川へ釣りに
市場へ行って、食材を買う。それを美味しく調理すればシロウが嬉しそうに食べてくれるので、アキとしても作り甲斐がある。
シロウは軍で働いているから体が資本で、やはり肉を喜ぶ。王都はさすが都会で、売っている肉類はいくつも種類があり、たとえ毎日のように肉を使っても献立に困ることはない。
だがある日、アキは思った。
「新鮮な魚が食べたいなあ…………」
思っただけでなく口をついて出たアキの呟きに、隣に座っていたシロウが、おやと顔を上げる。
夕食の片づけを終えて、ソファでふたり並んで寛いでいるところだったので、小さな呟きもシロウの耳に届いたらしい。
「ん? 魚が食べたいのか?」
「んー、私の故郷ではよく食べていたので、ちょっと懐かしくなりました」
アキの故郷は海に近い場所にあったので、日常的な食材として魚があった。だがこの王都は内陸の都市であり、近場に魚が棲むような水辺がないのか、市場に並ぶのは肉や野菜ばかりだ。魚の干物はたまに見かける。
そのことに大きな不満はないが、ふと、新鮮な魚が恋しくなったのだった。
「そうか…………。では、今度の休みに釣りに行くか」
少し考えたシロウが、あっさりと提案してきたのでアキは驚いた。
アキが知っている場所で釣りができそうなところは、ヌシの森くらいだ。森で釣ったものを持って帰ったらシロウが怒るかなと、先日は我慢したのだが。
「えっ、この辺りに釣りができるところがあるんですか?」
「いや、ちょっと遠出になるが。騎獣に乗って行けば、日帰りできるだろう」
騎獣は、硬い鱗に覆われた体に長い尾を持つ生き物だ。アキの故郷では見なかったが、王都では長距離移動の際の一般的な移動手段として普及している。シロウたちが森へやって来たときも、この騎獣に乗って来ていた。
騎獣を利用するということはシロウの言うとおり近くはないのだろうが、それで魚が食べられる。なにより、シロウとふたりで出かけるとなれば、アキの心は躍る。
「わわわ。すごく楽しみです!」
「そうか」
アキが期待から頬を染めて言えば、シロウはアキの頭に手を置いて撫でてくれた。
数日後。
騎獣をしばらく走らせて、王都からやや離れた場所にある川へやって来た。
この辺りは上流にあたるのか、川幅はそれほど広くなく流れも速い。川辺はごろごろと石が転がって足場が悪いので、騎獣は近くの木に繋いでおくことにして、アキとシロウはふたりで川の近くまで歩いて行く。
「アキ、足下に気をつけろよ」
手を引いてくれるシロウがまったく揺らがないので、アキは不安なく歩けた。やはり鍛えている武人は下半身の安定感が違う。もしもアキが石につまずいても、シロウが支えてくれるだろうと信頼できる。
「ふふ。シロウさんが頼もしいから、私は歩きやすいです」
「そ、そうか」
シロウは、ふいっと前を向いてしまったが、繋いだ手に力を込めてくれたので照れているだけなのだろうと、アキはにこにこと笑った。
やがて川の前に到着して、シロウが持って来た釣り竿を取り出す。
「ところで、アキは釣りをしたことがあるのか?」
「ありますよ。弟と一緒に釣りに行って、よく夕飯のおかずにしていました」
アキの住んでいたところは、海が近かった。ひとりで海へ行くのは危ないと言われていたので、だいたい弟を付き合わせて釣りに行ったものだ。
「よし、経験があるなら、アキも釣り竿を持つか」
「もちろんです。たくさん釣ります!」
アキが魚を食べたいと言ったからシロウはわざわざ連れて来てくれたのだ。ここで奮起しない理由はない。
意気込んだアキに、シロウはほどほどになと笑って釣り竿を渡した。
「………………」
釣り糸を垂れて、しばらく。
アキの持つ釣り竿は、なぜだかぴくりとも動かない。
釣りには向いた時間帯というものがあるから、待ちの時間が長くなるのは仕方ないことではある。焦ってはいけない。
しかしながら。
「よっ」
隣で、シロウは何匹か魚を釣り上げているのだ。小さなものは食べるのには向かないと、放流する余裕まである。
