04_その作品は誰のもの? その善意は誰のため?
自分も一応作者だ。自作以外では当然読者だが、自作と呼べるものを持っている以上、作者であることは間違いない。
こんな誰に見てもらえるかわからないエッセイだけではなく、できる限り多くの人に読んで頂きたい、小説と呼べるであろうものを連載している。
自作への感想については、以下のように考えている。
謂れのない罵詈雑言の類は論外として、作品を読んだ上での正当なものであれば、誤字脱字衍字の報告だけでなく、内容の不満・否定でもウェルカムだ。
対応はその時々で変わる。感想の返信だけでなく、作品へ反映することもある。
「そのほうが作品のクオリティ上がるな」と思えば、感想内容を汲んで作品を修正する。
「確かにその通りだけど、それをやってしまうと別の問題が起こる」と思えば、その旨を伝えるだけで採用しない。
ある読者の不満点を自分が解消しなかったからと、見限られたとしても、残念だけど仕方ないと最初から諦めている。
その場合は、声を上げるひとりの読者よりも、もっと多い声を上げない読者に目を向けるから。
なによりも、自分の作品なのだから。主導権は作者たる自分が持っている。それを読者に明け渡し、振り回されるなどご免だ。
そういった改善案だけでなく、作品を読んでこう感じたという、真の意味での感想もある。割合でいえば、こちらのほうがずっと多い。
でだ。
類は友を呼ぶ方式なのか、朱に交われば赤くなる方式なのか不明だが、拙作の読者さんがそういう感想を書き込むことはほぼないが。
「面白かったです」だけの一言評価は、ぶっちゃけ不要とすら自分は思っている。
言ってしまえば短くて具体性がないのが理由だけど、全体を読んでのことなのか、最新話だけでのことなのか、それすらもわからない、具体性のなさが並外れているからだ。
なので、短い文章であったとしても、最新話を読んでの感想だとわかるなら、なにも問題ない。こちらも相応のリアクションが取れる。
だけど全体か一部かもわからないと、「ありがとうございます」以外に返しようがない。
リアクション芸人的思考回路なのか、モノ書きとして屈辱的とすら感じる。下手くそなフリは、面白い無茶ブリより悪い。できる限りレスつける形で作家活動してると、スベるとわかっている回答なんてしたくない。
善くも悪くも作者と読者は対当。
自分が作品を発表する以上、自作の主権はどうしても作者側に分がある。
だが逆に自分が読者に回った時、主権はその作品の作者になる。
星の数ほどある作品の中で、ほんの一部、自作という狭い範囲の特権くらいは認めてくれ。
上から目線での批評? 別に構わない。
自作に限った話では、作者は神様なのだ。唯一絶対の創造神だ。
神様がなにか間違ってたら、同じく神様が止めるしかない。
普段は作者が上から目線に作品を発表しているのだから、同じレベルに上がろうとすれば、感想が上から目線になるのも当然だ。
自作を読んでくれる方々に期待しているのは、それ。道標役。
いい反応があれば、この方向で間違いないと安心できるし、批判されればハンドル修正できる。
後ろから押してくれるアクセル役を期待していないわけではないけれど、自分が制御できないほど加速されると怖い。
これが自分の、作者としての基本理念だ。
○ ○ ○ ○ ○ ○
本題から脇道に逸れまくっている(一応筋道どおりだけど)このエッセイだけど、これまた外れまくった自分語りを始めたわけだが、もちろん理由はある。
こういうスタンスの自分からは、特に批判の是非についての意見を見ると、疑問に思うのだ。
アンタら、『作者』をなんだと思ってんの?
心が強い作者ばかりじゃない。初心者なんてむしろ打たれ弱い。
うん。それは事実だ。
作者は承認欲求を欲して作品を投稿している。
うん。まぁ、わからなくもない。
だから作品を批判はしてはならない。できる限り褒めましょう。
ハァ?
自分には最後の繋がりが、全く理解できない。
なんで『作者』って人種を全てひっくるめて、しかも大々的に『弱者』として扱うの?
作者のひとりとして、自分はこの扱いが納得がいかない。
「批判があるから成長する」とか、そんな理屈じゃない。
『嫌い』とかそんなレベルを飛び越して、胸クソが悪い。
オレさぁ、選挙権持ってて、酒も飲める歳なのよ?
コケても自分で立ち上がるし、そもそも二足歩行もできる。
腹が減ったら泣き喚きもせず、コンビニで買い物するか、自分でメシ作る。
トイレだって所定の場所でひとりでできる。入院したらカテーテル挿れられて、半世紀後にはオムツの世話になってるかもしれないけど。
いい歳した、社会生活を特別問題なく送っている、どこにでもいるだろう、ごく普通の大人なのよ?
だから、なにもできない幼児かペットみたいな扱いされたら、侮辱と受け取るぞ?
