闇の香りはリンスと共に 其の二
かなり暗くなってきている。いつも通っているはずの部室までの道程が異常に不気味に感じるのは学校という空間のせいか、それともここが旧校舎だからだろうか。
「水上、うちって人、泊められるような客間的なものっあるのか」
「そんなものはない。布団と寝袋はあるからなんとかなるだろう」
相変わらず冷静な事だ。家出少女を匿うとかどんな部活だよ。
ダメ元で神馬さんと桜沢に連絡をとろうとするもやはり出てくれない。明日会ったらこの件関してはマジでなんとかしよう。今後、これが致命傷になる予感がする。
「あの、あまり気を使わないでいいよ。私は私なりに覚悟を持ってあなたたちにお世話になっているわけだし、少しくらいのエッチな事、私は全然我慢するよ?」
一瞬にして気まずい空気が一帯に流れる。何言ってるんですかこの人は。
「まぁなるべくそうならないようにはするつもりだけど。ここでお前に手を出したらなんか、傷になるような気がするからな」
「そういう風にカッコつけながらも下半身に抗えないのが男でしょ?」
「おっさんかお前は。どう思おうが勝手だがな。とりあえず手は出すつもりはないから」
面倒くせぇ。っていうかこいつ、今まで『そういう事』をしていたという事なのだろうか。
部室に到着。中に入ると各々の荷物を置き、水上は当然の如くエプロンを付け始める。
「あり合わせで飯を今から作るがその間シャワーでも浴びてくればいい。お前ドロドロだろ。風呂のセットは確か押し入れにあったと思うからそれ使ってくれ」
なぜそんなものまである。寝袋といい、普段から完全にここで泊まる気満々じゃねーか。
「シャワーとかあんのか」
「一階にな。主に運動部が使うものなんだけど今はあんまり使われてないやつがな」
いかにも怪しいつーか大丈夫かよ、それ。
ただ、確かに女子にその状態で風呂無しでっていうのも酷な話なので水上の言っていたお風呂セットなるものを探す。しかし、どこを探してもそれらしき物は影も形もない。
「おい、水上。風呂セットないぞ」
「ん? おかしいなぁ。いつも開けたところにあるはずなんだけど……ないんだったら、そうだな。悪いけどバスタオルだけでも近所のコンビニに」
「コンビニにバスタオルとか売ってたっけ?」
「さぁ?」
「殺すぞ」
「いいよ、いいよ。なんか悪いし一日くらい我慢するよ」
一日くらいってこいつやっぱり結構長めの滞在期間をご所望なのだろうか。なぜか自然とため息が出た。
「トイレはどこに」
台所にあったあり合わせの材料を使い、水上はとりあえず炒飯とスープを作った。相変わらず顔に似合わず旨いモノを作る男だと改めて感心しつつ食べ終わり一服していた時、彼女はそう呟きながらゆっくり立ち上がった。
「そこを出て直進すればあるよ」
意識はしていないのだが妙に気恥ずかしい感じが脳を過ぎる。まぁそれは向こうも同感らしく少し、恥ずかしそうな表情と共に足早に部屋の外へ出る。水上は台所で洗い物をしている。
「さてと、水上、あの子、どうする気だ?」
「どうするもない。一晩は泊めるが後は神馬さんに相談して、そこからどうするって話だろうな。多分だがここに泊め続ける事を良しとは言わないだろうさ。そうすれば自動的に後の彼女の処遇は大人達に委ねられる。俺達がそこまで深刻に考える事じゃないよ」
洗い物の音を室内に響かせ、水上は冷静に言い放つ。
「そりゃそうか」
冷静に考えれば、学校内でいつまでも家出少女を匿っておけるはずがないか。
「ただ……」
そう静かに呟き、水上は洗い物をしていた手を止める。静寂と共に不安の入り混じった空気が部屋を満たす。
「ただ、なんだよ」
「あの女、どこかで……」
「きゃーーー」
突如、廊下の方から聞こえた、突き刺さるような悲鳴。
次の瞬間には水上は台所から飛び出し、部屋の戸を開ける。考える暇もなくつられる形で水上と共に部屋から出る。
俺らが廊下にに出ると同時に女子トイレから現れた人影。下灘であってくれと願ったがその願いはすぐに却下され、現れたのは人ですらない異形の者だった。
見た感じはパッ見、人だ。季節はずれのロングコートその下にはセーター、長い黒髪はその黒さになぜか吐き気をを覚える。しかし、決定的に俺達とは違う部分がある。
左腕だ。それは当然、人のそれとはかけ離れていて、いや、多分俺の知っているどの生物にもあんな腕はない。二~三倍はあると思われるその異常な太さに加え、地に擦りそうな程の長さ、その三分の一を占める極厚の刃ような爪からは血が滴っている。下灘のか?女(?)はただ静かに笑みを浮かべ、こちらに体を向ける。
「最悪だ。最悪。最悪だ。最悪だ」
俺は冷静さを失いつつ、ただそう呟き続けるしかなかった。