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高梁と菊地

第八話 鏡の中の隣人

作者: エメス

物語はオムニバス形式であり、各話は時系列がバラバラになっています。

また、それぞれが完結しているので、

1話から順に読まなくても分かるようになっています。

どうぞ気兼ねなくお読み下さいm(_ _)m


※物語で登場する人物名等はフィクションです。

※またFC2小説、mixi、2ch系掲示板等にも投稿したことのあるお話です。

放課後、

部活、あるいは帰宅など、各々の用事で慌しく生徒たちが雑踏する中、

日の当たらない図書室の隅で静かに読書をするオタクな生徒がいる。

僕だった。


部活動に打ち込めるような精神は持っていない、

かといって、家に帰ってもやることがない、

友達付き合いなどもやや煩わしいとさえ思っている。


そつなく勉強や人間関係をこなすが、いつも1人でいる。

僕は昔からそうだった。


「おい田端」


少ししゃがれた声で僕を呼ぶ声がする。

振り向くと担任の田所が立っていた。

眉間に皺を寄せ、少し困ったような顔で話を続ける。


田所は長身だが横幅も広い、いわゆる巨漢だ。

襟足長いオカッパのような髪型も相まって、

黙って立っていると関取がネクタイを締めているようにも見える。


「3年の二学期になっても進路を決めていないのはお前だけだぞ」


図書室で時間を浪費する前にやることがあるだろう…とでも言いたいのだろう。

田所はパンパンに膨らんだズボンのポケットから手を出し、

僕が読んでいた本を取り上げて軽く目を通す。


「お前は民俗学者にでもなりたいのか?」


馬鹿にするような、関心するような曖昧口調で言う。

本の内容は地方に関する伝記が書かれたものだ。


僕はかなりの旅行好きで、各地の土着信仰や風習などに興味を持っている。

小学生の頃、東北にある父親の実家へ連れて行ってもらったとき、

風土、風習の違いや方言などにカルチャーショックを受けたのがキッカケだ。

また東京生まれの東京育ちなため、地方に対するある種の憧れも旅行好きの要因となている。


長期に休みが取れると決まって旅行に出かけ、普段からもこういった本を読み耽っている。

これはもはや趣味といっていいだろう。


中でも今はオカルト的な要素に強い興味を持っていた。

それにはもちろん理由があるのだが…。


「とにかくこれから進路指導室へ来なさい」


本を置き、そう言うと田所は図書室を出て行った。


やれやれ3年二学期にもなって進路が不明確な生徒を持つ先生も大変だ

…などと、他人事のような同情を田所に感じながら僕も図書室を後にする。


進路指導室へと続く廊下の窓からはプールが見え、

明るい内は水泳部の練習を眺めることができるのだが、残念なことに外は既に暗い。

窓を見ても廊下の電気で照らし出された自分の姿しか見えなくなっている。


「おい田端」


静かな廊下に僕の名前を呼ぶ声が響く。

時期が時期なだけに、進路指導室へ向かう廊下は普段から人気が少なく、

呼び声はハッキリと聞こえた。


廊下には僕しかいないことを確認し、窓に目を向ける。

そこにはニタニタと笑う自分の姿が写されていた。

