ルビィの独白2
ルビィはウォーレス子爵家の傍流の家に長女として生まれた。傍流、といってもその範囲は広い。ルビィの父は、主であるウォーレス子爵とかろうじて血の繋がりがある、という程度の、遠い位置にある存在だった。だが貴族籍であることは間違いない。母は伯爵家の出身だったが、こちらも主家ではなく、従って2人が結婚する際にも大きな反対は起きなかったそうだ。
父は投資家だった。元来お調子者で、汗水たらして働くようなタイプではく、お金を右に左に動かすだけの仕事は彼にはむいていたのかもしれない。投資の才能は、あるともないとも言えなかった。ルビィが生まれた以降も、大当たりを出して一等地に屋敷を構え、大勢の使用人を使って過ごしていた日々もあれば、大損を出して家を追われ、借金取りから逃げ回るために親戚の家を転々としていた日々もある。つまりはムラっ気が強く、相場の読みは決して安定はしていなかった。ただ、不思議と人に好かれたり助けられたりする縁のある人で、大失敗をしでかしても周囲の人の助けでまた返り咲く、といったことが子どものうちに何度もあった。お嬢様として大勢の使用人にかしずかれた翌月には、隣人の生活音が丸聞こえの6畳一間の古びたアパートメントで、家族で1個のパンを分け合う、といった子ども時代を送ったことのある貴族は、王国広しと言えども自分たちくらいなものだろうと思っている。
そんな父に、真面目な性質の母が愛想をつかすのは時間の問題だった。何度目かの大損を出して夜逃げをするとなったとき、母は「自分は行かない」と父の手を離した。そのまま屋敷に残っても借金取りに追われるだけ、実家に戻っても肩身の狭い思いをするだけという状況の中で、母は精霊庁が運営する精霊院に逃げ込んだ。精霊に日々の糧を感謝し、祈りを捧げる神官や修道女が集う精霊院は、いつの時代も治外法権だ。真面目な気質の母には、精霊院の暮らしが合っていたのだと思う。そのまま亡くなるまでそこで過ごしたと聞いている。
8歳で母をある意味失くしたルビィは、自身もまだ母が恋しい年齢であったにも関わらず、その気持ちを封印し、3歳の妹が寂しく思わないよう、心を砕いた。父の性質を受け継いだ妹のセーラは、誰からも愛される子どもだった。妹自身は、その愛らしい性質のおかげで子ども時代をそれほど悲惨なものと捉えていなかったことが幸いだ。
やがて年月が過ぎ、ルビィは13歳になった。13歳と言えば、王立学院に入学する歳だ。その頃、父の羽振りが良かったこともあり、ルビィは貴族科に入学することができた。そこには「王立学院出身の娘は駒として使いやすい」という父の思惑もあった。学院で他の貴族から見染められればそれもよし、卒業して「王立学院出」の看板を背負い裕福な商家などの平民に縁付かせるのもよし、さらには成績優秀なら学院や王宮で職にありつく道も、ルビィのようなあまり階級の高くない貴族には許されていた。そこで出世でもしてくれたら儲け物、つまり父にとって、王立学院に進ませた娘はよい金ヅルになり得たのだ。
だが理由はどうであれ、学べる環境が与えられたことは、彼女にとっては僥倖だった。真面目で成績優秀だが、見た目は普通のルビィは、自身が誰かと結婚する未来を描けないでいた。仮に自分を求めてくれる人が現れたとしても、そこには父がついてくる。今はまだ仕事が安定して収入があるが、いつまた借金を抱えるかわからないといった状況で、相手やその家に迷惑がかかることを想定すれば、とても踏み込む勇気を持てなかった。
だから自然と、彼女が選ぶ道は一択となった。卒業して安定した職に就くこと。そこには、妹のセーラもまた王立学院に進むことがほぼ決定していた状況において、仮に父が事業に失敗して妹の学費が払えなくなったとしても、自分が面倒を見てやれるから、という理由もあった。
ルビィが王立学院で過ごしていた6年間も、状況は決して安定していたわけではない。父の投資が思っていた以上の利益を出さず、学院の寮の生活費を納めるのをしばらく猶予してもらった時期もあった。だが、それでも父が借金に追われるほどの状況に陥らなかったのは、今にして思うと稀な幸運だった。当時の父が珍しく長期的な投資に熱中していたのが幸いしたのだろう。
