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けあらしの朝 33  作者: 翼 大介
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人生迷い道

 大地が震え、大津波が街を飲み込み、炎が建物を焼きつくしたあの日から3ヶ月が過ぎて6月も中旬になった。散乱した瓦礫の撤去は進んでいるが梅雨入りも間近に迫りその湿気混じりの空気は悪臭に更なるエネルギーを注ぎ込んだかのように嗅覚を蹂躙した。加えて見たこともない大きな蝿が飛来するようになって実際は害はないものの疫病でも発生するのではないかと案じる者も少なからず出始めた。そうした中、壊れた建物や漂流物で埋め尽くされた場所の片づけが進むのに比例して行方不明になっていた人達が遺体という形で見つかる。だがそれは悲しみと同時に区切りといったことや、やっと自分達のもとへ帰ってきたのかといった遺族の複雑な安堵感に満ちた言葉に繋がっていた。

 博之は次々に入って来る情報から知人の死を知るたびに心を痛めていた。さほど親しくなかった相手であれ自分と関わりがあった人間が亡くなっていたという事実など出来ることなら目を背けたかった。

 (俺と家族は生きているだけで奇跡なんだよ。なのに俺は毎日何をしているのだ。このままでは親父にもお袋にも、義兄さん、佐久間さんに対してはっきりとした答を出せない)

 避難所から仮設住宅への転居も始まっていることを考えると悠長に構えている場合ではなかった。博之は新調したばかりの携帯電話のネットで天気予報を検索した。

 (明日は晴れそうだし気温もそんなに上がらないようだな。よし潮川の自宅跡まで富美恵と行ってみるか。頭の中ではゴチャゴチャしながらも俺なりに先の事についての骨子はまとまっている。今晩横になりながら整理して明日、自宅跡で富美恵に話す。スタート地点で終わりを告げることになるがそれでいい)

 すっかり慣れきった体育館での生活は数年後どんな風に思い出すのだろうか。しかしながら富美恵にしてみればそうしたことはさっさと忘れてしまいたいことかも知れない。ともかく博之は理由を語ることなく翌日の潮川行きを富美恵に告げた。

「分かったわ。けど潮川まで本当に辿りつけるの」

 「ゆっくり慌てずに行けば何とかなるだろう。瓦礫もだいぶ片付いて道路も姿を現して歩きやすくなったと聞いている。さあ今日は早いとこ寝るとしよう」

 そうは言ったものの博之はなかなか寝つけずに明日、計画通りに自宅の跡に着くことが出来たら富美恵に話そうと考えていた事が何度も頭の中を渦巻いた。そのうちに浅い眠りに落ちたが久しぶりに仕事の夢を見た。地震以後初めてのことだったが目覚めた時の気だるさはいつもと同じであった。外から入って来る光はまばゆい。昨日の予報通りならば1日いっぱい過ごしやすい陽気になりそうだ。

 「いい天気だな。予報が当たった。俺は昨日の天気予報を聞いて潮川行きを決めたんだ。食事を終えたらすぐに出るぞ。それと履き物は長靴じゃないとダメだ。佐久間さんから貰ったのがあるだろう」

 博之は路面にはまだ水溜まりがある上に足元も良くない。佐久間から貰った長靴は重い安全靴だが短靴より安心して歩けることを説明した。何しろ富美恵の外出のほとんどは浸水被害のない場所で営業している店舗での買い出しだ。実際にけせもい大橋の辺りまで来ると博之の言ったように道路にはまだ細かい瓦礫の残骸が落ちている。橋を渡ると地震当日のまま手がつけられずにいる大きな瓦礫が道を塞いでいた。ここから先は更に難儀するだろうが引き返そうという言葉はどちらからも出ない。足元に気をつけて歩くことが言葉を奪ってしまったが博之はそれが幸いしていると考えた。歩きながら富美恵に話す内容を簡潔にまとめられるからだ。

 (まず、富美恵にはけせもい市を離れて何処でも構わないからそこで再出発してもらう。働き口はいくらだってあるさ。あいつにとってこの土地は辛い出来事が多すぎたから恭一さんとの思い出だけを胸に抱えて去るのがいい。問題は子供達だが高校卒業まで俺の両親に預ける。その後は富美恵に委ねよう)

