第8話 好きな男の前でかわいこぶることの意義と問題点
早く会いたい。
リアは寮の階段を駆け下りる。
早く会いたい。
さっきから体全部が心臓になったみたいに、ドキドキ、ドキドキして苦しいくらいだ。
早く会いたい。
知らないうちに、足が勝手に走りだしてしまう。
あと少しで、ルロイに会える。
◇
「おはよう、久しぶりだな」
門を出て、山を少し下ったところにルロイがいた。
ルロイを見た途端、懐かしさと嬉しさと切なさが混ざったような、謎の幸せ成分みたいなものが全身に巡って、おかしいくらいドキドキする。
どうしよう、ときめきすぎてまともにルロイの顔が見れない。
「ごめん、ちょっと待って」
リアはその場で大きく深呼吸した。
「お待たせ、じゃあ行こうか」
落ち着いてリアが言うと、ルロイは面白そうに笑っていた。
◇
「なるべく安全な道を選ぶけど、もし盗賊とかモンスターに出くわしたらすぐに逃げるぞ」
山を下りながらルロイが言う。
よく見るとルロイは剣を差している。
「あと、俺たちが魔法使いってことは基本的には隠す、どこで聞かれてるかわからないからな」
「手のうちはバラしちゃダメってことね、わかった」
以前メイリも似たようなことを言ってたな。
服装も本当はめいっぱいオシャレしたかったけど、動きやすさを重視していつも通りのシンプルなシャツとスカート、髪型もポニーテールにまとめた。
ドライツェンの広場で、花売りの女の子がひまわりを売っていた。
ルロイは1輪買うとリアに手渡した。
「ほら、やるよ」
ひまわりを受けとって、リアは固まった。
ルロイが……花を?
普段は「リア、火」とかしか言わなくて、気の利いたことなんて絶対にしなそうなルロイが?
「本当にルロイなの?」
リアがいぶかしげにルロイを見ると、ルロイは照れくさそうに笑いながら言った。
「お前、いらないんなら返せよ」
「嫌だ、絶対返さない」
そう言ってリアも笑う。
可愛らしいひまわりは、リアの手の中で宝物のように光っていた。
◇
ポニーテールの結び目にひまわりを飾ると、一気に夏らしくなった。
「嬉しい、ありがとう」
リアが笑顔で言うと、ルロイも嬉しそうに頷いた。
「海、楽しみだな」
「うん!」
絵の具を溶かしたような真っ青な空に太陽が輝いていた。
郊外へ向かう馬車は、本数が少ないからかそれなりに混みあっていた。
「今日は一日移動だし、寝てていいぞ。着いたら起こしてやるから」
ルロイはそう言ったけど、リアはずっと起きていたかった。
景色はひたすら森、森、森、で変化がなかったけど、隣にルロイがいると思うと何でも特別なものに見えた。
◇
「やっと半分か」
馬換えの休憩所でルロイがジュースを買ってくれた。
オレンジをさらっとしぼったような軽い味わいのジュースは、よく冷えてて美味しかった。
魔法を使うなと言われてるので煙草は吸わないのかと思ってたけど、ルロイは火種を持ってきていた。
遠出してもやってることは同じだな。
リアは煙草を吸うルロイの横顔を見ていた。
「旅人の皆さん。癒しの魔法はいかがですか?」
ひょっこりと、休憩所に可愛らしい女の子が入ってきた。
「長旅でお疲れではありませんか? お怪我も疲れも魔法で治療いたします」
リアと同じくらいか、もっと幼いかもしれない少女は、神話に出てくる女神のような金糸で縁取られた白いローブを着て、頭にはベールをかぶっている。
「癒しの魔法はいかがですか?」
彼女はにこやかにルロイに話しかける。
「いや、大丈夫だよ」
ルロイが軽くあしらうと、彼女は他の客の方へ行った。
リアは女性の回復魔法使いを初めて見た。
学園でも回復魔法科は男子しかいない。
それより、あんなに堂々と回復魔法使いだと言って大丈夫なんだろうか。
「あれは回復娘だな、金を受けとって回復魔法をかける」
ルロイが小声で言う。
「たいていは近くに元締めがいて見張られてる。恐らくさらわれたか、親に売られるかしたんだろう」
ルロイはそれ以上何も言わなかった。
攻撃手段を持たない回復魔法使い、特に女性や子どもは悪人に利用されやすい。
きれいな服をきて笑顔をふりまく少女の姿が痛々しく見えた。
◇
日が暮れる頃になって郊外の村、ウーファに到着した。
「さすがに一日乗ってると疲れるな」
そう言ってルロイは大きく伸びをする。
「腹へっただろ、酒場に行こう」
「うん!」
そういえば、ルロイと一緒にごはんを食べるのは初めてだ。
リアは嬉しくて長旅の疲れも吹き飛んでいた。
酒場は賑わっていた。
仕事帰りっぽい地元の人や、冒険者風の人、仲間と来ている人も、ひとりで飲んでいる人も、みんな入り混じって楽しそうにしている。
肉の焼ける香ばしいにおいがして、リアのテンションはめちゃくちゃ上がった。
「酒場は初めてか?」
あたりをキョロキョロ見まわすリアを見て、ルロイが言う。
「うん、地元にも酒場はあったんだけど、近づくなってお母さまに言われてたから」