しかしこの表情は今の僕のものとは全く違う。

それはまるで、僕と窓に写る自分は別人かのように。


窓に写る自分は笑みを崩さず続けて言う。


「まだ進路決めてねーの?やばくね?」

「学校では話しかけてくるなと言っただろう」


僕は窓に写る自分に文句を言った。



もし他人が窓に写る自分と会話をする僕の姿を見たら実に奇妙に思うだろう。

だがこれは独り言などではない、まして幻覚や幻聴の類でもないのだ。


窓に写るもう1人の自分は僕とは違う人格を持ち確実に存在している。

何故なら、コイツは僕以外の人間でも認識することができるからだ。

言うなれば、僕の姿をした僕ではない誰か、なのである。



この奇妙な現象は、

去年の夏休みを利用し東北へ旅行へ行ったときに起きた出来事に端を発する。

それは僕がオカルトに興味を持った理由にも繋がっていた。



1年前───


「えー、ご予約頂いていた田端様ですね」

「はい」


和服を着た受付の女性が予約名簿を確認しつつ、僕を見る。


「お一人様ですか?」

「はい」


さすがに家出の疑いなどは掛けられないと思うが、

普通高校生の旅行といえば、2人以上なのだろう。

受付の女性は少し戸惑った様子だった。


「では202号室へどうぞ」


僕は鍵を受け取り、部屋へ向かう。


旅行を趣味としている僕は、夏休みを利用し東北を巡っている。

荷物もあるため、現地に到着して早々に予約した旅館へ

チェックインしておこうと思い足を運んだのだ。


安めの宿を探したということもあって、

旅館というよりは少し大きな民宿といった感じだったが、

中は古風な様相の割りに綺麗で、従業員も多いようだった。

それなりに繁盛しているのだろう。


受付から廊下を進んだ先に2階へ上がる階段がある。

廊下の壁には様々な物が飾られてあった。

明治か大正頃の町並みを撮影したであろう写真、

日本画、扇子、日本人形、手鏡など。

それなりに歴史がある旅館なのだろうなぁ…などと関心しつつ、

今後の予定について考えていた。


土着信仰、風習などに興味があり、実際に地方へ足を運んでいるとはいえ、

都合よく民俗学に詳しい大学の教授などが知り合いに居るわけでもなく、

昔話に詳しい地元民に知り合いがいるわけでもない。

高校生が調べられる範囲には限度があるわけだ。

せいぜい、旅館の従業員の誰かを捕まえて、昔話を聞くか、

公市民館や民博のような施設で地元に関する昔の文献などを見るのが関の山だ。


つまりそれは、あくまでついでであり、

僕にとって旅行とは、旅行することそのものに意義があるである。



部屋に着いて間もなく、旅館の従業員であろう女性の仲居がやってきた。


和風の作業着を着たその女性は、

割と背が低く、少しぽっちゃりしていて、肩までありそうな黒髪を後ろで結んでいた。

露出した顔の輪郭は丸くメガネを掛けている、ちょうど卵がメガネをしているような感じだ。

化粧は薄く、肌は田舎特有の色白でチークを付けたような赤みがかった頬をしている。

地味と言えば地味なのだが、少し僕好みだった。


胸部に付けてあるネームプレートに視線を移し名前を確認する。

明日と書かれていた。


あした…?


