蒼き神の再誕 其の九
真夏の日射し、周囲から聞こえる楽しそうな声の数々、少し独特だけど嫌いじゃない潮の香りそして肌を撫でる心地よい潮風。ただ、今の俺はそんな夏の情景をなんとなく楽しめず、ただ眺め、ぼーっとしている。
さっきまで楽しそうにビーチバレーをしていた桜沢達は今、飲み物を買いに行っている。どう補正をかけても、豊かとは言えないスタイルを気にする桜沢を見られただけでも今回の件は価値があるようにも考えられるがやはり、そんな感情もどこか上滑り気味に感じ、どうも落ち着きが悪い。
「本当にすまなかったな」
横で煙草をくわえ、すぐ横に座っている神馬さんが一言、声を掛けてきた。
あの後、俺は気絶していた、船員を叩き起こし、港へと船を向かわせ、とりあえず事なきを得た。港には余程、慌てて来たのだろう、汗まみれで浴衣姿の神馬が今まで見たことのない、安堵の表情を浮かべていたのはある意味その日、一番の衝撃だった。てっきりいつもの余裕の態度で来ると思ったのだが。しかし、よく考えるとそれは今回の件は神馬さんの予想の範囲外の出来事で本当に危なかった事を意味するのだとすれば改めてあの蒼き神とやらが本当にいなかったらと思うと恐ろしく思う。
事の顛末を説明し、その後旅館に戻り、今に至るというわけだが。この件はとりあえずみんなには秘密という事だそうだ。言うなら言うで構わないとも神馬さんは言っていた。今回の件は落ち度はすべて自分にあるから、だそえだが別に言う必要もないため、今のところはまだ今回は『珍しく』何もなかった事になっている。
巫(厳密にはの皮を被った別の何かだが)は港に着いた後、忽然と姿を消し行方はようとして知れない。旅館の部屋には彼女の荷物はそのまま残されており、旅館の人も困っている様子だったがどうなるんだろうな、あの後。
「俺、この部活、やめようと思います」
なぜだろう自分でも驚くくらい自然に口に出せた。あの後、自室でぼんやりと考えていたのだが今回の件でもう潮時だなと感じた。確かに部活の仲間はいい奴ばかりだし、何よりこいつらといると楽しい。あの図書室の片隅で漫然と過ごしていた時にはなかった刺激的な日々は確かに『生』を実感させてくれた。そして多分、俺は桜沢の事が好きなのだろうだから今まで危険な目にあっても退部しなかった。あいつのそばにいたかったから……だと思う、多分。けど今回の件で心の何かが折れたのだろう。恋愛の感情より死の恐怖が勝ったのかもしれない。とにかくこれ以上は無理だ。
「そうか……」
あっさりとそう呟くと溜息と同時に紫煙を辺りにくゆらせる。
「意外ですね。止めないんですか? 」
「止めて欲しいのか? 」
「いや、そういうわけでは……」
「まぁ普通あんな目に遭ったらね……でもそれでも普通なら引き留めるかな。お前は人材としては申し分ないし、何よりお前がいないと誰かさんが寂しがる」
妙な言い回しだ。引き留めるための駆け引きか?
「引き留めないのはね、引き留める意味がないからだ」
どういう意味だ、それだけ俺の意思が固いという事だろうか、それとも……
「それはどういう」
「そこから先は私が説明した方がよさそうですね」
背後からいきなり発せられた知らない声に俺は驚きと同時に声の方向へ振り向いていた
そこには妙な場違いな格好をした人物が二人立っていた。一人はこのクソ暑い炎天下に黒いスーツにかっちりとネクタイまで締めにも関わらず全く暑そうな素振りも見せず笑顔で眼鏡を掛けたサラリーマンっぽい男とこれまた男の方と同じくこの真夏になぜか黒い修道服、しかもご丁寧に深々とフードまで
被っているため表情や顔はこちらからはうかがい知る事は出来ない。体の形から察する女性だろうか。
「着いたか。随分、早かったな。もうちょっと掛かると思っていたが」
「いえいえ、『たまたま』別件で近くに来てましてね。ああ、この子ですか例の」
「誰ですか? この愉快な恰好の方たちは。神馬さんの知り合いとか?」
「まぁそんなところだ。そっちのリーマンもどきの方がうちの部のOBの黒峰 樹、そして隣にいる方はその弟子……でいいのかな、紙原 エルスだ」
「以後お見知り置きを」
作ったような笑顔で黒峰という男は微笑む。印象としては妙に違和感がある。説明しにくいが多分、サラリーマンではないのではとなんとなくそんな気がした。
「で、いきなりあれですけどさっきのあれはどういう……」
「ああ、あれね。君はこの『民俗学研究会』をやめる事が出来ないって意味」
相変わらずの笑顔、そしてまるでおもしろそうな語調に少しイラッとくる。
「どういう意味ですか」
「さて、どこから話してよいのやら、いや、どこまで話していいんだいツッキー?」
