うねりと共に
登場人物
海浪
天馬
蒼真
双月
雨竜
桔梗
香蝶
実里
目を星に向け、足を地につけよ。
セオドア・ルーズベルト
第一我【うねりと共に】
昔のことなんて覚えていない。
昔のことなんて思い出したくない。
昔のことなんてどうでもよい。
嬉しいことより、楽しかったことより、悔しいことや嫌だった記憶が強く残っているのはなぜだろう。
それでもまだ、歩めと言うのなら。
「武闘会だぁ?」
一人の男が、気だるげに言った。
「ちょっとだけ!ちょっとだけ見に行ってもいいですか!?」
「お前、薪は?割り終ったのか?」
「・・・そんなことより!武闘会です!師匠!お願いしますよ!!!」
「その沈黙は否定だと受け取るぞ。お前、武闘会に出られるとでも思ってんのか?それよりやることやってから言え」
「海浪師匠―!!」
「蒼真を見てみろ。黙々とやってんじゃねぇか」
「あいつは変なんです。だから省いて良いと思います」
ここには、三人の男たちがいる。
海浪師匠と呼ばれた男は、前髪が少し長いが、後ろは黒の短髪をしており、耳には黒いピアスをつけている。
顎には髭を生やし、鋭い目つきで目の前の男を見ている。
ちなみに、身長がとても高い。
その海浪の前で、先程から何やら文句を言っているのは、海浪の弟子でもある天馬という男だ。
ボサボサの黒髪は長く、後ろで紐で一つに縛っているが、それでもボサボサだ。
口には竹串のようなものを咥えており、橙色の服は胸がはだけており、そこは包帯が巻いてある。
そしてもう一人、隣でそんな五月蠅い会話が聞こえているのにも関わらず、淡々と薪を割っている男。
男の名は蒼真と言い、黒髪の短髪をしており、頭には手ぬぐいを巻いている。
そしてなぜかツナギを着ている男だ。
「実は蒼真も行きたいだろ?な?な?下界には酒も煙管も賭博もあるんだぜ!行ってみたいよな!?」
「俺は酒も煙管も賭博もやらねぇんだよ」
「どう思います、師匠」
「俺は蒼真に一票だな。それに、下界ってほど離れてねぇだろうが。そんなに酒や煙管や賭博がしてぇなら、さっさとここからトンズラしろ」
「それは寂しいです」
「面倒くせぇなぁ、お前」
じゃあこれが終わったら連れて行ってやる、と言って、海浪は天馬に薪をまとめたものを幾つか差し出す。
蒼真がしっかりとまとめたそれらを背負うと、天馬は駆け足で次々に運んで行った。
山道を何往復もして、山で暮らしている人や一人暮らしの老人の家などを回る。
軽やかに運ぶのは良いが、それを見ていた海浪が気をつけろ、と言おうとしたときにはすでにすっ転んでいた。
「師匠、天馬が転びましたけど」
「放っておけ。ガキじゃないんだ」
そんな感じで、三人は生活をしていた。
「師匠!運び終えました!武闘会に連れて行ってもらえるんですよね!!!」
「わかったわかった。連れて行くよ。けど、今日はもう遅いから明日な」
すっかり外が暗くなってしまったため、身体を休ませるためにも、三人は寝床へと向かった。
武闘会はいつ行われているのか、それさえ知らないが。
ぐっすりと寝た翌日、いつも一番早起きの蒼真が起きると、すでに天馬が起きていた。
何事かと思っていると、天馬はまだ寝ている海浪を起こしに行き、そして思いっきり蹴り飛ばされていた。
「ったく。こんな早くに起こすなっての」
「師匠、約束しましたからね。連れて行ってもらえるまで、俺は師匠から片時も離れませんよ!!」
「はいはい行く行く」
よっしゃー!と雄叫びをあげた天馬は、早速行こうと準備をする。
言われるがまま連れてきた武闘会場は、全体的に大きな円形になっていた。
扇形に大きな形の多分武闘場が三つあり、その間にそれよりは狭めの観客席が三つあった。
つまり、武闘場、観客席、武闘場、観客席、と交互になっていた。
天馬は知らないのかもしれないが、ここの武闘場は最近あまり良い噂を聞かない。
三人はあまり目立たないようにこっそりと見物することにした。
わー、と歓声があがったかと思うと、第壱武闘場に一人の女が現れた。
『みなさんこんにちはー!本日司会をさせていただきます、コヨリと言います!では早速ですが、簡単に説明をしちゃいますね!』
武闘場は三つあり、トーナメント戦で同時進行していくこと。