「案内を担当させて頂きます、明日(ぬくい)と申します」


一通り、旅館の案内、朝食、夕食の案内が終わり、

「何かご質問等がありましたら、気兼ねなくお尋ねください」

などというものだから、早速聞いてみることにした。


「この地方に纏わるような信仰とか風習みないなものがあったら教えてもらえます?」


驚くこともなく、少し考えるふうな素振りをしている。

おそらく、この手の質問をしてくる宿泊客はそう珍しくもないのだろう。

僕としても幾度となくしてきた質問だった。


経験上答えてくれる人は半々だが、

宿泊先を従業員が機械的に動くホテルではなく、客と接点が多い旅館を選んだ理由はこれだった。

仮にこの人から聞くことが出来なくても、他の人を捕まえればいい。


明日は思い出したふうな表情をする。

「私も昔からこの地方に住んでいるわけではないので、詳しくはなのですが…」

という冒頭から鏡に纏わる話をしてくれた。



昔、この付近の土地では、

鏡は真の姿を写しだす、災いを清め鎮める、

魂を転生させるなどと信じられており、

霊的な力を持つ神具の1つとされ崇められていたらしい。


それだけなら良くある話しだし、

今でも各地で神棚などに飾られ信仰されている。


しかし過去に神具として実際に試行されたことがあった。

明治時代、政府が神道と仏教の分離を目的とした政策が行われたとき、

各地で廃仏運動が行われた。

この地方にも影響があり、多くの仏具が破壊されると村人たちの暴動が起き

仏門、農民の人々にも死者が出たそうだ。

これを悲しんだ村人たちが、転生を願い、鏡を使った。


…という言い伝えである。


「その鏡が当館の1階廊下に飾られてある手鏡なのだそうです」


話を終えると明日はニッコリ笑った。


昔は神道と仏道の境は曖昧だったというから話しの流れに合点はいくが、

なんともオカルトな話だ。

もっとも土着信仰にその手の話は多いのだが。


「しかしどうして手鏡になったんでしょうね?」

「さぁ、そこまでは…」


明日は困った顔をする。


僕は旅行先で話を聞いた際のメモ用にダブレットを持ち歩いている。

秋葉原で中古で売られていたものだ。


例えば、このタブレットには過去の持ち主が複数人居たとして、

人によっては、粗雑に扱われていたかも知れないし、大事に扱われていたかも知れない。

もしかしたらデコレーションなどされていたかも知れない。

つまり物には歴史があり、手にした人間によって扱い方はそれぞれだということだ。

同様に言い伝えの神具である鏡が手鏡となってこの旅館に飾られるまで、

様々な人の手に渡り、色々なエピソードを刻んできたのだろう。


話に出てきた転生についても質問しようとしたがやめた。

実際転生ができたのか〜など、当事者でもない明日が知るはずもないからだ。


お礼を言うと、明日は部屋から出て行った。



タブレットのメモ帳に明日が語ってくれた先の話をまとめると、僕は立ち上がった。

言い伝えにある鏡が、実際この旅館にあるというのだ。

見に行かないわけがない。


1階の受付と2階階段を繋げる廊下の壁には様々なものが飾られている。

先の話を聞いた後だと、日本画や日本人形、扇子などにも

僕の知らない歴史があるのだろうと思えてしまう。


「あったあった」


手鏡の前で立ち止まり、僕は繁々と見つめた。


鏡は装飾された裏面を見せ、表面を伏せた状態で飾られている。

僕は鏡のことに詳しくないのだが、昔の鏡は傷みやすかったするのだろう、

少しでも外気に晒さないよう表面を伏せて飾られているのかも知れない。


ちょっとだけ手に取ってみよう。


鏡は装飾された裏面の隙間と、取っ手部分の隙間に紐が結ばれており、

額縁のような形で壁に掛けられていたため、取り外すのは容易だった。


鏡を返し表面を覗き込む。

曇っていてまるで自分の顔が見えない。

Tシャツの裾で磨いてみると、少しだけ見えるようになった。



「半分貰ったよ」


どこからか声が聞こえくる、それはどこかで聞いたことのある声だった。

辺りを見回すが誰も居ない。

空耳かと思ったとき…


今度はコツコツと何か硬いものをつつくような音が聞こえる。

例えるならガラス窓をつつくような音。

そうそれは鏡から聞こえてくるのだ…。


恐る恐る鏡を覗くと僕が写っている。

しかし、鏡に写る僕は今の体勢に反し、鏡をつつくと写るであろう姿形で、

鏡の中からつついている。


その顔は口元が吊り上り歪んだ笑みを浮かべていた。


全身に鳥肌が立つ。

鏡の中の僕は僕の意を反し、勝手に動いているという、

今の状況を考えるより先に直感的な恐怖が沸いてきた。

同時に全身の毛穴が開き、嫌な汗が吹き出る。


「か…かがくぁwせdrftgyふじこlp」


言葉にならない叫び声を上げ、鏡を投げ捨て僕は一目散に部屋へ戻った。



