愛ね、暗いね、納豆虫喰い・・・第四回・・・モーツアルト
ぼくは、新婚旅行でウィーンに行った。
日本の飛行機が大きな事故を起こし、沢山の方が亡くなった悲しい事故の直後の事だった。
そにせいもあったのか、ツアーの参加者は全員でわずか6人だった。
けれども、新婚旅行としては、ちょうどよいくらいの人数だったのだけれども。
飛行機の乗客は、特に日本人は、始めから最後まで、あきらかにかなり緊張していた・・と思う。
特に帰国後、成田から大阪に飛ぶ便は、事故を起こした飛行機と同じコースを飛んだ。
乗客の緊張感は、相当なものだった。
大阪に無事着いた時には、機内で大きな拍手が上がったのだ。
事故の被害者の方や、ご家族の苦痛は、想像を遥かに超えたものに違いない。
ぼくの周辺の方の中にも、知人があの飛行機に乗っていた、という方が確か一人いらっしゃった。
詳しくは何も聞いていないが。
その後の阪神淡路の大震災では、須磨にあった、ぼくが時々通っていた輸入レコードの販売をなさっていた方のお家が、すっかり無くなっていた。
それは、地震の年の夏、音楽関係のイベントに参加する為に神戸を訪れた時に判った。震源地に近く、相当激しい揺れがあったに違いない。
ご近所でお伺いしたところでは、大阪方面にお移りになり、ご無事だったとのこと。それだけは、とても安心した。
神戸の街は、本当に悲惨な状態だった。その方のお家の近くの、確かパチンコ屋さんか何かは押しつぶされていた。隣の放送局の建物も、かなりの被害を受けたようだった。
三宮の中心部も、ビルがあちこちで倒壊していたりした。宿泊したホテル周辺の地面も、激しく揺られたせいで、舗装が盛り上がったり沈みこんだりしていた。
こんな厳しい状態で、音楽なんかしていていいのだろうか、と疑問も持った。
けれども地元の方からは、復興の為にも、是非やっていただきたいとのお話があったのだと言う。
ぼく自身は、大地震の中心地にいたことはない。
しかし、新潟地震の時は、比較的近くに住んでいて、ちょうど外で遊んでいた。電柱がゆらゆらと揺れ動き、周囲の空間が異様に曲がったような感じになった。
テレビを見ていたら、中継はつながらないが、地元の放送を他県で受信して、それを放送しているような事を言っていたように思う。アパートのような建物が根こそぎひっくり返っているのを見て、子供ながらに衝撃を受けた。
阪神淡路の大震災の時は、隣の県に住んでいた。大きな被害は無かったが、借家の給湯機が揺れで壊れてしまった。近かったので、妻の知り合い等でも、被害に直接あった方がおられたりした。
地震は本当に恐ろしいと思う。普段からの気構えが絶対必要だと思うのだが、自分が今住んでいる周囲を見回しても、すぐに避難できる高い建物があまり見当たらない。
マンションは、おそらく部外者はすぐには逃げ込めないかもしれない。避難場所に指定されている学校は、背丈がそんなに高くない。近くの大きな川が決壊したら、かなり危ないと思う。海も見えないけれど、実は意外に近い。そちらから津波が攻め込む可能性も高い。今まで災害が少なかったと言って安心していたら本当に危ないと思う。
地震と言えば、忘れてはならないのは、ニュージーランドのクライストチャーチである。
1992年8月22日。
ぼくは地元クライストチャーチ交響楽団の、ベートーヴェン作曲交響曲第九番演奏の合唱団の一人として参加していた。
今もまだそうかもしれないが、当時は第九を歌う会のような団体が日本各地で活躍していた。
おそらくは、相当皮肉な目でご覧になっていた方もいただろうし、実際に個人的に参加した経験のある方もあろうし、所属する合唱団の行事として当然に参加している方もあったろう。中には日本や世界各地の第九演奏会に参加する事に人生のすべてを懸けていて、そのために仕事をしていたような方もいらっしゃった。一方、その存在すらほとんどご存じない無関心の方も沢山いらっしゃったであろう。
また、音楽を仕事にしている、いわゆるプロの方でも、こうした市民行事に積極的に参加していた方もあれば、非常に懐疑的な方もいらしゃったと思う。たとえば、ドイツ語に、ごろ合わせの歌詞を張り付けて歌うようなやり方もあったのだけれど、いくらなんでも、それはどうも良くないとのご意見もあった。すなわち『風呂出で 詩へ寝る・・・・・』というものだ。しかし、もともとこれには、それなりの≪深い≫歴史があったようだし、またそれは、丸暗記の手段としては、よく使われる方法の一つなのだと思う。例えば歴史上の事件の年号を覚えるのに、『イイクニツクロウ・・・』とかやったように。
しかしながら、まあ日本人の素人がこの曲を演奏する上での苦労話は、ぼくの周囲でも沢山あるものの、ぼくの、浅はかな・・・学校や職場の周囲からは、まったく歓迎もされず、いつも、病気がちだった、この六〇年近くの・・・・人生経験からで、大変恐縮ではありますが、やはりこの音楽は、まだまだ後世に残して行かなくてはならない、とても偉大な遺産だと思う。
ベートーヴェン氏の音楽は、とても多様で、様々な様相を見せる。全ての人々を、大きく包み込む巨大な包容力を持ちながら、死にかけの、たとえば、ぼくなどを、バットでうしろからブっ叩きながら、「生きろ!まだ死ぬな!何が何でも生き抜け!」と無理やりでも生かしてしまう強制力があるのだ。
第九交響曲の声楽部分の歌詞を見ても、なかなか刺激的な言葉が冒頭から並ぶ。(ドイツ語は二年習ったけれど、よくわかりません、念のため。)
”O Freunde,nicht diese TÖne!”