悪意の有る無しの問題じゃない。というか、悪意がないのが余計に悪い。
赤ちゃんプレイやペットプレイを強要されて喜ぶのは、ごく一部の紳士淑女に限られるに決まっているだろうが。一般的な性癖なワケなかろう。
作者は立ち木でもサンドバッグでもありません。
創作物を発表する以上、批判を受けることも覚悟しないとはならないとはいえ、ボッコボコされたらヘシ折れます。
でもガラス細工みたいに、ちょっとぶつけただけで駄目になるほどヤワでもないぞ?
うつ病経験者からすれば、そこまで病的な繊細さなら、執筆活動しても公開なんて怖くてできない。いや執筆する気力があるかも怪しい。
まさか、その病的な作者の夢を応援するために批判ダメとか、アホなことを誰かヌかさないだろうな?
本当にその作者のことを思っているのなら、むしろネットコミュニティから切り離し、メンタルクリニックへの相談だ。「あなたのために」なんてやられたら悪化する。
相手で判断して、弱者の立場に甘んじていたい作者のみを相手にし、誰も傷つかない関係を築きたいなら、どうぞどうぞ。止める権利は当事者以外、誰も持っていない。
法的に問題ない範囲なら、性癖は個人の問題だ。当人同士の合意があるなら、赤ちゃんプレイだろうがペットプレイだろうが、人目につかない場所でひっそりやってる分には好きにしてほしい。それが救いや慰めになる場合もあるだろう。
でも、他人も同じ性癖だと思って、巻き込むのはヤメロ。
こちとら『弱者』でいたくないから、創作活動して作品公開してんだ。
○ ○ ○ ○ ○ ○
この手の主張は、エッセイなどで大々的に意見を公開するだけでなく、作品の感想欄でも見ることができる。
批判意見が出た時に、横スレ的に「批判やめろ」「ここはそういう場ではない」と意見を出す。
炎上への発展段階だ。
その作者のなにを理解して言ってんの?
それが必要な言葉かどうか、生産性に結び付くかを判断するのは、その作品の作者だぞ?
イチ読者がなに場を取り仕切ろうとしてんの?
そんなことが起こる有名作じゃないけど、自作の感想欄でそんなことやられたら、自分は排除に動くよ?
作品を批判した読者じゃなくて、作品を擁護して反論した読者を。
…………まさか、意味わからない人いないだろうな?
「ひどい」とか思ったヤツいないだろうな?
世間一般、ごく当たり前の対応だからな?
注意書きしてる店もあるし、コンサートやライブ会場だったら開始前にアナウンスしていることじゃないか。
「他のお客様のご迷惑になる行為は謹んでください」って。
「係員の指示に従っていただけない場合、退場していただきます」って。
それと同じだ。
自作を読んでくれる人は欲しい。
作品のファンは欲しい。
でも信者はいらない。他の読者に迷惑かける読者なんて不要。
今のところ自分の作品は、そこまでハイレベルの読者は出現していないから、ずっと出て来ないで欲しい。その人が発信力を持っていて、PVを増やしてくれるかもしれないけど、プラス面よりマイナス面が嫌。
作品を批判してくるってことは、逆を言えば、その引っかかってる部分をクリアしてくれれば、その人はファンになってくれるってことだ。
なに勝手に未来のファンを排除してんの?
なに作者を差し置いて、取り仕切ろうとしてんの?
なにイチ読者の分際で、オレの作品を勝手に私物化しようとしてんの?
善し悪しなんぞ、こっちで判断することじゃぁ。
子供じゃないんじゃけぇの? そこまで関わんでくれ。
「こら相手したらいけん」思やぁ、流しゃいいだけのことじゃぁ。
ほんま、いい加減にせぇよ?
余計目茶苦茶になるけぇ、やめーや?
自分はそう考える。広島弁が出るほどに。
○ ○ ○ ○ ○ ○
熊本地震で、千羽鶴の是非がSNS上で取り沙汰されていた。
阪神・淡路大震災や東日本大震災を経験した人たちなどからだろう、『被災地いらなかった物リスト』のハッシュタグによるツイートで、その中に千羽鶴が挙げられたことが色々と議論になっていた。
善意の押し付けは、時として悪意よりも性質が悪い。
迷惑だと思っても、それを拒絶すると、今度は悪役にされるから。
送る側と受け取る側の共通認識があって、初めて善意として成立する。
誰かの考える善意が、相手が善意として受け取る保障すらない。
子供の頃、お手伝いしようとしたら、親に怒られたことあるだろ?
逆に、ひとりでなにかやろうとして、大人に手を出されて泣き喚いたこともあるだろ?
プレゼントもらって「いらねー」と思ったことないか?
「体にいいから」と嫌いな食べ物が食卓に上ったことがないのか?
善かれと思っての言動でも、裏腹に不快になる気持ち、知ってるだろう?