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看守の娘  作者: 山田わと
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Echo1:塔の鍵

 左手に触れるのは、冷たくザラリとした石の壁。そして目に映るのは、父親、ジョゼフ・エルヴァンの背中と、彼が手にしたロウソクの炎の揺らめきだった。仄暗い螺旋階段を、もう何段上がっただろうか。荒くなった自分の呼吸が、やけに耳につく。単純に勾配がキツいという訳ではない。恐らく自分は緊張をしているのだ。アリセルは、きゅっと唇を噛みしめる。

「大丈夫か?」

 肩越しに振り返ったジョゼフの顔に頷いてみせる。それから暫く階段を上ると、扉に行き当たった。ジョゼフは腰紐に下げた鍵をまさぐり、扉を開ける。軋む音と共に流れ込んできたのは強烈な臭気だった。反射的に涙が溢れ出し、胃液が喉元にこみ上げる。アリセルは口元を抑えながら思わずジョゼフの袖を握り締めた。ジョゼフはアリセルの頭を撫でてから、部屋の中へと足を踏み入れた。カサカサと音をたてながら、得体の知れない虫が四方八方に散らばっていくのが視界の隅に映る。置いていかれまいと、父の後を追うアリセルだが、ロウソクの光が照らし出した「ソレ」を見て、思わず息を呑んだ。「ソレ」は両腕を鎖で縛り上げられ、頭を深く垂れた人間だった。辛うじて纏った布は汚れきっており、そこから覗く肌には生々しい傷が見てとれる。死んでいるのでは、とアリセルの疑念を見透かしたかのように、ジョゼフは告げる。

「アリセル、紹介しよう。彼こそが前国王の嫡子。ルネ・サントレール様だ」

 すぐ隣にいる筈の父の声が、どこかとても遠い所で聞こえたような気がした。



 17歳の誕生日にアリセルが両親から贈られたものは、小花と葉の刺繍が施された繻子のリボンと「役割」であった。

「お誕生日おめでとう」

 アリセルの髪をリボンで結いながら、母、ミーシャは柔らかく微笑む。17歳にもなって幼子のように髪を結われるのは少し気恥ずかしいが、甘やかされているようで嬉しくもある。アリセルは鏡越しに笑い返した。

「ありがとう、お母様。とても綺麗なリボンね」

「よく似合っているわ。この空色の生地が、あなたに映えると思ったの」

 「はい、出来上がり」と告げられてアリセルは鏡の自分をまじまじと見詰める。リボンを編み込ませながら結われた髪のせいか、もしくは誕生日という特別な日のせいだろうか。鏡の中の自分はいつもより少しだけ大人びて見える。

「アリセル、私にもよく見せてくれ」

 ソファに座ったジョゼフに言われてアリセルは相好を崩した。こちらに向かって広げられた父の両腕に飛び込む。ジョゼフは楽しそうな笑い声をあげて娘を受け止める。

「すっかり大きくなって。お前ももう17歳か、月日が経つのは早いものだ」

「私は遅く感じたわ。やっと17になれたって感じ」

「そうか。だがな、年をとるにつれて時は加速する。特に前国王の政権が崩壊してから、月日が経つのが早く感じられて仕方がない」

 語尾は独りごとのようだった。ふぅん、と呟くと大きな手が優しく頭を包み込む。例え何歳になったとしても、両親にこうやって愛され、甘やかされるのは嬉しい。そう思う自分は、まだまだ子供という事なのだろう。

「あの日から、この国は激動の変化を迎えているものね。今だって決して良いものとは言えない。私たちだっていつどうなる事やら」

 母が頬に手をあてがい溜息をつく。憂いを秘める両親に、しかしアリセルには今一つ「激動」の実感が沸かない。確かに父の出張が多くなり、母はひっきりなしにやって来る客人のもてなしで忙しい。外は飢えや病、貧困が蔓延していると耳にする事はあるものの、特別に不自由は感じてはいない。つまり自分は恵まれているのだと思う。愛情深い両親に温かい家、十分な食事に清潔な寝床、季節ごとに揃えられた衣服。都市部に大きな館を構える貴族のように召使いこそいないが、家は欠けるものなく満たされていた。

「そう、いつどうなるか分からない。だからこそ今を大事に生きなければならない。……そこで、だ。アリセル」

 母の言葉に繋げてジョゼフは言う。父の双眸に、ふと悪戯っぽい煌めきが宿ったのをアリセルは見逃さない。何を言われるのだろうと身構えると、思いがけない言葉が耳を打つ。

「お前にはこれから私の仕事を手伝って貰いたい」

「お父様の仕事を?」

 ジョゼフの仕事とは罪人の看守だった。法を犯した者の監督や警備を担っている。と、話では聞いているものの、実際に父の仕事場に行った事もなければ、そもそも罪人と接したこともない。具体的な所は何も分からないが、尊敬する父の言葉はアリセルにとって絶対に等しい。

「勿論、私で良ければ手伝うけど……」

「ありがとう。実はお前に看守をして貰いたい人がいるんだ」

「その人は、どんな罪を犯した人なの?」

「何もしていない」

「何も?」

「親が罪人だったというだけで、幽閉された可哀想な子どもだよ」

「親の罪を子が背負うなんて変よ」

 どうして出してあげないの? とアリセルは唇を尖らせる。率直な感想に、ジョゼフは痛ましげな笑みを向けた。

「皆がお前のような考えならば、あの御方も救われるだろう。だが世間はそれを許さない。罪人の子もまた罪人。罰を与えて当然だと思っているんだ」

「……そんなの間違っている」

 呟くアリセルに、「私もそう思う」とジョゼフは頷いた。

「だからこそ、お前に彼を任せる。牢獄の中の彼が、せめて快適に過ごせるように尽力をつくして欲しい」

 そう言った事ならばと快諾したアリセルだが、「罪人の子」がどのような扱いを受けているのか、その時は想像だにしていなかった。



「ルネ・サントレール」

 前国王の嫡子。時代が時代ならば今は国王となる人物の名を、アリセルは反芻する。ジョゼフがルネを吊し上げていた鎖を解く。鎖はジャラジャラと重たい音をたてて床に落ちた。

「ルネ様、私はジョゼフ・エルヴァンと申します。こちらは私の娘、アリセル・エルヴァン。以後、お見知り置きを」

 汚物や吐瀉物にまみれた石畳みにジョゼフは跪く。一瞬、躊躇したアリセルだが、すぐに父に倣って片膝をついた。

「初めまして、ルネ様。アリセルです、よろしくお願いいたします」

 スカートから膝に伝わる湿り気に身震いしそうになる所を、ぐっと堪えてアリセルは目の前の青年に声をかける。しかしルネは、両腕をだらりと下げて、深く項垂れたまま反応しない。困惑したままジョゼフを横目で見ると、彼は頷いた。

「今日から私の娘が貴方の世話をいたします」

 聞こえているのか、いないのかすら分からない。ただ呼吸にあわせて微かに揺れる肩だけが、命ある事を物語っていた。

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