優勝者には大金が支払われること。
その逆に、敗者には罰金を支払ってもらうこと。
罰金を支払えない場合は、死ぬまでここで労働させられること。
そして賭けをするのも可能であること。
『最後のお三方が揃ったところで、三人での勝負になります!みなさん、愉しんで行ってくださいねー!』
わーわー、と観客達は騒ぎ出す。
「なあ、お前誰に賭ける?」
「当然、双月に決まってんだろ」
「んだよ。賭けになんねーじゃんか」
後ろの方からそんな会話が聞こえてきたが、まあ良いとしよう。
目を輝かせている天馬は、パッと海浪の方を見てきたが、何を言いたいのか分かった海浪は即却下する。
「まだ何も言ってませんよ」
「どうせ賭けしたいって言うんだろ。お前そういうのは弱いからダメだ」
「それにしても、何が愉しんですかね、こんなの見て」
蒼真がそう言ったところで、一番最初の六人が武闘場に出てきた。
「やっちまえー!!」
「桔梗ちゃん!がんばれー!」
その六人の中で最も声援されているのは、桔梗という女だろうか。
黒く綺麗な長い髪を靡かせながら、女とは思えない強い蹴りを入れていく。
片足を相手に掴まれてしまっても、残っている足で強く地面を蹴り、相手の顔面を蹴り飛ばせば、桔梗の勝利は確実だった。
数分で終わってしまう戦いもあれば、一時間近くかかるものまであった。
しかし、早く終わったブロックでは、どんどん次の勝負が始まる。
「わー!すっげえ!!」
周りもヒートアップしてくると、席から立ち上がって大声をあげる。
その中に天馬も混ざるが、海浪と蒼真はじっとそこに座っている。
だが、武闘会も中盤にさしかかると、リタイアする選手がいる。
「桔梗ちゃんリタイアだって?」
「えー、もったいない」
「雨竜さんもでしょ?強いのにー」
雨竜という男も強かった。
茶色の髪を後ろで一つに縛っており、左目の下にホクロがある。
女性受けする端正な顔立ちと言えば良いのだろうか。
そして武闘会場は、次第に血に染まって行った。
それもそのはず。この武闘会に必要なのは血祭りであって、単なる武闘ではないのだ。
それがようやく分かったのか、天馬は口を開けたまま、しばらく突っ立っていた。
『さて、いよいよ決勝戦・・・。そしてその決勝戦には、我等がヒーロー!双月様が出場します!!』
その名が出ただけで、観客席では大泣きする女性まで出るほどだ。
黒くさらっとした髪は左目を隠しているが、それがミステリアスな印象を受ける。
背も高く、海浪よりは少し低いくらいだ。
「双月・・・」
ぽつりと天馬はその名を呟いた。
この男、周りの会話から察するに、常に最後のこの試合にしか顔を出さない。
それだけ強いと認められているのか、それとも単に贔屓目なのか。
だが、双月が動きだした途端、会場はシン、と静まり返る。
そして気付くと、すでに決勝戦に残った二人は倒されていた。
決着が着いたのを見ると、海浪は天馬と蒼真を連れて会場から出て行く。
「なんか、思ってたのと違った・・・」
「だから言ったろ。お前にはまだ早かったんだよ」
いや、もう俺26ですけど、と付け足した天馬だったが、目の前で人が死ぬのを見るのは初めてだった。
「そうだ。天馬にはまだ早い」
「蒼真も同じ歳だろうが。どちらかというと、師匠に弟子入りしたのは俺の方が一年先だから、俺の方が先輩だぞ」
「こんなへなちょこな先輩いてたまるか」
「ああ!?なんだと!?」
「ちっ。耳元で喚くな」
「おまっ・・・!今舌打ちしたろ!」
「うるせぇぞお前等」
犬猿の仲、というのもおかしいが、蒼真と天馬はなぜかこうして時々ライバル心を出す。
デッドヒートしそうな時には、海浪が一言言えばあっさりと収まるのだが。
「昔はな、殺し合いなんかしてなかったんだよ」
「師匠、前に行ったことあるんですか?」
「まあな。ずっと前だ。その頃は、なんてーか、健全なってのもおかしいが、普通の素手のみの喧嘩場みてぇなもんだったんだ」
いつから変わったのか、しばらく行っていない海浪には分からない。
人が殺し殺されるのを平気で見て、それで賭けまでしようなんて輩がいると思うだけで、吐き気がしそうだ。
三人は小屋に戻ると、今日やる予定だった薪割りを始める。
