第4話 男の3Bとかいう職業差別
どうしよう……髪型が決まらない。
リアは結んだ髪をほどいて両手でばらす。
可愛くしたいけど、朝ごはんを食べに食堂に行くだけなのにあんまりキメすぎるのも変だし……それに昨日ドライツェンで買った服もシンプルというよりはなんか地味な気がしてきた。
『ちょうどいい感じ』がわからなくてかれこれ30分は鏡の中の自分と見つめあっている。
早く行かないと朝ごはんの時間が終わってしまうのに、部屋から出られない。
だって、食堂にはルロイがいるかもしれない。
◇
結局ポニーテールにリボンを結んで食堂へ向かったけど、ルロイの姿はなかった。
戻りがてら、図書室と談話室ものぞいてみたけどやっぱりルロイはいない。
部屋にいるのか、もしかしたら街に出ているのかもしれない。
リアは部屋に戻って魔法理学の教科書を開いた。
あいかわらず意味はわからないけど、繰り返し読めば用語くらいは理解できるかもしれない。
ルロイも苦労してるみたいだったし、大変なのは私だけじゃない、がんばろう。
しかし、気合とうらはらに勉強は全然進まなかった。
少し油断するとすぐにルロイのことを考えてしまう。
もしかしたら今ごろは山にいるのかもしれない。
回復魔法科ってどんな勉強をしてるんだろう。
昨日、リアに会うまでは何をして過ごしていたんだろう。
また会いたいな。
目をつぶって魔法をかけられた時の感覚を必死に思い出そうとしてる自分に気づいてリアはがく然とした。
勉強しなきゃいけないのに、ただでさえ周りに遅れてるのに、これじゃ全然集中できない。
絶対におかしい、自分じゃないみたいだ。
一体どうしちゃったんだろう。
リアはため息をついて窓の外を見る。
春の柔らかい日差しを受けて新緑が静かに揺れていた。
◇
昨日は確かこの辺にいたんだけど……いや、もっと上のほうだったかもしれない。
あてもなく山を歩いているうちに見晴らしのいい草地に出た。
眼下に広がるドライツェンの街並みを眺めながらリアは腰をおろす。
一体、何をしているんだろう。
勉強は1ミリも進んでいない。
こんなことをしてる暇はない。本当に、こんなことをしてる余裕なんてないのに。
どうして、ルロイを探してしまうんだろう。
リアは両手で顔を覆う。
ルロイに会いたくて会いたくて会いたくてたまらない。
目を閉じると昨日のあたたかい回復魔法を思い出してしまう。
なんでこんなふうになってしまったんだろう。
リアは大きくため息をついてあおむけに寝転んだ。
木々の間から鳥が飛び立っていくのが見えた。
◇
昼過ぎになってメイリが帰ってきた。
「ただいまー、昨日はありがとね。チョコレート買ってきたから一緒に食べよ」
メイリは荷物を机に置くと、水色のリボンがついた包みを取り出した。
「おかえり。ねえメイリ、どうしよう」
リアはベッドに寝っ転がったまま情けない声を出す。
「何かあったの?」
洗濯物をカゴに入れていたメイリが振り向いてリアを見る。
「勉強が……全然できないの」
リアは天井を見つめて悲しそうに言った。
「そんなの前からじゃん」
最近わかってきたけど、メイリはわりと辛らつな物言いをする。
◇
「冒険者と付き合うと苦労するよ」
リアの話を聞き終えたメイリが開口一番言った。
「そうなの?」
メイリのお土産、ドライオレンジのチョコレートをかじりながら聞き返す。
そもそも、リアはルロイと付き合いたいんだろうか。
「すぐにどっか行っちゃうし、冒険してる間はどこで何やってるかわからないじゃん?」
言いながらメイリもチョコレートを口に入れる。
「冒険者、バンドマン、武器商人は付き合っちゃいけない男の3Bって言われてるね」
「メイリの彼氏も冒険者なんじゃないの?」
言いながらリアはコーヒーを飲む。
「ああ、ジャンとは付き合ってないよ」
リアはコーヒーを吹き出した。
「ちょっと! 汚い」
「ご、ごめん」
リアは慌ててテーブルを拭く。
「でも、5年も冒険してて……だって昨日はジャンのところに泊まったんでしょ?」
リアの言葉にメイリの表情が曇る。
「そうだけど……ジャンとは何もないよ。ずっと一緒に旅してきたけど、その、そういう話をしたことは一度もない」
メイリはコーヒーを飲んでため息をつく。
「私はジャンが大好きなの。でも、なんかさ、確かめるのが怖いんだ。ジャンが私のことをどう思っているのか。一緒にいるのが普通になりすぎて……やっぱり変なのかな、こんな関係」
次元が違いすぎてリアには正直よくわからない。
でも、ジャンを好きな気持ちだけは痛いほど伝わってきた。
「なんかごめんね、こんな話」
メイリは頬杖をつきながら空になったマグカップを見つめる。
「でも、回復の学生かあ……知ってる? 回復魔法使いってモテるんだよ」
「え! なにそれ、何で?」
リアが顔を上げるとメイリはニヤリと笑った。
「なんでって、リアが一番よくわかってるんじゃない? 実際、回復魔法かけられて好きになっちゃったんでしょ」
昨日のことを思い出してドキッとする。
「好き……なのかなあ」
リアは自分の感情の正体がつかめなかった。
会いたくて会いたくてルロイのことを考えると苦しいのに嬉しくて、わかるのは、決して自分ではコントロールできないことくらいだ。
「まあ、うまくいくといいね」
そう言ってメイリは優しく笑った。
