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第三話 <左手の名はヴェルムンガルド>

「えっ??」

「どうしたの、大丈夫?」

「ああ、いや、ちょっとまだ混乱しているみたいだ、ごめんなさい」

「んふ、良いのよ。少しゆっくりしましょ」


 甘酸っぱい汗と女の匂いが、彼をギュッと抱きしめる。

 巨乳がボヨンボヨンと、彼を窒息死させそうなぐらい圧迫した。

 正直、くらっと来るのはしかたあるまい。

 昨夜の狂乱が無かったら、その場で押し倒しても不思議ではないが、何しろこの体だ、甘えてるとしか思われず、笑われそうだな。

 さて、現実逃避はこのぐらいにと、知りたくもない現実と向かい合う。


『い、いまの、左手・・・・・・か??』

『はい、さようでございます』


 この返答でまた奇声を上げなかった彼の精神力は、褒めても良いだろう。


『な、何なんだ君は?』

『はい、私めはヴェルムンガルドと申します。貴方様の補助機能具として左手につけられました』

『ほ、補助機能具?!』



 イーラとテントを片付け、魔獣除けの石を回収する。この石一つでも、野宿をたびたびすることになる旅の傭兵には、絶対不可欠の物なのだそうだ。

 誠司も精神的には50直前、そういう話をへーという顔をしながら聞くぐらいの芸はある。


 近くの(と言っても15キロはあるが)町まで歩くことになった。

 ただ、気の強そうな見かけによらず、イーラは優しくて抱き付いたり頬ずりをしたりしてくる。


「分かんなくて悩むこともあるだろうけど、気軽に言いなよ。言うだけでも楽になるよ」


 どうもイーラは、小柄な若い少年に関心があるショタ属性らしい。そんな言葉がここにあるかどうかは知らないが。


『どうやら俺はこの女性のペット確定のようだ』


 撫でるわ触るわ抱き付くわ、完全に子犬を可愛がる愛玩ぶりである。

 ただ、何しろ自分の好みにどストライクの美女で、しかもあれだけ熱烈にベッドで絡むと、どうにもドキドキしてしまうのが困ったもんだと思うが。


 そうしながらも、このしゃべりだした左手(自称ヴェルムンガルド)と会話を続けてみる。


 ちらちらイーラの視線が、嬉しげにセイジを見る。

 わずかに憂いを帯びたような考え込む表情、左手と意識内で会話する様子が、イーラには『美少年が悩んでる』ように見えて、ショタ属性をますます刺激されておいしいらしい。


 誠司も、水辺で映った自分が、若いかわいらしい顔になっていて、まるで神話に出てくる絵に描いたような美少年。どうにも元の50前のおっさんと重ならず、ひどく困惑していた。


『と言う事は左手、あの飛行機事故は偶然じゃなくて、テロみたいなものか?』


 普通なら、自分の正気を疑うところだが、ここに左手が冷静に話しかけてくるという事態に、かえって落ち着いてきた。

 何より、この状況を説明できそうな存在は、この左手ぐらいしかあるまい。

 意識内で話を続けてみる。


『ヴェルムンガルドでございます、極めて平易に説明するならば、そのようにお考えになってよろしいかと。貴方のおられた前の世界の管理者と変換者の齟齬、というのがもう少し適切でございますが。』

『で、左手の前の主人が、管理者としての責任を問われるところを、俺が何とか事故を収めたから、その礼としてこの事態になったと?』

『ヴェルムンガルドでございます。いえ、この場合は管理される側の世界の人間つまり貴方様が、齟齬を調節してしまったことで、そのことが下位次元監視委員会に露わになる可能性が出てきたのでございます。これはエネルギー変動値と空間記憶に残ってしまいますので、消すのが非常に難しゅうございます。これは早く片付けないと、致命的な問題になりかねませんので』

『致命的?』

『こちらの世界、アヴェリンデータと呼ばれておりますが、その管理者が同じような問題を起こしまして、下位次元監視委員会の査問会議に呼ばれまして、およそ五千周期ほどかけてネチネチ、ネチネチ、ネチネチ責められた挙句、自殺してしまったのでございます』

