トンネル侵入
以下の文章については、著者個人の経験に基づいたエッセイ部分以外は(特にモーツアルトに関することは)、あくまで架空のお話となっています。登場人物は、もし同じお名前でも
、また、もし、よく似ていても、実在の方とは関係ありません。また、いかなる場合も、どなたかを攻撃したりする意思は、まったくありません。
何故、ぼくの真意とか、愛とか言われるもの(もしそうであるならばだが)は、いつもうまく相手に通じないのだろうか?
「愛しています。本当です。嘘も偽りも有りません。本当です。どうか、ぼくを受け入れてください。お願いです。すべて、あなたの望むようにします。何でもします。この自動車で、どこにでも連れて行ってあげます。ほら、この車、買ったばかりの最高級大衆中古車です。家あります。二軒も持っています。仕事は、引退したばかり。年収は1,500円。 だから絶対安定しています。これ以上ぐらつきようもありませんから。」
けれど、いつでも彼女は(それは人間だとは限りません。擬人的なものだってあるでしょう?)、軽くキスして、乗って来た宇宙船とかで、どこかに行ってしまう。
大体いつも、こんな感じで、進歩がない。
何もかも、みんなそんな感じで、スルーされてしまう。
もう60年近く、いつも同じ感じです。
ま、いまどき宇宙船の一台も持っていない方が、おかしいには違いないけれど。
ところで、モーツアルトのセレナード ト長調 K.525には、本人が書いた作品目録によれば、現在はないメヌエットの楽章がもう一つあったことになっている。
誰かが削除したのか、本人が何かの都合で切り捨てたのか、さっぱり解らないけれども、初版の段階で、すでにその楽章はなくなっていたらしい。
しかも、本人の書いた作品目録には『アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク』と書かれているのに、自筆譜には、そうした記載はないという。
つまり、この二つは、本当に同じものだったのだろうか、と思うのだ。
何かの都合で、二つ作られて、どこかで、すっかりと、すり替わったのではないのだろうか。
その曲が、時々はレコードで流れるぼくの家の台所には、そこらじゅうに、飲み終わったお茶やジュースのペットボトルが、所狭しと積み上がっていた。
テーブルの上には、飲み終わった薬の袋が山積みになったままだ。
そんな状態が、もう十年近く続いてきていた。
冷蔵庫は壊れてしまっているが、中身は入ったまま放置している。
昨年には、その停止した冷凍庫の中で、小バエが大量発生してしまった。
台所中に、彼らが毎日飛び交って困っていたのだが、原因がなかなか分からなかったのだ。
ようやく発生源を突き止めた時、狭い冷凍庫の中は、真っ黒になる位、小さなハエたちが渦巻いていた。
こうなっては、もう集中爆撃以外に対策はない。
殺虫剤を大量に吹き込んだうえで、ドアを閉めて約一日ほっておいた。
後始末が大変だった事は、言うまでもない。
もちろん、コンな事が普通になるとは、あまり予測はしていなかったのだけれど。
おまけに昨年からは、ねずみさんが大いに出現して、電気コードや、紙類をやたらにかじってくれるものだから、大事なステレオ装置のコードが火を噴いてショートを起こしたり、食いちぎられた紙屑が散らばっていたりで、なかなかこれも始末が大変だったりと、少しばかり迷惑していた。
そこで、ねずみさんの通り道と思しき場所に、粘着物質が敷き詰められた、ネズミ捕りを仕掛けてみた。
相手はなかなか警戒心が強く、頭もいいようで、最初は、どうもうまくゆかなかったが、こちらも一応知的生物なので、置き場所を色々と工夫しながらやってみていたのだ。
すると、確実にひっかかる場所を見つけたのである。
ステレオ装置の裏側だ。
すると、それからは、毎日のように、朝になると、ねずみさんがくっついているようになった。
彼らは、何時も左側から駆け込んで捕まるので、右向きで横倒しになって、捕まってしまっている。
非常に困ったのは、ほとんどの場合、まだ生きていらっしゃる事だ。
小さな目で、ぼくを見つめて、
「助けてください」
と言うように「ぎゅーぎゅー」と泣くのだ。
ごきぶりさんだと、泣かない事もあってか、あまり可哀そうだとは思えないのだが、なにしろ同じ哺乳類でもあり、感情豊かに泣いてくれるものだから、いったいどうしてあげたらいいのか、困ってしまう。
と言っても、このネズミ捕りは、大変強力な粘着力を持っているらしく、引き離してやろう、なんて考えても、彼らの体がちぎれてしまう事は、すでに経験済みなのだ。
ネズミ捕りの「使用上の注意」を読めば、『捕れたネズミは、早めに、生ゴミとして廃棄してください』と書いてある。
ぼくは、その記載から、ゴミ日に、ネズミさんをゴミ袋に入れて出しても、罪にはならないらしいと思った。
真っ黒に飛び回るハエさんを大量殺害しても、やはりおそらく罪にはならないのだろう。
しかし、これらにはちゃんとした法的な根拠があるはずなのだ。
法治国家である所以なのだから。
むしろ、家庭で大量発生したネズミさんやハエさんを、そのまま放置していたら、逆に罪に問われるかもしれない。
けれど、ぼくがネズミさんを飼育しているとなると、話はややこしくなってくるかもしれないが。
しかしである、モーツアルトが、自分の書いた作品の一部を、勝手に廃棄したとしたら、それは罪に問われるものなのだろうか?