今日は蒼真が薪割りをする番だったのだが、天馬がなぜか斧を持ったため、何も言わずにそのままやらせた。
数日後のこと、三人のもとに一通の手紙が届いた。
「師匠、なんか来てます」
「なんかってなんだ」
海浪にそれを手渡すと、海浪はべりべりと封筒を破って中を確認する。
「招待状・・・?」
そこには、海浪たちに是非、武闘会へ出てほしいということが書いてあった。
それを見て喜んだのは、天馬だけ。
「やっりィ!!!俺、あの大会に出られるんだ!!!!」
「阿呆。殺し合いだぞ」
「けど、あの双月って奴に勝てば、大金が貰えるんだろう!?」
「お前、あの試合ちゃんと見てたのか?お前になんか勝てる相手じゃないだろ」
「あん!?んなのやってみなきゃ分かんねえだろう!!!」
蒼真と天馬は、バチバチと火花を飛び散らせながら言い争いをしている中、海浪は顎に手を当てて眉間にシワを寄せていた。
天馬は海浪の手から招待状を奪う様にして取ると、そこに書かれている日付を確認した。
「師匠、良いんですか?」
「ん?ダメっつったって出るんだろ、あいつは」
やるぞー!と大きな声を出しながら、天馬は薪割りを始めた。
相当やる気になっているのか、いつもとは倍ほど違うスピードで、どんどん薪を割っていくものだから、蒼真はため息を吐きながらも、それらを硬く紐で縛り、運ぶ。
招待状に書かれた日付になると、天馬は朝から体操をしていた。
気合いは充分のようだが、果たして天馬に太刀打ちできるのかは不明だ。
「師匠!行きましょう!」
「おい、俺はもう歳なんだから、あんまり急かすんじゃねえよ」
「師匠、歳って・・・。まだ40にもなってないじゃないですか」
「気持ちの問題なんだよ。俺の心はもう80の婆さんだよ」
「爺さんじゃないんですか」
「おーい!!師匠も蒼真も早く!!」
一人、ルンルンと足取り軽やかに進む天馬は、あっという間に武闘場へと着いた。
後ろから疲れたような声を出している男がいるが、聞こえないフリをして、胸元から招待状を取りだす。
「こちらに出場なさる方のお名前をお願いします」
「はーい!」
そこにきっちりと天馬、と自分の名前を書くと、出場者は別室で待機のため、海浪たちと離れてしまった。
海浪と蒼真は、以前のように、適当な場所を見つけて座る。
そしてある程度時間が経った頃、本日の出場者リストが出回り、それを見て賭けを始める姿があった。
「一部くれるか」
近くの男に声をかけリストを貰うと、そこにはちゃんと天馬の名が書かれていた。
「今日があいつの命日になるとは」
「まだ死んでねぇからな」
隣で残念そうにしている蒼真にそう言うと、海浪はリストを破り捨てた。
そして、以前とは別の女が現われ、ルール等の説明をした後、試合が始まった。
天馬は雨竜がいるブロックに名があったから、当たるとしたら双月よりも先にその男ということになる。
数人が終わった頃、いよいよ天馬の番になった。
「おい、なんだあのガキは」
「さあ?初出場じゃね?」
「馬鹿っぽいな」
そんな会話が聞こえてくるが、海浪たちは腕組をして平然としていた。
天馬の相手は、二刀流の男だった。
「弱そうな奴が相手で良かったよ」
「え、それって俺のこと?」
「ここに、俺とお前以外、誰がいるってんだよ」
にへらっと笑った天馬だったが、両手を地面につけたかと思うと、刀の間を器用にすり抜けて顔面を蹴った。
「ぶっ・・・!!!」
両膝を曲げて屈むと、男が刀を持っている腕を掴み、強く捻って刀を落とさせた。
男は残りの刀で天馬を斬ろうとするが、バック転をして避けると、瞬時に男の背後に回り、男の後頭部をエルボー。
すると男はガクン、と両膝から崩れて行った。
「勝者、天馬!」
「おいおい、マジかよ」
「何者だ?」
そうして天馬は何とか勝ち続け、いよいよ4回戦で雨竜と当たることになった。
よし、と気合いを入れ直した天馬だったが、甘かった。
「ぐはっ・・・!」
「もうちょっとだったのにな。天馬、だったか?そこらへんの奴に比べるとまあまあ強いが、まだまだだったな」
「・・・!ちくしょ」
「さて、止めを・・・」
天馬の息の根を止めようとした雨竜だったが、瞬間、何か強い気配を感じた。
背筋がゾクッとするような、まるで蛇に睨まれたカエルのような気分だ。
