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ルビィの独白9

 どれくらいそうしていただろう。呆然とするルビィにおずおずと声をかける者があった。


「あの、若奥様のお墓まで……墓地までは少し歩きます。表から行くより、屋敷の敷地内を突っ切った方が近道です」


 声をかけてきたのはルビィと同い年くらいの女性だった。ぼんやりとそちらに視線を向けると、女性は恐縮したように目線を落とした。


「……若奥様には本当によくしていただいたんです。貴族の方なのに偉ぶったところがまったくなくて。子どもたちに読み書きまで教えてくださって。“小作人に文字なんて必要ない”って大奥様は嫌な顔をされておいでだったから、こっそりとでしたけど。うちの娘は絵本が大好きで、弟たちによく読み聞かせをしてくれます。若奥様がくださった絵本です」


 女性は訥々(とつとつ)としながらも、一生懸命にそう伝えてくれた。彼女の背後で数人の女性が神妙に頷いているところを見ると、同じ思いでいるらしい。セーラは決して優秀な子ではなかったが、文字の読み書き程度であれば子どもたちに教えるのも容易(たやす)かっただろう。自分の知らない妹の姿を漏れ聞いて、ルビィは胸が詰まる思いがした。

 こちらです、と女性が屋敷の裏手を指さした。


「本当は案内して差し上げたいんですけど、仕事を休んでいるところを見つかったら大事(おおごと)なので……」


 申し訳なさそうに小さくなる女性に、ルビィは軽く首を振ってみせた。本当はここでの妹の様子をもっと聞きたかったが、彼女たちを引き留めればあの女主人に叱責されるかもしれない。後ろ髪を引かれる思いで、ルビィは女性が示してくれた方向に足を向けた。このまま屋敷の敷地をまっすぐ突き抜けると、表の通りにつながっているという。そこまで行けば墓地が見えるそうだ。ルビィは妹の遺品が入っているというトランクを下げて歩き始めた。少し歩くというが、溢れるほどの情報と気持ちを整理するにはちょうどいいかもしれない。

 重い足を引きずるように歩いていく。いくつもの納屋を抜けた先に、使用人用と思われる建物が見えた。建物に沿って通り抜けようとすると、風に乗って柔らかな歌い声が聞こえてきた。あまり人と顔を合わせたくなかったルビィは建物の角で一旦足を止めた。角には大きな木が茂っており、その影にちょうど隠れる形になった。

 ルビィの視線の先には若い女性がいた。腕には赤ん坊を抱えているようだ。その子を小さく揺らすようにしながらゆったりとした声で歌い上げるのは、この国でもよく知られた子守唄だった。懐かしさのあまりしばしそこに留まる。

 それはかつて自分がセーラに聞かせてやった歌だった。彼女がまだ小さく夜泣きが絶えなかった頃、王都に久々に戻ってきたセーラと、ルビィの部屋の簡易ベッドで一緒に眠ったとき、口をついた優しい歌。

 思い出にむせ返りそうになったルビィの耳に、今度は別の声が滑り込んできた。


「やぁ、よく眠っているね」

「あなた……おかえりなさい」


 赤子を起こさないためか声を潜めた会話だったが、ルビィはそれを聞き漏らさなかった。なぜなら新しく聞こえたその声には聞き覚えがあった。


 ルビィは木陰から少し身を乗り出した。そしてそこに見知った姿を見つけて大きく息を呑んだ。

 男は、セーラの夫だった。7年前、王都でのお見合いのときに見た姿よりさらに精悍さを増しているが、農家の息子とは思えぬ甘やかな笑顔はそのままで、見間違うはずなどなかった。


 驚くルビィの前で、女性はさらに衝撃的な言葉を紡いだ。


「坊や、お父さんのおかえりですよ」

「ただいま、いい子にしていたかい? 大泣きして母さんを困らせなかったかな」

「ふふふっ、いい子にしてましたとも。それに、泣かれてもちっとも困らないわ。まだ生まれて1ヶ月ですもの。どんどん泣いて、お乳を飲んで、元気に逞しく育ってほしいわ。あなたみたいに素敵な男性になってほしいの」


 目の前で繰り広げられる光景はどう考えても若い夫婦のそれで、ルビィは見ているものと思考とがうまくつながらず、そこから動けないでいた。男は間違いなくセーラの夫のはずだ。彼はひとり息子だから、よく似た兄弟ということはない。そして女は生まれたばかりの赤ん坊を抱いている。2人の間に交わされた「お父さん」「お母さん」「坊や」という単語は、一体どんな意味の言葉だっただろう。