なにしろ人類史上、他に類を見ないほどの天才なのだ。
その作品は、個人のものと言うよりは、人類の宝である。
もし、ぼくが、何らかの事情で秘密に所持していていた、未発表のモーツアルトの自筆作品を、うっかり廃棄してしまったりしたら、人類すべてに対する罪になるのではないだろうか?
けれど、一方で、シベリウス先生が、第八交響曲をアイノラ荘の暖炉にくべてしまったとしても、それが法律上の罪になるなんて、誰も思わないだろうから、モーツアルトさんの場合も、本人がやったのならば、きっと問題はないのだろう。
でも、その犯人がぼくだったら、いったいどうなるのか?
仕事を辞める半年くらい前から、後輩の若い人たちに攻撃される事が多くなってしまった。
もっとも、彼らが悪いわけではない。
ここ三年ばかり、『うつ』症状が悪くなって、おまけに尿管結石がもとで、左の腎臓が大部分動かなくなってしまった。
ほんの少し残った機能を維持するために、お腹の中にステントを入れているのだが、おかげでトイレがやたらに近い。
ひどい時は10分も持たない。
けれど、接客の仕事だったため、窓口にいると、たいがい間に合わない。
ひどく痛む事もある。
うつは、表面上は引き下がりながら、心の深部に深く入り込んでゆく。
上司は、きちんと直してから仕事に来い、と叱るように言う。
お腹も、多少リスクがあっても、早く根本的に手術してくれた方がよいともおっしゃる。
それも良く分かるけれど、すぐに直るものなら、こちらが直してほしいとも思うのだが。
あるお店で買い物をしていた時には、尿取りパットをしていたのに、場所が悪くて上手く機能せず、お店の床がおしっこだらけになってしまった事がある。
もう、頭の中は、空洞状態のパニックだ。
暑い夏の日で、ゴムぞうり(最近はビーチサンダルと言うが)をはいていたが、それもおしっこでびっしょりだ。
ハンカチを取り出して必死で床を拭いた。
周りに人がいたのか、実際に見られていたのかはよく(カメラがありますよね・・)わからない。
それ以来、そのお店には立ち入っていない。
けれど、職場でそれがあると、さすがにまずいだろうと思った。
そうなのだが、実際は間一髪の事態が毎日のように続くのである。
自席とトイレの間のタイムトライアルである。
一階のトイレが満員だと、三階まで駆け上がらなければならない。
楽しそうにしていても、楽しいわけがない。
おしっこを止める薬も飲んでいる。
すると、ウンチがでなくなる。
仕方ないので、こちらが出やすくなる薬も飲む。
ますます気分は落ち込む一方だ。
仕事はどんどんうまく出来なくなってしまう。
自殺も大いに考えた。
なんとかして自分を成り立たせようとして、むりやり奇異な言動に走るようになる。
自分の存在意義を、どこかに見出して、それを周囲に見せつけておかなければ、生きてなんかいられないからだ。
でないと、即座に自分が時間と空間の中に埋没して、消滅してしまいそうだから。
が、これは致命的な結果をもたらす。
若い人たちから見たら、本当に困った、ふまじめな奴だと思われても仕方がない。
正義感の強い、真面目な彼らが、ぼくを制裁しようと行動しても、不思議はないのである。
ぼくだって、昔、問題を起こした先輩を、制裁しようとしたことがある位だから、良く理解できる。
だから、この際、自分で自分を始末する事は、必ずしも悪だとは言いきれないだろう。
逃げることも、挑戦する事も、物事の両面ではある。
けれども、それを許せる人もいれば、決して許せない人もいる。
真面目な人ほど、逃げ出す事を、許せないのかもしれない。
ぼくなどは、いい加減で、何時も逃げてばっかりだから、逃げる事にあまり反感は感じない。
政治家や地位の高い人たちが、時々都合良く逃げてしまうとしても、別に気にはしていない。
彼らだって辛いのだから。
ただ、彼らと少し違って、地位も何にもない自分が、本当にこのまま存在していていいものか、については、今もひたすら悩んでいる。
いなくなっても、さして問題がないだけに、悩みは余計に深く絶望的になる。
なかなか、マーラー先生のような高尚な意識には到達できないのである。
リュッケルトの詩による歌曲、をお聞きになった事があるだろうか?