『天馬選手がリタイアするとのことですので、勝負はそこまでとします』
「・・・・・・」
雨竜は一礼をして一旦控室に戻った。
その頃、天馬はリタイアすると伝えに言っていた海浪は、天馬を連れて会場を後にする。
「いてっ」
「あと少しで死んでたんだぞ」
「だからって、痛くすることねぇだろ!?俺は怪我人だぞ!?」
べしっ、と強めにシップや絆創膏を貼ると、天馬は獣のように歯を見せて蒼真を威嚇する。
その後すぐの竹串を口に咥えると、それを上下に動かして弄ぶ。
「天馬が軽く学んだところで、あいつらのこと教えとくか」
「「?」」
「双月、雨竜、それに桔梗。あいつらの戦い方だよ」
「戦い方・・・」
「まず、桔梗だが、あいつは蹴りが得意だ」
数少ない女のファイターだが、桔梗は別格と言っても良いだろう。
手首足首には錘がついており、それによって攻撃力が増す。
男よりも体重が軽いということもあり、フットワークも軽い。
続いて雨竜は、基本的には剣術を扱う。
しかし武術も得意な為、どちらがきても対抗できるだけの力は必要だ。
そして最後に双月だが、この男はシンプルに拳法の使い手、というところだ。
「二回の試合の様子を見てると、そんなところだ。まあ、今後他の手を使う事も考えられるがな」
それから、と続けると、海浪はごそごそと何か紙を取りだした。
「武闘会は週一、大体月に四回行われてることが分かった。それと、天馬を運ぶとき、こんなもんを拾った」
「それは・・・」
海浪の手には、招待状と書かれたカードがあった。
さらには、次回は強制参加ということで、海浪も蒼真も参加とのことだった。
胡坐をかいて聞いていた天馬は、その招待状を見てぎりっと竹串と強く噛む。
「俺たちは、喧嘩を売られたってことですか」
「まあ、そう捉えて良いだろうな。御丁寧に俺達全員の名前が書いてあるしな」
「なんで師匠の名前とか知ってるんですかね?」
「・・・さあな」
そんなことよりも、薪を割らないとと思っていた海浪だったが、天馬がいきなり立ち上がった。
それには少しだけ蒼真もびくっと肩を揺らして驚いていた。
「ようし!売られた喧嘩は買うぜ!師匠!稽古をつけてください!!」
「・・・めんどい」
「そう言わず!ね!蒼真だって、あいつらに嘲笑われるの嫌だろ!?」
「まあ、そりゃあな」
「師匠!」
面倒臭い、の一言で切られてしまった天馬は、なんとか海浪を説得しようとする。
ついには土下座までしてきた天馬だが、海浪は天馬の頭を鷲掴みした。
それはそれは強い握力で・・・。
「いででででででででで!!!!!」
「お前が負けたからこっちは罰金支払うようなんだよ分かるか?今俺達の蓄えはそれなりにあるけど、その蓄えの8割を持っていかれるんだよ。大打撃だよ。分かるな?分かるよな?良い大人なんだからそういう事情は分かるよな?」
「す、すみません」
「俺だってこの歳になって愚痴愚痴言いたかねぇけどな、お前はいつもそうやって一人で勝手に突っ走るくせに自分でその尻拭いってもんが出来ねえんだよ。大人だってんなら自分のしたことにくらい最後まで責任持ってほしいもんだ」
「すみませんっっ」
「それにな、薪割りだってそうだ。お前は力任せにやってるけどな、あんなの本来力だけでやるもんじゃねえんだよ。昔に比べたら幾分かマシにはなってっけど、お前は不器用なんだから少しだけ出来栄えってもんを気にしてほしいもんだ」
「も、申し訳ない」
「今回の武闘会にしたって、お前死んでてもおかしくなかったんだぞ。分かってるよな?棄権ってことでなんとかなったが、これでリタイアなしのルールだったらお前どうした心算なんだ」
「それは本当に申し訳なく思っております」
徐々に力なく言葉を発する天馬。
はあ、とため息を吐きながら天馬の頭を解放すると、天馬は頭を両手で抱えながら涙目になっていた。
海浪は軽く舌打ちをしたあと、一度外に行き、割った薪を二本持ってきた。
そして二人に渡すと、こう言った。
「しっかり稼ぐために、薪割りと稽古、同時進行していくからな」
「はい!」
「・・・はい」
一方、武闘場を牛耳っている家系の末裔、香蝶は、双月、雨竜、桔梗の三人を自分のもとに呼びだしていた。
黄土色の柔らかい髪の毛を触りながら、三人を見て笑っている。