 訳もわからず佇んでいると、家の勝手口と思われるところから、さっきの女主人が出てきた。


「あぁ、あんたたち、こんなところにいたのかい。さっさと家の中に入りな」

「母さん、どうしたんだい?」

「あの女の姉が訪ねてきたんだよ。もちろん、追い返してやったけどね。ただ墓地に行きたがってたからまだこの辺をうろついているかもしれない。あんたたちのことが知れると襲いかかってくるかもしれないから、今は家の中にいた方がいい」

「まぁ怖い!」


 若い女性はわざとらしい声を上げながら、セーラの夫に寄り添った。夫は焦ったように母親に詰め寄った。


「待ってくれ、母さん。セーラの姉ってことはルビィさんが訪ねてきたのかい!? だったら挨拶しないと……」

「馬鹿なこと言ってるんじゃないよ! ようやくこの子たちを正式な嫁と孫として迎えられたんだ。それを無茶苦茶にされたらたまったもんじゃない」

「しかし……!」

「あなた、やめましょう。私はいいけれど、生まれたばかりのこの子に何かあったら大変だわ」

「嫁の言うとおりだよ。それに余所に子どもをもうけることは、おまえも納得したことだろう」

「でも、あのときはセーラとの間に養子に迎えるという話で……」

「やめないか。お貴族様じゃあるまいし、愛人を抱えるなんて外聞が悪い。それともおまえは今の嫁に不満があるのかい?」

「大奥様、どうかこの人を責めないであげてください。私が不甲斐ないから、この人は未だに納得してないんだと思います」

「あんたはよく尽くしてくれてるよ。この子が無事生まれるまでの1年、日陰者として辛抱し続けてきたんだ。晴れて跡取りを生んでくれたからには、この家にきちんと迎えてあげるのが筋ってもんだ。それから……いい加減、大奥様以外の呼び名で呼んでもらいたいものだね」

「ごめんなさい、私ったら。まだ小作人の立場の気分が抜けなくて……。それに尊敬する旦那様と大奥様をお義父さま、お義母さまとお呼びするのは、なんだか恐れ多くて。私のような者がこの家の嫁だなんて……」

「あんたは立派な後継ぎを生んでくれたんだ。どこぞの気位ばかり高い役立たずとは違うよ。いずれはあんたがこの農場を取り仕切る女将になるんだ。大丈夫、私がしっかり仕込んでやるから」

「大奥様、いえ、お義母さま、ありがとうございます。今後も頼りにしています」

「任せときな。ああ、それにしても思い出すだけで腹の立つこと。あの役立たずときたら、離縁にも応じず居座った挙げ句、変な死に方までしちまって。末端の末端とはいえ貴族様には違いないから領主様の取り調べまで入ったんだ。幸い現場を見たら明らかだったし、領主様とうちの仲だから、変に疑われずにすんだけど、もし主人や#伜__せがれ__#が濡れ衣を被せられてたらと思うとぞっとするよ」


大きな身体を震わせるように竦めて、女主人は赤子に近づいた。


「さて、きな臭い話は坊やの耳には毒だね。どれ、おぉ、よく眠ってるね。かわいらしいこと。私がベッドに連れていってやるよ」


 女主人は若い女から赤子を受け取ると、勝手口から中に入っていった。残されたセーラの夫は何やら苦しげな表情を浮かべている。

 女はそんな彼を見て眉根を寄せた。


「どういうことなの!? あなたはまだあの女に未練があるのね」

「いや、そうじゃなくて……」

「じゃあなんなの!? あの女は死んだのよ、それも勝手に。いつまでも思い出してるんじゃないわよ。それとも何? 私と坊やのことなんていらないの?」

「そんなはずない!」

「だったらもういいじゃない! あの女とは縁が切れたの。だからその姉っていうのもただの他人。あなたの家族は私と坊やでしょう!?」

「……」


 詰め寄られた夫が唇を噛む。さらに#詰__なじ__#ろうと女が勢いづいたそのとき、「坊っちゃま!」と使用人が彼を呼ぶ声がした。駆け寄ってきた使用人は、何かの作業の手順について指示を求めているようだ。セーラの夫は「ちょっと様子を見てくるよ」とその場を後にした。


 残された女は、立ち去った夫の背中を見つめながら目を釣り上げていた。


「冗談じゃないわ。若奥様が死んでくれたおかげで、私は小作人の立場からこの家の嫁になれたんだ。絶対この地位を手放してなるもんか……! なんとかあの人をうまく懐柔しなくちゃ」


 肩を怒らせて、女は勝手口から家の中へと消えていった。








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