『おお友よ、コンな音じゃないんだ!』
と、冒頭から現状を否定してくる。
なんだかベートヴェン先生の怒りが感じられる気がする。
『そうじゃなくって、もっと気持ちいい、喜びにあふれた歌を歌おうじゃやないか。』
と宣言する。
どう解釈するかは、各人の自由に任されている。
いずれにしても、それぞれの何かが『このままじゃやだめなんだ』とおしゃっているのだ。
個人的なものなのか、社会の何かなのか、政治なのか、経済なのか、支配者たちなのか、あるいは彼らに敵対する者たちの事なのか。
自己批判なのか、自己賛美なのか?
英雄への賛歌なのか、自由の凱歌なのか?
それとも、単に第一楽章から第三楽章までの事なのか?
もっと別の意味なのか。
この冒頭の歌詞は、シラーじゃなくて、ベートーヴェン自身が付け加えて書いたものだというだけに、相当の思い入れがあったのだと思う。
ベートヴェン氏得意の、弁証法的な考え方を、具体的に提起しているのかもしれない。
これまでの音楽を、止揚して、新しい境地に達せよ!と。
やがて、あの有名な言葉が歌われる。
”Alle Menschen werden BrÜder~”
『全ての人々は、兄弟となる』
と。
けれども、どうやら、誰でもかれでも無条件に、すべての人々が兄弟となれるわけでもなさそうなのだ。
”~Ja,wer auch nur eine Seele Sein nennt auf
dem Erdenrund! Und wer’s nie gekonnt, der
stehle Weinnend sich aus diesen Bund.”
『そうさ、この世でたった一つの心(魂)を、自分自身のものだと呼ぶ者も、 (歓呼の叫びをあげよう!。)これに加われないものは、泣きながら団結から去って行け。』
このあたりの部分は(全部なのだけれど)、素人には本当に難解だと思う。
吉田進様がお書きになった御本を見ると、この歌詞はフリーメイソンの思想と深く関わっていると言う。(『フリーメイソンと大音楽家たち』、2006年)シラーはフリーメイソンではなかったが、彼はメイソンの会員とお付き合いがあり、この歌詞そのものは、メイソンのロッジの為に書かれたと言う。
この歌詞の直前には、こういう言葉が出てくる。
『貞淑な妻を得た人は、(歓呼の叫びをあげよう!)・・・・・』
という歌詞だ。
ここの部分は、独唱者たちが歌っていて、合唱団はそのすぐ後の ”Ja, wer~”から再び参加するわけだ。 でも、ベートーヴェン氏は、ちゃんと女声ソロにも歌わせている。
たぶんシラーの書いた本来の意味では、このあたりは明らかに、男性側の言い分であるかのように感じる。ぼくの知識は非常に怪しいものだが、フリーメイソン(団体としてはフリーメイソンリー)は基本的に、『成人男性』が入会の条件になっていて、女性は会員になれなかった。ただし、外郭団体の形によって入会できたり、またロッジによっては入会可能なところもあるようだが。
まあ、実際にはこういうような隠された背景が理解できないと、この歌詞は『なんとなくの市民賛歌』になってしまうのかもしれない。
でも、それでも良いのではないかしら、と、ぼくは思う。
憲法だって読みなおされるのならば、シラーの歌詞に今日の市民的な解釈が加わって、別に悪くは無いだろう、と。
日本人が、実際には使えないドイツ語で歌う事には、抵抗があるという意見も聞いたように思う。
(そこを克服するために、先のごろ合わせも作られた訳だろうが。)
また、宗教的な意味でも、日本の一般合唱団が、『ミサ曲』などを歌う事に、両サイドから抵抗のある方々も沢山いらっしゃるだろう。(第九交響曲は、歌詞の背景から言っても『宗教的』とは言えないが)
それに、真っ向から反論するのは難しい。
でも、ニュージーランドで地元の方と一緒に並んで歌ってみて判った事は、実は彼らの多くも、ドイツ語は良く判らないで歌っているらしい、ということだった。
お隣で歌っていた方から、「君ドイツ語分かるの?」と「英語」で聞かれたように、なんとなく覚えている。
『おたがいさまですね。』
という感じではあった。
それでも、音楽は成り立つ。
ドイツ語の判る方は、「ちゃんと意味通じてるよ」と言う。
仕事でも、そうだった。外国の方には、その方の言語のパンフレットをお見せする事もあった。
「自分は分からなのだけれど、わかりますか?」
などと、馬鹿な事を聞いて見たこともあった。
「大丈夫、しっかりわかるね。」と言ってくださる。
なんとなく、うれしいものなのだ。
そのクライストチャーチでは、有名な大聖堂の上まで昇って見た。
市長さんを表敬訪問し、日本側の市長さんの親書を手渡したりもした。
商店街では、ぼくにとっては必須の”レコード屋さん詣”もした。
「地元のオケのCDが欲しい」
と、おねだりすると、ニュージーランド交響楽団とキリテカナワさんのCDを出して下さった。
『キューイ』というレーベルのCDだった。
このレーベルは、日本ではあまり流通していないと思う。
いまでもしっかり保存してある。(あまり聞いていない)
けれども、それからしばらくして、あの大地震がクライストチャーチを襲った。
テレビで見ると、大聖堂も崩れていた。
日本の学生さん達が大勢亡くなったことは、多くの方が覚えていらっしゃるだろう。
ぼくが、そこでお会いした方々、一緒に歌った方々は、けがもなく無事だったのか。
手元には、その時の演奏会のパンフレットが残っているが、日本側の合唱団のメンバーの名前とクライストチャーチ交響楽団のプレイヤーの名前は載っているが、地元の合唱団員のお名前は、載っていない。
今更ながらだが、お怪我などなかった事をお祈りする。
それで、やっとウイーンの話に戻るが、ウィーンに尋ねた時は天気も良く、暑過ぎでもなく、寒過ぎでもなく、とてもよいコンディションだった。
当時はまだ、アントン・カラスさんも、高齢ではあるが健在だったと思う。(映画『第三の男』のツィター音楽を作った方です。)
もちろん、面会したりなどは出来ないけれど。
ぼくは、中央墓地を訪れることを『大変楽しみ』にしていた。
少し不謹慎な表現だとは思うけれど。
ベートーヴェンのお墓に参った。
シューベルトは、そのお隣に入っている。
この、役立たずのぼくの真下に、偉大な人が、実際に存在するのだ、という事は、確かに驚きではあった。(この時の写真は、ぼくの大切な奥様が秘蔵していて、見せてくれない。)
けれども、あのモーツアルト氏は、お墓に入っていない。
葬られた場所は、いまでも判っていないのだと思う。
なんで、そんなことが起こったのか?
