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泡沫  作者: 白モン
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一話 僕は海が嫌いだ。

カタンカタン。あの頃よりも整備の行き届いた電車に乗り、窓の外を見つめる。広大な海にきらきらと反射する太陽の光はまるで宝石のように輝いていた。僕はその光景に柔らかな眼差しを送る。乗っている電車や町の風景はあのころよりもずっと新しい。しかし、今僕の目に飛び込んでくるのもの。あの時と一つも変わらない。変わったとすれば、僕か。

あの娘との出会い。それが僕を動かした。


およそ6年前の同じ季節。電車はガタン。ゴトンとお世辞ながらも整備が行き届いたとは言えない。窓の外を頬杖をついて、たるんだ目で覗く。はぁと溜息がこぼれる。窓に映った僕の顔は無気力。


ー目つき悪いなぁ。ー

 

なんて思いながら、色白の手でずしっと重たい鞄から手作りの英単語カードを取り出した。僕はそれを2、3回パラパラとめくると力のないため息をつき、鞄にしまった。


ーこれ・・・作るだけ作ったけど。もういいか。ー


僕は東京の進学校に進学したが、思ったよりも成績がよくなかった。夏休みこそ気合を入れて勉強しようとしていた。それに向けて英単語カードも作ったり、何冊も参考書を購入した。でもやる気があったのは最初だけ。ダラダラ過ごす僕を見かねた母が僕を祖父の所へ向かわせたのだ。


寂れた小さな駅に着き、祖父の小さなミニバンの助手席に乗り込んだ。


「碧。車に乗る前にすることがあるだろう。」


僕は苦虫を嚙み潰したような表情で、祖父と一緒に車から降りた。そして二人で海に向かって手を合わせお辞儀をした。


僕の祖父は白帆祠神社の神主だ。小さいころ聞いた話では天宮家は代々この神社を継いでいたが、父はその慣習を破り、東京で就職した。うちの神社には海の神様が祀られているらしい。そんなオカルト。にわかには信じられないけど。形だけお辞儀をしているのを横目にいつまでたっても表を上げない祖父に小さな苛立ちを感じた。


車での道中。祖父との会話は、学校は楽しいか、友達はできたか、そんなどうでもいい祖父の質問にただ僕が答えるだけ。


ーなんか久しぶりに会うから気まずいんだよな。ー


僕は無意識に右手の甲にある古傷をさすっていた。


「痛むか?」


祖父は運転しながらただつぶやいた。


「いや。もう全然大丈夫。」


「お前には申し訳ないことをした。」


 祖父の威厳のある声がどこか落ち込んでいるように感じた。


 思い返せばこの傷は小さいころ祖父と海に出かけたときについた傷、そして祖父と父の関係が悪化した家族の傷だ。その時は珍しく父もここ来ていた。そこで事件は起こった。僕は一人で沖まで行き、溺れてしまった。気づいたら病院のベットの上で、右手に包帯がぐるぐる巻きにされていた。その時父が祖父に怒鳴り声を浴びせていたことは覚えている。あとは、溺れているときに何かに引っ張られるような不思議な感覚。そこはぼんやりとした記憶だ。


神社に到着すると、懐かしい記憶がよみがえってくる。木々に囲まれた大きな神社。耳をふさぐほどの蝉の鳴く声。神社から線のように伸びた先にある広大な海。しかし、ここではしゃぐのは子供っぽいのですぐに荷物を持って離れに向かった。


二階に上がり部屋を開けるといぐさと潮の香りが鼻をくすぐる。僕は肩の荷物をドサッと畳の上に置いた。目の前には海が一望できるオーシャンビュー。とは聞こえがいいだけ。ここから見える海にはほとんど人がいない。ビーチではないからだ。できることとすればせいぜい貝拾いぐらいだろう。

