第十四話 <花は踏みにじられて>
(多少女性にはきつい話が出てきます。その手の話をご不快に思われる方は、ご遠慮くださいませ。)
暗くなりかけた村の外れで、人の声がした。
「おい村長さんよ、どういうことだい。」
「仕方ねえだろうが、客が教会に来てるんだ。薬草の取引では無視できねえドレンの客だ。我慢しろ。」
だが、相手は異常に気が短い。
汚い刃物が素早く抜かれた。
「おい、村長よ、ふざけてんじゃねえぞ。俺らがそんなもん知るかってんだ。」
「う、うわかった、だ、だったら、あの客は女を3人も連れてる。金も持っていそうだ。」
「馬鹿野郎、早くそれを言えよ。」
村長を殴りながら、楽しげに言った。
グリの名前を出されたときから、ハイネの殻はヒビが入り始めていた。
イーラの一言が、それを完全に壊した。
ハイネは、老神父に拾われた捨て子で、実の娘のように育てられ、こちらの村に着任したが、老神父は冬の寒さで肺炎を起こして死んだ。
そこから全てが狂い始めた。
教会の一員として『神の家族』と呼ばれる『係累』への認証制度はある。
だが、これには血筋正しい係累であるか、あるいはそれ相応の『寄付金』あるいは『貢献』が無ければ教会本部が認めない。
そして、『貢献』より『寄付金』の効果の方がはるかに大きいのはいずこも同じだ。
老神父も教会本部への申請はしていたが、小さな村から上がる寄付金などたかが知れていて、ハイネの認証は無視されていた。
そして正式なシスターではないため、ハイネには教会に直接連絡するすべが無かった。連絡は村長に頼むしかない。
だが、不幸にしてハイネは美しかった。
村長は、以前からハイネのシスター姿に欲情していて、教会には連絡せず、一人神父を弔う教会にいる彼女を襲った。
誰一人来ない教会の中で、ハイネの悲鳴が悲しく響いた。
元々が優しく大人しい性格の彼女は、それ以来怯えて、言いなりにされるしかなかった。
しかも、彼女はいまだ姓を持たない。村長はハイネを奴隷扱いした。
小さくても村長はその地域の最高権力者であり、庇護者が亡くなったハイネはそれを覆す方法が無い。
奴隷の印はまだ押されていないが、すでに彼女は村長の奴隷であった。
彼女を教会に置いたままなのも、そのシスター姿を汚す快感がたまらないからであり、面倒な家族との軋轢も無くていい。
絶望した彼女は、神父から習っていた癒しの力まで失い、村人は村長を恐れて近づかなかった。
いや、むしろ汚らわしい物を見るような目を向けるようにすらなった。
グリを見えなくなったのもそのころだった。
さらに、山賊が何らかの都合で村長を取り込み、村長はいくばくかの金を払うことと、何か別の利益を得てその要求に従った。
と言っても、食料や水の供給だったが、そこで若いシスターを見つけたことが悪かった。
金の代わりに、ハイネを貸し出すことで、そのいくばくかの金も払わないで済むようになった。
さらに、何かの関わりまで深く入り込み、急に金回りが良くなったらしい。彼女を汚すたびに、金を置いていった。
ハイネは底なしの絶望に落ち込んでいった。
「何度舌を噛もうか、首をつろうかと思ったことでしょうか。でもそのたびに、花たちの優しい姿が目に映って・・・。」
花々の優しい姿を見ると、死ぬ気が薄らぎ、どうしても自殺できなかった。
奇跡のように妊娠は免れているが、もう自分は穢れ切って救われない。誰も救ってくれないと、自暴自棄になっていた。
「花をみて、何かを思い出さなかったかい?。」
「え・・・・」
「ほら、そこにいるよ。」
彼女の目の前に、何かがいるような気がして、そして緑の目が現れる。
「ぐ、ぐ、グリちゃんっ!!」
「ハイネおねえちゃっ!」
緑の小さな少女が、ぴょんと飛んで、彼女に抱き付いた。
「グリちゃん、グリちゃん・・・・私は・・・」
