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超能力を使えるわたしが異世界に拐かされて神々の王様になる話  作者: ちょろんぞ/小野崎まち
第一部 幼年編――《ネコとウサギのダンス》
2/28

01. 見知らぬ『天上』 

 トントントントン。

 トントントントン。

 トントントントン。


 規則的なリズムが、耳に届いていた。

 ドアをノックする音に似ていたが、ちがう。

 もっとやわらかで、心が落ち着くような不思議な音だった。

 その感情は、或いは懐かしさと呼ばれるものだったかもしれない。


 リズミカルな音に覚醒を促されて、深い水底に沈んでいた意識が徐々に浮かび上がってくる。

 霧散していたわたしという意識が、自我が集まって、丸くなって、塊となって、形を成して。


「…………」


 ぱちり、とわたしは瞼を開いた。

 目が覚めた。

 途端視界に入ってくるのは、木目が綺麗な天井板。

 知らない光景。


 むくり、と身体を起こす。

 その際に身体に掛かっていた白い肌掛けの布団がするりと膝上に落ちたが、構わずあたりに目を向ける。

 一面畳張りの、八畳ほどの大きさの和室だった。 

 調度品の類はひとつも見当たらず、あるのはわたしが寝ていた布団だけ。

 左手側には他の部屋につながっていそうな襖があり、右手側には陽の光に透かされた障子があった。


 一瞬、ここがどこなのかわからず困惑するが、すぐに昨日の出来事を思い出す。

 そうだ。今日から――正確には昨日から、ここがわたしの家だった。

 帰るべき場所。居るべき場所。

 わたしが居てもいい、世界。


「…………」


 布団を捲って、立ち上がる。

 寝間着として渡された着物のようなもの――白襦袢は帯が解けかかって肩も肌蹴ていたが、一々直すのも面倒で、そのままにして部屋から出る。

 障子を開ければ、部屋の中に朝日が入ってくる。眩しさに目を細めて、手をかざした。

 意識の酩酊がおさまってから、首だけを出して外の様子を確認する。

 部屋の外側には、庭に面した廊下が左右に伸びていた。

    

 目を覚ますきっかけとなった音は、廊下の左奥のほうから聞こえてくる。

 ついでに鼻先を食べ物の良い匂いもかすめていって、お腹がぐぅと鳴った。

 反射的に、おさえる。

 そういえば昨夜はいろいろ混乱していて、食事を摂っていなかったことを思い出した。


「……おなか、へった」


 匂いにつられるようにして、音のもとへふらふらと近づいていく。

 歩く度に微かなきしみを上げる板張りの廊下を歩き、突き当りを右に曲がって、さらに進むと――。


「…………ぁ」


 居間らしき一室に、辿り着いた。

 丸いちゃぶ台に座布団が置かれただけの簡素な部屋。

 その奥には台所があり、そこに彼女・・が――わたしをこの世界に連れてきたひとが、料理をしている後ろ姿があった。

 昨日と同じ桜模様の着物をたすき掛けにして、さらに前掛けを身につけた彼女は、まな板の上でネギのようなものを刻んでいる。

 その横ではコンロらしきものの上で火をかけられた鍋がぐつぐつと煮立っていた。

 おそらく、それが食欲を刺激する匂いのもとだった。お味噌汁。

 

「あら、ようやく起きてきたのね」


 気配に気づいたのか、包丁を動かす手を止めて彼女はこちらを振り返った。

 

「おはよ――なに、そのだらしない格好は」


 わたしに挨拶をしようとした彼女は、しかしわたしの姿を目に入れた途端呆れ顔になった。

 言われて、わたしも自分の身体を見下ろす。

 ここまで歩いてくるうちにさらに襦袢がはだけて、女の子としてちょっとどうかという格好になってしまっていた。

 まあ、だからといって裸になっているわけでも、男の人がいるわけでもないし、このままでも――と思ったところで、視界の端に金色の残像が走るのを見た。

 

「……っ!?」


 髪の毛・・・

 例の触手のような髪の毛が、一瞬にしてこちらへ伸びてきていた。

 髪は複数の束に分かれ、それぞれが人の手のような形を作る。そして人がそうするように肩から落ちていた襟を引き上げると、前をしっかりと閉じて、解けかかった帯を一度緩めてから改めて締め直した。ついでに肩まであるわたしの、寝癖でくしゃくしゃになった髪の毛まで整えだす。