それが当時の普通の状況だったと言う話も聞いた。
貴族ではないモーツアルトが、共同墓地に葬られたとしても、無理は無いと。
でも、有力な貴族がモーツアルトさんの生活に介在していたはずだ。
その貴族が、葬儀の費用を負担したらしいし、取り仕切ってもくれた。
なんといっても、モーツアルトは有名人だ。
日本の小学校では、モーツアルトは『貧乏だった』と教えられたが、本当は、収入も実はけっこうあったらしい、と言われる。
ただ収入よりも、使う方がやたらに多くて、『貧乏』になってしまった側面が強いようなのだ。
つまり、本人の経済観念の欠如に、問題があったということだ。
また、同時にいつも奥さんが悪者にされてしまっていたが、これもどうやら、本人側に大きな問題があったようだ。賭けごとにもかなり使ったのではないか、という憶測もあるが、きちんと証明はされていないようだ。
死因をめぐっても、昔から沢山の憶測があり、小説や映画にもなった。
サリエリさんによる暗殺説。フリーメイソンによる暗殺説、奥さんによる、あるいはその浮気の相手による暗殺説、などの他殺説。病気によるという説(これが有力。腎臓病?梅毒?水銀中毒?急性リューマチ熱?・・・この病気の発症は子供が多く、21歳以降は珍しいらしいが・・・)その他、いくつかの複合要因説もある。
埋葬の際は、奥さんも友人達も、埋葬現場まで行かなかったという。
だから、後からお墓参りをしようにも、墓地の中のどこに行ったらいいのか分からなくて困ったらしい。これも、どうしてそうなったのか、不思議な事だ。行かなかったら、そうなることは事前にわかることだろうし、それなりの手を打っていていいだろうに・・・。
これも学校では、『嵐になって、誰もゆかなかった・・』とか教えられたが、やはり大変奇妙な話だ。中には、ヴァン・スヴィーテン男爵の計略だったのではないか?という意見もある。
つまり、処方した、梅毒の治療薬としての『水銀』の処方量をまちがった(と思った)男爵が、自分が殺してしまったと思い(あるいは勘違いし)こうした行動に及んだのではないか、と。
しばらく前には、『モーツアルテウム』にあるモーツアルトの頭蓋骨と言われる骨をめぐって、親族の遺骨とあわせて鑑定して、事実に迫ろうと言う研究がおこなわれた。というテレビ番組を見た覚えがある。しかし、結局、確かな結論は出なかった。
真実は必ずあるのだろうが、モーツアルトの場合は、まだその真実は見えてこない。
クレオパトラのお墓も所在が分かっていなかったが、こちらは、もしかしたら、もうすぐ判るかもしれないらしい。モーツアルトとは、事情が違うだろうし。
ぼくは、『白い家』から出て、ヘレナに言われたとおりに坂を下りて行った。
青い月は、まさに地平線に沈もうとしている。
ここに来た時、夜の闇から突然に昼過ぎになった場所を超えると、周囲は再びガラッと変転したのだった。
そこは、ウイーンの街だった。
1787年。
日本では、その前の年に、田沼意次が罷免され、松平定信が老中筆頭となって倹約令を出した年に当たる。田沼さんは、ぼくが小中学生時代に受けた教育では、あまり(まったく)評判がよろしくなかった。
けれど、この方は、比較的低い地位から大出世し、今でいえば大規模な公共投資を推進して、経済を拡大させた重要人物である。外交面でも拡大改革路線を取ろうとしていた。結局飢饉などの自然災害にも襲われ、事業の失敗があり、反対派の策略もあったのだろうが、失脚して大変厳しい処分を受けてしまった。
賄賂などの暗い側面がよく後世に知られてしまったのは、仕方ないところもあるのだろうが、功績の方も、もっと合わせて知られてもいい。
その年、モーツアルトは、プラハで『フィガロの結婚』を大当たりさせ、二月に凱旋帰国したばかりだった。
4月には、ダ・ポンテから新しいオペラ≪ドン・ジョバンニ≫の始めの方の台本を受け取って作曲を始めた。
台本が完成したのは5月の中頃だった。
ちなみに、若きベートーヴェンがモーツアルトを尋ねたのが4月。(6月と書いている本もある。)
4月24日に、街の中心からは少し離れた、ラントシュトラーセ224番地に引っ越した。(経済状況が振るわなくなったのか)家賃が安かったからなのだろう。
5月28日には、お父さんが亡くなった。
新しいオペラは、たぶん夏にはほとんど作曲し終えていたようだが、10月1日に奥様とともに、プラハに再出発して、4日に着いた。オペラが完成したのは、10月28日。初演はなんと完成の翌日だったという。本当は、皇帝の妹君と、その婚約者のプラハ訪問を祝す14日の演奏会にかける予定だったが、間に合わなくて、その日は代わりに≪フィガロの結婚≫を上演した。
序曲はほとんど間に合いそうになかったが、徹夜して出来あがったのは、当日の朝だったと伝えられている。