リアの地元で女性が酒場に出入りしていたら、『普通ではない女』としてすぐに噂になるだろう。
「もしかして、酒も飲んだことない?」
空いてる席に並んで座るとルロイがきいてきた。
「うん、でも今日は飲んじゃう。だってすごく美味しそうなんだもん」
周りを見てもみんな美味しそうにビールを飲んでいる。
「お、いいな! じゃあビール2つ」
ルロイが注文する。
知らない土地で、初めての酒場に初めてのお酒。
リアはワクワクがとまらなかった。
すぐにビールが運ばれてきた。
「乾杯!」
リアはひと口飲むと思いっきりむせた。
「苦っ! まっず!」
何これ、なんかもっとこう、犯罪的だ……! うますぎる……っ! みたいなのを想像してたのに。
「ククク、無理するなよ」
ルロイは愉快そうに笑うとビールを飲みほす。
負けるか! リアも一気に飲み干した。
きっとこれは、最初はアレだけど慣れるとクセになるタイプの飲み物だ。
「おかわり!」
ルロイはリアを面白そうに見ていた。
「いい飲みっぷりだな、つまみは串盛りでいいよな、塩とタレはどうする」
「タレで」
熱い串焼きをビールで流しこむ。
これは喉ごしを楽しむものなのか、そう考えると不思議と味も悪くない気がしてきた。
◇
何杯飲んだのかあまり覚えてないけど、頭がふわふわしてきたのでリアは外の空気を吸いに出た。
お酒も食べ物もおいしいし、ルロイも楽しそうだし、今日は本当に楽しい。
酒場っていいな。
リアは涼しい夜風を感じながら思った。
思いっきり伸びをして店内に戻ろうとしたとき、リアは後ろから肩を叩かれた。
振り返ると大柄な男性が立っていた。
かなり酔いがまわっているのか、赤い顔をしている。
彼はくぐもった声で言った。
「おい、あんた……いくらだ?」
リアは最初何を言われているのかわからなかったが、言葉の意味を理解した瞬間、全身から血の気が引いた。
気持ち悪い!
リアは真っ青になってルロイのところまで走った。
「ルロイ!」
ルロイは煙草を吸いながら他の酔客と談笑していたが、リアの様子を見て真顔に戻る。
「どうした?」
「さっき知らない人に『いくらだ?』ってきかれて、どうしよう……怖い」
リアが泣きそうになって言うと、ルロイは一瞬きょとんとしたあと、声を上げて笑った。
「それで、いくらなんだ? お前」
からかうようにルロイが聞く。ルロイも酔ってるのかもしれない。
リアはルロイの目をまっすぐに見て大声で言った。
「ルロイなら無料よ!」
言った瞬間、周りがわっと盛り上がった。
ルロイは明らかに動揺していた。
「え、えええ?」
「ルロイなら無料よ!」
重要なことなのでもう一回言った。
「兄ちゃん、愛されてるじゃねえか! 今夜はお楽しみだな」
「いやあ、若いっていいねえ」
周りからはやしたてられて、ルロイはリアの手を引いて酒場を出た。
◇
月明かりが照らす中、2人は宿に向かって歩いていた。
「お前なあ、いきなり何を言い出すんだ」
ため息をつきながらルロイが言う。
「えへへ、ルロイと手つないじゃった、嬉しい」
酔っているからか、頭で思ってることがそのまま口から出てしまって全然会話にならない。
リアがルロイの手を遠慮がちに握ると、ルロイが強く握りかえしてきて、胸のあたりがじわじわと温かくなる。
ずっとこの時間が続いたらいいのに。
手のひらから伝わる体温が、リアをしあわせで満たしていった。
宿屋に着くと、お酒のせいか移動の疲れのせいか、リアはすぐに眠ってしまった。
◇
あいまいな意識の中で、リアは誰かが髪を撫でているのを感じた。
頭を軽く撫でてから、流れるように長い髪に指を滑らせていく。
……ルロイ?
手のひらの正体を確かめたかったけど、疲れているせいか、魔法でもかけられているのか、どうしても目が開かなかった。
もしかしたら夢なのかもしれない。
リアは優しい指の動きを感じながら再び眠りに落ちていった。
◇
「今日は野営になってもいいか?」
朝、地図を広げながらルロイが言った。
リアはパンをかじりながら頷く。
「昨日は飲ませすぎて悪かった、大丈夫か?」
「全然大丈夫、楽しかったよ」
本当に酔いは残ってなかった。
もしかしたらお酒に強い体質なのかもしれない。
「お前、酒はあまり飲まない方がいいかもな。昨日のことはその、覚えてないんだろうけど」
「覚えてるよ」
言いよどむルロイにリアはさらりと返した。
「えっ……!」
「全部、覚えてる」
リアはニヤッと笑う。
昨夜、リアの言葉に動揺したルロイは、見たことのない表情をしていた。
普段は見せない、素のルロイだったのかもしれない。
もしかしたら、そこを押せば2人の関係は何か変わるんじゃないか。
それがいいことなのかは、リアにはわからない。
「今日はどこに行くの? 楽しみだな」
地図をのぞき込むリアを、ルロイは複雑な表情で見ていた。