだ。たぶん、アキがあんまり村に興味を示すから、今度どこか案内しようかなとか考えてるだけだよ」
「え、」
本当だろうかと、まじまじとシロウの顔を見てみたが、その真意は読み取れなかった。
「今日もお疲れさま。いただきます!」
副隊長のイズルの声を合図に、調査隊員たちとの昼食が始まる。
長方形の六人掛けの机に、四人が向かい合い、両端に一人ずつが着席しているという、なかなか余裕のない空間となった。そのうち五人は軍人男性なのだから、なおさらだ。
アキの隣には当然のように笑顔のイズルが座ってきて、反対側は端に座っているシロウだった。
「アキさんのおかげで、今日の仕事はあっさり終わっちゃいましたね」
「たしかに」
「ありがたいっすー」
「いえ、私の方こそ、みなさんがいると安心して調律できます。ありがとうございます」
「うんうん、今後もうまくやっていこうね」
部下トリオにお礼を言われたアキがお礼を返すと、イズルが嬉しそうに笑った。
軍というと、もっと堅い印象があるのだが、調査隊員たちは和気あいあいとしていて、とても和やかだ。それはこの副隊長の柔らかさのためなのかもしれない。
しばらく昼食と会話を楽しんでいると、ふと視線を感じた。先ほどから何度かあったものだが、視線の主であるシロウは話しかけてくるわけでもない。
アキは不思議に思って、聞いてみた。
「あの、シロウさん。先ほどから視線を感じますが、なにか?」
「は?」
だが、シロウは意外なことを言われたとばかりに、その鋭い目を丸くする。
「あれ、違いました?」
「…………いや、」
視線をうろうろさせて口ごもる様子に、アキはますます不思議に思った。
そこへ反対側から、ぶふっと吹き出す音がした。
「あははははは! アキ、あのね。シロウはさ、君に話しかけたいんだよ。でも、俺たちが君と話してばかりいるからうまく話しかけられなくて、本人は無意識だけど、君をつい見つめちゃうのさ」
「へ?」
「………………」
イズルが笑いながら語った内容に、シロウは目元を染めてふいっと横を向いた。
「あー、隊長ってそういうところありますよね」
「ある」
「無意識の行動ってやつ」
部下トリオも同意し、そこからはシロウを中心に話題が盛り上がっていった。
初めて出会ったときは、自分の顔は初対面の人間からよく怖がられるのだとしょんぼりしていたシロウを覚えているアキは、こうして部下たちから慕われているシロウを見て、なんだか心がほっこりした。
昼食を終えて食堂の外へ出ると、イズルが話しかけてきた。
「やー、うちの隊長が不器用でごめんね」
「いえ」
「まあ、とにかくアキのことが大好きでたまらないみたいだから、そこだけは分かってやって」
「は?」
(……大好きって、どういう意味で?)
アキは、特にシロウに好かれるような覚えはない。
本人から何か言われたわけでもない。
だが確かに好意的ではあるような気がする。
(いやでも、仕事仲間に好意的なのは普通のことだしなあ……)
泉まで送ると言うシロウに、まだ明るい時間だから大丈夫だとアキが断ると、調査隊員全員から却下されてしまった。
けっきょく、シロウとふたりで泉までの道を行くことになり、ごく自然に手を取られた。繋がれた手を見つめながら、この手の意味はなんだろうかと、アキは悩ましく考え込んだのだった。
初回の共同作業がうまくいったので、その後もアキは調査隊に同行していた。
そうして何度か共に調律を進めていたある日。
その日の調律を終えて、調査隊が後始末をしていたところで、アキは別の場所からわずかな不協和音が響いてくることに気づいた。
そちらに意識を向けてみると、ほど近い場所らしいことが分かる。おそらく、それほど大きなものではなさそうだ。
すっかり仕事終了の空気が漂っている調査隊員たちをちらりと見やり、これ以上は申し訳ない気がしたアキは、ひとりで行ってささっと片付けてしまおうと決めた。
(最初はひとりでやっていたことだしね……)
「シロウさん、ここで解散でもいいですか? 私はここから泉へ帰ります」
「……ああ、構わないが。送って行こうか」
「いえいえ、大丈夫ですよ。それではまた、明日!」
シロウが送ってくれようとするのを慌てて断り、アキは背を向けてその場から足早に立ち去る。呼び止められたような気もするが、聞こえなかったということにしておいた。