「最近、儲けが減って来てるんだけど、どうにかならないかな?」
香蝶の言っている儲けというのは、武闘会においての儲けのことだ。
双月らの誰かが優勝さえすれば、香蝶としては優勝者に賞金を支払わなくて済む。
一方で敗者やリタイア者からは罰金と称して金が入る仕組みなのだが、きっと参加者たちは、この武闘会の開催者と双月たちが手を組んでいるなんて知らないだろう。
みな大金を目当てにやってくる。
しかし、この武闘会が殺し合いだということが広まると、徐々に参加者は減ってきた。
また、気に入らない国民がいれば、それはそれで強制参加させるのだが。
双月たちが当たらないように、三人は常に別のブロックで戦わせ、決勝が近づくと雨竜と桔梗にはリタイアするように言っている。
「国外からの参加者を増やさない限り、難しいと思います」
「国外って、それはそれで難しいね。それが出来れば良いけど、金の援助はしてくれても、あいつら結局自分の命までは賭けられない連中だよ」
なぜそこまで武闘会に固執するのかなど、双月たちにも分からないが。
そのとき、コンコン、と控えめにノックがされ香蝶が返事をすると、派手な格好をした女性達が数人入ってきた。
その一番後ろから入ってきたのは、香蝶の許嫁である実里という女性だ。
黒く長い髪を右肩あたりで縛っていて、他の女性に比べるととても大人しい。
女性のラインを見せつけるかのような格好をしている女性たちは、一目散に香蝶のもとへ行って媚びを売っているが、実里だけはカチャカチャとお茶の準備をしている。
香蝶は広いソファに座ると女性たちを呼び、自分の近くへと座らせれば、女性たちの肩や腰に腕を回している。
「双月、お前がなんで俺に手を貸してくれてるのか、それは知らないけど、ここでは俺がルールだ。勝手な真似したら、お前だって一生働かせるよ?」
「承知しております」
「ならいいんだ」
ジリリリリリ、と部屋に置いてある電話が鳴った。
それに気付いた実里が電話を取ると、数回返事をしたあと、香蝶を呼んだ。
「香蝶様、お電話です」
「誰から?」
「西の臨様からです」
「ああ」
香蝶がソファから立ち上がろうとすると、周りにいた女性たちは名残惜しそうにする。
実里から電話を受け取ると、電話の向こうにいる相手と楽しそうに話し出す。
それを見ていた桔梗は、双月にこそっと声をかける。
「ねえ、臨って誰?知ってる?」
香蝶にはよく色んな国から電話が鳴るが、双月たちがいる時にはあまりかかってこないため、初めて耳にしたその名。
香蝶が電話をしている間に、実里は香蝶が座っていた場所にお茶を用意した。
すると当然のように、女性達は自分たちの分も用意しろと言う為、実里は女性全員分のお茶も用意する。
「臨は西にある宮殿に住んでる一族だ」
「宮殿・・・!?はー。何人で済んでるのかしらね」
「援助するとともに、儲けの一部をそういった金持ちの連中に流してる。そもそもこの武闘会だって、そいつらにとっては娯楽のようなもんだ」
隣にいる桔梗は舌を出して険しい顔をする。
「うへー。だから香蝶の奴、自分の懐にもっと金が入るようにしたいってわけね」
「そういうことだ」
双月たちが話しをしていると、そこに実里がやってきて、三人にもお茶を出してくれた。
この実里という女性、香蝶とは全く性格が違う様に感じるが、どうして香蝶の許嫁として嫁いできたのかは不明だ。
そういったことを詮索する心算はないが、目の前で自分の許嫁が他の女性に囲まれても、表情一つ変えずにお茶を出すのだ。
政略結婚なのか、それとも香蝶がどこかで見つけて連れてきたのか。
「それにしても、香蝶は俺たちに何を期待してんのかねぇ」
ふと、雨竜が呟いた。
金稼ぎをしたいだけなら、自分たちでなくても良いだろうにと。
「確かに俺たちは三人とも、この大会に出た経験があるが、別にあいつの為じゃねえしな。だろ?」
「当たり前でしょ。なんで私があんな男のために戦わないといけないのよ。私にはもう心に決めた人がいるの!」
「なにそれ。初耳だけど」
「五月蠅いわね。雨竜じゃないから安心して」
ギロッと睨まれた雨竜は、肩をすくめて呆れたように笑った。
「ええ、ええ、ハハハ。勿論ですよ。またお願いします。はい、はい」