『私はこの世に忘れられ』を初めて聞いた時、ぼくは強烈なショックを受けた。
なぜ、こんな成功者が、敵は確かに多いものの、ヨーロッパ最高の指揮者で作曲家が、なぜこんな諦念に満ちた、あたかも日本の庭のような音楽が書けたのだろうか?
『大地の歌』の最終楽章だってそうだ。
『彼』は、なぜ『この世に自分の幸せはなかった』と言って、友人と酒を酌み交わした後、悟りを開いたように山に入ってゆけるのだろうか?
自分がいないくなっても、この世界は、再び『青々と輝きわたる。永遠に・・・』と言えたのだろうか。
ぼくには、この心境に至ることはできそうにない。
支えになるものが、乏しいからだろうか。
本人は、仕事から引退した今こそ、何かをしなければ、と、もう、いい歳をして、やたらに焦っているのだ。
なのに、就職もせず、毎日訳の分からない事を書いたり、音楽を聴いているだけ。
それが事実なのだ。
収入もまったくない状態で、どうするつもりなのだろうか?
一生懸命に生きている人達には、こういう人間は、なおさら許せなかったのだろうと思う。
それだって、けっして間違ってはいない。
正しいと言うべきだ。
ただ、世の中には、上手く行っている人と、そうではない人が必ずいる。
勝者がいれば、敗者が必ず存在する。
古代の遺跡の中には、敗者を徹底的にやっつけているらしきレリーフがあったりもする。
日本でも、相手の首をさらして勝ち誇っていた事もあるようだ。
今でも、形は違っても、精神的には似たような事をやっているような気もする。
最近のバーチャルゲーム等も、良く知らないものの、そんな気配がする。
敗者に救いの道は、現実的にはあまりない。
ある日、なんとなく、夜の街を散歩していたら、普段見掛けない商店街のような入口が、ぽっかりと開いていた。
こんな場所に、こんなものが、あったっけ?
ふらふらっと、吸い込まれるように入ってしまった。
けれども、それは、火星の女王様が、あちこちに作っていた時間トンネルの出入り口の一つだったなんて、ぼくに解るはずがない。
人が入れば、すぐに閉じてしまうなんて、知っているわけがない。
きちんと使い方を知っていればいいけれど、使い方の判らない電気製品ほど扱いにくいものはない。
老人が、駅の自動券売機の前で困惑している姿は、最近はあまり見かけなくなったとはいえ、それを見て笑ってはいけないのである。
ぼくが子供のころは、エスカレーターの前で止まってしまっているお年寄りも、よく見かけた。
今でも、心が痛む。
文明の進歩は、しばしば老人を見殺しにしてきた。
ところが、相手がこんな超科学文明では、まだ60歳前でも似たようなものだ。
だから、後にも戻れないし、とにかく歩くか、止まるか、以外に道はない。
どこにも、出口はなく、曲がり角さえない。
一時間歩いても、何も変わらなかった。
持っていたスマホで電話を自宅にかけて見ようとしたが、『圏外』表示になってしまう。
周囲は壁のような、そうでもないような感じだが、チューブの中に包み込まれてしまったように、外部に出てゆくことはできない。
まずい事に、おしっこが近い。最近は、さすがに紙パンツをはいているが、もらしてしまうと、精神的な負担が大きいのだ。
「ちゃんとパンツ、はいてるんだから、大丈夫でしょ。」
などと、簡単に言ってもらっては困るのだ。
本人は、多少の安心感は持っていても、失敗なんかしたいとは思っていない。
人には言わなくても、もらしてしまうと、本人の自尊心は、相当傷んでいる事を、知るべきである。
ところが、不思議な事に、この時間トンネルでは、そうはならないらしかった。
その場所に、すっとドアが現れて、その中には、きちんとトイレがあったのだ。
ぼくは、少し気が付いた。
そう思えば良いのだ、と。
ぼくにとって、おしっこが近いというのは、体に水分があろうが無かろうが、近いのである。
だから、どんどん体の中は乾燥してしまう。
脱水状態になると、腎臓機能が危機に陥る可能性がある。
水分の補給は欠かせないが、トイレはいっそう近くなる。
そこで、のどが渇いたな、と思うと、どうなるだろう。
予想は的中した。
自動販売機が、現れたのだ。
でも、何で自動販売機なのだろう?