この気持ちが『好き』だったとして、いったいこの先どうすればいいんだろう。
『うまくいく』っていうのが何を指すのかもリアにはよくわからなかった。
◇
「回復魔法使いってモテるの?」
「知るかよ。俺、回復魔法使いじゃねえし」
カールからは至極当然の答えが返ってきてリアは恥ずかしくなった。
結局あれからルロイの姿は見ていない。
今は講義の合間の休憩時間だ。
「そうだよね、変なこと聞いてごめん」
カールにまでこんな話をして、いったい何がしたいんだろう。
リアはため息をついて窓の外を見る。
「なに、回復魔法使いがどうかしたの?」
案じるように聞いてきたカールにリアは週末の出来事を話した。
話をしているだけなのに、なんだか胸がソワソワして熱くなってくる。
「その回復の一年って、ルロイだろ」
ルロイという単語を聞いてどきっと心臓が跳ねた気がした。
「知ってるの?」
「知ってるも何も、俺、同じ部屋だよ」
カールはさらりと言う。
「えええ! 私のこと何か言ってた?」
意外なつながりにリアは驚きを隠せなかった。
「いや何も、ていうかお前声でけえよ」
リアはあわてて声のトーンを落とす。
「ごめん」
がっかりしたような、安心したような、謎の感情がぐるぐるする。
どんな答えを期待してたのか自分でもわからない。
「お前、ああいうのが好きなのか。いやまあ、いい奴だとは思うけど」
カールが興味深そうにリアを見る。
「好きっていうか、その、違くて……今の話、ルロイには言わないで!」
真っ赤になってあわてるリアを見て、カールは楽しそうに笑った。
「言わねえよ。あ、いいこと教えてやる。あいつ冒険の話ふるとめっちゃ喋るぞ」
◇
みつけた!
週末、学園から少し山を登った草地に、ずっと探していた後ろ姿があった。
「ああ、お前か。どうしたんだ?」
リアの姿をみとめると、ルロイは笑顔で言った。
「え、えっとその」
どうしたといわれても……むしろそれはリアが一番知りたい。
本当に、どうかしてしまっている。
「なに、してるのかなって、思って」
リアは遠慮がちにルロイの横に腰をおろす。
「なにって……」
ルロイは少し戸惑ったようにつぶやく。
「なにしてるんだろうな」
風が吹いて草葉の擦れる音が聞こえてくる。
横に座っちゃったけど、ここにいていいのかな……迷惑じゃないかな。
気の利いた言葉なんてひとつもでてこない。
本当に、リアは何がしたいんだろう。
「火、もらってもいいか?」
ルロイが懐から煙草を取り出して言った。
「あ、はい」
葉っぱを集めて火をつけると、ルロイは煙草を吸い始めた。
リアはルロイの横顔ごしに青い空を眺めていた。
「冒険って」
「お前さ」
言いかけた言葉がルロイと重なった。
「ああ、ごめん……何?」
リアが促すとルロイはきまり悪そうに笑う。
「いいよ、大したことじゃない。お前は?」
こっちも全然大したことじゃないけど、このやりとりを続けても意味がない。
「あのさ、冒険って、どんな感じなの?」
少しうわずった声が出てしまった。
「どんなって……そういわれると難しいな。知らないものを探しに行くっていうのかな、街とか、遺跡とか、ダンジョンとかな」
ルロイはそう言って煙草を吸う。
「あのさ、私、学園に来るまで16年間地元を出たことがなかったの。だからさ、その、外の世界のこと何も知らなくて」
なんでだろう……全然言葉が出てこない。
まるでしゃべり方を忘れてしまったみたいだ。
「あの、冒険の話とか、聞かせてもらえたら嬉しい」
心臓が激しく鳴っている。
これだけのことを言うのに、本当に、死にそうなくらい緊張した。
ルロイはふうーっと煙を吐くとニヤリと笑った。
「そうか、冒険の話が聞きたいか」
◇
「え、じゃあその人たちは感動したら自殺しちゃうの? 死人が出たらもう感動どころじゃないじゃん」
「まあ、彼らにとってはそれが人生なんだろ」
リアの知らない世界の話は想像を超えていた。
「本当に? 一本の木がこの山と同じくらい大きいの? 盛ってない?」
「この山はさすがに言い過ぎたな……半分くらいだ」
「それでもすごいよ!」
外の世界には知らない景色があるだけじゃない。
リアの知らない人達が、リアの知らない価値観で生きている。
今日だけで「すごい」って何回言ったのかわからない。
気づいたら太陽は沈み始めていた。
「ちょっと話しすぎたな、そろそろ帰るか」
そう言ってルロイは立ち上がる。
時空が歪んでるみたいに、本当にあっという間に時間が過ぎてしまった。
ルロイと出会ってから、リアの理解を超えたことばかり起こる。
苦しくなるほど会いたくて会いたくて会いたくて、それなのに会ったら全然うまく話せなくて、それでも隣にいるだけで、話をしているだけで嬉しくてたまらなくって、ずっとこうしていたいのに時間はものすごい速さで過ぎていく。
ああ、これが『好き』ってことなんだ。
リアははっきりわかった。
ルロイのことが好きだ。
◇
浮かれている場合ではない。
リアが提出したレポートの評価はCだった。
さらに魔法史と魔法倫理で新たにレポートが出題された。
これは……結構大変だな。
リアがカールのレポートをチラ見すると、彼はA評価をもらっているみたいだった。
勉強をもっとちゃんとしないとダメだ。
リアは返ってきたレポートを半分に折ってノートに挟んだ。