一方で、問題の『セレナードト長調』≪アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク≫は、8月10日に完成させたと記録されている。
つまり、オペラの作曲と被っていたわけだ。
セレナードは機会音楽だから、作曲に当たっては、何かの動機があったはずなのに、この記録が発見されていない。だから、誰に頼まれたのかとか、いつ初演されたのかも、わかっていない。
ぼくは、この8月始めのウィーンに送りこまれた。
まあ、考えても見てください、ヘレナが勝手に、当時のかなりお金持ち風のファッションに着替えさせてくれていたとはいえ、じゃがいものような東洋人が紛れ込んだら、目立つなと言う方が無理と言うものだ。
この際、顔も変えてくれればいいものを、女王様は、その点割と意地悪なのだが、それは作戦の内だったらしい。
モーツアルトが住んだ家として、現在もウイーンに残っているのは、博物館になっているドームガッセの家のみだそうである。ベートーヴェン先生は引っ越し魔として知られるが、モーツアルトもウイーンで十回は引っ越したようである。
ぼくは、ラントシュトラーセの一角に落とされた。
確かベルヴェデーレ宮殿が割と近くにあるはずだが、ぼくはシュエーンブルン宮にしか行っていないし、どのみち道など分からない。
きょろきょろするなと言う方が無理と言うものである。
まあ、傍から見て、怪しい事、この上もないことだったろう。
誰かがすぐに通報したのか、たまたま通りかかったのか、そこは知らないが、さっそく目つきの鋭い、怖そうなお髭のある男が二人近づいてきた。
「あなた、どこらおいでになったのか?」
と聞いてきた。
「ぼくは・・・えへん・・ああ、タルレジャ王国の女王様の家臣であります。」
思いもかけず、ドイツ語がスラスラ出てくる。
ヘレナが仕組んだに違いない。
「タルレジャ王国? 知ってるか?」
「いやあ・・・」
現代なら、さっそく無線等で問い合わせるとか、ネットで調べるとかが可能だ。
しかし、この時代にはそういうテクノロジーはまだ無い。
「悪いが、ちょっと詳しく聞きたいから、一緒に来てほしい。」
ここで連れ去られては面倒になる。
「失礼だ。これは外交上の問題となる。」
「まあ、確認したうえで、適切に対処するから、来てください。」
「断る。ぼくは、モーツアルト先生にお会いする必要がある。」
わざと大きな声で言った。
「なんだと、まあ後で聞くから来なさい。」
「いいや、モーツアルト先生のところに行かせなさい。女王様がご希望になっていらっしゃるのだ。」
ぼくの首からは、本物か偽物か知らないが、高価そうな玉がたくさん付いた、数珠のようなものがぶら下がっていた。
「モーツアルト先生に会わせてほしい。これは、彼には大きな収入源なのだから。」
そう言い続けるぼくを、彼らは両側から挟みこんで、持ち上げるようにして連れ去ろうとし始めた。
メッテルニヒがウイーン会議で活躍するのはまだまだ先の事だ。
この時期は、神聖ローマ帝国が、ともかくも生き残っている時代だ。
当のメッテルニヒは、まだ十代の少年時代のはずだ。
秘密警察が彼のもとで活躍した事は、ぼくも何となくは知っている。
学生時代に読んだ山根銀二氏の御本によれば(『孤独の対話』1968年)、ウイーン会議後のベートーヴェンの周りには、いつも公安関係のスパイがつきまとっていた、という。
しかしそのベートーヴェン先生も、メッテルニヒより三つ年上ではあるが、やはりまだ二十歳にならない時期である。
いずれにしても、この人たちが何者かはわからない。
それにしても、これはやっぱりまずいかなあ、ヘレナに助けてもらおうかなあ。
そう思い始めた時に、声をかけてきた人があった。
「君たちは何してるのか?」
こちらも、二人組の男だ。
「これは、男爵殿。いや、非常に怪しい男でありますから、これから取り調べをと思いまして。」
「ほう?あなたは?」
これが、あのヴァン・スヴィーテン男爵か。
モーツアルトがこの貴族に出会ったのは、1782年のこと。
男爵は当時バッハやヘンデルに熱中していたが、モーツアルトに、この宝の泉を与えたのは彼であった。やがて、モーツアルトの葬儀も、この男が取り仕切る事になる。
ならば、この隣の背の低い、手に大きなバインダーのようなものを抱えている、顔にあばたのある男は・・・
ぼくは再度言った。
「わたくしは、タルレジャ王国の女王様の家臣、ああ、ヤ・マ・シンであります。女王様が、有名なモーツアルト様に、お目にかかりたいと熱望されていらっしゃいます。このとおり、贈り物も御用意いたしております。」
ぼくは、懐からヘレナから預かった美しい箱を取り出し、蓋をあけた。
実はまだ何が入っているのか、確認していなかったが。
「おお、これは・・・」
それは巨大な、輝く三つの宝石をあしらった指輪らしきもの、だった。
宝石の事は、ぼくはまったくわからない。
ひとつはかなりブルーな色だが、カットの仕方はダイヤモンドのようだ。
もうひとつは何だろう?