水道のほうが有り難いのに。
後でわかった事だが、女王様は大変経済的な観念がしっかりしている。
タダで水が飲めるなんて、思ってはいけないのだそうである。
幸い、財布は持っていたし、クレジットカードもある。
『カロリーゼロ』
と書いてあったスポーツ飲料のような飲み物にした。
金額が何と書いてあるのか良く判らない。
まあいいか、と思って日本円を入れたら、ちゃんと品物が出てきた。
後で聞いたところでは、円でもドルでもポンドでも、モーツアルト時代の貨幣でも、江戸時代の日本の通貨でも、大概のものならいけるのだそうである。
さすが女王様としか言いようがない。
ただ、出てきた飲料の銘柄がさっぱり解らない。
下の方に小さな文字で
『火星飲料供給公社』
と書いてあるのだけは理解できた。
これならば、お腹がすいたと思ったら、ラーメンの自動販売機も出てくるだろうと思ったら、その通りだった。
それどころか、ラーメン屋さんまで登場してきた。
「へい、いらっしゃい。」
と、威勢のいい声が飛んだ。
「なにします?」
親父さんが言った。
「あの、野菜チャーシューメンを。」
「野菜チャーシューね。はいよ。」
ぱっぱっぱと手が動く。
「はいよ、おまち。」
早い!
しかし、なかなかの味である。
「あの、ここはどこですか?」
ほとんど食べ終わってから、馬鹿な質問かと思いながら聞いてみた。
「さて、呼ばれたから、来たのでねえ。女王さんと契約してるっす。」
「どこから?」
「東京ですよ。」
「いつの?」
「そりゃあ、三千三百五十一年でっす。あ、ええと、千六百ガウスカね。」
「は?あの、円なら持ってるんですが。」
「ああ、いいっすよ。時々あるから、換算機あるっす。はい、お、千円。珍しいね。じゃおつりは
十五ガウスカっすね。まいど。」
お店は、ぼくが入口から出たとたんに、さっと消えてしまった。
おかげさまで、お腹は落ち着いたが、さてこれからどうしようか、と悩んでしまった。思えば薬袋なんか持ってきていない。
毎日大量のお薬に頼って生きている。抗うつ剤も、きちんと飲んでおかないと、虚脱作用が起こるかもしれない。
と言って、どうやって取りに帰ったらよいのか分からない。
このまま寝ずに歩くわけにもゆかないだろう。
家に帰れないのなら、ホテルでもないかしら、と思ったら、目の前に『ホテル』と書かれた自動ドアが出現した。
入らないわけにもゆかないだろうから、中に入ると、綺麗なエントランスにしゃれたフロントがあり、男が一人立っている。
「いらっしゃいませ。ご予約の方でございますか?」
「あ、いえ、予約してないと思いますけど。急だったもので。」
「なるほど、さようでございますか。大丈夫でございます。シングルでよろしいですか?」
「ええ、あの、一番お安いところで。」
「わかりました、では三階の315へどうぞ。お支払いは現金ですか?それとも・・・。」
「あの、カード使えますか?」
僕は銀行のキャッシュカードとクレジットカードが同居しているものを差し出した。
フロント担当の男は、少しかがみこんで眺めるとすぐ答えた。
「勿論大丈夫でございます。ではカードで。ええ、これがキーでございます。ごゆっくり。朝食はいかがいたしましょうか?」
「あ、お願いします。」
「では、七時から、一階のレストランで、清算はご出発時にいたします。」
「あの、ここから、どうやって、どこに行けるのかとか、家に帰る道とかは案内できませんか?」
「さようですな、当ホテルは、空間出張の契約を女王様と結んでおりますが、お客様の進路に関しては関知が出来ない事になっております。あの、でも、今日のこの辺りの観光スポットならば、ちょうど良いところがございます。玄関を出まして、右側に行きますと、今ならば『石碑』のマークがございますので、そこに手を当てていただくと、かの有名な『時空の門』に出てゆけます。またとないチャンスですよ。百年この時空トンネルに暮らしておられても、一回も出食わさない方もおられます。あなたは幸運としか言いようがございませんから、是非ご覧になってみてください。明日になれば、よそに移動して分からなくなりますから。」