「おい、次その名で呼んだら殴るぞ、糞眼鏡」
一瞬で空気が凍る。しかし、神馬さんを『ツッキー』呼ばわりするこの男、神馬さんとどういう関係なんだろう。少し気にはなるがまぁ現時点では自分の今の境遇の方が心配だ。
「まぁいいや。簡単に言うとだ君はうちの部のバックの組織から保護観察指定となったわけだが、組織についてはなんだよと思うかも知れないが今は気にするな。聞いても答える気はないのであしからず。で君に与えられた選択肢は二つだ。一、今から我々に連れられて某所にて数年間の監禁生活を受ける。なーに響き悪いが三食、おやつ付き、冷暖房パソコン完備っつー実に快適な生活が約束される。私としてもそっちの方が手間が掛からなくていいし、後の憂いもないのでぜひこちらを選んで欲しいっていうか本当はこっち一択だったんだけどねぇ」
やれやれといった感じ、わざとらしく額に指を当て首を軽く左右に振る。何を勝手なことをベラベラと。
「ちょっと待ってください」
「ん?なんだ、まだ話の途中なのだが……まーいいか。で何か?」
「組織の話は百歩譲って、とりあえず置いておくとして、その保護観察指定になった原因ってやっぱり今回の件が原因ですか」
「そりゃあ、それしかないだろう。確かに今回の『蒼神』復活の件は君には気の毒だとは思うがね。復活した蒼神の追跡、及び捕獲はもちろん、一瞬とはいえ、神をその身に宿した君も観察対象となるのはむしろ当たり前だろう。なにしろ文献以外ではほとんど例を見ない現象だからね」
一瞬の目眩と共に「今日は厄日だ……」
おそらく今までの人生の中で一番、自然にその言葉を口にした。
「で、話の続きだが」
黒峰は俺のリアクションを全く無視し、話を元に戻す。
「もう一つの選択肢だが、今まで通りの生活を送りながら我々に監視されるだが正直面倒臭いし、出来れば選んで欲しくないなぁ」
本人目の前にして言いたい放題だなこの人。
「すまんな、樋口。色々、説得はしてみたんだが」
そう沈んだ面もちで呟いた黒峰の方を見つめる神馬さんのその横顔は黒峰を睨んでいるように見えた。
「で、普通に考えれば多分、後者を選ぶんだろうけど、どうする?」
「他に選択肢は? 」
「二つって言っただろうが。バカか君は。今、ここで『死ぬ』の選択肢も加えて欲しいか。こっちとしてはそれが最良だ」
いちいち物言いがむかつくな。まぁいいか。そうまで言われれば普通に生活出来て、監視が付くだけの後者に決まっている。お前が面倒臭いとか知るか。っていうかバックの組織ってなんだよ、全く。確かに普通に考えればこんな部活なんらかのバックボーンがなければ成立しないよなぁ部費とか事後処理とか俺、なんかとんでもない事に巻き込まれたような……今さらか。
「じゃあ普通に生活しながら監視でお願いします」
「うん、当然の選択か。じゃあエルス、あとは頼んだぞ。監視の開始はそうだな君のとこの学校は確か、来週の夏期講習が始まるな。そこからにするか。ではその時に。私はこれから蒼神を追う」
「了解しました」
今日初めて発言したそのエルスという女の声はどこか澄んだような美しい声だった。
「では、そろそろ」
そう言うと黒峰と紙原はきびすを返し、国道のある方向へ去っていった。
「おーい、神馬さん、樋口!こっち来てよ おもしろいモノがあるの 」
海の方から桜沢達の声が聞こえる。
「行こうか」
神馬さんは俺の肩に手を置き、珍しく優しく微笑みかける。
「しかし……俺……」
「気持ちは分かる、でもせっかくの夏休みだ、私達のせいで皆が気まずくなっちまうのもあれだろ? それに」
「それに」
「大丈夫だ。あんたらは必ず護るから」
正直、説得力のあまり感じさせない発言だとは思ったが今の心情的にはどこか頼ってしまいそうな、そんな気持ちがあった。
「一応、ですけどその言葉信じますよ。神馬さん」
「一応は余計だよ、馬鹿者。だがありがとな」
そう言いながらも神馬さんはどこか嬉しそうに見えた。
確かにせっかくの夏休みだ。色々、厄介事がこれから待ち受けているだろうが今はしばし忘れよう。そう、心に決めた。
なんとかとりあえず書き終えました。結果的にターニングポイントっぽい話になりましたが当初の予定ではそんなつもりは全くなかったのですが書いているうちにこういう形に話が収束していきました。いつもながら作り方が甘いせいか話が進行中にブレてしまうのは個人的にはおもしろく思えるのですがプロットの甘さがおそらく原因なのでその辺は反省して次の話を作っていこうと思います。
忙しいせいでなかなか新しい話を作れずにいますが少しずつでも続けるつもりなので優しく見守っていただけると幸いです。今後ともよろしくお願いします。