『うおおいっ!』


 いくらなんでも生々しすぎる・・・・・・。セイジは聞かなきゃよかったと思ってしまう。


『というわけで、丁度管理者のいないアヴェリンデータに、死んだセイジ様を再生して、そちらで穏やかに暮らしてもらおうと言う事で、補助として送られましたのが私、ヴェルムンガルドでございます』

『おい左手、俺ほとんど不法投棄のゴミ扱いなんですけど・・・・・・』

『ヴェルムンガルドでございます。しかし、あのままあの世界に蘇れば、メディアの発達した世界では大騒動は間違いありませぬ。しかも管理者と変換者に同時に目をつけられることになりますが、それでよろしいので?』

『・・・・・・ヴェルムンガルド、それってアメリカとロシアに目をつけられるようなものか?』


 いい加減、機械的な相手に抵抗することに疲れたのか、ようやく呼び方を変えてきたセイジであった。


『いえ、セイジ様、そのようなレベル低すぎて比較対象にすらなりえませぬ。貴方様の文明レベルで一番近い言葉で言うのなれば、神と悪魔というところでございましょう』


 思いっきり頭痛を感じて、頭を抱えたくなる。何にいったい巻き込まれたのか、想像もつかない。

 まあ、人間知らない方が幸せと思うべきだろうか。


『じゃあ、俺がここにきて、話が自由に通じるのも、ヴェルムンガルドのおかげと言う事か?』

『はい、私は万能サポート機能を有しておりますので、157万種の言語を自在に通用させることが可能でございます、これは下位次元世界の98%をサポートしております』

『桁が無駄にでかすぎる・・・・・・』

『ただ、私は期間限定の補助機能具でしかございませぬ。あまり長期にはサポートは出来ないのでございます』

『んー、まああまりに便利すぎるものな、大体どのくらいの時間使えるんだ?』


 ネトゲで言うところの初心者サポートみたいなもんか? と、自分の知る範囲で考えてみる。レベル20までは、経験値数倍とか、強化範囲が限られる代わりにかなり高性能の武具とか、そういうサービスがあるものだ。


『何しろ、前のご主人様がエネルギーの90%以上使っておられまして、そろそろ交換時期に来ていましたし、私は再充填が不可能のかなり旧型になりますので、これだけエネルギーが減ると欲しい方もまずおられません。また私が作られたのが、補助機能具リサイクルシステム法が始まる前でしたから、下手に処分すると買い替えるぐらい面倒な処理が必要になります。それに新型がそろそろ欲しいとぼやいておられましたので、これ幸いと渡されたようでございます』

『待てこら、本当にゴミじゃねえのか?!』

『それは補助機能具の宿命でございます。幸い私は、最後まで使っていただけそうなご主人様の元へまいりましたので、出来うる限り指名を全うしたいと希望しております』


 思いっきり、自分の正気を疑いたくなってきた。やっぱりこれは自分の異常な狂気なのだろうか?。


『ぜえ、ぜええ・・・・まあいい、実際どのくらい活動が可能なんだ?』

『この世界は、ご主人様の元の世界とほぼ同じ時間環境と近い自然条件になっております。公転運動の一周期を一年とする時間で換算しますとおよそ3500周期、3500年ほどしか使えませんので、あしからず』

