豹と芳香 其の三
「今、思った、警察に通報って選択はないのか」
桜沢は少し、目を丸くし、『えっ何言ってるの?』という表情をする。なんでだよ。さも当然の如く大捕物しようとしてるんだ?
「安心しろ新人君。警察への連絡は私がやっておこう。だから君は安心して行ってきたまえ」
運転席から上半身のみを反転させ、神馬さんは笑みを浮かべ言う。いまいち怪しい。
「ほら、そういう事だからさっさと捕まえに行きなさいよ」
「あっやっぱり俺も行くの? その下着ドロ捕まえに」
「『俺も』?何言ってるの。捕まえに行くのはあんた一人よ」
へー俺ひとりか。そりゃ随分と……
「ってえええっーー!? なんで」
「あんたの能力を見るためよ。分かったらさっさっと行く。はい、これ持って」
反論する前にゴルフクラブを渡される。これで犯人と戦えと?
「ちょっと、待ってって」
「まだ、何か文句があるの? サンドウェッジじゃ頼りない?スプーンだとちょっと重いだろうし……神馬さん五番アイアンで」
「違うっつーの。どこの世界に下着ドロとゴルフクラブ片手に格闘する高校生がいる。どんだけカオスな状況だ」
「うるさいなぁ。そういう作戦なんだからしょうがないでしょ。それにうまく説得すれば反省して自首してくれるかもしれないじゃない」
「するか! ゴルフクラブ持った奴と話し合いなんて成立するわけないだろう。殴る気まんまんじゃないか」
「とにかく、もしもやばそうだったらすぐ水上を寄越すからとりあえず騙されて行け」
そこも他人任せかよ。しかも騙されて行けってなんだよ。
結局、言い負け、しぶしぶとサンドウェッジ(という名前のクラブらしい)片手に問題の家へ近づく。
客観的に見たらどう考えても危ない奴だよなぁいろんな意味で。どう考えても打ち放しの帰りには見えないだろうし、せめて近隣住民に見つからない事をただ祈るばかりだ。とりあえず文句を呟きながらその不審人物の侵入した場所から一番近い電柱の陰に身を隠し、待つ事にした。まぁ侵入経路から出てくるとは限らないしというか出てこない方がむしろいいくらいだ。しかし、ここ最近の流れから考えれば……多分。
そんな事を考えていると目の前で着地音が響く。
一瞬、恐怖と混乱が体を強ばらせ、視界もまっ白になりそうになったがなんとか押さえ込む。とにかく、深呼吸をひとつし、冷静を意識。眼前の人影に注視し、決断し声をかける。
「おい、あんたこんな所でなにやっている」
振り向いたその人物の顔を見た瞬間、俺はすぐに声をかけた事に少し後悔した。禍々しいとでも言えばいいのか。顔のパーツ、パーツの異常な彫りの深さ、眼光の鋭さ、人類では絶対にあり得ない犬歯だけが並んだ口。その総合的な邪悪さは生物として本能的に恐怖が全身を支配した。
どうしよう、声はかけたものの、これはマズいぞ。どう考えても説得どうこうの相手じゃなさそうだぞ。人外の者の可能性だってある。
「なんだ、お前は? 」
完全に固まってしまった俺にその怪人物は声をかける。会話は可能だったことに安堵する。ほんの少しだが恐怖による金縛り状態が緩和したような気がした。少し、流れのままに喋ってみる事にする。ゴルフクラブは相手から見えないように電柱の陰に隠す。
「いや、それはこっちのセリフだろう。そんな所から出入りしているところから見てあんた、この家の人じゃないよな? 」
「だったらなんだ? 」
全く悪びれた様子もなく、その人物は不敵に笑う。
「まぁ不法侵入の現行犯ってことで」
「捕まえると?」
「そうなるな」
ただ気になるのは相手の雰囲気や様子はどう見てもチンケな下着ドロとは思えない点だ。これもしかして全然違う奴と対峙しているんじゃないだろうか。そんな最悪の可能性を考えつつも会話は進む。
「止めとけ」
「何?」
「止めとけって言ってるんだよ。本来の俺ならこんな警告もせずに返り討ちにするところだがな、今日はやっと目的が達成出来て気分がいい。見逃してやる。失せろ! 」
思わぬ敵の言動に意表を突かれた。風貌に似合わず、随分とお優しい。表層的に見ればもっと野性的で攻撃的だと考えていたがこれは……
「目的って?まさかお気に入りの下着が見つかったとか? 」
少し、茶化した感じ聞いてみる。否定してくれればさっさっと去れる。俺は下着ドロを捕まえに来たのであって他の犯行犯人に関しては捕まえる義務はないはずだ。まぁそう言い訳すれば桜沢は怒るだろうし、っと言うか下着ドロを捕まえる義務だって本当はない。
「ふっ。やはりな。偶然通りかかったにしては少し、リアクションが妙だとは思っていたが君が住民を困らせている悪しき下着泥棒をこの手で捕まえてやると意気込んでいる正義の味方気取り君だったとは」
そんな格好のいいものではないのだけどね。 えっ……ということは本当にこいつが下着ドロという事になるのか? 最悪っというか下着ドロという規格から完全に外れている。ということは俺は今、下着ドロ界最強の男と対峙しているのかもしれない。ん? それって凄いのか?
そんなしょうもない事を現実逃避気味に考えるが男はさらに言葉を紡ぐ。
「ならなおのこと去れ。安い正義感で死に急ぐなど愚か以外のなにものでもない。下着ドロを捕まえようとして返り討ちに遭った、間抜けもいいところだ。そうだろう? 」
同感だ。しかし、なんだろうなこの気持ちは、実際にどうでもいいことなのだが標的を目の前にして堂々と見逃すのはなんか癪に障るというかなんというか気分が悪い。若さ故かなこの感覚は。全く俺らしくもない。全く困ったものだ。