このまま妹が無事卒業するまで続いてくれたら、と考えたルビィの願いは、あっさりと崩されることになる。それはルビィが最終学年となり、卒業まであと半年、という時期に起こった。父が投資した鉱山開発の事業が突然廃業したのだ。良質なダイヤモンドがとれると言われたとある地域の鉱山開発に巨額のお金を投じていた父は、一夜にして全財産を失った。その頃暮らしていた高級アパートメントを逃げ出した父は、一時期行方知れずになった。その頃には妹のセーラも王立学院に入学していたので、学院の寮で暮らしていた姉妹は、かろうじて行き場を失うといった事態には陥らずにすんだ。また学院もある意味関係者しか入れない機関であるため、借金取りが押しかけてくるようなこともなかった。
だが、事態は深刻だ。王立学院は勉強するための学費は無料だが、寮生活にかかる費用は必要だ。さらに制服や教科書、文房具といった学生としての生活必需品も自前になる。普通科の平民は全員が特待生扱いなので奨学金がつき、実質無料で過ごせるが、貴族科にその制度はない。寮費は1年間前払いのため、既に卒業が見込まれるルビィだけであれば、あと半年、なんとか凌げないことはない。だが妹のセーラはまだ1年生。今年の寮費や生活費はどうにかなるとしても、来年になるまでに父からの援助がなければ、最悪退学になってしまうかもしれない。
さらにもうひとつ、間の悪いことがあった。ルビィの就職先の問題だ。卒業まで半年を切り、今が新しい年度に向けての就職活動の時期だった。ルビィは王立学院系列の学校に勤めたいと考えていた。今在籍している学院でもよし、その他、芸術院や医療院といった、特殊学院での仕事でもかまわない。理由は学院の中であれば安全に暮らしていけるからだ。仮に父の借金取りに追われることになったとしても、学院の中に関係者以外は入ってこられない。また各学院はいわばひとつの街のようなもので、その中だけで生活ができる造りもになっており、籠の鳥として守られた生活が送れた。王宮での仕事にも興味があったが、王宮ではその守りが薄くなってしまうため諦めることにした。
だが、学院系列に勤めることは簡単ではない。理由は身元チェックだ。学院で教鞭をとるような教授クラスの人間でさえ、推薦状や身元証明書がいる。そしてルビィの身元を証明してくれるのは今の状況では父しかいないわけだが、その父と連絡がとれない。仮になんとか父の証明を貰えたとしても、今現在、借金に追われる身の人間の証明など、貴族社会では通用しない。
案の定、ルビィの就職活動は暗礁に乗り上げた。身元が証明できない以上、いくら成績優秀でも雇ってはもらえない。ルビィは自身のこともそうだが、妹のセーラの先行きが不安でならなかった。もし自分が学院での職を得られれば、寮費は分割にしてもらえればなんとか払えるだろう。だがこのまま仕事を得られず、父も行方知れずのままとなれば、セーラの退学は免れない。
困り果てたルビィは、ダメ元で主家であるウォーレス子爵に手紙を出してみた。父自身が傍流の傍流だったこともあり、ルビィは当時のウォーレス子爵に会ったことは一度もなかった。だが間違いなく自分も子爵家に連なる身、この手紙もお金の無心をするものではなく、行方不明の父に変わって身元証明をしてほしいという類のものだ。一族を預かる当主であれば、たとえ一度も会ったことがないにしても、サインをくれるかもしれない。
結果として、ウォーレス子爵から身元証明のサインをもらうことはできなかった。理由は、もし子爵がサインをしてしまえば、子爵はルビィの後見として正式に表明することになってしまう。そうなるとルビィの実父が作った借金を支払う義務が、ルビィを通じて子爵本人に発生してしまうためだった。子爵家もそれほど安泰という家ではない。「大変心苦しいのだが」と、会ったこともない傍流の家の娘に返事をくれただけでも、良識的な人だったと思うことにした。
だがこの手紙がきっかけで、事態は好転することになる。子爵本人からはサインを断られたが、子爵の弟であるグスト・ウォーレス教授からルビィ宛に「息子と娘の家庭教師をしてみないか」という手紙を受け取ったのである。グスト・ウォーレスは当時、王立芸術院のピアノ講師をしており、妻と2人の子どもがいた。一家は王立芸術院の近くに職員用の一軒家を借りており、当然その住まいは芸術院の広大な敷地の中にあった。ルビィが当初望んでいた、借金取りが絶対に追いかけてこられない場所で、彼らは暮らしていたのである。
住み込みの家庭教師でお給金も平均的、平和が保たれた暮らしが保証され、さらに妹が暮らす王立学院も近い、主人は同じ一族で、ルビィの境遇を知った上で手を差し伸べてくれている。この申し出にルビィは一二もなく飛びついた。
こうしてルビィは王立学院を卒業し、ウォーレス教授の家に引っ越した。ルビィ、18歳の春のことだった。