 そうやって、突然のことにわたしが驚きとわずかな恐怖に硬直しているうちに、あっという間に身だしなみを整えられてしまった。


 出来栄えを確認するように、髪束はわたしの周りをくるくる回って三百六十度から観察する。

 やがて満足したのか、コクコクと人のように頷くとぐっと親指を立てる仕草をしてから、しゅるしゅると主のもとへ戻っていった。

 そのときにはこちらから意識を外して料理を再開していた彼女は、背中を向けたまま「もうすぐ朝ごはんができるから、そこに座って待っていなさい」と告げる。


 あっけに取られていたわたしは、言われるがままちゃぶ台の前に腰を下ろし、彼女の後ろ姿を見つめる。

 昨日も目にしたけれど、あの髪の毛はいったいなんなのだろう。

 彼女の意思に従ってというより、まるでそれ自体がひとつの意思をもって動いているように見える。

 その動きは妙に大げさで、ともすればコミカルにも感じられて、そっけない態度を見せる彼女のイメージとはかけ離れていたから、なおさらそう思う。


 あの髪の毛はもしかすると、あれでひとつの生命体なのかもしれない。

 少なくとも、どこか冷淡にも思える態度を取る彼女が、自分の意思でああやって滑稽な動きをさせているというよりかは、説得力があった。


「はあ……」

 

 この地に来てから不思議なことにばかり遭遇していて、段々と感覚が麻痺してきていた。

 ドラゴンがいて、空飛ぶクジラがいて。

 なら、髪の毛が生き物のように動いたっておかしくはないのだろう。

 なにしろここは神様の世界であり、暮らしているのも基本的には神様だけで、彼女も例外ではないのだから。


 あのひと――サクラと名乗った彼女は、この世界、アタラクシアの『地の神』であるとわたしに告げたのだ。

 







「いただきます」

「……いただきます」


 彼女に倣い、わたしも両手を合わせて食事前の挨拶をしてから料理に箸をつけた。

 卓上に並べられているのは、これぞ日本の伝統的な朝ごはんといった感じの品々。

 こちらの空腹を見抜かれていたのか茶碗に山盛りにされた白米に、豆腐とワカメ、ネギが散らされたお味噌汁。大根おろしが添えられたふわっふわのだし巻き卵、大根ときゅうりのお新香。

 ここは異世界で、この料理を作った彼女はあきらかに西洋系の容姿をしているというのに、なぜ完全な和食なのかという疑問が一瞬浮かぶが、すぐに消え去る。

 そんなことよりも今は早くこの空腹を満たしたかった。


 まずは汁椀に口をつけ、お味噌汁を一口すする。

 味噌の強い風味が口の中に広がる。けれどしっかりとワカメの出汁も感じられて、そこにネギの香りがアクセントになって濃い目の味付けにもかかわらず、飽きがこない。

 次にご飯をはむ、と食べる。一粒一粒がしっかり立っており、ほどよいかたさ。噛めば舌の上のほのかな甘味が広がり、コクを感じる。

 またお味噌汁を一口。

 

 美味しい。


 それしか思い浮かばない。

 次に、だし巻き卵へ箸をのばす。すでに一口大に切られているそれの上に、醤油を垂らした大根おろしを乗せて口へ運ぶ。

 スポンジのようなやわらかさの卵焼きを噛みしめると、中から出汁がじゅわっとあふれて口の中に広がった。旨味の塊。そう表現するしかない味だった。

 やや濃厚にすぎる風味を大根おろしの辛味が中和して、口の中に残る雑味をさっぱりと消し去ってくれる。

 

 ほうっ、と溜め息。


 ご飯を食べて、お味噌汁を流し込んで、次にお新香。

 味付けはシンプルに塩だけのようだった。

 漬け込んだものと比べて、深みや奥行きといったものは感じられないが、このお新香の特徴はなによりもその新鮮さにあった。まるで採れたてであるかのように水々しく、弾力と歯ごたえがあり、素材そのものの味がダイレクトに伝わってくる。

