3
理香が目を覚ますと、見知らぬ部屋に居た。どうやら理恵に眠らされて連れてこられたらしい。
自分と父の住んでいる家全体よりも広い一つの部屋。コンクリートの冷たい壁に大理石の床。インテリアは全てモノトーンで統一され、理香が眠っていた格好ばかりで座り心地(寝心地)最悪な堅いソファーも黒い革張りである。奥に見るからにふかふかで寝心地の良さそうなベッドもあるのに、こちらのソファーに眠らされていた事から母親の愛情の希薄さを感じた。
「――最低」
理香は、率直な感想を吐き捨てた。母親の……あの女のやる事なす事全てが最低だ。大嫌いだ。
『嫌いっていうのは好きっていうことだ』とか言う輩がいるが、理香はそうは思わない。嫌いなものは嫌いなのだ。
たとえ自分が産まれてこれなかったとしても、母の存在が無かったならどれだけ良かったかと思う程。そうしたら父がどれだけ幸せであったかと……。
理香は、父、創大が大好きだ。彼の幸せは自分自身の幸せだとさえ思っている。そんな最愛の父は、最低な母に惚れている。恐らく今も。それは理香にも解かっていた。どんな最低な人間だとしても。自分達を不幸にする存在だと解かっていても。理屈じゃないと解かっていた。だから尚、腹立たしいのだ。だから存在さえしなければよかったと思うのだ。そうしたらもっと父には輝かしい未来があった筈だと……。
そして、理香は自分の事も嫌いだ。日に日に母親に似てくる容姿も。理恵の香りからきている自分の名前も。何より理恵の実の娘であるという事実……吐き気がする。だから、父が自分の事を呼んだり、抱き締めたりするたび、理香は複雑な気持ちになるのだ――。
「うちに来ない?」
母からの誘いは唐突だった。今自分は金持ちと結婚している。でも、なかなか子供が出来ない現状に、結婚前に一度だけ話しをした捨てた娘の事をその男が思いだし、養子にしたいと言いだしたらしい。理恵は、その男をどうしても逃したくないらしく、理香やその周りの事を徹底的に調べ上げ、現在は健康そのものであり、捨てた時の理由は無くなっている事を知った。それならばと理恵本人も乗り気になってきたという事だ。
「もちろん、不自由はさせないわよ。あの人、創大とちがってね」
その言葉に理香は怒りを抑えなかった。
「パパがどれだけ苦労したかも知らないくせに、自分は勝手に逃げたくせに、解かった様な事言わないでよ!」
理恵は、少々驚きながらも、それではと言わんばかりに次の手を打ってきた。
「そう。あなたは創大が大好きなのね。まぁ、父子家庭なうえ、特殊な環境で育っているんだしそれも仕方ないわね。でもね、私だって彼に感謝していない訳じゃないのよ。あなたをこんなに立派に育ててくれたんだもの。お礼はするわよ。彼の一生分の賃金以上のお金を用意するわ。どう?あなたがこっちへ来る事で、大好きなパパは幸せになるのよ。悪い話じゃないでしょ?」
そう言って自慢げな顔をする己が母を見て、理香は心底呆れかえった。
「何もわかってない……」
そう呟くと、理香は自分の荷物を持ち、部屋を出て行こうとした。しかし、その足は直ぐに止まる事となった。
「今、なんて……」
愕然とする娘に理恵はもう一度宣告する。
「だから、あなたと創大は血が繋がっていないの。それでも彼の所へ戻るの?」
理恵の顔は美しくも汚く笑っていた。