『・・・・・・・・・・3500、年?』


 どうにも理解が追い付かず、きょとんとする他無くなってしまったセイジであった。


『スケールが無駄にでか過ぎる!』






 途中で一息休息を入れた。俺はまだまだ余裕だったのだが、イーラの方が俺を強引に休ませる。

 とはいえ、本当を言えば歩いている方が気が楽だったりする。下手に座ると、考えが混乱沸騰して、


「だあああ・・・・・・」


 草の上でゴロゴロ、頭を抱えて転げまわってしまう。頭が痛いわけじゃない、いや、痛いのか?。

 ここはアヴェリンデータとか呼ばれる異世界で、なんだかんだ面倒な問題の結果、蘇らされて丸投げ同然にこの世界へ押し込まれたと言う事らしいが、納得できるかぁ!。

 状況があまりに突飛すぎて、飲み込むに飲み込めない。座布団のようなでかすぎるステーキが、のどに押し込まれた気分だ。


『ご主人様、少し鎮静作用のアロマを発しておきます』


 またこの左手が、小憎らしいぐらい平然と対応しやがる。

 いやまあ、これは補助機能具とかいう機械というか別物らしいので、感情を求めるのは論外なのかもしれないが、会話ができるから始末が悪い。

 いっそ狂乱してその辺を叩きまくるとか、絶叫するとか発散したいぐらいだが、とたんに理性が戻って冷や水を浴びせる。


「セイジ、大丈夫?」


 イーラが心配そうに軽々と抱き上げて、ひざまくらをしてくれた。


「まだ疲れてるのよ、少し休みなさい」


 ああもう、甘やかせ上手だなあ。本気で甘えるぞ、このアマ。とか思いながら、その優しさに涙が出そうである。どうやら本気で俺は心細いのだ。

 生き返ったというのは幸せなのかもしれないが、この世界では完全に根なし草。

 元の世界でも、両親は早くに亡くなり一人暮らしだったが、それでも姉とその家族がいた。

 ここの世界には何もない。


『それにしても、どうしてこの女性、こんなに親切にしてくれるんだろう?』


 前の世界でこんな甘い体験など、幼児の頃しかありえず、あまりに親切すぎて理解できない。


『それでございますが、私めの前のご主人様とは別に、もうひとかた関係者がございまして、先ほど申しました変換者でございます』


 と左手が意識に話しかける。


『変換者?』

『はい、変換者は私めの前のご主人様に匹敵する力を持っておりますが、多少傾向が違います。

 変換者は、人の心理や好悪に非常に敏感であり、その操縦に長けております。

 イーラどのは、変換者がある条件の下で選抜しました』

『ある条件って?』


 あまりにぶっ飛んだ話で、アホのようにおうむ返ししかできない。


『セイジ様の嗜好、性格、行動パターンなどに適合する妙齢の美女で、なおかつ同一の条件でセイジ様を本能的に受諾する適合者であります。簡単に申せば、99.99%、極めて高率で一目惚れするという条件の適合者です』

『・・・・・・・一目惚れ??、んなもん、ラブコメ以外であったのかよ?!』


 前の人生で、そういう経験などまるで無かったセイジである。

 自分が一目惚れされた、などと言われても理解しろという方が無理だろう。

 左手ヴェルムンガルドが言うには、別な場所にいた彼女を連れてきて、その間の記憶はあいまいにしてあるらしい。


 そんな作為的な一目惚れがあって良いのか??、と数えるのも嫌になったが、頭を抱えたくなった。



 左手ヴェルムンガルドの話と、イーラの話を総合すれば、ここが理熊誠司が元いた地球上ではないことは間違いない。

 それはもう、疑うなら自分の正気を疑う方がはるかに正常だ。


『この女性、多少思惑もあるようですな』


 左手が何か言うが、それが無い人間がもしいたら、どんな聖人だよと言いたくなる。

 思惑ぐらいあってくれていい。




 その一方、イーラは次第に堪らなくなってきていた。


 苦しみ悶えるセイジに、『好き』という感情が次第に強くなってくる。

 それは、彼の頭を膝に乗せた時、マックスに膨れ上がる。


 世慣れていたはずの自分の『思惑』が、次第に薄汚れた汚い物のように感じて、この美しい少年になんてことをと、だんだん罪の意識が耐えられなくなってきていた。



 時間が加速していく。

 自分の中の何かが、どんどん変わってしまう!。


 初めて横たわる彼を見たとき、自分が何かが変わるのが怖くて、

 男なんてみんな同じだと、自分の何かを壊すために、無理やりに肌を重ねたのに!。


 どうして、こんなに、こんなに・・・・・『胸が痛い』。



 ほんの一夜を共にしただけの、彼女の過酷な人生から見ればゆきずり同然の相手が、愛しく、ほほえましく、そして生まれて初めて感じる『胸の痛み』。


 初めて人を殺した時から、自分の中は乾いていた。

 始めてを金に換え、命や金のために体を売ることも平気だった。

 乾いた胸の中に、何の痛みも感じなかったから。


 だけど、痛くて、痛くて、気持ちがたまらない。痛いそれが、とても愛しい。


 自分を殺し、体も売り、殺し合いを続け、乾ききった彼女の心に、その痛みがまるで清冽な清水のように、潤いの清浄を広げていく。

 不毛の地に緑が芽吹き、草花が開き、その香りが満ちていくかのように、ひび割れた彼女の心が癒されていく。


 生まれて初めての感情に、迷い、とまどい、そして狂おしいほどに惹きつけられた。何より自分自身は誤魔化せない。

 膝に、何もかも投げ出すようにすがるセイジ、その温かさが、良い匂いが、涙ぐんだ瞳が、ますます『好き』と言う気持ちを強くし、同時に彼女の罪悪感を強め、耐えられなくなってきていた。