 きゅうりは青臭さなど少しもなく、まるで果実のような甘みがあった。それが塩気と合わさり、結果的に甘じょっぱい味付けとなっている。

 大根も、甘みがある。しかし辛味もちゃんと感じられて、舌先にピリッとした刺激がありそれが一抹の爽やかさとなっていた。


 パリパリと音を立てて噛みしめ、ご飯を一口。お味噌汁。

 この組み合わせは、至上である。


 夢中になって次々に出された料理を胃の中に詰め込んでいたわたしは、ふと、向かい側から視線を感じて、顔を上げた。

 サクラと名乗った彼女が、自分の食事には手をつけず、じっとわたしの食べるさまを眺めていた。

 視線が合う。


「お気に召したかしら?」

「……おいしい、です」


 これまでに食べたものの中で、一番美味しいと感じていた。

 ありきたりな品目だったけれど、だからこそ料理人の技量の差が明確に表れているというか、正直に言って普段口にしているものとは次元が異なっていた。

 わたしの言葉を聞いて、彼女は――。


「そう……」


 微笑んだ。

 その名の通り、まるで花が咲いたかと見まごうほど華やかに、ふわりとした笑みを浮かべたのだ。

 昨日出会ってから、初めて目にする笑顔。

 二十歳ぐらいの外見なのに、もっと小さな女の子みたいに、うれしそうに笑っていた。


 呆然と、してしまう。

 魅入られたかのように、視線が外せない。

 それぐらいに綺麗だった。

 

「というか、どうして敬語なんて使っているのかしら。あなたにそんな話し方をされると正直気持ち悪いから、それ、やめなさいな」


 しかし彼女がそんな表情を見せたのも、ほんのわずかな間のことだった。

 すぐに微笑は消えて、呆れたような顔になる。

 がっかりした気持ちと、彼女から告げられた言いがかりのような内容に、ちょっとだけムカッとした。


「……せっかく、気をつかったのに」


 わたしがそう言うと、彼女は鼻で笑った。

 嫌味な笑い方だった。

 ますます腹が立つ。


「要らない気遣いよ。これから一緒に暮らしていくのだから、無駄な遠慮や気遣いなんて今のうちに捨てておきなさい。わたくしを呼ぶときもそのままサクラと呼ぶように。さん、なんて付けて呼ばれたら背中が痒くなってしまうわ」

「……いいの? 一応、神様なんでしょ?」

「あなたはその王様なのよ」


 彼女――サクラは当然の顔をして、そう言う。

 

「臣下に謙った態度をとる王様なんて、いないでしょう? まあ、殊更偉ぶる必要もないけれど、少なくとも対等以上の態度はとって然るべきね。あなたには、そうするだけの資格があるのだから」

 

 そこが、わたしにはわからなかった。

 いったい、わたしのどこにそんな要素があるというのだろう。

 サクラはわたしのなにを見て、そう判断しているのだろう。

 たしかにわたしは、常人にはない特殊な力、超能力をもっているけれど、それはちょっと先の未来に移動するだけのものだ。おまけに、自分の意思でコントロールすることもできない。

 神様と呼ばれるような存在とは比較するのもおこがましい、矮小な人間でしかない。


「詳しい話は食事の後にしましょう。あなたにも理解できるよう、説明してあげるわ」

「……うん」

「今は、食事に集中しなさいな。お代わりはいくらでもあるから、遠慮せずにお腹いっぱい食べなさい」


 口元に小さな笑みを浮かべて言う彼女に、わたしはこくりと頷いてから、食事を再開させた。

 訊きたいことはたくさんあったけれど、今はそれを呑み込んで、この美味しい食事を堪能する。

 

 結局わたしはそれから、ご飯とお味噌汁を一回ずつお代わりした。

 

 

 





