09
「……なんだこの匂い」
体を起こしてメインの場所に移動すると「あ、起きた? たかしは寝すぎだよ」と母に言われた。
「母さんか、またなんか珍しいことをしているな」
「私だって作れるんだよ」
いやまあ、それは世話になってきたから知っているが最近は酒を飲んでいるところしか見られていなかったから意外だった。
こちらの冷蔵庫にもいつでも飲めるように酒を買ってきて入れているわけだし、そう間違っている発言でもないはずだ。
「残念だけど今日はまだ未来ちゃんは来ていないよ」
「そんなものだろ、ちょっと歯を磨いてくる」
そうして入った洗面所兼風呂場に未来がいて驚いた。
二人で嵌めてくれるとはやってくれる、ただ、トイレをしている状態ではなくてよかったと心の底からそう思った。
「母さんが作らせてくれなくて残念だった?」
それはまたなんとも……特殊な拘りだ。
作ることはできるができれば誰かに作ってもらえた方がいい、進んで未来に頼んだりはしないがやはり動いてもらえたらありがたい。
「うん、今日も作ろうとしたんだけど……」
「たまには食べる側でいいと思うぞ」
とりあえずここに来た理由を思い出して必要なことを済ませてから未来を連れて戻った。
もう起きた時点でほとんどできていたみたいだったからすぐに食べられたのがよかった。
「食後すぐであれだけど未来ちゃんには紅茶を、たかしにはコーヒーだよ」
「ありがとな」「ありがとうございます」
え、苦い……砂糖を入れてくれているのはわかるがごく少量しか入っていない。
ただ、なんかださい気がして追加で入れたりはしなかった、熱いのが苦手ではないから一気に飲み干して洗い物を始める、終わったらすぐにまたあの場所に戻って口内を洗うしかなかったが。
「じゃ、お母さんは帰るからね」
ご飯を作ったり食べたりしてすぐに帰るなんて本当に母らしくない一件だった。
「渡さんのためにここを契約したみたいだけどたかし君がいなくなって寂しいのかもしれない」
「少しの間、消えるまではずっと一緒にいたからなくもないけど……母さんらしくないな」
「私のお母さんだって帰る時間が遅くなったりすると心配をするからね、毎日家に帰ってこないならもっと心配になるんだよ」
なら酒を多く飲むようになったのもそういうところからきているのか、渡さんだって好きではないらしいのに飲む量が増えていたからきっとそうだ。
「一気に話が変わるけど、まだまだ慣れないからこうして二人きりの方がいいけどね」
「俺は機嫌を直してもらうために時間が必要だと思ったけどそうはならなかった」
「うん?」
急に言葉で刺される可能性もあるからまだまだ油断はできない。
「麻希と同じように家まで運んでもらえて満足したよ?」
「でも、別れる間際に首を絞めてきただろ?」
「え、そんなことはしていないよ……と言いたいところだけど、一瞬、眠りかけてはっとなったタイミングでぎゅっとしちゃったかもしれない」
そういうことかと終わらせていいものなのかわからない、が、しつこく出せば今度こそそれが原因で不機嫌になってしまうかもしれないからなにもないならそれが一番か。
「それに……くっついていることを考えたらね、自分から頼んだわけだし……」
「眠たい状態で歩かれるよりはいい」
用水路があるわけではないからそこまで危なくはないが彼女は二度、目の前でもう少しでぶつかりそうになったことがあるから運べた方が精神的にもよかった。
恋人達がしているような行為というわけではないんだから気にする必要はない、眠たかったら誰かに頼るのはおかしな行為ではないんだ。
「た、たかし君的にはそうかもしれないけど……」
「気にしなくていい、とにかく悪いことをしていなかったみたいでよかったよ」
これまでは不機嫌になられても仕方がないと終わらせてきた、だから直してもらうために行動をすること自体の経験がないから自信がなかったのもあるんだ。
でも、勝手に悪く考えていただけでなにも問題はなかったということだし、俺らしく存在しておけば勝手に時間が前に進めてくれるのはいい。
「あ、一つだけあるよ、それはたかし君から来てくれたことがあの一回だけということ」
「いこうとする前に未来が来てくれるからな気になるなら明日は家で待っていてくれればいい」
