蒼き神の再誕 其の五
なんだかんだで温泉もいいものだな。なんというか疲れが取れるような気がする。湯船につかり、体の細胞のひとつひとつがほどけていくような感覚を覚えながら俺は思わず安堵の息を漏らす。よく考えたら今日は車でこんな所まで来させられ、おまけに潜水夫の真似事までさせられたわけだ、疲れていないわけがない。
温泉の内装は建物の外観とは異なり意外にも普通の旅館レベルの大きい湯船と小さい湯船が存在するわりとスタンダードなタイプ温泉だ。個人的にはもう少し種類があったりするとよりいいのだがそこまでは贅沢が過ぎるか。
「おい、樋口、樋口」
俺の目の前には水上が何故か仁王立ちでその表情には珍しく笑みを浮かべている。しかし、こいつ本当にいい体してるよなぁ。なんとうかさすが戦闘担当を自負するだけはあり、かなり筋肉質体つきをしている。俺もそんなだらしない体をしているわけではないがやはり、こいつと比べると見劣りする。……俺もなんか運動するかな。
「なんだよ」
「なごんでいる所、悪いんだけどいいもの見つけたぜ」
そう言いながら水上は左の方向を親指で指す。その方向に向いてみるも湯気のせいかよく見えない。
「いいから、来いって。ほら」
そう言いながら俺に手招きし、俺も渋々、湯船から上がる。
「これ、これ」
そこには引き戸があった。風呂の入り口とはまた違うようなのでおそらく露天風呂かなんかだろう。まぁいい物と言えば、いい物だ。
「露天風呂か。いいね。行ってみるか」
「馬鹿。それはプロ野球チップスで言えばポテトチップスに過ぎない。本命はこれだよ、これ」
またしても嬉しそうな顔での親指指し。その指先には看板らしきものがあり温泉効能などが説明されているがこれが何かと言いかけた口をつぐみこいつの妙なテンションに少し納得する。そこには『混』『浴』の二文字が書かれていた。なるほどね。
「水上。浮かれているとこ悪いんだけど、確かに俺も一瞬、テンション上がったけど多分、森先輩とか来ないと思うぞ」
「そんなの分からないだろうがうっかり、入ってくる事だって充分あり得る」
「どうでもいいけど。面倒事にだけはならない事を祈るよ」
「そんなこと言いながらも来るんだろ。このスケベ野郎め」
「うるさいよ。はしゃぐな」
俺達はその引き戸を開け、露天風呂へ向かう。どうやら少し、距離のあるタイプらしく一分くらい渡り廊下のような場所が続き、しばらく歩くとまた引き戸があった。どうやらあれが露天風呂の入り口らしい。今は夏だから問題ないが冬だとこれはきついだろうなと思う。引き戸は曇りガラスタイプで中を確認する事が出来ない。
「では、いよいよだな」
「いや、なぜそんな緊張感たっぷりな感じなんだよ」
「けどこの向こう側には生まれたままの姿の桜沢さんが……」
「いないから。あとお前、キャラ崩壊し過ぎ、もう少しいつもみたい冷静になってくれ」
森先輩にしてもこいつにしても妙な所でイメージ崩壊ポイントを持ってやがるな。
そんな事を思いながら俺はおそるおそる、引き戸を開け中へ入る。立ちこめる湯気の向こうにはひとつの人影どうやら先客が一人いるようだ。
「やぁ、こないな所で会うとは奇遇やな」
先程、逗留先を聞いたこの人がここにいるこの状況を偶然とは言わないだろう。そんな突っ込みを胸に俺達の視線の先にいたのは先程、分かれたばかりの巫 静留が静かに湯船につかっていた。
「すんません」
反射的に謝罪の言葉を発すると同時に後づさり、この場から去ろうとする。
「ああっちょっと、待ちぃな。あんたらさっき、学生さんやろ。構へんからこっち来ぃや。お姉さんとお話しようや」
元気のいい声と人懐っこい関西弁に引き留められ、俺と水上は視線を交わし、しようがないというアイコンタクトをお互いに送り湯船へと歩を進める。
少々、邪な期待もしたのだが湯は白く濁っているタイプの温泉であるため巫さんの肝心な部分は全く見えない。どうでもいいと言えばどうでもいいが、残念じゃないかと聞かれればちょっとがっかり、そんな気分だろうか。
「君達、今、がっかりしたやろ。特にそっちの子、顔に出過ぎ。ついでに言っとくと一緒におったあの女子、二人共あんたらの事、警戒して、今日はやめとこう言うてたから、多分来うへんで」
だろうな。と思いながら水上の反応を確認するとまるで誰かの訃報でも聞いたようなショックを受けた表情及びオーラを出しているのが確認出来た。そこまでガッカリする事なのだろうか。
「巫さんもこの旅館に泊まってたんですか」
「まぁね。この辺でまともな旅館ってここしかないからな。ある種、逗留先が一緒になったんは必然と言えるかもね」
「巫さんも『蒼神』に興味が?」
「興味って言うんかな。ただ調べてみる価値はあるかなって程度やけど。調べていくといろいろとね、分かってきてな。まぁその辺は今日の晩飯時にでも……ああ、そうそう、これは一応、忠告ね。滞在中はなるべくなら常に一定の警戒はしといた方がええよ」
妙な事を言うな。今日、俺達の潜水した場所にやはりなんらかのいわくでもあるという事だろうか。
「それはどういう……?」
「別に大した意味はないけどね。廃れてる言うても蒼神信仰はここいら一帯ではまだ根強ぉ残ってる。そやからもしかしたら今日、あんたらがやってたみたいに余所者が勝手に蒼竜神社を調査する事を快く思わない輩がいるかもしれんって話。私もいろんな場所で調査したりしたからね。知らず、知らずにいつの間にか地雷踏んでもうた、なんて勘弁やろ?そういう意味の忠告や」
縁起でもない話だ。無事に帰れると思った矢先にそんな話聞かされるとは。温泉につかっているのに何故か寒気のようなものを感じた。
「自分で言うといてあれやけど、一応、用心はしときって話でそんな深刻に考えんでもええとは思うけどね」
その後は蒼神とは関係ない話に終始し、俺達は露天風呂を後にした。出る際に惜しげもなくその裸体を披露してくれた巫さんではあったがどこか俺達の反応を見て、おもしろがっているという感じだったのが少し男としてのプライドに傷がついたいたのと、先程の忠告が胸の奥で引っかかる感じがして素直に喜べなかった。
隣にはしばらく湯船から出られなくなった馬鹿もいたがこの緊張感のなさは頼もしいようであると同時に俺の不安をさらに増長にさせる、そんな気がした。