それでは今酔いも酔い夢を 其の七
遊具の外へ出た俺はすぐに視線をオイヤミの方向へ向け、身構える。いきなり襲ってこないだろうかと少し危惧していたのだが女はただそこにたたずんでいるだけだった。
女は様子は吐き気をもよおす臭気、嫌悪感の湧く笑みを浮かべる口元から漏れる咀嚼音。心臓の弱い人なら本当に殺せるんじゃないかと思える血走り生気を感じさせない刺さるような視線と相変わらずだ。
結界から出る前にはわずかな混乱や逡巡もあったがこうしてこの人ならざるモノと対峙した瞬間にそれらのものはすべて消え去り、思考は完全に停止する。頭の中がまっ白になり何も考えられなくなった俺ではあったが攻撃の対象に対してはなぜか落ち着いて見えていた。
俺の肌で外に吹くわずかな風を肌に感じ、女の立ち位置を把握し、右手を固く改めて握り直す。そして俺の行動のベクトルはその女を殴る事一点のみ収束される。
だが格闘経験のない俺がそんな素晴らしい拳撃を放てるわけもなく。拳を適当に振り上げ、そのままその女の右側の顔面目掛けて、力一杯振り回す。女は全く避ける素振すら見せず、そのまま俺の拳は奴の顔面に右頬を抉る。
手に伝わってきた感触は人を殴った時に感じる、それとは全く違い、生クリームの塊を殴ったようななんとも心地悪いものだった。
殴る前に余裕とすら感じられる笑み浮かべていた女も拳が奴の頬にめり込んだ瞬間、驚愕に変わり、次の瞬間には首から上はコナゴナになり霧散した。ワンテンポ遅れて首から下も同じく消えていった。一瞬だけ悲鳴も聞こえたような気もするが気のせいかもしれない。
「ははっ本当に効くとはね」
俺は安堵のあまり両膝をつき、深く息を吐く。
地味に痛くなってきた左腕の傷と滴る血を認識する。
札に血を塗り、それで殴る。頭の悪そうな作戦だがそれしか思いつかなかったんだからしょうがない。先輩曰く、札単体でも効果はあるが霊的素養のある人の汗とか唾を塗ると飛躍的効力が増すそうだ。でどうやら俺はその素養のある人に該当するらしい。だから遊具を結界にする際、舐めさせたそうだ。で血ならもっと効果上がるかなと考え、俺は手持ちのカッターで左手を切り、それを付着させた札をメリケンサックみたいに拳に巻きそれであの女を殴り結果、大成功というわけである。
冷静になって考えればなんの確信もないしちょっと無茶だったかな。
「痛って、どっかで傷洗わないとな」
テンパってたせいかちょっと深く切り過ぎたかもしれない。っとそうじゃなくて先輩に声掛けないともう限界のはずだしな。
安堵のあまり目的を見失いかけていた。
「先輩、もう行っても大丈夫ですよ」
……返事がない。うん? どうしたのだろう。
「先輩! 何かあったんですか。先輩!」
俺は先輩に呼びかけながら遊具に近づこうとする。
「来ないで!」
どういう事だ。まさか奴がなんらかの方法で結界の中へ、と一瞬、頭を過ぎったが夜の静寂を切り裂く静かな水音は全てを物語っていた。
「先輩……」
なんで、俺までなんか恥ずかしい感じになっいるんだろう。
「樋口、もういい。もういいよ」
俺はただ遊具から静かに離れる。
様々な感情が混ざり、処理出来なくなりつつある自分。終わったことは終わったんだろうけど、いろんな意味で。今日の出来事はなんか後に引きそうだなとなんとなく思った。
そして静かに夜空を見上げ、月に向かって俺は呟く。
「なんて日なんだ」
「ふーん。そんな事があったんだ」
桜沢はそう言いながら炒飯を旨そうにほおばる。
翌日の放課後。部長である桜沢には今回の現象についてとりあえず口頭で報告したところ、今の反応というわけだ。以外に反応が薄いのはやはり慣れているからだろうか?
いつものメンバーに今日は珍しく神馬さんも来ていて、桜沢と一緒に炒飯を食べている。
「いや、怪現象はともかく、あの結界用の札にそんな使い道があったとは知らなかった。神馬さんは知ってたの?」
どうやら桜沢は今回の件では現象そのものよりもそちらの方が気になったらしい。
神馬さんは食べる行為を一旦止め頭を掻きながらいかにも面倒臭そうな雰囲気を醸し出す。
「一応、そういう事も出来る。正式術式を用いて製作された退魔用の札だからな」
「なんで今まで教えてくれなかったんですか。そういう事が出来るならば霊に対する戦略も一気に増えるじやないですか」
桜沢はなぜかとてもおもしろそうに眼を輝かせる。まるで新しく玩具を前にした子供のようだ。
「だからだよ。お前には言っても分からないだろうが人に害する霊がイコール『悪』ではない。だから私は霊とはいえ滅してしまうのはどうかと考えてる。出来るならば去るのを待つ、退いていただく。それがうちの基本方針だ。既に何回か言っているとは思うが」
桜沢の顔にやや怒気が含まれる表情に変わる。少しイラついているようだ。何かわけありなのだろうか。それにしても今の神馬さん話は少し興味深いな。
「けどそれのせいで部員に危険が出る場合も!」
神馬さんは手で桜沢を制し、レンゲを静かにテーブルに置く。
「その議論は今までもかなりやっただろう。結論は出ないよ。あんたの答えもわたしの答えもひとつの『答え』だからな。私が言えるのは極力使うな。それだけだ。今までどおり依頼は私がチェックして危険性に応じて私がつきそう。以上」
桜沢はまだ不満気だったが黙り、神馬さんは再び食事を再開する。
昨日なんか色々ありすぎて距離が縮まったのか遠くなったのかよく分からなくなってしまった森先輩は相変わらずノートパソコンに向かってキーボードを叩いている。どうやら昨日の件の報告書をまとめているらしい。
昨日は「全部、忘れて」と言われたので口には出さなかったが今日、あらためて対面するとお互いやっぱり気まずくて、今日はまだ何も話していない。
先輩の方をちらちらと見ていたため何度か目は合うのだがすぐに恥ずかしそうに画面の陰にに隠れてしまう。
うーんなんか以前より関係が悪化したような。まぁ当然と言えば当然か。俺に非がないとは言え、やはり『あれ』は恥ずかしいと思う。しばらくほとぼりが冷めるまで待ちますか。
事件パターンとしては大別して依頼パターンと遭遇パターンがあり、これは後者のパターンです。出来れば半々くらいの割合で構成したいとは考えています。
今回はメインキャラの一人、森 要のキャラクター付けの意味合いも含めた話となっています。まだ始まったばかりですのでどうしてもそういうキャラ紹介的なエピソードが多めになるとは思います。しばらくそういう傾向の話が続くと考えています。また若干、オチが下っぽいのはちょっと僕の趣味も入ってるかもしれませんが言い訳させていただくと最初からこうしたかったわけではなく書いているうちに自然とそういう流れに……やっぱりそういう趣味でしたすいません。もう少し自重した方がいいかも。その辺は反省しないとなぁ。
何か感想や指摘がありましたらぜひ教えてください。よろしくお願いします。