「大丈夫だよ。」
ぱあっと緑の光が、グリの全身からあふれ出し、それがハイネを包んだ。
「温かい・・・・」
「私は詳しい事はわかんないけどね、癒しと浄化だろう、それ。」
「いや、おそらく癒しと消化だろうなあ。」
「セイジ、消化って?」
セイジが後ろから入ってくる。
「文字通り、食べちゃったんだよ。」
「え、食べた?。」
ハイネがグリとセイジを交互に見る。グリはペロッと唇をなめた。
「生命の精霊に、穢れは存在しませんわ。生・病・老・死、そのすべてが生命ですもの。毒も腐敗も穢れも全ては大いなる命の内。そんな精霊なら、あなたの穢れぐらいペロッと食べてしまいますよ。」
ディリエルは、体が弱かったせいか、王家の文庫はほぼ完読してしまうぐらい読書家だった。知識はすごくある。
「もしかして、私が妊娠しなかったのは・・・」
「うん、グリが食べちゃった。」
「それに、あなたは健康そのものでしょ。ひどい目にあっても病気ひとつ移されなかったのは、そのおかげですよ。」
ハイネは自分が穢れたと思い込み、この幼子のようなきれいな精霊に触れることを極端に恐れて、見ることすらできなくなっていたのだが、グリは彼女を汚しつくした穢れを食べて彼女を守ってくれていた。
「ありがとう、ありがとう・・・・」
「んふふふ、うれしいなあ。」
泣きながら抱きしめるハイネと、うれしげにほほ笑む少女。セイジもほっとした。
「だけど、今日村長が来たってことは、あれか。」
「でしょうね。」
ハイネの前では言いたくないが、今日は彼女を差し出す日だったのだろう。
それを教会に客が泊まられると、神父すらいない教会からシスターがいなくなるなどありえない。不審がられるのは目に見えている。
「それで我慢できるようなら、山賊なんぞやってへんで。」
山賊、と聞いてハイネが青ざめる。問題は、無いようである。それも特大の。
「うーん、グリちゃん。人間の事は人間が片づけるから、じっと見ててくれる?。」
「うん、いーよ。でも、ハイネおねえちゃんに何かあったら、グリ許さないから。」
先日までと違って、グリはハイネのつけた名前を自分のものと認めてしまった。名前を認めた以上、グリはハイネの従僕に等しい。
「だ、大精霊の怒りって、想像つかんのやけど。」
「俺もつかないよ。ろくなことにはなるまいな。」
キアナの恐れももっともで、想像がつくようなレベルではない。
「それだけは勘弁願いたいですわ。古の記録ですと、大体国が滅びてますから。」
ディリエルが顔をひきつらせながら、ダメを押す。神罰クラス、そら勘弁してほしい。
「む、セイジ来たようだぞ。」
かなりの数の、人の足音がする。
「神の家に、こんばんわだぜー!」
罰当たりにも、蹴り開けて入ってきたのは、いかにもそれと知れる、薄汚いぼさぼさ頭の男たち。
それも30人以上いる。
「おー、今日は4人もいんのかよ。大サービスだな。」
「野郎は剥いで吊るしとこうぜ。」
「やだよ、男なんざさわりたくねえ。放り出せよ。」
「ひいっ!」
ハイネが、グリを抱いたまま悲鳴を上げた。
「ハイネちゃーん、もう何十回もハメたでしょ。イーかげん俺たちの雌肉になんなよ。」
「今度こそガキを孕まそうぜえ。」
「そうそう、誰に似ているか、トトカルチョ。」
下品に黄色い歯をむき出して笑う連中に、気分が悪い。
「おっと、動くなよ。近づく気なんざないからな。そこに武器おいて手を上げな。女は全部脱いでからな。」
何人かが巻き上げ式の弓『弩』を構える。ほかの連中も粗末な弓矢を構えた。普通なら、絶体絶命だろう。
普通なら、な。
『やれ』
ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド
左手の圧搾した高圧空気の弾丸が、構えている弩や弓矢めがけて、精密にプラスマイナス1ミクロンの無駄に細かい精度で打ち出された。
狩り用じゃなく、戦闘用の容赦ないやつだ。
弩を持っていた山賊は、大体間違いなく右手を吹っ飛ばされ、弓矢を構えていたやつは、間違いなく目玉から脳髄を吹っ飛ばされている。
教会がやたらスプラッタになったが、誰も使っていないのだから、問題あるまい。
武器を構えておらず、その後ろに偶然いなかった山賊は、無事に動く手足で、悲鳴を上げながら逃げ出そうとした。
ただ、出口は一つなんだよな。
「てめーらに生きる資格はねえ!。」
殺すことにはためらいを感じなかった。
ただ、殺したんだなとふと重さを感じただけだ。
右手を吹っ飛ばされ、血まみれで転げまわっているやつを縛り上げて止血し、『何で村を襲わなかったのか』を聞いてみた。
わざわざ高性能の弩を持っているのは、下っ端じゃあ無いはずだ。
予想通り、連中が吐いたのは、公王の通るコースを調べるためだった。
いくら公王の旅程が秘密でも、その通り道の用意はしておかねばならない。大勢の人馬が通るなら、水や馬のかいばは絶対に必要だからだ。
それをある貴族の命令だと金を渡されて調べさせられ、さらに大金を渡されて、ある誘導をさせられた。それが魔獣の群れの誘導だった。
と言っても、魔獣の前に間抜けな新入りや役立たずを置いて、そちらに逃げさせただけらしいが。
ただ、そのために、新しい山賊要員の補充が必要で、何より役に立つのは酒と女というわけで、ハイネを酷使していたのだった。
「そ、村長も、かなりの金を受けとって、いい思いしてたんだぜ。俺らだけが悪いんじゃねえよ。」
ハイネは村長と山賊、二重に酷使され、ぼろぼろにされたのだ。
「ハイネさん、これからちょっとひどい光景を見ることになりますが、どうします?。最後まで見ますか?。」
ハイネはぼろぼろ涙を流しながらも、こっくりとうなづいた。
グリが、ハイネが怯えたことでかなり腹を立てている。
「グリちゃん、食べていいよ。」
「あーい。」
ばぐっ、とグリが噛みつくと、
「ぎいぃええええええええええええええっ」
あっという間に干からびていき、ミイラとなってカサカサと崩れ落ちた。
生命の大精霊による、生命吸収である。これはもう即死クラスだ、助かりようがない。
悲鳴を上げ、泣き叫ぶ山賊たちに、グリはぱくりぱくりと噛みつき、ミイラにしていった。
「グリは、こんなに強力な精霊です。もうあなたにどんな被害を与える人間もいません。」
甘えるグリを抱きしめ、ただ、ハイネは泣いていた。
「村長に関しては、公国で裁判を正式に行って斬首でしょうね。」
「山賊とつるんで、公王襲撃の片棒担いでたんやから、裁判もいらんのとちゃう?。」
意外にキモが太い女性陣、修羅場に慣れているイーラはもちろんだが、ディリエルもキアナも平然としている。
「ハイネさん、私たちと王都に来ないか?。俺はあなたを守りたい。」
まだ少し混乱しているようだが、セイジの言葉にハイネはひどく驚き、そしてゆっくりと首を縦に振った。
「グリちゃんには、森を作ってあげないとな。王都の近くに、確かはげ山があったよね。」
「うん、森つくるー!」
「これは楽しみですね。」
グリの元気な声に、まだ涙は残っていたが、ハイネは少しだけ笑った。
教会を出るとき、振り返ったハイネは、少しだけ礼をした。
拾い育ててくれた老神父を思い出していたのだろう。
そのそばで、花がぽたりと落ちた。
しおれた花を、ハイネはかわいそうに思って拾った。
手からあふれる淡い光と共に、しおれた花がみるみる蘇ってくる。みずみずしく露さえ含んで、白い花が輝いた。
「あ・・・・・・・!」
彼女の手が震えた。
熱いものが再び目の縁から流れ落ちていく。
ハイネの癒しの力が、戻っていた。