「はあ? それは何ですか?」
「火星の女王様が、始めてこの時空トンネルをお開けになった時、最初にお作りになった空間の名残なのです。かなり縮小してきているので、あと三億年もしたら、見られなくなると言われております。巨大なモニュメントがございますので、是非ご覧ください。お写真もお撮りになると、記念になりますでしょうから。また触ってみてください。それに触れた人には、幸運が授かると言われますから。でも、青い月が沈むまでには、戻るようにしてください。帰れなくなりますよ。」
「はあ・・・じゃあ一度部屋に行きます。あの、さっきラーメン食べたけど、お腹すいたらどこかで食事出来ますか?」
「はい、屋上に展望レストランがございまして、終夜営業しています。」
「わかりました。ありがとう。」
ぼくは、ほとんど「ふ」に落ちていなかったけれど、315号室に向かってエレベーターに乗った。
暗い廊下だったが、狭くはない。
315号室。
「ここだ。」
中に入ってみれば、普通のビジネスホテルとなんら変わったところもない。
ベッド、トイレ、バス、テレビ、電話。
あるじゃあ、ありませんか。
テレビを付けて見る。
NHKとか期待するところだが、画面に登場したのは、玉ねぎ頭の、目が人間の三倍くらい縦長の女性で、大きなお口で何かをまくしたてているのだが、さっぱり言葉がわからない。
ニュース番組らしい。
リモコンでいじってみよう。
複雑なボタンなどまったくない、真四角な板がリモコンらしい。
「えい、こう言う時は、書く!」
ぼくは馬鹿だけれど、おかしな発想力はある。
指を板の上に近ずけると、画面が薄く光った。
『日本語』
と指で書いてみる。
効果てき面である。玉ねぎ頭の女性は、見事な日本語で話しだしたではないか。
「女王様は、新しい地球発展計画を発表なさいました。今日はこれについて、ダブダダム解説委員と共に考えてみましょう。」
こんどは、モグラのような頭の人間が現れて、難しい話を始めた。
寄って立つ基盤が全く違うためか、何のことやら解らないのだが・・・・。
「くそ、みてろ。」
と言いながら、こんどはボードに『2016年、11月30日現在NHK総合テレビ』、と書いてみた。
パット画面が切り替わって、ちゃんと希望する番組が見えるではないか。
「これはすごいぞ。」
ぼくは夢中になった。
『1965年の11月30日のアニメ』と適当に入れた。
画面が複数に割れて、その時放映されていた漫画番組が並んで映った。日本だけじゃない。アメリカとかの番組も入っているようだ。
「こりゃあすごいぞ。」
ぼくは、もう一度見たかったNHKの少年ドラマシリーズの番組名を入れて見た。
「おう、出ます出ます。確か当時ビデオが高価で、もう残っていないと言われたのにねえ、見える見える。すごい。すごい。」
これは大変だ、どうしよう。
「そうだ、電話だ。」
ぼくは電話の受話器を取り上げ、たいていのホテルのお約束に従ってゼロ発信して見た。
「この回線は、現在お取り扱いしておりません。」
ときた。
携帯電話の国外へのかけ方を試してみた。
解答は同じだ。
「だめか、フロントに内線して聞いてみよう。」
「ああ、そうでございますね。その方向は、通信できない方向のようでございます。なんでも、あと千年位すれば、可能のような事は聞いておりますが・・・」
はあ、こりゃあだめだ。テレビが見えるなら、電話くらいつながりそうなものを、とぶつくさ言ってもしかたがない。
きっと何か手があるはずだ。
ぼくが、何か手があると感じた時は、まず間違いなく手が現れる。
なんとなくそんな気はするのだ。
ただし、それが何時現れるかは解らない。
今のところ、まだ現れた事はないから。
そうだ、けれど、フロントの人が言った場所も、この際、見ておきたい。
「よし、テレビ、あと、お出かけ!」
と言いながら、部屋を出た。
「あの、ここの宿泊って、何泊可能ですか?」
出かけながらフロントに聞いてみた。
「それはもう、一週間でも千年でも可能でございます。実際長い方で、もう三百年住んでいらっしゃる方もありますから。」