ついでに彼女の母がいたら挨拶をするのもありかもしれなかった、麻希も含まれているが大袈裟でもなんでもなく外にいるときは俺といるからだ。
「あとは……こうして二人きりになれても特になにもないことかな」
「ああ、なんでもやりたい放題だぞ」
後から悔やむことになるのかはわからないものの、そうなってもなにも言わないということなら本当に自由やってくれればいい。
「なんでも……やりたい放題」
「ああ、ゆっくりするのも、自分の中にあるなにかを出していくのも未来の自由だ」
本当ならこういうときに動いてやるべきだとはわかっているが無理だからせめて彼女が動きやすいように出していくしかない。
「私、たかし君のことが好きなの」
「はは、それはまた飛ばしたな」
自分から動くことが気にならなかったとしてもやっても抱きしめる程度だと考えていたがこれだ。
「やりたい放題でよかったんでしょ?」
「ああ、今回もすごいよ」
「んーすごいとかそういうことが聞きたいわけじゃないんだよ?」
おっと、これは彼女らしくない笑みを浮かべている。
少なくとも答えない限りは逃げられないことが確定している、仮になんらかのことがあって解散にはできても携帯があるから逃げられない、まあ、逃げる必要もないが。
「ありがとな、母さんにも渡さんにも感謝しなければならない件だ」
「うん」
「……という感じでいいか?」
「うん、たかし君から真っすぐに好きだと言ってもらえるとは期待していなかったから」
い、いいのかそれは……。
「でも、いつか真っすぐに言ってもらえるように頑張るから、諦めてはいないからね」
「ああ」
これからもわかりやすく動いてくれたら調子に乗った自分が出てくるのはすぐのことだと思う。
だからそこまで頑張る必要はなかった。
「残念、君は本当に残念な男の子だよ」
「ちょっと麻希……」
「未来は甘い、お友達の彼氏君がこんなに情けない男の子だったら言いたくなるよ」
中に入ってもらってからすぐに未来が「連れていくつもりはなかったんだけど付いてきちゃったんだ」と教えてくれた。
「麻希が聞いたのか?」
「当たり前でしょ、そうやって動かないと未来は自分から言ってくれないよ」
「い、いや、そんなことはないけどね、前とは違うんだから」
「嘘つき、今日だっていつものように聞いたときにたまたまびくっとなったからわかっただけじゃん」
「お昼休みに言おうと思ったんだよ? でも、麻希が朝からいきなり触れてくるから驚いたんだよ」
母と未来がよく来る場所ということで菓子なんかもある、だから食べさせておくことで未来に対してはごちゃごちゃ言わせないようにした。
「とにかくね、ちゃんと向き合ってあげて」
「わかっている」
あれからは逃げるために走りにいったりはしていないから一応少しは成長できていると思う。
「まあ……言いたいのはそれだけだから」と残して前みたいに帰るのかと思いきや床に寝転がっただけだった、未来の家でやるなら別におかしくはないが、いや、ここでもおかしくはないがよくやるよと言いたくなる。
「って、思い切り寛いでいるね」
「今日は帰らないよ、帰っても一人だから」
「別にいいけど、麻希らしくないね」
「大丈夫、心配しなくても二人でいられるようになるよ」
そうだな、渡さんが帰ってくるのはそれなりに遅い時間だし、母だって確定で来るわけではない、だから未来が残ることを選んだ瞬間に二人きりになる。
とはいえ、やはり両親が気にしている以上は十九時とかまでには家に帰らせるのがいいはずだった。
まだなにかを言われたわけではないが彼女のことを好きでいる父的には更に気になるだろうから。
「誰か来た、私が出てきてあげるよ」
誰が出ても変わらないから任せると酒の缶を持った母だった。
大人で酒好きなら飲んでいてもおかしくはないとわかっていても頻度が高すぎて心配になる、前まではここまで飲んでいなかったというのも大きい。
「だ、誰……?」
「んー? 未来ちゃん、この子はこの前言っていた友達?」
「はい」
「じゃあ麻希ちゃんだね、私はこのぼうっとしていそうな子のお母さん」
「そ、そうだったんですか、あ、用事を思い出したのでこれで帰りますっ」
まあ、友達的存在の母がいたら気になるからおかしくはないか、未来が渡さんとかで慣れているだけで基本的にはこんなもんだ。
「邪魔をしちゃったかな、私の代わりに謝っておいてほしいかな」
