テディベアと終焉のアリア 其の五
意外な事に拍子抜けするぐらい何の物音もしないまま、605号室のドアがあっさり開き、中から神馬さんが顔を出す。
「捕獲成功。さっさっと中に入って」
随分とあっさりだな。てっきりもう少しややこしい事になるんじゃないかと予想していたのだがまぁ何もないのにこしたことはない。とりあえず部屋へ入る。玄関から短い廊下を少し歩きとリビングらしき部屋へと神馬さんに続き、入る。中では今回の件の容疑者 香月 静留と思われる人物がうつ伏せの状態で水上に完全に組み伏されていた。顔は今の位置からは見えないが金髪のショートカットに浴衣というアンバランスな格好からまぁ多分、変わった奴だろうなとなんとなく思った。
「随分とおとなしいな。もっと抵抗するものだと思っていたんだが……」
神馬さんはそう言いながら香月の頭のずぐ隣に腰をおろす。
「おい、叫ぶなよ。少しでも叫んだら、気絶させて拉致って別の場所で無惨な拷問する羽目になる。それはお互い面倒だろう?」
サラッと恐ろしい事言うな、この人。完全に犯罪だし、っつーか既に犯罪か。なぜ、こうなったし。
香月は顔を上げ、ゆっくり頭を上下させる。口にはガムテープが貼ってある。こんな状況にしては妙に表情は落ち着いている。そういうものだろうか。よくわからないが。年齢は二十代前半くらいだろうか。
神馬さんはゆっくりとガムテープをはがす。
「ふう、厄日だな。クソッ。で何? 聞きたい事って。なんとなく見当はつくけど」
当然の悪態か。この状況悪態つけるのも凄いけどな。俺だったら泣きたくなる。
「うん。話が早くて助かる。見て欲しい物があるんだけど、この写真のぬいぐるみ、見覚えある?」
神馬さんはおもむろに香月の目の前に一枚の写真を出す。写真はおそらく例のテディベアのものだろう。
不機嫌な視線を神馬さんの持っている写真に向ける。そして深いため息をひとつつく。
「確かにこれは私の製作した人形だ。全く、だから嫌だと言ったのよ」
香月は何やらグチを言い始めた。その口ぶりからどうやら誰かに依頼されて渋々、作った感じだろうか。
「持ち主が魂を喰われて困っている。対処法は?」
「人形から当人を離せば浸食は止まるわ。喰われちゃった分は申し訳ないけど自然回復待ちって事になる。気休め程度でいいなら回復を促す薬ぐらいなら処方するわ」
「随分と素直ね。もう少し自分の正当性とか芸術論とか語ると思ってたんだけど」
隣にいる桜沢が余計な事を言う。いいじゃん別に。
「作ったとは言っても副業としてよ。普段はしがないOL。そこまでプライド持って人形師やってるわけでもないしね」
「ま、そんなところだろうな。さて対処方も聞いたし、大体、予想通りだったが」
そう言いながら神馬さんは立ち上がる。帰る気だろうか。
「神馬さん、そいつは何者かから若月さんの呪殺を依頼されたわけですよね?そいつについては聞かなくていいんすか」
急にさっきまで黙って香月を取り押さえていた水上が神馬さんに質問をした。俺もそれは考えていたが面倒臭くて言うのをやめていた。根本の原因はそこなのだからそいつを何とかしないとこの件は解決したとは言えないだろう。当然っといえば当然の疑問だ。
「呪殺?ははっお前それはちがうぞ、水上。こいつはあくまで人形師だ。人形しか作らん」
「はぁ」
気のない返事をする水上。
「いまいち分かっていないようだな。そうだな……お前ら御霊入れって知っているか?」
「御霊入れ?」
少なくとも俺の今までの人生では聞いたことない単語だ。
「簡単に言うとそうだな。何かを作る時に魂を込めて作るとか言うだろあれだ。仏像なんかは出荷前に坊さんがそういう御霊を入れるために儀式的な行いをする場合もある。無論、本物の魂など込めないがな」
「なるほど。この女は『本物』の御霊の入った人形を作ろうとしていたってわけね」
桜沢は少し、いつもとは違う真面目っぽい声質だった。表情から嫌悪感から滲み出ている。
「普通は禁術の部類入る術だが。特に今のご時世に普通なら論外だけどその辺はどうなの香月さん」
「どうも何も私もそう思ったけど昔のよしみで断り切れなかったのよ。こっち来てから色々、世話になっいる人で……」
「ちょっといいっすか。無駄かもしれないっけど一応。あんた人の命を」
「あーうるさいなぁ」
水上の言葉を遮り、さらに悪態をつく。どうやら地雷質問だったらしい。
「そういうなんか道徳的な偽善臭いセリフ、虫酸が走るな。一応、答えるけど命がどうたらとかいう説教はなしね。人、一人の命より完成された人形の方が価値は上、それが香月の思想。まぁ私も特に『香月』の名に誇りがあるわけでもないから香月がどうこうとは言わないけど六十億もいるんだから一人ぐらいいいでしょ? って痛い!痛いって」
水上がねじ上げてすでに完全に極まっている手首をさらに捻る。
「神馬さん、こいつ殴っていいっすか」
変わった人達とは思っていたがこの辺の価値観は意外と普通なんだな。とちょっと驚く。
「そう興奮するな。人形師っというか職人タイプの人間ならまぁそういう極端な価値観の人も珍しくないんだ。育った環境そのものが特殊なケースが大体起因している事が多いな」
「それでもなんかムカつくっす」
「我慢だよ。我慢。殴ったところでどうにもならん、お互いな。さて、そろそろ行くとするかな。おい、お前も今のご時世こういう事をすると目立つんだ。ほどほどにしておけよ」
神馬さんはそう言いながら立ち上がる。
随分と軽い注意だ。もう少しなんらかのペナルティがあると思ったのだが変な所で寛容な人だな。
「はっ分かってますって。私もそこまでバカじゃないわ。それに今回の件で確信を持った。このやり方では昔ならいざ知らず、現代では完成させることは不可能に近いってことがね」
「今回の件がむしろ例外って事か。今の子は確かにそこまでひとつの物に執着はしないかもね」
「そゆこと。現に私の製作した十三体の内であれが最後だったけど……正直、少々残念よ」
香月は寂しそうな表情を浮かべる。この世にあの人形生み出した親としての心情といったところか。よく分からんが。
「まぁいいか。水上、じゃあ帰るから落として」
「分かりました」
香月の表情が一瞬、硬直しすると同時に水上の腕が香月の首に巻き付く。所謂『裸絞め』の状態だ。
一体、何を……
そう考える間もなく水上は腕に軽く力を込め、香月の意識を虚空の彼方へ消し去った。
「帰り際に逆襲されちゃたまらないからな。用心だよ。用心」
俺の思考を読んでか、玄関へ向かうすれ違い際に神馬さんは言い訳っぽくそう呟いた。こいつら怖ぇなと思いながらもその行動は正解のような気もするから心境的には微妙だ。