ルビィの独白3
ウォーレス教授宅での仕事は、ルビィにとってとても快適なものだった。子どもたちは2人、長男のケビンは8歳、手先が器用で絵を描くことや工作が大好きな明るい少年だ。長女のカトレアは6歳。父親の影響でピアノが得意、母親の影響で刺繍や縫い物も好きという穏やかな少女だった。特に長女のカトレアは髪色や性格がどことなくセーラを思わせて、ルビィは妹の小さい頃を思い出すことがしばしばだった。教授も夫人も激動の人生を歩んできたルビィに同情的で、セーラも含めて親身になってくれるような人たちだった。
一家が暮らしていたのは、社宅用とはいえ立派なお屋敷で、家庭教師のルビィのほかに住み込みのメイドが2名いた。ウォーレス教授は仕事一筋の人で、おおよそ家庭の仕事には不向きだったが、夫人はじっとしていられない性分のようで、メイドたちと一緒になってお菓子を焼いたり、定期的に出入りしていた庭師に習って庭仕事をしたりと、常に動き回っていた。そんな夫人を見て育ったからか、いつのまにかケビンもカトレアも自分のことは自分でする習慣が身についていた。ルビィ自身も、貧しかった時代に家事らしきものをこなした経験はあったので、自然と彼女たちに混ざって生活上の細々したことをするようになった。
芸術家であったウォーレス教授は、子どもたちの教育に行き過ぎた熱意を注ぐようなタイプではなかった。夫人も然りだ。2人とも当主筋ではなかったため、子どもたちが将来どういった道に進んでもかまわないと思っていた。親の勤めとして、王立学院には入学させるが、勉強やマナーなども将来それぞれが生きていく場所で恥ずかしい思いをしない程度に身についていればいい、という方針だった。そのため机にかじりついて勉強するよりも、それぞれの得意なこと、好きなことの分野を伸ばす手助けをしてほしいと頼まれた。自分が勉強ばかりに力を入れてきたルビィは、この依頼に最初は戸惑ったものの、教授夫妻の希望を組み、子どもたちにあった教育を施せるよう努力した。長男のケビンは勉強よりも手先を使うことが得意。ルビィは教授の伝手で芸術院の工芸部門の講師に自宅まで出張してもらい、工作の家庭教師をしてもらうことにした。長女のカトレアは裁縫が好きだったので、街のドレスメーカーに頼んで作業を見学させてもらうようなプログラムを取り入れた。そうやって自分の範疇だけにとどまらない教育ぶりは一家に好評で、「ルビィに来てもらって本当によかった」と感謝された。特に子どもたちの反応は絶大で、余所の家庭教師と全然違う!と、ルビィの存在を友達に自慢していたほどだ。
一方、王立学院で新2年生となったセーラは、変わらず学院にとどまることができていた。寮費の分割支払いが認められ、かつウォーレス教授がルビィの給金を前払いしてくれたおかげだった。とはいえ、新卒で働き始めたルビィの給金は決して多額ではない。突発的な支払いなどに対応するためにも節約した生活を送るよう心がけた。傷んだ物を修繕しながら大切に使う癖は、この時代に身についた。
そうやって妹の面倒を経済的に見ながら、仕事では主人の2人の子どもたちを教育する。そんな生活を半年ほど続けていた頃、父が王都に戻ってきたと知らせが入った。ルビィがウォーレス教授宅で働いていることを知らなかった父は、妹のセーラ宛に手紙を送ってきた。聞けば1年前に一時的に全財産を失ったものの、他の投資分が今になって回収できたこともあり、今は借金もなく、普通程度の生活を送れる程度に復活したらしい。ひとまず一番に優先すべきことはセーラの寮費だったので、払える分だけでも先に払ってもらうことにした。そうでもしなければ、また別の投資に手を出して一文なしになってしまう可能性が高かった。
ウォーレス教授宅で住み込みの家庭教師を始めたと伝えると、父は如実にがっかりした顔を見せた。「もっと高名な貴族のところか、王宮にでも勤めてくれたらよかったのに」とはっきり口にされ、さすがのルビィも怒りを覚えた。とはいえ父も、娘の大事な就職活動の時期に行方をくらませていたことが原因とわかっていたので、仕事を変えろとまでは言い出さなかった。
「おまえは母親に似て愛想がないからな。どこぞの貴族様に見染められるなんてことは期待してなかったさ。その点セーラは俺に似て人好きがする性格だ。見た目も悪くない。せっかく王立学院に入れてやったんだ、せいぜい頑張って金持ちを捕まえてもらおうじゃないか」
自分の欲を隠そうともせずそう言い放つ父に、ルビィは怒りを通り越してめまいを覚えたが、今この男の収入を当てにしなければ生活が成り立たないのは事実だ。自分のお給金だけではセーラを卒業まで養ってやれないかもしれないと思うと、父と縁を切るわけにもいかず、ただ、セーラにだけはこの男の思惑とは違う世界で自由に伸び伸びと生きていってほしいと願うばかりだった。
そうして年月は過ぎていった。父はその後2回ほど投資をしくじり、そのうち一度は少なからず借金を背負うことになった。その間はセーラへの仕送りも完全になくなり、ルビィがセーラを支えることになったが、ウォーレス教授夫妻の援助もあり、なんとかセーラの学生生活を守ってやることができた。セーラはとても心根の優しい子で、自分の学院での生活を姉が必死に支えてくれていることを強く理解していた。それと同時に、父親がちゃんとお金を工面することができれば姉の苦労も軽くなるのに、と憂いていた。彼女は早く学院を卒業したいと思っていた。そうすれば姉は晴れて自由の身となり、もう妹である自分のためにお金を用意する必要もなく、父親の処遇に一喜一憂することもなく、自分の時間や幸せを手に入れることができるだろう、と。ジリジリするような思いで学校生活を送ったセーラは、無事卒業の年を迎えることとなった。卒業まで残り半年を切り、将来の進路について悩んでいた頃、父が彼女に縁談を持ってきた。