その様子を、まったく釣れないアキはうらやましく見ていた。
だがそのうちに、シロウの華麗な釣り竿さばきに見惚れ始める。
ひゅっと釣り竿を振って、狙った場所へ釣り糸の先を落とす。引きがあれば、有無を言わさず一気に水面から上げてしまう。
動きに無駄がない。
「かっこいい…………」
小さくこぼれた言葉は、シロウにはよく聞こえなかったらしい。
どうした、と顔を向けてくる。
「シロウさん、なんだか慣れていますね。もしかして好きでした?」
「……ああ。隊で野営するときなんかは、こういうものが食料になるからな。食事は士気に関わるから、自然と上達するものだ」
きっとたくさん釣って部下たちに分けたりもするのだろうなと、その隊長らしい理由にアキは納得した。そういう風に、部下を大事にするところも好きだ。
そのとき、アキの釣り竿の先が、ぐいぐいと動いた。
「あっ」
アキがとっさに引けば、釣り竿は大きくしなる。これは大物に違いないと踏ん張っていれば、気づいたシロウが慌てて後ろから支えてくれた。
「アキ、俺が釣り竿を持つから、手を離していい」
「はいっ……」
シロウに釣り竿を託し、アキは邪魔にならないように横へよける。
「くっ、」
両手で釣り竿を握ったシロウが小さく呻く。
ぐぐっと引いて、押して、獲物もなかなか簡単には上がってこない。
左右へ振れる釣り竿を、なんとか制御しようとシロウの全身に力がこもる。
軽く足を開いて下半身を安定させ、両腕の筋肉を盛り上げ、真剣な表情で釣り竿を見つめるシロウに、アキは再びうっとりと見惚れた。
(かっこいい…………)
頬を染めて見つめるアキには気づかず、シロウは魚が水面に近づいた瞬間を狙い、渾身の力を込めて引き上げた。
「…………っ!」
どしゃりと川辺に打ち上がったのは、黄褐色の魚だった。水中から連れ出されたことを抗議するように、びちびちと大きな体で跳ねている。釣り糸はその重量に耐えられず、釣り上げたと同時に切れてしまっていた。
「はぁっ、…………」
小さく息を吐いて釣り竿を握っていた手を解すように振っているシロウに、アキは歓声を上げて抱きついた。
「うわあ…………、大物ですね!」
「ああ…………」
やれやれとアキの頭へ手を乗せるシロウは、気だるげで少し色っぽい。その眼福な様子をじっと見てしまったアキに、どうしたとシロウが首を傾げる。
「いえ。お疲れさまでした、シロウさん」
「無事に釣り上げられてよかった」
ふと空を見上げれば、そろそろ日が傾き始める時間だ。
釣り糸が切れてしまったこともあり、その釣果を最後に王都へ戻ることにした。
その日の夕食は、最後に釣り上げた黄褐色の大きな魚を焼いた。
じゅうじゅうと音を立てながら広がる香りに、アキの胸は期待に高鳴る。
最初のうちにシロウが釣っておいた魚は開いて干物にしてあり、後日のお楽しみだ。王都では鮮魚は珍しいが、魚を食べる文化はある。イズルたちを呼んでお酒のつまみにしてもいいかもしれないと、シロウと話しながら一緒に魚をさばくのは楽しかった。
ヌシも呼んでもいいかと聞けば、黙ってしまったシロウから肯定の返事はなかったが拒否もされなかったので、たぶん呼んでも大丈夫だろう。
「シロウさん、焼けました」
食卓の真ん中に大皿でどかんと置けば、存在感のある立派なおかずになった。
ふたりで一匹の魚をいただくのも、なんとなくアキは嬉しかったので、食べにくいのを承知の上であえて切り分けずにそのまま出した。シロウは抵抗なく魚の上半分をほぐし始めている。
「魚が食べられてよかったな」
「シロウさんのおかげです。連れて行ってくれて、ありがとうございました」
「いや、アキが喜ぶならいいさ」
目元だけを和ませるシロウは、これで本人は精一杯笑っているつもりなのだ。
「ふふ。魚と闘うシロウさん、すごく格好良かったですよ」
「そ、そうか」
今度は目元を染めて照れた顔。
魚と真剣に戦うシロウも好きだが、こういう可愛いところも好きだなあと、アキは思った。
いろんなシロウが見られて、アキにとっては大満足の休日となったのだった。




