樹海は謳う 其の三
「そう不安がるなよ。こう普通に歩いているように見えるがちゃんと周囲の変化や違和感に気を配りながら歩いているんだ。本当にヤバいと思ったらちゃんと撤退するさ。たとえそれがなんの収穫が得られなかった結果になろうともね」
そいつは嬉しい限りだが、それもこの人のヤバいと感じるレベルってどんな程度かを知らないため、不安を拭いきれないのが正直な感想だ。
「水上、どうなんだよ。この人その辺の察知能力ってあるのか?」
「さぁ?あんまり俺も長いつきあいじゃないからな。今までの経験から言うとそれなりにあるが神馬さん自体の性格に問題があって役に立ってなかったのは一回あったかな確か」
「どういう意味だよ」
「結構、ギリギリまで攻める人なんだよ、あの人」
うわぁ。また嫌な情報、聞いちまったよ。誰かこの人を止めてくれ。
そんな事を思いながら視線を神馬さんの背中に戻した瞬間、神馬さんの歩みが突然、止まったと思った次の瞬間だった。
「全員ストップ! すぐに後退……」
全員の体が一斉に硬直、小さな衝撃音のようなものが聞こえる。神馬さんは舌打ちをしながら右手で肩を押さえ、数歩、大きくバックステップで後退し、その場でうずくまる。神馬さんが手で押さえている箇所には馬鹿でかい緑色のアーモンドのようなモノが刺さっているように見えた。
「神馬さん、それは、一体……」
一体、どういう状況なのか。説明して欲しいところだがどうもそういう雰囲気ではない事をすぐに察し口を噤む。
「うっさい。黙れ。さっさっともっと離れろ」
そう吐き捨てると神馬さんは大きく息を吸い、その種子のような物体を自分の体から引き離す。するとその種子と一緒にまるで触手のような根(?)が神馬さんの鮮血で真っ赤に染まり、引きずり出される。右手でその気色の悪い物体を叩きつけると左手ですぐさまその物体に札を貼り付ける。神馬さんの
左肩からは結構な量の出血が確認出来、凄まじい勢いで衣服に赤黒い模様が広がっていく。
「神馬さん」
「大丈夫だ。大丈夫だから。もう少し離れよう、ここは危険だ」
傷口に手をあてがい、なんとか立ち上がる。表情からいつもの余裕が消え少し、汗をかいているのが確認出来る。こんな神馬さん、初めてだ。
神馬さんの言った通りに俺達はその場から少し離れる。俺のリュックから救急箱を取り出すと東先輩と水上で応急手当を始めた。主に東先輩が指示をしそれを水上が実行するといった感じだ。
「どうします。止血はなんとかしましたけど傷の状態はあまり……すぐに医者に診てもらった方がいいと思います。思ったより深くて」
「撤退っすか?」
「はっ!馬鹿言え。ここまで来て、ここまでやられたんだ。相手も見つかったし、キッチリここでカタをつけてやるよ」
「さすが神馬さん。そう来なくちゃ」
笑みを浮かべながらもその表情に凶気を孕んませる神馬さんに本当に嬉しそうな桜沢。よくこういう状況でこんなテンションになれるよなぁ。正体不明の攻撃に対する不安とか恐怖とかないのだろうか。水上と東先輩はもう慣れているのかこんな状況の二人を見てもやれやれと言った感じで各々なにやら
準備みたいな事を始めている。これはこれで順応しすぎだろ。
「帰ろうよ」
俺は聞こえないようなか細い声で呟いた。
「で神馬さん、あれは結局何なの?」
とりあえず、今回の件の原因をどうにかするための作戦会議が急遽、樹海のど真ん中で行われる事になった。神馬さんはさっきから自分の撃たれた方向を双眼鏡で対象物を確認している。
「おそらく木霊の一種だろうが私もああいうタイプは初めてだ。突然変異種かも。おそらくああやって人に種を打ち込んで人からエネルギーを吸収していたんだろう。種は半霊体だった事を考えるとおそらく打ち込む時だけ実体があり、打ち込まれてから物質のみ体内に吸収され、消え、霊体の種のみが残る。仕組みとしては多分そんなところだろうな」
「何か見えますか」
神馬さんは双眼鏡から眼を離し、俺へ近づいてくる。やはり、いつもと違い少し険しい表情に見える。
「ちょっと厄介だな。まぁそれでも私の想定の範囲からは出ていないけどね」
そう言うと神馬さんは俺のリュックを漁り始め、なにやら重そうな物を次々取り出す。地面に置く度に起こる、重量感タップリの音がその重さを物語っている。
「何です?それ?」
「鎖帷子だ。霊的術式も施してあるから霊撃及び斬撃も防げる優れものだ。これで全身を守り、あの木に近づく。そして、この徐霊剤の入ったアンプルを木の周囲に刺し、木を完全に枯らす以上が今回の作戦内容だ。後は周囲を確認し、指示を出す後衛とその指示を実行する前衛を決める。というかほとんど決まっているけどな」
嫌な予感しかしない。どうせいつも通りの俺と水上が前衛コースだろう。
「前衛は水上と切石で後衛は私と東で桜沢はどうする?」
ほらな。嬉しすぎて涙が出るよ、本当に。でなぜ桜沢だけ選択権があるんだよ。どんな差別だよ。
「えっなんで私だけ?あっあれですね?私はフレキシブルな能力の持ち主だから神馬さんも使い所を迷っているんですね。前衛にも後衛にも欲しい逸材。我ながら自分の才能の凄さに……」
「いや、別に今回の作戦で特にあんたに決まった役割がないからどっちでもいいんだ、正直。好きな方に行っていいよ」
桜沢が笑顔のまま固まり、妙な空気が流れる。なんでこっちまで恥ずかしい気持ちにならなきゃいけないんだ。そして同じ境遇のはずなのに俺は前衛固定ってどういう事なんだ。凄く泣きたい気持ちになる。
「じゃあ、前衛で前線の方がおもしろそうだしね」
無理矢理笑みを作り、鎖帷子の置いてある俺のリュックの方へ歩を進める。ちょっと半泣きの桜沢。神馬さんもはっきり言うなぁしかし。適当にどっちかに振ればよかったのに。いや、改めて神馬さんの口に手を当て、笑いを堪えている所を見るとわざとか。余裕なのか?それとも憂さ晴らしか。
とりあえず俺と水上そして桜沢が鎖帷子を装着し始める。
思っていたよりこれは重いな。しかも、動き難そう。大丈夫かよ。
「神馬さん。あの木の周辺にいる人は何っすか」
覚悟の違いだろうか水上は俺よりも速く鎖帷子を着ると双眼鏡で木の方向を観察し、現状を確認する。
「ああ、あれね。開始時に説明しようと思っていたんだけど。『木隷』って言って、まぁあの木の守護者と言ったところかな。まぁ能力は一般的な人間に毛が生えた程度だが」
神馬さんは説明不足に対して悪びれもせず解説を入れる。そしてずっと肩から掛けていたあの重そうなバックから狙撃銃っぽい物を取り出している。
おいおい何出してるんだよ、あの人は。