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豹と芳香 其の四

「ああっ全くだ。今日は俺はたまたまここを散歩をしていたが何も見ていないし誰にも会わなかった。そういうことだろう?」

「理解が早くてよろしい。では俺はこれで」

 そう言いながら、その人物は俺に背中を向け、悠然と歩き出した。

 あからさまな隙。奴は俺を試しているのだ。本当にあきらめたのかどうかをそれを確認するために。つまりそれは自分の強さに対する絶対の自信であり、おそらくそれは事実だろう。ただし、それは奴が知っている情報の範囲での話である。俺の左手に握られているゴルフクラブ。これの存在はおそらく奴は知らない。このゴルフクラブによる奴の攻撃範囲外からの攻撃。奴を捕まえるにはこれしかあるまい。ちょっと前まで図書室の片隅で本を読んでいた俺がこんな決断をする日がこようとは我ながら笑える。

 俺は一気に間合いを詰めると同時にゴルフクラブを両手で握り直しね全力でその怪人物に向かってスイング。狙うは足だ。こちらとしては一撃だって反撃は貰いたくない。ならば足にそれなりのダメージを与えておけば、追う事、逃げる事、どちらを行うにしても有利に働くはずだ。それに足ならば致命傷にはなり得ないと一石二鳥にも三鳥にもなる。

 そんな事を頭に巡らせながら今までの人生で初めて人へと放った一撃。恐怖と躊躇は当たるその瞬間、俺に反射的に目をつぶらせた。当然、俺にはそういう経験がないから当たればどのようなインパクトが手に伝わるかは知らないがこれは多分、違うんだろうなとは思った。なぜなら、その衝撃、そのものがいつまで経っても来ず。次の瞬間に来た衝撃は手には来ず、俺の頭の側面に訪れたのだ。

 ああっ無理だ。衝撃の瞬間、俺はすぐにそう思った。

 奴は俺のゴルフクラブの一閃を人では到底、あり得ない高さへの跳躍により回避し、それだけでも驚きなのにさらにその状態からローリングソバットを繰り出し、俺の頭を薙いだ。俺はその場で崩れるように倒れる。

 ダメージそのものは痛いことは痛いが激痛というわけではない。まぁ視界は揺れるし、吐き気も少々と食らった箇所に鈍い痛みがあるが多分、立ち上がれないって程でもない。しかし、俺はかなりのダメージを負ったふりをし、膝から崩れ落ちる。傷は大したことはないとはいっても目の当たりにした男の身体能力から勝ち目がなさそうだと実感。同様の理由から逃げるのも無理そう。ならば戦闘不能を装い、去っていただくか期待薄だが桜沢達に助けてもらう。こんな状態から追撃されたらそれこそかなり

やばいってことも分かるし、ぶっちゃけ怖い。危険な賭けだとも思ったがまぁ仕方がない。状況が状況である。百パーセント安全な道などないだろう。

 俺は生温いアスファルトと打撲の熱気を感じながら目をつぶり、ひたすら追撃が来ない事を祈り続けた。

 どれくらい経ったのだろうか。こういう特殊な状況のせいかいまいち分からない。感覚的にはとても長い間、こうやって倒れているがもしかしたら実際は一分も経っていないかもしれない。

 そんな事を考えているとどこからともなく足音が近づいてくる。思わず全身に力が入る。

「潤から聞いていたけど……あなたもしかして地べたで寝る特殊な宗教にでも入っているの? それとも純粋に趣味とか」

 目を開けるとそこにはスカートを両手で押さえ、座りこみながら俺を眺める森先輩がいた。心なしかいつもよりも少しだけ心配そうな顔をしているようにも見えるが……彼女の発言から考える気のせいだろう。

 その皮肉を含んだ言葉に俺は安堵し、全身に入っていた力を一気に抜きながら、大きく溜息を吐いた。

「怪我人に対して随分、冷たいですね」

 俺は笑いながらゆっくりと仰向けになり、とりあえず正直な感想を言ってみる。

「神馬さんが言うにはあんな無茶苦茶な体勢で放った蹴りの威力なんか知れてるって」

 他人事だと思ってあの人は……ったく。

「で、潤がこういう風に言って起きなかったら119番に通報してって言ってたから」

 でさっきの発言というわけか。なんか腹立つな。

「もういいっすよ」

「怪我の方は?」

「神馬さんが言うように大した事はないです。まぁ痛いですけどね」

「私個人は大事に至らなくて、ホッとしてるわ。神馬さんはああは言ったけどやっぱり心配だったから……よかった」

 ちっともよくはないのだが……まぁいいか。こうやって心配してくれる人もいるのだ。それだけでも救いがあるというものだ。

 いくらか痛みもマシになってきたのでとりあえず上半身を起こし、その場に座る。すると例の家から神馬さんが出てきた。

「おおっ樋口君だったか。無事でなによりだ」

 新馬さんを正面からちゃん見たのは今が初めてだがやはり美人だと思った。着ている物は長袖のシャツにジーパンとラフな感じで腰まである髪もほとんどそのまま伸ばしてそのまま縛りましたという簡易なものだ。なんというか、見た目の印象としては気軽にお喋り出来そうな感じで何か惹

きつける雰囲気がある。

「全然、無事じゃないですよ。結構、痛かったですし」

「何を言ってる。五体満足で命に別状なけりゃ四捨五入すれば無事にカテゴライズされるだろうが」

 暴論だなぁ。風貌と同様に性格もかなり大雑把っぽいなこの人。

「神馬さん。で結果はどうでしたか? 」

 森先輩はおもむろに立ち上がりながら聞く。

 結果? そう言えばこれ囮捜査だったな。あの化け物が本当に一連の下着泥棒事件の犯人だとすればさっきの奴の発言から目的のモノを手に入れたと考えるのが妥当だろう。今まで盗んだ下着をばらまいた理由も納得はいく。ただ分からない事がある。奴は一体、『どんな』下着を探していたのか? かなりマニアックな変態の中の変態さんだろうか。だがまぁそれは『餌』に何を使ったかを知らない事にはなんとも言えないところだ。

「ああ。潤の予想通りだったよ。しっかりと盗んでいったよ。しかもそれだけね。これでますます確定的となったな」

 神馬さんはなぜか少し嬉しそうに言う。この人も桜沢と同じでこういう厄介事を楽しむタイプか。面倒だなぁ。よく分からないけど。

「奴は何を盗んでいたんですか」

「潤のパンツだ」

 神馬さんは笑顔でそう答えた。


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