 順序づけながら言えば納得してくれると博之は思ったが自宅跡に近づくにつれてなぜだか胸に軋むような感覚が走った。そして富美恵が家のあった場所はあそこじゃないかしらと言った瞬間に上の空でそうだとだけ呟いた。それからまとめ上げたはずの文言が頭からすっかりと消えてよろめきながら自宅跡とおぼしきところに向かう。着いて見ると土台だけが残っていたがそこは間違いなく3ヶ月前まで暮らしていた場所だ。

 「富美恵、風呂場だけがそっくりそのまま残っているぞ。懐かしいな」

 「そう、このタイルの手触りがね。だけどウチだけじゃなくトイレや風呂場が残っている家の跡が目につくけど不思議だわ」

 「風呂場やトイレは強固に造ってあるんだ。だから土台に引っ付いたままなんだよ。そう言えば昔、地震が来たら便所に逃げろと言われたな。もっとも震災の揺れ方ではそれじゃダメだったけど」

 博之は風呂場を起点にして玄関やリビングがあった場所の目安をつけて見渡すと廊下と思われるところにアルバムが引っ掛かっているのに気づいたがそれは見ず知らずの他人の物であった。

 「このアルバムの持ち主はどこの誰だろう。ここにあるということは家は流されたに違いない。命が助かっていればいいのだが。とにかくこのアルバムは持ち帰る。いずれこうした物が集められて持ち主探しが行われることだってあるはずだ」

 「そうね、私も持ち主が生きていて手元に戻る日が来ればと思う。たとえアルバム一冊だって暮らしていた証しになるのだから」

 富美恵は博之から手渡されたアルバムに付着していた泥を擦り落とした。博之はいとおしそうに汚れを拭き取る富美恵の姿を見て葛藤が沸き上がった。

(俺は離婚届という拳を振り上げたもののその下ろし場所に困り途方に暮れているだけじゃないのだろうか。だから今までグズグズと結論を引き延ばしここに来ても決めたはずの事柄をはっきりと口に出せないでいる)

 やり場のない気持ちから石を拾って軽く投げてみた。一つ、二つ、三つ。野球は全くしていないにもかかわらず投げる感覚は肩が覚えていたようだと一人悦に入っていたところをぶち壊す言葉が背後からかかった。

 「肩が早く開いて相変わらず不格好な投げ方は全然変わってないな」

誰だ、ケチをつけるようなことを言うヤツはと振り向いたら懐かしい顔がそこにあった。緒方である。多少やつれた感はあるが目の輝きは以前のままだった。直接会うのは何年ぶりのことだろうか。何しろM食品を退職後にスーパーに勤務することになって相談して以降は博之自身がどんどん落ちぶれていって疎遠になってしまいここ数年は年賀状だけをやり取りするだけという状態が続いていた。博之は申し訳ないという思いが先に立って挨拶もそこそこに頭を下げた。

 「いや、謝ることはない。俺だって同じ立場なら自然とそうなっただろう。しかし無事で良かったな。けせもい高校にいると聞いていたから訪ねたのだが自宅跡に向かったと言われたんで古い記憶を頼りに途中まで車で来てあとは歩いた。津波にやられた場所はどこも一緒だな。まだ徒歩でしか行けない場所はたくさんある」