これも青い色だが、もっと透き通っていて、南の海のような透明感と深みがある。
もう一つは、真っ赤な石。これはルビーなのだろう。
「これは、ブルーのダイヤモンドですな、こちらはルビーですが、ううん、これは何でしょうな?いや、ぼくにはこれは判らない。しかしいずれにせよ、非常に高価なものです。これをモーツアルトに?」
「はい。」
「あ、あ、いや、ぼくがその本人ですが。」
背の低い、あまり見た目がぱっとしない男がしゃべった。
「あなたが、モーツアルト様ですか?」
「ええ、正真正銘、冗談なしの本物ですよ。」
ぼくは胸が高鳴った。
「すばらしい。ぜひ王女様の為に、時間をいただきたい。王女様は、あなたこそ、現在最高の音楽家であると、確信していらっしゃいます。」
よくこんなことがすらすら言えたものだと思うが、ヘレナが後ろで糸を引いているのだろうか?
「ほう、ほう、サリエリさんよりも?」
「はい、あの方は、後世まで、あなたを超えることは決してありません。」
「ほう、ほう。どうかな、あなたはどう思う?男爵?」
「いやあ、良いんじゃないかな。こんな物をお持ちの方は、世界にも少ないだろう。しかし、どこにおいでかな?」
「あの、お部屋でお待ちです。ご案内いたします。」
「いっしょについて行っていいかな?」
「そうですな、面会はモーツアルト様のみにしていただきたいが、その場所までは付いてきてもらってよろしいでしょう。」
「ふむ。ぼくも王女様にお目にかかりたいものではあるが・・・まあ、どうかね、ぼくもそこまで行こう。」
「ぜひ、お願いします、安心です。」
「よろしい、君たちは、入口まで同行したまえ。いいですかな? ええ、ヤンマル・シン殿。」
「ああ、ヤ・マ・シンです。まあ、いいでしょう。」
何がいいのか、わからないが、何とかなるだろう。
ぼくは、ヘレナに言われていた。『モーツアルトさんに会えたら、あなたが出現した場所に来なさい。』と。
幸いな事に、ぼくがウィーンに出現した場所はこのすぐそばだ。
そこまでは、偉そうに連れてゆけるだろう。
問題はその先だ。
いざとなれば・・・まあ、その時はその時ということで・・・
われわれは、さきほどの場所にすぐに到着した。
ぼくは、回りを見回しながら、心の中で呼んだ。
『ヘレナ、来たよ。どうすればいいの?どこに入ればいい?』
困惑気味なのを見抜かれてはまずい。
ぼくはヴァン・スヴィーテン男爵を振り返って作り笑いをした。
すると、真横の建物の中から執事のような感じの男が出てきた。
最高のタイミングだ。さすがはヘレナ。
でも、これは誰だろう?
と思う間もなく、こう言った。
「モーツアルト様は?」
「ああ、ぼくですが。こちらはヴァン・スヴィーテン男爵殿。ええ、あと、警備の方お二人、で・・」
「ああ、ヤ・マ・シン大臣は判ります。」
執事らしき男がすらっと言った。
「ほう、大臣閣下ですか。」
一同は頭を下げてくれた。
「あはは・・」
ぼくは、とても大臣には似合わない笑いを漏らした。
が、これは意外と悪くもなかったようだった。
「ヘレナ女王様がお待ちでございます。どうぞ中に。」
われわれは、その割と質素だが大きな三階建の建物の中に入って行った。
「君たちは、ここで待っていなさい。」
男爵は、公安関係者と見られる二人に命じた。
二人は、頭を下げて黙ったまま従った。
それからぼくと、男爵とモーツアルトは広い広間に入った。
巨大な応接間というところだ。
向こう側の扉の前には、警備兵と見られる、三日月形の剣を腰に下げた大男が二人立ちはだかっている。
頭には、ターバンとは違うが、真っ青な日本の鉢巻を帽子のように編み上げた・・・異様な・・・ものを被っている。タルレジャ王国風なのだろうか。
「ほう、このような場所があったかなあ。」
男爵は不思議そうに見まわした。
「女王様のご意向で、少し衣装直ししておりますので。」
執事らしき男が言った。
「ああ、なるほど。何時からご滞在で?」
「昨日でございます。ただし、今回は、公務ではなくお忍びでございます。女王様には、モーツアルト様の音楽に、ことのほか、ご執心でございまして、どうしてもウィーンに行くとおっしゃってお聞きになりません。まあ、まわれわれにとっては、なかなか大変でございまして。いや失礼。暫くお待ちを。」
執事らしき男は、衛兵の前を素通りして、向こうの部屋に入って行った。
ぼくたちは、その部屋に飾られていた素晴らしい装飾品に見入っていた。
「これは、すごいですな。おそらく、ローマ時代の美術品ですぞ。しかもまるで作られたばかりのようなものにも見えるが、だが・・・いやあ信じられませんな。素人にはなかなか見抜けまい。ううむ。モーツアルトさん、これは本物ですな。大変な事ですぞ。皇帝クラスでないと、これは買えませんな。」
「へえ、びっくしだね。ぼくには、屁にも糞にもわからないよな。ハハハ。」
「ははは・・・、いやこの宝石は、これもまた豪華な。」
「それは、マリア・テレジア様の『宝石の花束』を模して作りましたの。」
いつの間にか、ヘレナが向こうの部屋から出てきていた。
「こちらが、タルレジャ王国ヘレナ女王様でいらっしゃいます。」
執事らしき男が言った。
「おう、なんと、お美しい。」