「はあ・・・・費用が大変ですね。」
「いえ、女王様の補助金を使えば、問題ありませんから。後ほどパンフレットを差し上げましょうか?」
「ああ、はい、じゃあ、あとでお願いします。」
「かしこまりました。」
ぼくは、とりあえず、『石碑』を見に行く事にした。
言われたとおりに、ホテルを出て右側に向かって少し歩いた、するとホテルの入口がすっと見えなくなったのには、当然予想すべきだった事とは言え、気が動転した。
慌てて『ホテルどこ』
と心の中で叫んだら、ちゃんと玄関が目の前に現れるではないか。
「あらら、さっきと少し場所がずれているような気がするが・・・・・。」
と考えても見たが、どうやらそこは気にしても仕方がないらしい。
首を横に振りながら少し歩くと、なるほど『石碑』と思しきマークが壁に浮きあがっている。
話しが食い違うようにも思うだろうが、あとでこれも判ったところでは、『石碑』は次元トンネルの周囲を常に移動しているらしい。同じ場所に来る事は、一千万年に一回位だとか。それはもう、太陽系第九惑星よりも、出会い難いだろう。
何をやっても、やりたくない事にはやたらに当たるが、ありがたい懸賞などには、まず当たらないぼくとしては、珍しい事である。
そこでそのマークに、そっと手を触れて見た。
空間がぶあーっと広がる。
目の前に、真っ黒な宇宙が広がってゆく。
「す、すごい!」
ああ、こんな感動的な光景が、この世にあったとは。
ぼくの立っているところは、小さな光の輪だった。
周囲は、真っ暗な広大な荒野のような感じだが、目が慣れてくると、そうでもないらしい事がわかってくる。
星だ。空には星が輝いているのだ。
そうして、反対側の中空には、どす赤い、血の色の月がぼんやりと輝いている。
地球の月じゃない。
もっと大きいし、そのくせぼんやりとしていて、不気味で元気がない。
太陽は勿論見えない。
星の配置も、見慣れている光景とはどうも一致しない。
と言っても、家庭用プラネタリウムで見る南半球の星空とも違う気がする。
南十字星も見えない。
もっとまばらで、いささか空疎な星空だ。
天の川も見当たらない。
何だかやたら明るい星が一つ、頭上に輝いている。
金星よりも明るいに違いない。
ここがどこなのかは、さっぱり判らなかった。
で、その『石碑』は、ぼくの真正面にそそり立っていた。
物凄く巨大である事は、すぐに分かるが、ちょっとそこまでは距離がありそうだった。
歩いて行ってよいのだろうか?
帰れるのだろうか?
不安が湧きあがる。
でも、フロントの人は『写真を撮って、触ってみなさい』とか言っていたな。
スマホは持ってきた。
「よし、行きます!」
ぼくは、ゆっくりと『石碑』に向かって歩き出した。
他の人影はまるでない、荒れ果てた土地を。
案の定、後ろの光の輪は消えてしまった。
なんとなく、どうでもいいような気もしていたのだが。
宇宙服を着用しなくてもいいのかしら? と思ってしまう風景だが、こんな格好でも別に問題はなかった。
カッターシャツにブレザー。ふだん履きのズボン。
もう秋だから、靴下に普通の靴。
スマホは相変わらず『圏外』のままだ。
日本のどこか、とかいう雰囲気のところではない。
と言って、これが地球上の風景とは思えない。
あんな月は、地球からは見えないだろう。
と思っていたら、地平線からもう一つ、青白い何かが昇って来るようだ。
動きが早い。
それも、どうやら月の一つのようだ。
目の前で、ぐんぐん上がって来る。
ぼんやりと見とれている間に、もう全体が見えるようになって来た。
クレーターがまったく見えない。
青白い雲に覆われた月。もう一つのより少し大きい。
どうやら、そこには大気があるようなのだ。
ぼくは、二つの、血の色と、真っ青な顔をした月の間を、とぼとぼと巨大な『石碑』に、真正面から向きあいながら歩いて行った。
こんなに幻像的な雰囲気は、ここを離れたら、もう二度と経験しないだろう。そう思った。
「いやあ、なんだか、ここに住みたいな。」
と、思ってはならない事を考えてしまった。
その結果は、この少しあとになって、分かったのだが。