がちゃ、と電話を切ると、いつもはそこまで気を使う事がないからか、一層疲れたようにしてどかっとソファに座る。
実里が用意したお茶を一口飲むと、女性達は香蝶を心配する言葉をかける。
それが本心かどうかは別として、香蝶は嬉しそうにしている。
実里が一礼をして部屋から出て行くと同時に、双月たちも香蝶の部屋から出て行く。
「それにしても、ちょっと強いのがいたじゃない?あれ誰?」
マンネリ化していた武闘会において、新しく現れた新星、というにはまだまだ実力不足だが。
余程の強者でない限り、二回戦までが良いところだろうが、その人物は初めてにして四回戦まで出てきた。
雨竜にあっという間にやられてしまったが。
「確か、天馬とか言ったかな」
「双月は知ってる?」
「・・・・・・」
「あ、その沈黙は何か知ってるんだ。私達より年下なのに、そういうの良くないわよ」
桔梗に注意されても、双月は気にした様子もなく歩き続ける。
殺し合いと称しているのにリタイア制があるのは、罰金を貰うのと同時に、無給で働く男手が必要だからだ。
実際に死を目の前にすると、どんなに屈強な男たちでさえも、死よりリタイアを選ぶ。
そして当然金などもっていないから、その分奴隷のように働かされるのだ。
時には他国に送り、その男たちが労働した分の賃金を香蝶に送る、というときもある。
どちらにせよ、良いことではない。
「雨竜ってば、私の恋バナに興味あるの?」
「全くないね」
にこやかにそう言われると、桔梗は雨竜のお尻を思い切り蹴飛ばした。
日頃から錘を入れているためか、雨竜は若干顔を歪ませた。
勝ち誇ったように桔梗が微笑んでいると、双月のもとへ次の武闘会の参加者を募る招待状を送ったリストが渡される。
雨竜と桔梗はそれを覗くようにして見ていると、二人して「あ」と声をあげた。
「またあの天馬って奴出るじゃない。余程悔しかったのかしらね?」
「だからって、普通死にかけた試合にまたすぐ出るか?」
「それは人それぞれでしょ。一概に出ないとも言えないじゃない。この前だって、双月に殺されかけた男が、次の武闘会でまた出てきて、そいつは確か雨竜が殺したんじゃなかった?」
「そうだったか?」
そしてよくよくリストを見ていると、そこには何処かの国で名を馳せている者もいた。
どういった人物かは知らないが、とにかく名前だけ知っている。
「ねえ、これって、あの有名な騎士の一族じゃない!?」
「この男はボクサーだな。一か月前の新聞に載ってたな」
「あー!これってあの女だらけの国の戦士じゃない!でも女だらけって大変そうよね」
そんなどうでも良い会話をしている二人を尻目に、双月は別の名を眺めていた。
そしてそのリストを二人に手渡せば、雨竜と桔梗はリストを隅々まで見る。
敵について知りたいとか、そういうことではなくて、単なる興味で。
これは誰だ、あれは誰だとか。
「でも、結局優勝するのは双月だもんね。私達もまたリタイアするようだし」
「それに、この大会に出るだけの価値がある奴って、そんなにいないんだよな」
絶対王者とも言われる双月には、雨竜も桔梗も敵わない。
香蝶に雇われてからというもの、あまり双月と戦う事はなくなったが、数回だけ戦ったことがある。
決して弱くない、というよりも強い部類に入る二人でさえも、なぜか武器を使わない双月に勝てないという謎。
「あー、でも天馬は双月と当たっちゃうわね。可哀そうだけど、決勝には行けないわ」
可哀そうと言っているわりには、桔梗の表情は恍惚としている。
「双月、どこ行くんだ?」
ふと、雨竜がリストから顔をあげると、前を歩いていたはずの双月は、自分の部屋に戻る道ではない方に向かって歩いていた。
どこへ行くのかと問えば、双月は何も答えずに足を進めてしまった。
いつものことなのか、雨竜も桔梗もそれ以上何も言う事はなかった。
「良いメンバーは揃ってるけど、きっとこいつらも罰金か一生労働になるのよね。どう思う?」
「退屈凌ぎにはなるが、退屈すぎて俺達の腕が鈍りそうだ」
「ふふ、確かに」
香蝶の部屋から出た実里は、キッチンへ向かって片づけをしていた。
香蝶のもとに、召使はいない。
許嫁でもある実里がその役割を担っていて、朝から晩まで、香蝶だけではなく、その回りにいる女性たちや双月たちの世話をしている。
