人の死 悲しくない
著名人の訃報が相次いだ2週間であった。
悲報に触れた翌日、元ボクサーでタレントのガッツ石松さんが、そのまた翌日には俳優の中村玉緒さんが他界したとのニュースが報じられたのだった。
訃報とはいえ、人の死を目のあたりにするとさみしい思いがした。
マスメディアの全盛期の女優やスポーツ選手であったため 連日にわたりニュースはその報道がなされた。
私の父に聞くと「誰もが知る人だった」と話す。
しかし、私は世代が違ったためかその父の悲しみという気持ちがわからなかった。
もっと私よりも若い世代が使うSNSを覗いてみると、ニュースのコメントが流れる。そのコメント大半は悲しみコメントが流れるが 1部は「この人誰?」「なんかしたっけ?」などコメントが流れいた。
功績が分からない今の10代には悲しいという気持ちにならないらしい。
今や、たくさんのマスメディア、配信サービス、が乱雑している時代、一つ1人のスマホがあり、1人1人が違うものをみている、
昔のように茶の間に一つのテレビを囲んで一緒になってみているとは違う。
人が死ぬことは世の常、必ず起こりうることだ。
私の親もいつまでも健在とは限らないからとても苦しい。
逆をいえば他人事のように人の死を俯瞰し見つめることは心がショックから身を守るための正常な防衛反応なのかもしれない。