 「緒方さんも無事だったようで・・・・・」

 博之は言いかけて言葉が続かなくなった。緒方の実家でも漁業で生計を立てているのだ。仙台で会社勤めをしている緒方は無事であっても実家の人達は・・・

 この3ヶ月で一人だけ助かった(その反対もあるのだが)という話も耳にしていた。口ごもった博之に緒方はそれを感じ取り再び話を始めた。

「俺は会社を辞めて実家で暮らしている。もう一ヶ月になる。所用で出てきたのだがお前に言っておこうと立ち寄った」

 その一言で博之は事情の輪郭が読めた。緒方は全てを話すつもりだろうと考えて土台部分に落ちていた材木を置いて腰を降ろすよう促した。

 「ああ、すまん。実はな兄貴と義姉、そして甥っ子が津波で命を落とした。兄貴は行方不明のままだ。義姉と甥っ子は浜に置いていた網や籠といった漁具を高台に運んでいる時に呑まれたが三日後に見つかった。親父は自分の船を兄貴は俺の釣り船を津波から守るために地震が収まってすぐに沖出ししたらしい。親父はうまく沖に逃れたが兄貴は船が転覆したあとに沈没してそれっきりだったと聞いた。親父は自分が沖出しなんかしなけりゃと悔やんで飯もろくに食えなくなった。今はだいぶ回復したんだがボンヤリしてる事が多い。俺は俺で釣り船なんぞ持ったから兄貴を失ったと自分を責めた。だが釜石に帰った時に親父と兄貴の漁師仲間から船の沖出しや漁具を津波から守る行動は当然の事なんだと言われたよ。そりゃ危険を伴う行為なのは否定出来ないが津波があまりにも凄まじ過ぎた。何度も言ったり聞いたりしたろうが誰があんなもん予測出来たと思う?責めようがないんだ。それを分かっていながら俺は悶々としたまま過ごしていたが釜石のみんなは悲しみ、苦しみに耐えながら再起に向けて動いている。俺は親父と兄貴の代わりになるしかないと考えた末に決断した。船は一隻残った。船さえあれば何とかなる。女房の説得に骨が折れたがどっちみち定年後に釣り船やるつもりでいたから前倒しすると思えと言って了解を得た。そしてなお嬉しいことにな、長男が手を貸すとまだ勤めて5年にしかならない会社を辞めてついてきてくれた。俺は何だか不思議な力が湧いて来るのを感じた。この震災で俺達の世代は若い連中に道筋をつけて橋渡しをする使命を帯びる立場になったように思うんだ。俺の場合は漁師として故郷に戻ることがそれなんだよ。復興が進んで被災した地域が落ち着きを取り戻した頃には俺達は一線から退く歳になっている。だが俺と息子の選択はいばらの道だ。軌道に乗るかどうか厳しいのが実情でありリスクと背中合わせさ。それでもやれるところまでやる。とにかく今日はお前の元気そうな顔を見れて良かったよ。仕事のことはあえて聞かない。焦らず時期を待て、それとまたいつか釣りに行こう。その日は訪れる。じゃあな、これから資材の調達で行かねばならんところがある。所用とはその事だ」

 緒方はそう言い残して去って行ったが博之はまくし立てるように話したことを整理してみた。緒方は一緒に暮らしていたわけではないが兄や甥っ子という身近な存在を亡くしながらも悲しみに落ち込むどころか代わりに家業の再起のために立ち上がった。それに比べて自分は・・・・・

 身体の中の芯が軋む。再び石を手にして今度は届くかどうか分からない水溜まりを目標にして投げた。それは僅かに届かず手前にひっくり返っている小舟にバウンドして当たり、コツンと音を立てた。

 「緒方さん、ダイナミックな行動力は失ってないな」

 一人でぶつぶつ呟いている博之に富美恵が訝しげに声をかけた。

 「ねえ、今の人は誰?私は会ったことないよね」

 緒方は結婚披露宴に招待していたが富美恵が顔を会わせたのはその一度きりだったから覚えていないのも無理はなかった。

 「俺が仙台で暮らしていた時に世話になった人だよ。最初は取引先の相手だったが転職して利害関係が無くなってからは釣りや野球で行動を共にしていたんだ。俺がM食品を辞めて以降はすっかり疎遠になってしまったが俺の方から避けていた。落ちぶれて行くのを知られたくなかったからな。だがあの人は気にかけてくれていた。面目ない話だが震災がなかったとしてもいつか訪ねて来てくれたに違いない」

 博之は石を拾い上げて今度は水溜まりのさらに向こうに狙いを定めた。すると水溜まりを越えてその先にあったひしゃげた自転車に当たり金属音が響いた。

 「おお、石投げとはいえまだまだイケる気がする。どうだ50歳目前のオッサンにしては肩が錆び付いていないと思わないか。あそこまで何メートルあるかな。60近くはありそうだが」