黒い靄のもとに到着してみれば、思った通り、それほど大きな靄ではない。これならば、ある程度の距離を取って調律すれば問題はないだろう。
そう思って、杖を取り出したところで。
「っ!」
靄がぐぐっと縮まったかと思うと、その一部を礫のように、ひゅっ、と飛ばしてきた。
驚いたアキは咄嗟にしゃがむことでなんとか回避し、礫は背後の木に当たった。するとその部分がじゅわっと溶け、木に穴が開いてしまった。
それを見たアキは、顔を引きつらせる。
「これは、調律するどころではないのでは…………」
じりじりと後退していると、再び靄がぐぐっと縮まる動作を見せた。
これはまずいとアキが慌てて逃げ出そうとする前に。
「アキ!」
鋭い声が響き、気がつけば目の前にあったはずの靄は、すぱっと両断されて地面に落とされていた。
まだうごめいている靄を両断した剣で縫い留めたシロウが、セキレイのような鋭い目を向けて叫ぶ。
「今のうちに、調律を!」
「……っ、はい!」
呆然としていたアキは、はっと気を取り直して杖を振る。靄は特殊な攻撃をしてきたものの、気の流れはそれほど乱れておらず、ほどなくして調律を終えた。
「アキ、怪我はないな?」
調律を終えて靄が消えると、シロウが剣を納めて近づいてきた。
「はい。シロウさん、ありがとうございました」
「……どうしてひとりで行った? ここに怪異があること、先ほど気づいていたのだろう。だからあそこで解散したいと申し出た。違うか?」
助けてくれたことへお礼を言うと、思いがけず真剣な瞳とぶつかる。まだ鋭さを保ったままのそれは、まさに武人の目だった。
「え、いや、それほど大した乱れではなさそうだったので、ひとりで大丈夫かなと……」
「大丈夫ではなかったな」
「はい…………」
ぴしゃりと言われて、その通りであるのでアキはうなだれた。
シロウが小さく息を吐く気配があり、衣擦れの音がしたと思えば、アキの体はシロウの腕に包まれていた。
「……以前、言っただろう。怪異は危険なものも多い。ひとりで行動するなと」
「あ、はい……」
「なにかするなら、まず俺に言え。お前の頼みなら断らないから。靄の前にいるお前を見て、胆がつぶれるかと思った……」
「…………」
無事を確かめるように抱きしめてくるシロウに、アキはなんだか申し訳なくなってきて、自分はここにいると伝えるため、背中に手を回してぎゅっと抱き着いた。
そうすると、さらにシロウが力を込めて抱きしめてくる。
その力強さが心地よくて、ちょっとまずいかなあと、アキは思った。
送って行くと言って引かないシロウと共に泉までの道を歩いていると、シロウがぽつりと言った。
「…………アキ。お前は迷子だと言っていたが。この件が片づいたら、故郷へ帰るのか?」
故郷の話は、シロウが泉のヌシと話をしてから特に触れられることはなかったので、急な話題にアキは少し驚いた。
「いえ。私の故郷はどうやらずいぶんと遠いようで、帰るのは難しいだろうと、ヌシに言われました。私はもう独り立ちしていますし、無理に帰る必要はないと考えています」
「そう、なのか?」
「はい」
すると、立ち止まって振り返ったシロウが、繋いでいた手をそっと持ち上げて両手で包んだ。
シロウと歩くときは、当然のように手を繋がれるようになっている。
「…………では、俺がお前に、」
「え?」
真っ直ぐにこちらを見つめるシロウの鋭い目に、アキはどきりとした。
「……その、…………、くそっ!」
「は?」
真剣な目で何かを言おうとしたシロウはしかし、口をもごもごさせてけっきょくは何も言わなかった。
盛り上がった気分を一瞬で台無しにされたアキは、ぽかんとしてしまう。
「…………いや、今言うべきことではなかった、すまない。まずは、この森の怪異を解決することに集中しよう。では、また明日」
よく見ればそこは泉のすぐ手前で、自己完結して最後にアキの頭にぽんと手を置いて村へ戻って行くシロウを、アキは何も言えずに見送った。
(…………ちょっとだけ、期待してしまった)
シロウが両手で手を握り、あまりにもこちらを真っ直ぐに見つめるものだから、もしや告白でもされるのかと、ちらりと考えてしまった。
先ほど格好よく助けに来てくれたことで、アキの心はかなりシロウに傾きかけていたので、もし告白されていたら、そのまま頷いてしまっただろう。
危ないところだった。