「空腹は満たされたかしら――という問いの答えは、その姿を見れば瞭然ね」


 食卓に並べられた品をすべて食べ尽くして、大きく膨らんだお腹を苦しげに抱えるわたしを見てサクラは薄く笑う。


「それでは苦しいでしょう。帯を少し緩めてごらんなさい」

「……こんな服、着たことないからやり方がわからない」

「仕方ないわねえ」


 呆れたように彼女が言うなり、また髪の毛が伸びてきてわたしの帯をさっと緩めた。半ば予想していたので、今度は驚きはしなかった。

 そういうものとして受け入れれば、まあ、それほど気にはならない。わたしに害があるわけでもなし。

 髪束はしかしそれで役目を終えたわけではないらしく、今度はちゃぶ台の上の食器を摑んで台所の流し台へ運んでいく。横目で見れば、さらにそこで洗い物まで始めていた。


 水を使って、濡れてしまわないのだろうか。

 それに洗剤で髪の毛が傷んでしまいそうな気もする。

 いや、でも神様だったら不思議パワーでそんなのへっちゃらなのかもしれない。


 わたしがそんなことを考えていると、さらに髪束が幾本か台所に伸びて、冷蔵庫らしき扉を開けて中からなにかを取り出した。

 しゅるしゅると戻ってきて、ちゃぶ台の上に乗せる。


「お腹が落ち着くまで、それでも飲んで一休みしましょう」


 透明な硝子で形作られた急須だった。

 茶葉と水、そして氷で満たされた器の中は、目にも鮮やかな緑に染まっている。

 この世界は日本の夏のような暑さで、とくに食事を終えたばかりの今は汗ばむぐらいだったから、その涼しげな様にホッとする。 

 遅れて透明なグラスがふたつ髪束によって届けられ、それらを受け取ったサクラが茶を注いでいく。

 

「はい、どうぞ」

「……ありがとう」

 

 なんとなく視線を合わせたままお礼を言うのが気恥ずかしく、グラスを受け取った手元だけを見つめて言葉を返す。

 サクラは、なにも言わなかった。

 グラスを両手でもって口をつける。


「はふぅ……」


 思わず声が漏れた。

 緑茶というものは苦い飲み物だと思っていたけれど、これはむしろ甘かった。

 鼻に抜けていく香りも爽やかで、心が落ち着くのを感じる。

 喉を伝って落ちていく冷たい感覚も、熱を帯びた身体には心地よかった。

 

「…………」


 卓に片肘をつき、手の平の上に顎をのせたサクラは、そんなわたしをじっと見つめていた。

 緑茶に口をつけた様子はなく、空いている手の人差し指でグラスの縁をゆっくりとなぞっている。

 その顔に、表情と言えるものはなかった。

 強いて言うなら、それが常なのかどこか気怠げに見えるというぐらいだった。


「な、なに……?」


 彼女のこちらを観察するような眼差しに居心地が悪くなってわたしが訊ねると、彼女は「いえ」と首を横に振った。


「ちんちくりんねえ、と思って。どこからどう見ても小娘よねえ」


 唐突にそんなことを言われて、むっと眉を顰める。


「……もう、十歳だよ。小学五年生。あと二年したら、中学生なんだから」

「……人の世界では、それを小娘と呼ぶのではないかしら?」

「ちがうもん!」

「もん、ってあなた」


 言い張るわたしを見て、サクラは呆れと、それだけではないなにやら複雑そうな表情を作る。「……このギャップには、すぐには慣れられそうにないわねえ」と呟くのが聞こえたが、意味はわからなかった。


「まあ、いいわ。それよりもそろそろ落ち着いてきたかしら?」


 言われて、お腹をちょっと擦ってみる。

 まだぽっこりしていたが、苦しさは先ほどに比べれば大分和らいでいた。

 わたしはこくりと頷く。


「なら、この世界のこととあなたのこと、その立場、役割について簡単に説明しましょう」


 いよいよだ。

 彼女の言葉にごくりと喉を鳴らしたわたしは、その場で態度を改めた。崩していた足を正座の形に整えて、背筋をぴんと伸ばす。

 そんな緊張した様子のわたしを見て、サクラは軽く吹き出した。


「そんなに身構える必要はないわよ。なにもあなたに無理難題を押し付けようとしているわけではないの。あなたの役目というのはね、あなたならば当たり前にできることを当たり前に為してもらうという、ただそれだけなのだから」

「……でも、神様の王様っていうぐらいだから、なにかすごいことをしなきゃいけないんでしょ?」

 

 わたしの言葉に、サクラは首を横に振る。


「基本的にあなたにしてもらうことは、ふたつだけ」


 彼女はこちらに突きつけるように腕を伸ばして、その先で指を二本立てた。

 そのうちの一本を折って、言う。


「まずはこのアタラクシアに住まう神々を、外の世界の過去・・現在・・未来・・から『回収』してくること」


 さらにもう一本を折る。


「次に、この世界における唯一の災厄――《タタリ》を鎮めること。このたったふたつが、あなたの王としての役目よ」


 ね、簡単でしょう――そんな顔でにこりと笑うサクラに、わたしは言った。


「ぜんっぜん意味がわからない」


 その言葉を聞いて、彼女が小さく舌打ちしたのを、わたしは聞き逃さなかった。

 こちらを小娘扱いするのならもっとわかりやすく説明してほしいと、わたしは思うのだった。


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