 予想もしていなかった突然の緒方の訪問は博之の心の中に渦巻いていた迷いを吹き飛ばしたようだ。明らかに石を投げる際の躍動感が違う。それは富美恵の目にもあからさまに分かるほどだった。富美恵はとぼけたふりをして博之に対しあえて突き放すように言った。

 「さあ、どうなんでしょう。私は野球のなんたらとかはてんで分からない。だからあなたの肩が強いのかどうかなんて判断出来ません。一つ言えることは真一と隆徳には到底及ばないということかな」

 「そんなのは比較すること自体ナンセンスだ。あいつらは現役野球部員で俺はブランクたっぷりのオッサンなんだぞ。しかも野球は中学で挫折したときたもんだからお話にならない。だがあの二人は高校まで続けて何より硬式やってくれてるのが嬉しい。そこら辺の根性はお前譲りだな」

 「フフ、そうかもね。ただ私は何ごとも要領が悪い。二人はそれも受け継いでるように思うけど」

 「要領なんて関係ないさ、物事にはいかに真摯に取り組むかだ。俺が言うと説得力に欠けるがな。しかし今投げた石があそこまで届いたことで俺にも可能性の欠片が残っているという確信を得た思いがする」

 「ハア、さっぱり言っている意味が分からない。石を遠くに投げることと貴方の可能性とはどんな関係があるの?」

 博之は富美恵が呆れた表情で言った質問を無視して初夏の太陽が照らす瓦礫を見つめながら張りのある声で話し出した。

 「俺は決めた。いや決め直した。お前は勘がいい、今日ここへ来ようと言った時点で俺がはっきりとした決意表明すると思っていただろ。そしてお前が予想していた答は俺が離婚を回避せずに別な道を歩むことで押し切る。具体的にどうするかもこの場で煮詰めてしまう。実際にここへ着く直前まではそれでまとまっていたんだが家の跡地が目に入った途端にそれが雲散霧消してしまった。だから今日のところは適当な話をしながらお茶を濁して体育館に戻るつもりでいたんだが不意に緒方さんが現れた。あの人の話を聞いているうちに心の隅に無理矢理閉じ込めておいた思いがたまらずに飛び出して来た。富美恵、聞いてくれ。今さらこんなことを言えた義理ではないが離婚を撤回させて貰えまいか。一緒に晋作さんの民宿を手伝い、ゆくゆくは引き継ぎたい。嫌ならお前の好きにして構わない」

 それから3分ほど沈黙があった。二人は別々の方向を見ていたがどちらからともなく向き直り先に富美恵が口を開いた。

 「では好きなようにさせていただきます。分かりました。私はあなたと一緒に施津河へ行きます」

 「富美恵・・・・・」

 「私はあなたがどんな答を出そうともついて行くつもりでいました。結婚前の暴漢、今回の地震と津波。どっちもハラハラしたけど二度も危機的な状況から救ってくれた人を見捨てる真似なんか出来ません。ただしあと10歳若かったらどうだったか微妙だけどね。でも石を投げて可能性云々の演出、あなたらしかったわ。完全にネタバレだったもの」

 博之は富美恵がいたずらっぽく言ったことには何も答えずに力強く抱きしめて、ありがとうとだけ言った。

 (さて踏ん切りがついたからにはすぐにでも行動に移さないといけない。先ずは佐久間さんと義兄さんに事の成り行きを報告しなければ)

 博之は抱擁を解くと再び石を拾ってさらに遠くをめがけて投じようとしたが、あろうことか身体のバランスを崩して足元に叩きつけてしまった。

 「ちくしょうめ、最後にとびきりの遠投でビシっと決めてやるつもりだったのに・・・まあいいか」

 石が転がった方を恨めしそうに見ると一片の紙切れが土台にへばりついていることに気づいた。

 「うん、なんだこれは。どうしてこんな物が引っ掛かって残ってるんだ」

 博之は紙切れを剥がして破くと風に乗るように放り投げたがそのうちの一片が舞い戻って来た。反射的に掴むと離の文字が目の前で嫌みったらしくパタパタとはためいた。それを判読不能になるまでちぎって手のひらに乗せてあとは気まぐれな初夏の風に任せて背を向けた。

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