部屋に入ると素早く鍵を閉め、その場にしゃがみ込んで頭を抱えた。


あれは何だったのだ。

鏡を見たら、鏡の中の僕が勝手に動いて喋った。

そして僕は鏡を捨てて…


まずい!鏡を元の位置に戻さず、床に投げ捨ててきてしまった。

このままでは見つかるのは時間の問題だ。

もし壊れていたりしたら旅館の人に怒られてしまう。

いや…違う!そこじゃないだろう。

そう鏡だ、鏡の中のアレだ。

アレは一体…


動揺で考えがまったくまとまらない。

気分を落ち着かせるため、

のそのそと部屋の奥へ進み窓から見える景色を眺めながら深呼吸をした。


「鏡を投げ捨てるなんて酷いなぁ、壊れたらどうするの?」


またあの声が聞こえてくる。

鳥肌が立つと同時に振るえが込み上げてきた。


一体どこから…。

部屋の中を見渡す。


窓ガラスをコツコツとつつくような音が聞こえてきた。

振り返ると窓に薄っすら写る僕がガラスをつつくような姿形をしているのが見える。


「とりあえず落ち着いて」


鏡の中の僕はニタニタと笑いながら言った。


僕は何かに気がついて数秒の間硬直した。

その何かが、何であるのかを考えるための時間だったのだろう。


どこかで聞いたことのあるその声、そうそれは…


「僕の…声…だ」


恐怖と動揺で上手く喋れなかったが、振り絞るように僕は言う。


自分の声を客観的に聞く機会は少ない、だからすぐに気がつかなかったのだ。

トーンも口調も違う。だが、鏡の中の僕が発するこの声は紛れもなく僕の声だ。


「やっと口を利いてくれたと思ったら第一声が、"僕の…声…だ"か。ウケるね君」


鏡の中の僕は、首をかしげ、眉を下げて呆れたような表情で言う。


…あれ?なんだコイツ、なんでこんなにフランクなんだ。

僕はこんなに動揺しているのに。



「話も色々あるとは思うが、まずは───」


鏡の中の僕はそう言うと、投げ捨てた手鏡を元に戻すように言った。

確かに動揺していたとはいえ、旅館の展示物に勝手に触れたあげく、投げ捨てたのは事実だ。

結果から見れば僕が悪い。

この得体の知れないやつに倫理を説かれるのは癪だったが、言う通り1階の廊下へ戻った。


落ちている手鏡を拾い確認をする。


良かった、どこも破損していない…

ほっと胸を撫で下ろし、鏡を元あった壁に掛け直した。


「あのお客様、大丈夫でしょうか?」


振り向くと、先ほど言い伝えについて話してくれた仲居の明日が心配そうな顔で立っている。

妙な叫び声が聞こえたので、何事かと慌ててやってきたのだそうだ。


「ええ、手鏡がひとりでに落ちてきたので、驚いてつい…」


多少の罪悪感はあったが、

今僕に起きている現象を説明する方が難しいと思い、誤魔化すことにした。


「そうですか、ひとりでに」


明日は手鏡を眺めながら心配そうな顔で呟く。

どうやら今度は別の不安を与えてしまったようだ。


そのとき誰かが、微かにクスっと笑ったような気がした…



例えどんなに有り得ない状況下にあっても、人とは良くも悪くも慣れていくようで、

先ほど感じていた恐怖は薄れ、僕は大分落ち着きを取り戻していた。


部屋に戻った僕は、室内に設置されている半身鏡と向き合っている。


「で、お前はなんだ?」


腕組みをし、あぐらをかきながら鏡の中の僕に問いかける。

対してそいつは、寝そべり、リラックスしたふうな体勢で答える。

鏡を介して対面する2人の僕は、傍から見ると何とも滑稽な構図だろう。


「声も顔も体も君、だけど俺は君じゃな〜い」


ふざけた態度にムッとした。

僕は苛々を拭い捨てるように頭を掻き、

気を取り直して、もっと具体的な質問へ変える。


「では、お前は幽霊や妖怪といった類か?」


突拍子もない質問なのは分かっていたが、

この得体の知れないものを説明付ける言葉が見つからなかった。

今までダルそうに寝そべっていたそいつは、体を起こしニヤっと笑う。

僕は少し体を引いて身構えた。


「俺は君の霊体を使って存在している、そういった意味では幽霊かも知れない」


霊体… 聞きなれない言葉だな。


オカルト雑誌やテレビ番組などで、

人間には肉体の他、霊体、魂と呼ばれる2つの体があると聞いたことがある。

どういう理屈で成り立っているのかは知らないが、

つまりこいつは、僕の霊体とやらを利用して、

鏡の中に存在を形成している…ということなのだろう。


なるほど、半分貰ったという台詞はそういう意味か。

僕は先ほどのこいつが言った言葉を思い出していた。

しかし、にわかに信じ難い。


「こういうのはどうだろう?」


僕はそう切り出し、鏡の中の僕について仮説を立てた。


手鏡に写った自分を見ることが何らかのスイッチとなって、

脳の知覚や聴覚、言語、記憶などを司る部分に影響を及ぼし、

本来は存在しないはずのものを見ているのではないだろうか?