とはいて、一番手がかかるのはやはり香蝶なのだが。
食事の支度から片づけ、ベッドメイキング、洋服の準備、タオルの準備、電話の対応に掃除、洗濯、家事全般を一人でこなす。
召使の一人や二人雇えば良いのだが、そんなところに金はかけていられないと、香蝶は実里一人にさせている。
武闘会で負けた者たちは何をしているかと言えば、主に力仕事だ。
実際に何をしているのか、それは誰も見たことがないため分からない。
ちらっと時計を見ると、実里は少し深めの皿と大量のスプーン、そしてスープを持ってキッチンを出る。
香蝶はあまり使わないが、一応香蝶と実里だけが使える小さいエレベーターに乗ると、地下と書かれたところまで、ぐいっとレバーを引く。
ガガガ、といつ壊れてもおかしくない音を出しながらエレベーターが動いている間、実里は一言も発することはない。
どのくらい地上から離れているのかなんて、知ることさえ出来ない。
数分くらいか数十分か経った頃、ようやくエレベーターはガタン、と大きく揺れて動きを止めた。
ガーッと扉が開くと、実里は重たいそれを押しながら進んで行く。
まるで洞窟のような場所を着き進むが、灯りは両脇にある木ついている炎だけ。
それも所々なため、躓きそうになる。
なんとか進むと、奥には薄暗く広い場所が広がっている。
そこには何百人、それ以上の男たちが働いており、実里には何をしているのかはさっぱいり分からない。
実里が来たことを知ると、男たちは手を止めて集まってくる。
「食事の時間です」
そう言ってちりんちりんと鈴を鳴らせば、離れた場所にいる男たちにも報せることが出来、皆集まってくるのだ。
こんな大の男に与えられる食事が、一日一回のこのスープのみ。
それでも生きるため、男たちは実里に群がってスープを受け取る。
「武闘会の方はどうなんだい?相変わらず双月たちの一人勝ちかい」
「・・・ええ」
「あと何年、いや、何十年ここで働けばいいんだ、俺達ぁ・・・」
スープを受け取ると、男たちは適当な場所に腰を下ろし、スプーンも使わずに一気に飲み干して行く。
欲を言えば、もっと飲みたいし、さらに欲を言うと、肉や米を喰いたい。
しかし、香蝶に捕まってしまった今、家族に連絡する術もなく、食べることもままならない。
「こんなものに援助するなんて、俺達の世界はおかしいんだ」
「ここで死んでいった奴らも何人も見た」
「一生ここで暮らすくらいなら、死んだ方がマシだってな」
家族に仕送りをするため、病気に苦しむ我が子を救うため、自分の実力を知るため、この武闘会に参加する人の理由は様々だ。
一攫千金を狙うには、うってつけなのだ。
この国も、そして近隣諸国の国民も貧しいことを知っているからこそ、香蝶はこんな手を使って猛者たちを集めている。
「香蝶の目的は、一体なんなんだ?」
こんな地下に自分たちを閉じ込め、何を作っているかも分からない状況で、なぜこんなことを繰り返すのか。
援助されているとは言え、香蝶が手に出来る金も減ってきていると聞く。
「わかりません。あの人の趣味だとしか言いようが・・・」
「それより、家族が心配だ」
「ああ、俺もだ」
「俺が帰らないと、金だって働き手だっていないだろう」
食事を終えた男たちの手から、皿を集めて行く実里は、またそれを地上へ持っていくため台車に乗せる。
「ここに来ない方もいます。そのまま別の国の労働者として送られています」
「どういうことだ?」
「きっと、援助をしている国から来た方々はここへ。そしてまだ援助をしていない国から来た方々は、援助をしている国、つまりはあなたたちの代わりとして働いているのだと聞きました」
「なんだそりゃ!」
「じゃあ、俺達は本当に一生、死ぬまでここで働かされるってことか・・・!!」
男たちがみな絶望に打ちひしがれているのを、実里はただただ見守ることしか出来ない。
香蝶に刃向かえば、許嫁の実里とはいえども、きっと娼婦として売られるか、殺されてしまうだろう。
そんな男たちのうち一人が、こんなことを口にした。
「革命家が助けに来てくれれば・・・」
「革命家・・・?」
噂では聞いたことがあるが、それが実在しているのを見たことはない。
何処かの国では姿を見せたと言われている革命家だが、今どこで何をしていて、何を目的としているのか。