ヴァン・スヴィーテン男爵が言った。
しかし、これは本当に瞬間に出てきた、正直な気持ちに違いない。
そうして厳格に王室のトップに対する礼を行った。
モーツアルトは、不器用に腰をかがめて礼儀を行おうとはした。
こどもの頃から、いやと言うほど、やり慣れてはいるのだろうけれど。
いや、確かにヘレナは美しい。
が、この時の美しさには、ぼくもたまげてしまった。
あの白い家の中で見れば、ぼくの妹のような感じで、全然普通なのだが、さすが火星の女王様である。
薄い褐色の輝く素肌に、ぴったりの、かなり妖しいドレス。胸元には、素晴らしい薄いピンクの宝石が輝いているが、大きな胸が宝石を包み込んでいる。それがどういう素姓のものか、ぼくには分からない。
腕にも、おそらくダイヤモンドなのだろうが、沢山ちりばめられた腕輪をしているし、伝統的に素足の足首にも宝石の輪が輝いている。
「まあ、お上手です事ね。でも、それは宝石のことかしら?」
「いやいや、女王様の事でございます。」
「まあまあ、ヴァン・スヴィーテン男爵様と言えば、古典音楽の大家でいらっしゃる上に、薬物にもお詳しいとか、様々な文献にもお通じななっていらっしゃる。膨大な資料を所持していらっしゃる。」
「おそれいります。」
「あなたのその豊富な知識が、モーツアルト様を、より高みに引き上げるのです。ああ、モーツアルト様ですね?」
「はい、女王様。あの、さきほどは、大変素晴らしい贈り物をいただきました。ありがとうございます。」
「ああ、ヤ・マ・シン大臣様におことづけいたしましたの。気に入っていただけましたか?」
「はい、それはもう。あの、この赤いのはルビー、こちらのは、ダイヤモンドですか。」
「そうですね。できれば、モーツアルトさまと、直にお話したいのですが。このヤ・マ・シン大臣もまた、あなたの熱烈な信奉者であり、また非常に豊かな知識を持っております。男爵は、お許しくださいますか?」
「ああ、もちろんよろしいですよ。ぼくはここで待っていていいのですかな?」
「もちろんです。あとで、もう一度、あなたともお話ししたいのですから。でも、まず今日は、モーツアルトさんと。」
「どうぞ。」
「では、こちらに。大臣も来てください。」
ヘレナは、モーツアルトとぼくを、別室に連れて行った。
そこには、立派な装飾がある、豪華なクラヴィーアが置いてあった。
周囲の壁は、これまた王宮そのものと言う感じの、ゴージャスな作りになっていた。
天井からも、ちょっと一般ではお目にかかれない、巨大かつ超豪華なシャンデリアがぶら下がっている。その装飾の宝石類は、ヘレナの事だから、皆、本物なのだろう。
ヘレナは、椅子に座りながら、ぼく達にも座るよう促した。
「さて、そのダイヤモンドですが、それは天然のブルーダイヤです。非常に珍しく、また貴重な物です。でも、『呪い』のダイヤなどではございませんわ。」
「あはははは・・・」
モーツアルトは笑った。映画ほど下品じゃあない。
「モーツアルト様は、この世で、いいえ、人類の全歴史の中で、ただお一人の偉大な方です。素晴らしい音楽をお作りになる方は、他にもたくさんいらっしゃいますし、これからもそうでしょうけれど、しかしながら、あなたのような方は、もう永遠に現れないでしょう。そうですね、大臣さま。」
ヘレナはぼくに振って来てくれた。
「ええ、本当にそうです。今だけでなく、これから百年、二百年と経てば経つほど、あなたのその評価はどこまでも高まるのです。」
「ええ!!そこまで言ってもらうと、もう、うれしくって仕方ないです。あの、聞いていいですか女王様、すみません。もう一つの、この粒は何ですか?男爵も判らないと言ってましたね。」
「ああ、それは”トルマリン”です。電気石とも言いますが、特に質の良いものは宝石になります。ただし、お手元のものは、南米で特別に取れたものです。おそらく今、このヨーロッパ中で、これしかありません。」
「これしかない?ほんとに?」
「はい、そうです。われわれタルレジャ王家は、ブラジルと特別なつながりがあるのです。実はこの辺りの事は、ポルトガルとの関係もありまして、モーツアルト様、この宝石は貴方に差し上げますが、お売りになったりはなさらずに、大切に保管して下さい。問題を生む可能性がありますから。」
「なんで、そんなすごいものをぼくに?」
「先程申しました通りです。あなたは音楽の神に選ばれた唯一の存在です。で、お願いがございます。」
「なんでしょう。まず、このヤ・マ・シン大臣が是非お伺いしたい事があるのです。そのあと、わたくしがお願いをいたします。どうぞ、大臣閣下。」
「え、あ、あのですね。実は、あなたはいま、新しいオペラを書いていらしゃるでしょう?」
「ええ、確かにですが。よくご存じですね。」
「まあ、大臣ですから。その一方で、あなたはト長調のセレナーデを書いておられませんか?」
「え?・・・それはまだ公表してないしな、なんで知っているのですか?」
「わたくしは、女王です。それなりの耳を持っております。」
「ああ、なるほど。怖いですね。確かに、誰かが見つめているような気は色々してたんですが。」
「まあ、それはすべてがそうだというモノではないと思いますよ。」