「つまり幻覚や幻聴ということだ」


鏡の中の僕は、眉間に人差し指を押し当て、少し考え込むような素振りをする。

そして僕の淡い期待を裏切りそいつは言った。


「それはない、何故なら君以外の人間も俺を認識することが出来るからだ」


再び、そいつはニヤっと笑う。


「試してみるかい?」



1階廊下を渡り、受付へと足を運ぶ。

そこには、先ほどの受付の女性と、仲居の明日が雑談をしている様子が伺えた。


「俺は君の姿が写し出されるようなものがないと出てこれない」

部屋で彼はそう説明をしてくれた。

受付の横には光沢感のある黒曜石か何かで作られた黒い柱がある。

ここに写れば出てこれるはずだ。


あの2人で試してみよう。

僕は雑談をする2人に近づき、黒柱に僕が写るような位置へと移動する。

あくまで自然に、先ほどの叫び声で驚かせてしまった件を重ねて詫びる程で声を掛けた。


謝罪から始まり、どこから来たのか、これからの予定など、

明日と他愛もない会話を続ける。


さて、あいつはどうやって他人にも認識できることを立証するつもりだろう。

残念なことに僕はそれほどトークが上手くない。

そのうちネタが尽きて、会話を続けていること自体が不自然になってくる。

何かするなら早くしてくれ。



「…君、おっぱい大きいね、それに可愛い」


それは僕の声だった。

会話と会話の途切れ目に発せられたため、ハッキリと聞こえた。


僕と明日の会話が止まる。受付の女性が僕を見る。

その場に居た3人が呆けたような驚いたような、複雑な表情になっていた。


数秒の間を置いて、思い出したかのように

僕と明日は声を揃えて聞き返す。


「え!?」

「ゑ!?」


再び沈黙が訪れる。

今のセクハラ発言があいつのものだということを忘れてしまうほど、

僕の頭は真っ白になっていた。


「ええと、私の胸が…なんでしょうか?」


沈黙を裂いて、明日が聞いてきた。

怒っているような、困っているような顔をしている。


それを見てはっとした瞬間、今まで真っ白だった頭が急に高回転し、

目の前にいる2人に誤解を与えてしまうであろう不安、

発言に対する恥ずかしさや、鏡の中の僕に対する怒りなど、

色々な感情が込み上げてきて顔が熱くなった。


「すみません、忘れてください」


素早く会釈をし、口早にそう叫ぶと、僕は一目散に部屋へ逃げていった。



鏡を覗くと、腹を抱えて笑っている僕が写っている。

もちろん僕は今笑ってなどいない。


「君っ …っ いいよ…!」


僕はこいつにおちょくられたのかと思うと怒りが込み上げてくる。

だが、確かに僕以外の人間にも声が聞こえたようだった。

僕の仮説は否定された。

幻覚や幻聴が他人に認識できるわけがないからだ。

つまり、こいつの言う事は満更嘘ではないということになる。


僕はもう1つ疑問を投げ掛けた。


「それでお前、いつまで居るんだ?」


今起きているこの現象は非日常だ。

今日1日に限ったことであれば、さして悲観することもないだろう。

しかし、これが続くとなれば話は別だ。


鏡の中の僕は、笑いを止め、少しまじめな顔で言う。


「それって俺を除霊できるのかってことかい?」


なるほど、その言葉から察するに、

除霊をしなければいつまでも居る、ということなのだろう。


僕は霊に関する知識など皆無だ。

都合よく霊感の強い友人がいるわけでもないし、霊媒師に知り合いがいるわけでもない。

ただ、先ほどこいつは、自分を幽霊なのかも知れないと言っていることから、

もしかすると除霊などで取り除くことが出来るのではないだろうか。

仮に方法があるとしたら知っておきたい。


鏡の中の僕はニヤっと笑いながら言った。


「知ってても教えな〜い」


その発言にイラっとしたが、納得はした。

僕の霊体を使って存在しているということは、

言わば僕に取り憑いているのと同義だと考えていいだろう。


取り憑いている幽霊に、お前を除霊する方法はあるのか?