僕は部屋の空調を20度まで下げ、荷物の中から参考書を取り出すが、じっと眺めた後ゴロンと横になった。


肌に張り付いていたTシャツは冷えすぎて寒いくらいだが、僕にはそれぐらいがちょうどいい。

しかし、ピッと無機質な音が鳴る。


「こら。若い者がだらしない。こっちへ来なさい。」


若い者が・・・とか僕は嫌いな言葉だ。それならこっちは年寄りが!と言ってやりたい。腕で反動をつけ起き上がると、唇を尖らせ一階に降りた。すると祖父が長靴とゴミ袋を僕の目の前に差し出す。


「これなに?」


それらと祖父の顔に交互に視線を送る。祖父はそれらをグイっと僕に押し付けた。


「儂はこれから話し合いをせねばならん。これで海を掃除してきなさい。」


 真夏の昼下がり。空調がなければ汗がしたたり落ちるほど暑いのに僕の背中に冷たい汗。表情が崩れる。

 

 僕は海が嫌いだ。


 もちろん昔溺れたトラウマもあるが、家族を引き裂いた海もこの神社もあまり好きじゃない。


「いやだよ。だって俺・・・」


 言葉がのどの奥でとまる。昔溺れたから海に入れないなんてダサいし、そんなことは言いたくない。


「波が来るところはやらなくていい。その手前のところだけやってきなさい。」


 祖父に聞こえないようにぶつくさ文句を言いながら外に出ると、東京でも見たことのある高級車が敷地内に無作法に入ってきた。


ーおぉ。高そうな車。ー


 なんて呑気なことを考えながら僕は日照りが降り注ぐ空のもと、海へ続く一本道を進んでいった。


 

 

 「やばい・・・。暑い・・・。ていうか。ゴミ多すぎだろ・・・。」


 神社からはよく見えなかったが、岩と岩の間には空き缶やら浮きのゴミやら何かわからないビニールやらが散乱していた。

 ここは時間になると大きく潮が引き、より人が歩きやすくなる。昔は綺麗な夕日が見られると有名な観光スポットだった。

 それが今となっては昔の面影もない。ただ汚い海岸と同じだ。掃除なんてものは嫌いだが、ここが汚れているのはなぜか気に入らなかった。


 強い日差しがインドア派の僕にはつらい。白い肌が徐々に赤みを帯びてくる。

 しばらく掃除をしていると、岩礁の端に雑誌が落ちている。遠めでもどんな本かわかる。思春期の僕はどうにかその本を手に取りたかった。


 しかし本からすぐ奥には海がある。その恐怖心からすり足で徐々に目的地へと近づく。これでもか!と必死に手を伸ばした。周りから見たら変な人だが、しょうがない。海への恐怖と思春期のスケベ心が拮抗しているのだ。


 指先で本を挟み、必死に引っ張り上げた。


 「取れた!」


 僕は予想以上に大きな声を上げたが、この達成感は何物にも変えられない。その瞬間、


「何がとれたの?」


 背後から透き通る女の子の声が聞こえる。僕は驚きで振り向き、後ずさりしてしまった。その瞬間、背中から海に落下した。


 ーやばい!やばい!やばい!-


 パニックだ。最初は水の中で手足をばたつかせるが、途中から無意識に体がもがくのを諦めた。泳げないわけじゃない。でもなぜか体が重たい。光に近づけない。


体が沈みかけた時、目の前に何かが見えた。動けない手を必死に伸ばし、それを掴んだ。体がスーッと光に近づいていく。


「ぶはっ!ごほっ!ごほっ!」


海水を飲んでしまったのか、喉の奥まで塩を感じる。涙でよく見えなかったが、何かが僕の手を引っ張っている。岩礁に近づくや否や僕は必死に陸へ上がった。四つん這いになり、激しく呼吸を繰り返す。必死に体に酸素を送った。


「ごめん!ごめん!そんなに驚くとは思ってなくて。」


 僕は苛立ちを覚えた。海に対してもだが、この反省する気のない声質。近くにしゃがみ込むような気配を感じたので顔をそこに向けた。

 

「ねぇ。君は・・・海が好き?」


思いもよらない問いかけに僕は固まった。そして、彼女のガラスみたいな透き通る瞳をただ息を切らしながら見つめていた。




 



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