 アア、ナント、イタイノダロウ。

 ああ、なんと、気持ちよいのだろう。


 過去に封じていた白いものが、涙を流しながら、狭い穴倉から飛び出してきた。

 乾ききってひび割れていた黒いものが、その涙で無数の傷を癒されていく。

 二つの物が、今ようやく自分の一つに戻ったのだとイーラは知った。


 嫌われるかも知れないという恐れもあった。

 だけど彼に、そして今ここに新たに生まれた自分に、嘘はつきたくない。


「あのね、セイジ、私もね、何の理由もなく一緒にいるわけじゃないのよ、だから、遠慮なく甘えていいの」


 イーラの方から、そう切り出してきた。


「理由?」


 思惑ぐらい、とは思ったものの、どんな理由があるのか正直想像がつかない。

 何しろ無一文なのは、彼女と一夜を共にして分かっているはずだ。

 見た目子供で、力もない。

 何より、俺に害を成そうとするなら黙っていた方がずっと得するはずだ。


「あなたは姓を持っているわ、しかもそれを当たり前のように名乗ってる、貴方の来た国ではそれが当たり前だったのかしら」

「イーラは姓が無いのか?」

「私はね、解放奴隷」


 奴隷という言葉が、酷く重い


「奴隷身分から、税を納めて自分で自分の地位を買い取ったの、だけど、解放奴隷は姓を名乗れない、名しかないわ」


 彼女の話によれば、解放奴隷は極めて不安定な身分らしい。何か問題があれば、すぐに奴隷に引きずりおろされてしまう。

 そして、肩に神力で焼き付けられた奴隷と解放奴隷の印がある以上、一般人になるには姓を得る必要があるのだそうだ。


 だが、姓は自分では勝手に名乗れない。誰かから正当に貰わなければならない。嘘の姓を名乗れば、印は真っ赤に染まって血を流す。


 しかし、この制度も奴隷の救いにはなかなかならない。

 姓を与えた方は、貰った奴隷や解放奴隷に強力な権限を持つことになる。

 与えた姓は、取り消す事が可能なのだ。

 貰った方は与えた方に一生頭が上がらず、機嫌を損ねたり、要望を聞かなければ、


『我が家の名誉を汚した!』


と、姓を取り上げて罪に落とすことが出来てしまう。

 解放奴隷は極めて不安定な地位だ、罪に落とされたら即座に奴隷落ちとなる。

 下手な人間に姓をもらった挙句、奴隷以下の扱いで生涯の稼ぎを吸い尽くされた例は数多い。


「だからね、いつか貴方に姓を貰えるように、一生懸命仕えようと思うの」


 わずかに声を震わせながら、己の本心を語るイーラ。

 澄んだその目に清らかな涙が浮かぶ。

 その一瞬に一片の嘘も無い事を、セイジは50年の人生経験から察した。

 根っこが善人である彼は、それに感謝し、そして返礼をしようとした。


「これまででも、イーラはとても良くしてくれたよ。だから・・・・・・」

「だめよ、私たちの姓はそれだけ重いの、一生かけて貰うことを夢見るのが姓なの」


 彼が、軽く言おうとした言葉を、イーラは強く閉じさせた。

 セイジが口を開く前から、彼ならそういうだろうと、何の理由もなく確信してしまっていた。

 だがそれをさせてしまったら、自分で自分を許せなくなる。


 名前に、これほどの重みを感じるなど、セイジの国ではあり得なかった。

 セイジは強い感動を感じ、そして同時に、彼女の気持ちも知った。申し訳なさすら感じた。

 だが、否定はできない。何より自分がしたくない。


 『どんな運命か知らないが、流されてもいいじゃないか』


 吹っ切れた。

 こんないい女が惚れたと言ってくれるなど、人生初めてである。


 その時、左手ヴェルムンガルドの無機質な声が、脳裏に響いた。


『ご主人様、お休みの処を申し訳ございません。20時の方向から中型の生命反応の集団が近づいてきます』

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