女王はぼくを見た。
「で、モーツアルト先生。それは、どなたに頼まれたのですか?」
「いえ、それは、秘密です。」
「秘密?」
「そう。約束なんです。秘密にするという。」
「相手が誰かご存じなんですか。」
「ああ、それはもう。でも、その相手も使いみちも秘密です。いかに王女様や大臣様でも。約束ですから。」
「ははあ・・・・・。」
これ以上は聞きようがなかろうと思った。
せっかくここまで来たから残念だが、脅迫なんかできない。
「なるほど。では、モーツアルト先生。わたくしのお願いですが、わたくしの演奏を、聞いていただけますか?」
「ああ、それはもう、どうぞ。是非。皇帝陛下のも聞くことがありますが・・・あなたはお上手ですか?」
「まあ、聞いてくだされば・・・・・」
ヘレナはクラヴィーアのところに座った。
そうして、弾きはじめた。
ヘレナが弾いたのは、モーツアルトが1778年にパリで書いた、ソナタイ短調(K.310)だった。この年の夏、母マリア・アンナがパリで亡くなった。この曲が、そのことと、どう関連するのか、具体的な資料は無い。
でも、彼の全作品の中でもきわだって異常な緊張感に満ちている。
それは同じ1778年に書かれたホ短調のヴァイオリンソナタ(K.304)にも通じるところがある。ただ、クラヴィーアソナタのほうが、成熟している様な気がするし、ヴァイオリンソナタは、パリに行く前から書きはじめられていたようだ。
モーツアルトは、何気なく聞きはじめたようだったが、最初の音で、もう目つきが変わった。
乗り出すようにして、ヘレナの演奏を聴いていた。
最後の方では、少し泣いているようにも見えたのだった。
ヘレナは割と早いテンポで、弾き切った。
「素晴らしい!」
モーツアルトは立ち上がって叫んだ。
「いや、こんな演奏は、聞いたことがない。いったい何なんだ?クレメンティなんかは問題じゃない。いや、ぼくをも超えている。悔しいけれど、その指、その腕、どうなっているの?君、いえ失礼しました、女王様、いや、いったいあなたは何者かな? 本当に女王様には失礼ながら。信じ難い。」
ヘレナは立ち上がって答えた。
「ありがとうございます。そんなにモーツアルト先生から言われては困ってしまいますわ。じゃあお願いです、先生一曲弾いてください。」
「え?いやあ、やりにくいなあ。こんなこと初めてだ。でも、わかりました。宝石のお礼に。」
モーツアルトは、クラヴィーアの前に座った。
これは大変な事になった。モーツアルトの演奏が聴ける?
なんという事だろう。
そう、モーツアルトは、クラヴィーアの前に座った。
ゆっくりと手を鍵盤に乗せた。
それから静かに呼吸をして、演奏を始めた。
この時代には、まだ地球人類は録音の技術を持っていなかった。
それまでには、あと百年ばかりが、かかる事になる。
だから、残念ながら彼の演奏の記録は残されていない。
1781年の12月に、モーツアルトは、クレメンティとのクラヴィーアの一騎打ちをやらされている。
この録音や録画が残されていたら、それはもう、今やベストセラーになっていたかもしれない。
現在のコンクールのように、とにかくすぐ採点されてしまう訳でもなかったが、伝えられているところでは、モーツアルトが優勢だったとされてはいる。これは、もちろん、どちらも上手かったということと、クレメンティと言う方が、年上でもあり、なかなか度量が広かったということだったような感じもする。というのも、聞いていたディッタースドルフ氏(日本での一般人の知名度は高くないが、優れた作曲家だ。)は、技術的には互角のような、ただハートの部分で少しモーツアルトが良かったような事を言っているようなのと、結果的にクレメンティ氏は、モーツアルトを褒めちぎっているのに、モーツアルト氏は、相手を『技術屋』と、けちょんけちょん扱いにしてしまっているからだ(1782年1月16日の手紙)。ベートーヴェンは、クレメンティを高く評価していたようだし、残された業績から見ても、これはモーツアルトにとって、相当、相手が手強かったということなのだろう。
けれども、モーツアルトも名人だったということに違いは無い。
モーツアルトは、いま、ハ短調の幻想曲(K.475)を弾いていた。これはK.457のソナタの前置きとして作られたものであり、セットにして演奏されるのが本来の姿なのだろうが、本人も単独の形で演奏したことはあったという。今の時点で言えば、二年ほど前に作られたものだ。(記録では1785年5月20日)
ぼくは、前代未聞の奇跡に遭遇している。
目の前で、モーツアルト本人が弾いてくれている。
ヘレナと、ぼくの為だけに。
コンスタンツェさんや、当時(今!)の友人達以外に、こんな幸せに恵まれた人は少ないだろう。
モーツアルトは弾き終えた。それから、大きな目を開けて、ヘレナとぼくを交互に見比べていた。
ヘレナが、そうしてぼくが、拍手をした。
「さすが、こんな演奏は、モーツアルトさんに以外に出来る方は、けっしていないでしょう。まさに、神が目の前で演奏されていたのです。」
「もう、涙が出ました。素晴らしい。人生最高の日となりました。」
ぼくたちは、褒めちぎったが、他にいったい何があるだろう。