「大丈夫ですよ、実は私よりも気にしちゃうというだけです」
「未来ちゃんは強いね、やっぱり渡ちゃんで慣れているからかな?」
「そうですね、あ、流石に私でも関わってくれている人以外の大人の人とは上手くやれませんからね?」
「嘘だな」「嘘だね」
言われた瞬間に否定したくなることだった。
その内側がどうであれ、未来ならきっと誰が相手でも上手くやれる、容易に想像できる。
流石に悪い人間が相手のときはしっかり拒絶をしてもらいたいがそういうところでもなんとかできそうなそうではないようなという感じだった、だっていい人間とはお世辞でも言えないような俺のことを好きになってしまっているわけだからな……。
ダメ人間に引っ張られてしまう存在は結構いるらしい、中学のときにもやばい男子に女子が負けていたからたまにそういういいのか悪いのかわからない存在が出てくるようになっているみたいだ。
「ほ、本当ですよ。体育の先生がどうにも得意になれなくて体育がなくなればいいのにと考えたことが多々あります」
「男の先生でしょ? 別にそれなら仕方がないんじゃないかな」
俺はあんまり先生が苦手とかそういうこともなかったな。
なんならこちらのことを気にしてくれる傳田先生みたいな人が必ず現れる、ほとんどの時間を一人でいるからかもしれないが余計なお世話などと考えたことはなかった。
「あ、女の先生なんですよね……」
「え、意外」
「他の子とまるで変わりませんからね、私なんて味は問題ないレベルでご飯を作れるぐらいです」
「いやいや、それも立派なことだよ、なんなら私が毎日作ってもらいたいぐらいだもん」
こちらは渡さんと違って正直すぎる。
それでもいい点はあって、それは酒を飲んでいるときでもそうでもないときでもこのスタンスなのは変わらないということだ。
「食材があるなら作りますよ? たかし君とのことでこれからもお世話になりますし」
「やったっ、とはならないけどね、だけどたかしに作るついででいいから今度また食べさせてね」
「はい、あ、今日――」
「そういえば友達から呼ばれていたんだった、今度お願いね」
うんまあ、いまのは下手くそだがこういういいところもあるんだ。
「麻希はともかく、たかし君のお母さんにはわかりやすく空気を読まれちゃったね」
「まあ、未来的にもその方がいいだろ?」
「ふふ、それって私が積極的になってくれるからでしょ?」
おっと、今回もからかうような笑みだ。
「え、いや、ごちゃごちゃ言われたくないだろ?」
一回一回ちゃんと受け答えをするのは大変だろうから言っているだけだった。
それになんでもかんでも任せるわけにはいかない、動いてもらう前提でいたらきっとそうしない内に消えてしまう。
俺からしたら不思議なことが起きて彼女が気に入ってくれただけだとしてもできることなら関係を長期化したいからだ。
「なーんだ、私に動いてもらいたいからじゃないんだ、期待しているわけじゃないんだね」
「未来にばかりやらせないよ」
というわけで二回目はないか、あっても当分先のことになる行為をしておいた。
わかりやすく身長差もあるというわけではないから窮屈な体勢になったりはしない、ただ、触れているのに触れられたくない時間だった。
彼女が大人でなにかを言ったりはしてこないからこそできることだ、これもいいのかどうかはわからないが彼女は俺のことをちゃんとわかっているということになる。
「未来? あ、腹が鳴ったな」
昼休みにちゃんと自作の弁当を食べたのにこれは恥ずかしい。
もう少し米の量を増やすか、彼女の前で鳴ってしまうと作ってほしいとアピールをしているように見えてしまうから駄目だ。
俺だって彼女のご飯は食べたいが甘えてしまうわけにはいかないんだ――とは考えつつも、こうして一緒にいられている時点であれというやつだった。
「ご、ご飯を作らないとっ」
「そうだな、渡さんもそこまで遅くならないからな」
「う、うん」
できることは手伝って戻ってきた。
こちらでは何故か弱った感じで座るだけの未来、だが、気持ちはわかる気がする、一食分、一人分を作るのも中々に体力を使うからだ。
だから気を使わせてしまわないように休みたいだけ休んでもらうことにした。
違うところばかりを見ていたから見られて圧を感じるなんてこともなかった。