などと聞くのは確かに可笑しい話だ。


「出血大サービスだ」


そう言って鏡の中の僕は、人差し指を立てて話す。


鏡の中の僕が居なくなる方法が2つあるのだという。

1つは、僕が死ぬとき、こいつも存在が消えるのだそうだ。


仮に霊体というものがあったとして、肉体が死ねば当然霊体となる。

話しの流れから、こいつは僕の霊体を使って存在しているわけだから、

僕自身が霊体となれば、自分を形成する器がなくなり、存在が消える…ということなのだろうか。


もう1つは例によって「教えな〜い」と言われた。

まったく嫌なやつだ。


だが、これは収穫だった。

死ぬ以外に、もう1つ、こいつを除霊する方法がある。


一瞬希望が持てた気がしたが、すぐに消え失せる。

そうつまり、その方法を見つけない限り、

僕はいつまでもこいつと離れられないということなのだ。


もしかして長い付き合いになるのかな…

愕然として頭を抱えながら溜息をついた。


「そういえばお前、名前はなんだ?」


僕は、顔を上げ鏡の中の僕に聞く。

そいつは突き立てた人差し指で鼻穴を穿りながら答える。


「ないよ、君がつけてくれ」


幽霊とはいえ、名前がないことに驚いた。

本当は付けたくもないのだが、"お前"や"コイツ"では、どうにも不便だ。

仕方がない。


僕は考えながら、繁々と鏡の中の僕を見る。

コイツは鏡の中に存在している、鏡の中の僕だ。


「よし、お前はキョウ(鏡)だ」


キョウは鼻で笑って答える。


「だっせー…」



1年後───


あれから冬休みにも東北を巡り、僕なりに色々調べてみたが、

キョウを除霊する方法の手がかりすら見つからないままだった。

本人に何度も聞いてみたが、一向に教えてくれない。


僕は1つ溜息をついた。


そう言えば1つ気がかりなことがある。

気がかりといってもすぐに忘れては思い出すを繰り返す程度のものだが、

この際キョウに聞いてみよう。


「なぁ僕以外にも、あの手鏡で僕みたいな目に遭う人はいないのだろうか?」


僕は窓に写るキョウを見て質問する。


「大丈夫、あれはもう抜け殻だから」


キョウは面倒そうにアクビをしながら答えた。


抜け殻。

キョウは元々あの手鏡の中にいて、今は僕に憑いているから、

手鏡の中には何もない、だからあれはもう普通の鏡だ… ということなのだろう。



ピピッ


人気のない静かな廊下に電子音が響く。

僕の携帯端末にメールが届いたのだ。


メールを確認する。

差出人は、あの旅館で仲居をしている明日からだった。


「冬休みは来れますか?…だって、ひひひ」


キョウは窓越しに画面を覗き込み、

悪戯っ子のような顔つきでニタニタしている。


実はあの後、キョウの活躍(悪戯)で、彼女のメアドを聞くことが出来たのだ。

以来、僕たちはメル友のような関係にある。

何とかキョウを除霊しようと躍起になってはいるものの、実際は悪い事ばかりではない。

だが、本人にこれを言うと付け上がるから言ったりしないけど。


明日はキョウの声を何度か聞いているにも関わらず、その存在を知らない。

おそらくキョウの声は全て、僕の声だと思っているだろう。

それはキョウの提案で、彼の存在を隠すことにしているからだ。


提案の意図は、僕のためなのか、自分のためだったのかは知らないが、

もし多くの人がキョウの存在を知ってしまったら、

僕たちは平穏に暮らしてはいけないとキョウは語る。


そしておそらく、それは正しいのだろう。



「あーあ、進路どうしようかなぁ」

「君は大学いけよ」


キョウは珍しく真面目な顔で言う。


専門的に民俗学などを学べば、知りたいことのヒントを得られるかも知れないし、

最初は怖がったりするけど、すぐに好奇心が上回り、

根掘り葉掘り聞いては分析する性格は、学者肌なのだそうだ。


「そうか、受験してみようかなぁ…」


何とも歯切れの悪い言い方で僕は返事をする。

そして僕と窓に写るキョウは再び進路指導室へと歩き始めた。


※終わり。

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