「革命家は自分たちを革命家とは名乗らない。だから革命家の正体を知ってる奴は誰もいない」
「けど確かなことは、革命家のリーダーは片方の目が眼帯で隠れてるってことだ」
「それは、怪我か何かを?」
「いや、それも分からねえ。どの時代にも、戦争の影には革命家ありと言われるほど、奴らは姿を見せない」
「時々偽物も出るくらいだ」
しかし、偽物は所詮偽物。
ここ百年の間だけで言えば、革命家が動いたと言われているのはたった三度だけ。
加担することもなく、助けることもなく、戦争を傍観したうえで、戦争を助長するような国や人々には制裁を与えるとか。
「まあ、革命家ってのも、いるかいないかははっきりしねぇ。それに、こんなちっぽけな国になんか、来やしねぇだろうさ」
そんなものに縋っていられないと、男たちは徐々に立ち上がり、作業を再開する。
実里もキッチンへ戻って皿洗いをしようと思って踵を返したとき、すでに髪も髭も真っ白にしている老人が一人、杖をつきながらこう言った。
「革命家はおるよ」
「え?」
思わず老人をみた実里に、さらにこう続けた。
「ワシは一度だけ、そ奴らを見たことがある。とても勇敢でなおかつ精悍で、強い。しかし直接戦う事は少ない」
「どうして、ですか?」
「ほっほっほ。革命家とは、戦う者ではない。革命家とは、変える者なり。分かるかね?お譲さん」
「おい爺さん、あんたは指示係だろ。早く来いよ」
男に呼ばれ、老人は笑いながら去って行ってしまった。
実里は老人の言葉が気になったが、それ以上聞くことも出来ず、また、実里がここに滞在出来る時間も限られているため、また暗い洞窟を進む。
大勢の人間がいるにも関わらず、通気口と呼べるものはほとんどない。
空調もなく、夏は灼熱で冬は極寒だ。
酸素も薄いため、男たちは刃向かう気力さえないのだとか、香蝶から聞いたことがある。
酷い労働環境の中、男たちはそれでも働くことしか許されておらず、もしかしたら双月たちを倒し、ここから出られる日が来るかもしれないという希望を持っている。
しかし、双月たちを倒すことはそう簡単なことではない。
実里はまたエレベーターに乗ると、今度は地上と書かれた方にレバーを持っていく。
ガタン、と扉が閉まると、また時間をかけて地上まで昇って行く。
地上に着くと、実里はキッチンへ向かい、沢山の皿や鍋を洗って行く。
「実里、ここにいたのか」
「香蝶様・・・」
急に声が聞こえたため、実里は思わずビクリと身体を震わせてしまった。
いつもなら女性たちに囲まれている香蝶だが、今は珍しく一人だ。
ゆっくりと実里に近づいてくると、実里の耳元に唇を近づける。
「何か、話してきたのか?」
「・・・何かというのは?」
「んー、例えば、最近の試合の状況とか?この国の情勢とか?」
逃げられないようにするためなのか、それとも単に置く場所がなかったからなのか、香蝶は実里の肩に腕を回す。
それを気にせず、実里は食器を洗う手を止めない。
「私にはそんな難しいことは分かりません」
「・・・そうだな」
ククク、と喉を鳴らして笑う香蝶だが、実里は香蝶のこの笑い方が好きではない。
人を小馬鹿にしているような、何もかも見透かしているような。
だからといって、言い返しても軽く流されることも知っているため、実里は片づけだけに集中する。
「!!!」
すると、いつもならさっさと離れて行く香蝶が、急に実里の耳を舐めてきた。
思わずバッと香蝶から離れると、その様子を見て香蝶は楽しそうに笑っていた。
「夜はアヒ―ジョが良いな」
「わかりました」
「それから羊の肉も食べたい」
「仕入れてあるか見ておきます」
きっとそれが本題だったのだろう、香蝶は満足気にキッチンから消えて行った。
一人になった実里は、香蝶に舐められた耳を除菌シートで何度も拭いた。
部屋に戻った香蝶は、そこにいる双月に声をかけた。
「今度も勝てるだろ?」
「・・・ええ」
「なんだ、いつになく自信なげだな」
「いえ、そのようなことは」
「いいか、何があっても勝て。勝つ以外の道なんて、お前にはないんだからな」
「・・・はい」
香蝶の部屋から出ると、双月は鉄格子から見える武闘場を眺めた。
そしてまた、歩むのみ。