これが、オリジナルなのだ。
現代の人たちがこれを聞けないのは、当り前とはいえ、惜しい事だった。
ある意味、技術はタイムマシンになったわけなのだ。(哲学的に許せない方はいらっしゃるだろう。)
「すばらしい。では、わたくが、もうひとつお願いいたします。もし、聞いていただけるなら、さらに報酬をお支払いいたしましょう。現金で。大臣、その袋をお持ちなさい。」
ヘレナは、家具の上にあった袋をぼくに持ってこさせ、モーツアルトに渡すように指示した。
すごい、感動だ。
ぼくは、中身に責任を持てないが、直接この手で、袋をモーツアルトさんに渡した。
彼は、映画の中のようではなく、もっとゆっくり余裕を持って袋の中を確かめた。
「これは、多過ぎです。」
「いえ、それに値するお願いなのです。なにか、作品を頂けませんか?」
モーツアルトは、口を大きく開けて、それから答えた。
「そうしたいのは、やまやまですが、今非常に忙しくて。しかし、こんなに良くしていただいた以上、お礼はしたい。ああ、そうだ、こうしましょう。ぼくはいま、新作のセレナードの楽譜をたまたま持っているのです。一楽章削りましょう。なあに、大丈夫です。その分、ここで頂戴してしまったから。」
彼は、持っていた紙ばさみから楽譜を取り出し、そのなかから二枚を抜き出して、ぼくに渡してくれた。
「こ、これは。ト長調のセレナードですか?」
ぼくは唸った。
「ええ、まあね。女王様にお渡しください。ぼくからのプレゼントです。」
ぼくは、楽譜をヘレナに渡した。
彼女はそれをクラヴィーアの前に持って行き、初見で弾き始めた。
これが失われた、『アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク』のメヌエットとトリオなのか。
つまり、これが無くなったのは、ぼくとヘレナの仕業ということ、なのか。
「すばらしい。初見なのに、全ての音を完璧に弾きましたね。あなた達こそ、神の使いなのでしょう。」
ヘレナは、おまけと言わんばかりに、もう一曲弾いた。
「これは、『ドン・ジョバンニ』の序曲!」
ぼくは呟いた。ただし日本語で。
弾き終わったヘレナは立ち上がり、モーツアルトの前に進んだ。
彼はヘレナの手を取り、キスをした。
くそ、ぼくはこの栄光には預かれないか。
それはしゃくだな。
ぼくは、彼女の後で、握手を求めた。
モーツアルトは快く応じてくれた。
温かい。生きた人間の手だ。
ただ、ぼくはフリーメイソンではないから、それ流の握手はできないけれども。
「今の曲は?どうして?」
モーツアルトが不思議そうに尋ねた。
「あなたのお作りになった音楽ですよ。」
「ああ、やはり、あなたは神なのですか?」
ヘレナはにっこり笑って答えた。
「まさか。でも、いいですか、このことは、内密にしてください。よろしいですね?」
「ええ、それはもう。」
「それから、ちょっとだけお二人で、お話したいのです。大臣少しお席を外して下さらない?」
「え?」
そう言われては、仕方がない。
ぼくは、部屋を出た。
そこには、心配顔の男爵が座っていた。
「どうしましたか?」
「女王様が、直にモーツアルト様とお話したいと、申されまして。」
「追い出されましたか?」
「ええ。」
「それはいい。ははははは!!」
ヴァン・スヴィーテン男爵は大笑いした。
『はあ、二人とも天才だが、危ない事も同じなのかも知れないな。』
ぼくは、不謹慎にもそう思った。
そんなに、時間はかからなかった。
10分後位に、彼女が顔を出した。
「お二人とも、どうぞ。」
ぼくたちは、一緒に中に入って行った。
モーツアルトが、少し上気した様な顔で立っていた。
「今日は、こんなところにおいで頂いて、感謝いたします。男爵様、タルレジャ王国のお土産を差し上げましょう。あなたにも同じものを。」
ぼくは、またヘレナに指示された箱を二人に手渡した。
「いや、これはありがとうございます。女王様は何時までご滞在ですか?」
男爵が尋ねた。
「残念ながら、すぐに発たなければなりません。ロンドンに参りますの。」
「はあ、なるほど。」
「では、今日の事は、終生忘れえない思い出となりましょう。大臣、何かありますか?」
「いえ、しかし、ぼ、いえ、あ、わたくしも同じでございます。感謝いたします。」
「いやあ、ぼくもあなたにお目にかかれて光栄でした。色々いただいてしまって・・では失礼します。」
モーツアルトは深く会釈した。
「よい人生を。男爵様も。」
二人は出て行った。
「さあ、すぐ撤退しましょう。当局が来るわよ。すぐにね。あなたは、トンネルにすぐ行きなさい。それから考えて。返事をしたくなったら、ホテルの電話で、ここにかけなさい。いい?チャンスはもう、あと一度よ。でも別に急がないわ。私の時間は長い。百年後でも、別によろしくてよ。じゃあ、お送りします。」
「待って、楽譜はどうするの?」
「わたくしが、『永遠の都』で保管いたします。来るべき時が来たら、人類の皆さまに開放いたしましょう。今の会見の様子は、ちゃんと録画いたしましたから、これも『永遠の都』で保存いたします。では!」
彼女が右手をあげた。
周囲の全てが消滅して行った。
」




