第十三話 <ハイネ>
よく見ると、花に包まれた教会はひどく古ぼけて、あまり手入れもされていない。
ゴミや汚れは低いところには無いが、高いところは蜘蛛の巣もたくさんあり、ツタがひどく這っている。
何より、建物に生気が無いのだ。
人が多く出入りする建物は、にぎやかさや生気がこもる。
教会でも、人気のないと途端にさびれた感じがする。目の前の教会がそうだ。
「ごめんください。」
入ってみると、寒々とした寂しい感じが漂っていた。
神霊の荘厳さや静謐さはすでに無く、人の住まなくなった屋敷のような心細さがある。
「はい、どなた様でしょうか。」
か細い声で、シスター服の女性が出てきた。
珍しいことに、黒髪と黒い目をしていて、まだかなり若い。背丈と年齢はキアナと同じぐらいで色も白かった。
ただ違和感がある。
「薬のドレンさんから紹介できました、セイジと申します。こちらは連れのイーラとディリエルとキアナです。」
「まあまあ、それは遠くからご苦労様です。私はハイネともうします。この辺は草花が多いので、ドレンさんは良くおいでになります。」
おっとりとして優しげな口調、それに大きな目は少したれ目気味で、なおさら優しげに見える。目鼻立ちははっきりしていて、化粧ひとつしていないのに濡れたような赤い唇と、白い肌が際立つような左の目元の泣きぼくろが印象的だ。はっきり言ってディリエルと同レベル、王都でもめったに見ないレベルの美人である。
ただ、修道女の凛とした雰囲気が感じられない。違和感はそれだろう。
修道服の上からも、かなり肉感的な感じがある。
スタイル的にもだが、雰囲気的にもイーラより・・・。
セイジは表情に出さないように気を付けながら、考え込んだ。
「こちらの神父さまは?。ご挨拶をしたいのですが。」
「いえ、あの、神父さまは2年前に亡くなられました。私一人でここにおります。」
だけど、シスターがいれば村人は来るだろう。
だが、この気配の無さは異常だ。
「後任の方は来られないのですか?。」
「村長様に連絡をお願いしているのですが、このような小さな村ではなかなか難しいとか。」
確かにシスター一人いれば、小さな村での出来事は十分だろう。だが、それだけだろうか。
イーラと出会ったから分かるが、彼女は前はどこか諦めを含んだ、ゆるさがあった。
今は、俺にはユルユルだが、反面外へは何倍も強くなっている。
ごくまれに、イーラが聞くのだ。
『なんであたしみたいな、奴隷上がりのあばずれを妻にしたの?。』
切ないような目で聞く彼女。
だが、俺に理由なんぞない。
『イーラが好きだからな。それにそういう女もかなり好みだ。』
イーラは傭兵だったので、仲間を作らねばやっていけなかった。
仲間はずれにされれば、一人死地に追いやられる。
時に女の武器を使って、取り入る事もしなければ、撤退するときに相手の足止めの餌にされかねない。
そういうゆるさが、彼女を生かしてきたと言える。俺は案外そういう女が好きという、変わり者だしな。
このシスターは、イーラより何か諦めている。
身のゆるさが、ひどく自棄的な感じがある。
洗いざらした修道服が、張りが無いのだ。
困った、口が止まらない。興味がわいている。
「それはお寂しいでしょうね、今日はいろいろ調査としなければならない事があるので、こちらに泊めていただけませんか。」
「え、あ・・・・いえ・・・はい。どうぞ・・・・。」
本来ならためらいもなく返事するはずのシスターが、ひどく困惑し、戸惑い、否定しようとして口を閉ざして同意した。
森に入らずとも、この教会の周辺だけで、このあたりのすべての植物が手に入ることが分かった。
実りも多く、食べ物に困らないのが良いところですとハイネは寂しげに笑った。
その足元に、緑色の小さな女の子がいるが、それには気づいていない。
俺たちが見えているのだから、彼女も見えるきっかけになっているはずだが、気づいていない。
おそらく、記憶喪失と同じパターン。
前の世界で小さな店をやっていた中で、人生相談は珍しくなかった。カウンセラーもどきのことも、助けになっていたようだった。
記憶喪失の中には、思い出したくなくて、自分で記憶にカギをして、自分でカギを収納した場所を忘れてしまうという例がある。
試してみるしかあるまい。
「ハイネさん、俺は森の中で、緑色の少女と会いました。」
彼女の表情が、凍り付いた。
「名前をグリちゃんと、あなたが呼んでくれていたと。」
「え?、何ですか?。」
彼女は無邪気な表情で、聞き返した。リセットした。
