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豹と芳香 其の五

 ああっ最悪だ。俺が今まで生きてきた十六年間で間違いなく第一位の悪夢のような状況だ。俺は今ただ行く当てもなくこの周辺をウロウロしている。昨晩俺がローリングソバットを貰った例の家からほど近い、街灯もまばらな暗い場所である。「なんでこんな事に……」そんな疑問を昨日からずっと自問しているが答えは出てこない。今もそう呟きながら少し泣きそうな気持ちで歩いている。

 気持ちが落ち込んでいるせいか、つい地面ばかりを見て歩いていたが何かの気配を感じ、視線を上げる。その瞬間、『戦』『慄』の二文字が頭をよぎり自分の意思ではなく本能で踵を返すと次の瞬間には全力疾走していた。こういうあいまいな表現をすると言い訳臭くなるが、奴の表情は顔の造形こそ昨日

と同じだったが一段と鋭さの増した目つきは見る者全てを殺すような、それに反し口元は涎を垂らし嫌悪感を抱かせる程の邪悪な笑み、快楽と殺意の混ざった表情と雰囲気は見た瞬間、ヤバいと俺の中の本能が警告する。

 逃げ切るのは無理でも全力疾走すれば一分くらいは三十秒くらいは時間が稼げると思っていた。その間に水上辺りが不意打ちか何かして戦闘不能にするとか考えていたが甘かった。その怪異なるモノのポテンシャルの凄まじさを改めて現在進行形で再認識した。

 振り返り全力疾走の体勢に入った刹那、首の後ろを掴まれた感触と同時に信じられない質量が突然、背中に乗ってきた。やや前傾姿勢だった俺はその勢いのままに倒れ込む。

「逃げられると思ったか? 」

 獣臭い吐息と共に俺の耳元で聞き覚えのある声というか昨晩の下着泥棒と同じ声だ。どうやらこいつは俺が踵を返した瞬間に昨晩にも見せたびっくり脚力による跳躍で奴と俺との間にあった十数メートルの間合いを一瞬で消し去り、器用にも俺の背中に着地したらしい。なんつー身体能力だ。やばいやばい、認識が甘過ぎた。予想以上にこいつやばい。無駄だと思いつつもなんとか逃れようと体をよじるがビクともしない。

「そうだもっと、もっと抵抗しろ。同じ食うにしてもやはり過程は楽しい方がいいからなぁ」

 怪人物はもはや獲物を捕らえた事を確信しているらしく余裕だ。おいちょっと待てこいつなんか今、凄く物騒な事言わなかったか?『食う』?どっちの意味で? どっちにしてもダントツで人生最大の危機だ。必死に暴れながら心の中でやばい連呼し、決心する。もう無理だ。正体を明かそう。作戦どうこうはもうどうでもいいし、信じられない。このまま拉致られでもしたら人生のグランドフィナーレを迎えてしまう。まぁそんな大層な人生は送ってはいないが。やってられるか。正体を明かせば俺は対象外のはずだから見逃してもらえるかもしれない。

 俺はすぐに大声、自分が男性である事を一発で理解してもらうために『ちょっと待ってください』と言おうとしたその瞬間であった。

 さっきまで全く動けそうな気配が微塵もしなかった俺への拘束が緩くなった。少しの驚きと疑問からとっさに視線を男の方へと向ける。

「くそ、狙撃か! まずい」

 男はそう呟きながら男は首の側面から血を流し、右手には夜目にも目立つ赤い蛍光色の羽を施したダーツのようなものが握られていた。醜い顔をさらに歪める。怒りもしくは悔しさが表情から見てとれる。

 どうやら次の一手が間に合ったようだ。けどなんだろうかあれは。詳しく聞かされていない。おそらく、桜沢たちであろう、謎の狙撃。

 ダーツを地面に叩きつけ、何か次の言葉を紡ごうと犬歯の並ぶおぞましい口を開いた次の瞬間には第二弾、第三弾の狙撃が脇腹、太股の順に彼の体を美しい羽が彩っていった。

 全く不思議な感覚だ。さっきまで生命の危機に瀕していたのだがあまりの出来事に現実感が湧かず、呆然としていた。がしかし、目の前に転がっている怪人物は作り物でもなければ、幻想でもない間違いなく現実なのだ。

 第二弾、第三弾のダーツが命中した後、狙撃ポイントである方向へ顔を向けると俺への拘束を解き。フラフラと立ち上がり、その方向へ歩き始めたがどうやらその行動は苦し紛れだったらしく、すぐに片膝をついたかと思うとそのままゆっくりと崩れるように倒れていった。

 ただ呆然と俺はその倒れた怪人物を眺めていた。

「あーあ、俺の役目はなしか。残念なような、ホッとしたような……微妙だな」

 背後から聞こえてきた水上の声がふわふわと揺蕩っていた心を正気に引き戻す。振り向くとどこに隠れていたのだろう、面倒くさそうに頭を掻く水上となぜか妙に嬉しそうな神馬さんがいた。

「二度もあんな化け物に襲撃されて無事とは君は悪運の強さだけはそれなりのようだな。しかし、お前……いや、いくらなんでもそれは……ぷっ」

 失礼な。まぁ今の俺の格好にも問題があるが別にしたくてしているわけではない。

「何も言わないでください。それより一体、何をしたんですか? 一見、ダーツのように見えますが」

「ん? ダーツだよ。刺さった瞬間、麻酔薬が注入される特殊なやつだけどな」

 麻酔ねぇ。三発も撃ち込まれていたけど大丈夫かな。などと少しだけ犯人の安否を気にしつつもダーツが飛んできたと思われる方向に視線を向ける。

 確か、奴は狙撃と言っていたが……。そこには自分が『狙撃』という単語からイメージしたイメージ通りの高層マンションが百メートル先ほどに存在していた。狙撃手はここにいない事から桜沢か東先輩辺りか?