そう、彼女は聞こえないことにした。
緑の少女は、ハイネの足元で彼女の修道服を引っ張っていた。
教会周辺で、ほぼこのあたりの全ての植物標本が、大量に手に入った。
できれば、製造は王都かその近辺でやるのが理想だが、製紙は材料が大量に必要だ。
採取に時間がかからなかったので、いくつかの材料でキアナに作らせてみたが、どれもそこそこ良い出来だった。
その後、俺とイーラで森に入り、ディリエルとキアナとハイネで夕食の準備をすることにした。
シスターハイネは当然だが、意外なことに、ディリエルもキアナも家事全般得意だった。
ディリエルはスープやお茶がうまく、キアナは焼いたりいためたりが得意だ。火加減は工房の命綱だからな。
後は、教会の周りの実りを集めれば、問題ない。
イーラはもちろん弓で、俺は左手に圧縮空気を弾丸にさせて、鳥やウサギをしとめた。
魔法と言う事にしてあるので、イーラも不思議とは思わなかった。
「セイジ、シスターなんだけど。」
「うん。」
血抜きと皮をはぐ作業をしながら、イーラがぼそりという。
「あれかなり酷い目にあってるよ。」
「だろうな、以前の事を思い出したくないって顔に書いてある。」
「それって、前の酷い事?。」
「いや、前の幸せな時を思い出したら、耐え切れないんだろう。」
「普通は、幸せな記憶に逃げ込むんだけど。」
「自分の穢れが、許せないんだろうな。グリちゃんに会わせる顔が無いと。」
そばで、緑の少女がしょんぼりとしていた。
「たぶん、今でもグリちゃんを見えてると思う。だけど、それを見えないように意識が塗りこめてるんだ。」
「そんな・・・・」
妖精は、悲しげな顔を上げた。
「グリには分からないかもしれんが、俺たちの世界には、『親に合わせる顔が無い』って言葉がある。
一番愛してくれた人、自分の一番大切な人、そんな人にみじめな自分を見せたくない、見てほしくないってことだ。」
ぱあっと、緑の顔が明るくなる。
「グリを、嫌ってるわけじゃないんだ!。」
自分で自分をグリと呼んだ。ああ、もうこの精霊は、ハイネのそばにずっといるだろう。
「問題は、何が彼女を苦しめているのかだ。」
「彼女が気に入った?。」
苦笑いするイーラ。すでに俺の気持ちが動いているのを悟っている。
「好みだな。ああいう不幸そうな女は、ひどくそそられる。もっともフラれたら、慰めてくれるとうれしいな。」
「時々、セイジの年齢が分かんなくなるよ。すごいジジイみたいな表情を浮かべるし。」
「もっと現実的な問題もあるんだよ。もし・・・・」
視線を送る。
『ハイネが不幸な死に方をしたら、グリが荒れるぞ。それもとんでもない天災が起こるだろうな。』
『考えたくないわ、大精霊の怒りなんて、鎮めようがないじゃない。』
こちらの視線に、イーラが怖そうに首を振る。
凄いな、アイコンタクトがここまで通じるなんて、相性ピッタリすぎて怖いわ。
獲物を下げて戻ってくると、丁度村長が来たところだった。
「今夜は粗末でございますが、私の家においでください。」
「ご配慮ありがとうございます、ですが結構です。こちらの教会にお泊めいただきますので。」
「え、いえいえ、ご不自由をかけるわけにはいきません。どうぞご遠慮なく。」
「妻たちは敬虔なクロス教徒ですので、それを喜んでおります。」
村長がひどく焦った顔をしている。
「ハイネ、さん、あなたからもお勧めしなさい。」
俺も、イーラたちも、口調にかすかに匂う『命令』を聞き逃さなかった。
ハイネは戸惑っていた。久しぶりの温かい会話に、安らかな人の気配に、夜の寂しさが寄ってこない雰囲気に。
「こ、この方たちは、クロス教徒の方々です、それをお泊めしないのは我が教義に反しますので。」
必死にそれだけ絞り出すと、うつむいた。
村長は、思わず舌打ちしそうになり、顔を作った。
「そうですか、ではごゆっくり。」
村長とはいえ、教会のただ一人のシスターに『命令』?。
力関係からしても、普通はあり得ない。村長と言えど、教会には3分は譲らねばならない。
でないと教会は・・・いやここはおかしい所か。
「イーラ」
「うん、いいよ。」
このくらいなら、もうイーラとは会話もいらなかった。
食事の後、礼拝堂でイーラはハイネと話した。
「ねえ、ハイネさん。あなた正式のシスターじゃないんでしょ。でないとあの村長の言い分はおかしいもの。」
そこが彼女のツボだったらしい、作ったようなハイネの表情が突然崩れた。
そして、激しく泣き出した。
次はかなりきつい話になりますので、残酷な話が苦手な方はご一考ください。