「あそこから狙撃を? 」

「ああ、そうだ。狙撃手の潤、弾着観測者の要の二人が屋上にいる。ん!?」

 携帯になにか着信があったらしくポケットに手を入れ、取り出すと、いきなり喋り始めた。

「おお、バッチリだ。ああっ私もそう思うよ。今替わる、ご指名だよ」

 そう言いながらなんか笑いをこらえ、俺に携帯が手渡す神馬さん。

「はい? 」

 そう言いながら携帯を耳に当てた瞬間、けたたましい笑い声が俺の耳を貫いた。桜沢か。

「なんだよ」

「悪い悪い。どう? 人生初めての女装感想は? 」

 そうなのだ。今日、俺が人生最悪だと呟いていた要因、それはまたもや生餌として泳がされている状況はもちろん最悪だ。それと同じくらいの悪夢、それが今、俺のしている格好である。ジャージの上に着ている十六年間着た事もなくもちろんこれから死ぬまで着ることのなかったであろう……うちの学校の制服、しかも女子の。

「最悪だよ。なんで俺がこんな……しかも臭いし」

「お前は女子に対する気遣いとかそういうのないわけ? 」

「だったら、最初からこんな作戦、立案するなよ」

 昨晩の展開は桜沢の予想通りだったらしく、桜沢のパンツが盗まれたその日のうちに今回行われた作戦の内容が伝えられた。どうやら神馬さん曰く、女性のアソコからは男性よりも濃く魂魄の香りがするらしい。もちろん、霊的な要素のある人の方が『喰う』者にとっては美味だそうだ。で奴はその下着を手がかりに獲物を探していたらしい。

 で今回の囮作戦である。と言ってもあの桜沢が自ら囮になるわけもなく、俺の連夜の生餌化が決定したわけである。もちろん抗議してみたがもちろん却下。そしてこの女装である。うちの学校の女子制服だ、しかも桜沢の。しかもジャージの上からとはいえ下着まで付けさせられてである。男として以前に人としてなにか大切ものが折れて踏みにじられた、そんな気分だ。しかもその服が事前に激しい運動をし、汗をしこたま染みこませ、三日間熟成させたというのだから悲しみは鼻孔を通じてアンモニアの刺激臭とともに三割増だ。涙が出てくるいろんな意味で。

「そんな悪態つきつつも本当は嬉しいんだろ?正直に言ってみ 」

「あんたは俺にどういうキャラを要求しているんだよ」

「男はちょっとくらいスケベな方が可愛げがあると私は考えるんだけなぁ。少しくらい照れろよ」

「もう切ります」

 馬鹿な会話が面倒くさくなってきた。

「ああっ待て待て、今回、こんな危険な目に遭わせてしまって私としてもすまないと思っているよ」

 そんないきなり謝られてもなぁ。

「まぁいいよ。想定外ではあったにしろ危険は承知で入ったわけで、結果的に無事だったしな」

「その、お詫びの印といってはなんだが本当はちょっと恥ずかしいんだけど」

 嫌な予感しかしないので通話ボタンの所に指を置く。

「その今、着用している下着全て恥を忍んでお前に、ブチッ」

 聞くに堪えず強制的に着信を切る。本当は桜沢の狙撃の腕についてとか聞きたかったのだが……まぁいいか。視線で神馬さんを探し、見つける。どうやら例の化物に興味津々のようだ。

「神馬さん」

 声を掛けてみるが気付かない。どんだけご執心なんだよ。

「豹憑きのステージⅢか……珍しいな」

 近づいていくとぶつぶつとそんな事を呟いていた。少し興味があるがとりあえず再度、声を掛ける。

「神馬さん、すいません」

 やっと気付いたらしくこちらに視線だけ寄越す。

「ん? なんだ」

「この服なんすけど洗濯して桜沢に返してやってくれませんか」

 神馬さんはなぜか怪訝そうな表情をする。ん? なんだ?

「ん? いいのかそれで? 寛大な神馬さんだ、一日くらい内緒で貸すぞ?しゃぶしゃぶするなりポン酢でしめるなり好きにしたらいい。今回の件のご褒美だ」

「……」

 ブルータスお前もか。なんだよポン酢でしめるって。

 とりあえず事件はどうやらこれで一件落着のようだ。とにかく今日は疲れた。とっとと帰って寝たい。心の底からそう思った。

 じわりと湧いた汗の香りが混ざり、生まれた新たな臭いは夏の本格的な到来を感じさせる独特の生暖かさは俺をより不快にさせた。こうてこの怪夜の舞台は幕を下ろし、静かに更けていくのであった。





今シリーズ初の本格的な事件編となります。少々、下品な話になってしまったのが少し気になったと言えば気になる所でしょうか。怪人物のイメージは江戸川 乱歩の『人間豹』です。個人的にはもう少し話に深みを持たせたいなと考えているのですがどうでしょうね。この冬休みの間にブログで書きためた分を一気にこちらに投稿しようと考えていますので感想や批評ぜひよろしくお願いします。

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