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第30話 バカって言う奴がバカなんだよバーカ

 髪をひと房とって、熱したコテに巻き付ける。


 一昨日より昨日、昨日より今日の方が平気だ。

あんなに苦しくて苦しくて泣けてきて仕方がなかったのに、日が経つごとに辛さは薄れていく。


 巻いた髪をコテから外して炎で少し温めてから、次のひと房を巻いていく。


 心が回復していく、それはルロイへの『好き』が過去の記憶になっていくことでもある。


 胸が焼かれるような苦しみは去って、かわりになんともいえない寂しさが全身に重くまとわりついている。

この寂しさをしっかり受け止めて、前を向かないといけない。

わからないけど、きっと、これも人生の味なんだろう。


 リアは鏡のなかの自分を見つめる。


 本当にそれでいいの? だって私はまだルロイのことが好きなんだよ……そう言いたそうにも見える。


 でも、ここで立ち止まって泣いてたって先には進めない……悪いけど、置いていく。


 顔まわりの髪を巻いていたら、コテが頬に触れた。


「熱っつ!」





 誰もいない……リアはパンを頬張りながら食堂を見回す。


 火傷した頬がヒリヒリする。


 誰でもいいから、クラムでもリチョウでもヨゼフでも、なんならクソジジイ(学園長先生)でもいいから治してもらいたかったのに、こんな時に限って回復魔法使い(ヒーラー)がひとりもいない。


 わざわざ部屋まで行くのも図々しいし、仕方ないからあとで冷やすか。


 リアはため息をついて頬を撫でた。


 もしルロイを見かけたとして、話しかけてもいいんだろうか。

あの日以来、山には行ってないしルロイとも口をきいていない。


 春になったら、リアとルロイは別々の道を行く。


 考えただけで体力ゲージがゴリゴリ削られる。

リアは大きく深呼吸して気持ちを落ち着かせる。


 たとえそうだとしても、同じ道を行くことはできないにしても、嫌われたわけじゃない。

このまま、顔を合わせないままで卒業してしまうのは寂しすぎる。


 でも……以前食堂で会ったときの気まずそうな顔を思い出す。

ルロイのあんな表情を見たのは初めてだった。


 果たして普通に話せるんだろうか。

気持ちはだいぶ落ち着いたとはいえ、ルロイの前で平静でいられる自信はない。

もし泣いてしまったら目も当てられない。


 やっぱり、やめといた方がいいのかもな……リアはぬるくなったスープを飲んだ。





 部屋に戻る途中に見知った後ろ姿を見つけた。


「ヨゼフー」


「うわぁ」


 リアの声に振り返ったヨゼフはあからさまに顔をしかめた。


 何だよ、うわぁって。


「いやさ、火傷しちゃったから治してほしいんだけど」


「あ、ああ……いいけど」


 ヨゼフは微妙な顔でリアを見たあとに言った。


「ちょっと、来て」





 言われるままヨゼフについて行って、2人は山に来た。


 すっかり葉を落とした木々の間から青い空が見える。


 ヨゼフが手早く印を結ぶと火傷はすぐに治った。


「ありがとう、地味に痛かったんだ」


 リアは頬をさすりながら言った。


「ああ、いいよ」


 ヨゼフは少しの間何かを考えていたけど、言いにくそうに切り出した。


「あのさ、大丈夫?」


「え?」


「ほら、この間のこととか……その、いろいろ」


「ああ……」


 あの日、ヨゼフの前で大泣きしてしまったから、気にかけてくれていたのか。


「大丈夫……ではないかな」


 リアは苦い顔でため息をつく。


「今でもめちゃくちゃ寂しいし、卒業した後のことを考えると悲しくなるよ。でも、いつまでも泣いてても仕方ないしさ」


 なんだかヨゼフには正直に心の中を話せる気がする。


 ボロボロになって泣きわめく姿を見せてしまったし、いまさらかっこつけようとも思わない。

それに共にクソジジイの長時間耐久双六(やみのゲーム)に耐えた同志でもある。


「ちょっとずつ、立ち直ってる途中って感じ」


 リアはそう言って笑った。


「お前、卒業したあとどうすんの?」


 卒業した後を考えると悲しいって言ったばっかりなのに、聞いていたんだろうか。


「地元に戻って、結婚するよ」


「結婚? マジで?」


 ヨゼフが驚いた顔でこっちを見る。


「うん、父親の仕事の関係の人」


 もう驚かれるのにも慣れてしまった。


「すげえな、お前の家、貴族?」


 リアは苦笑してかぶりを振る。


「全然そんなんじゃないよ。でも、田舎だから家のつながりとかが強くて」


 そう言ってリアは木に寄りかかった。


「婚約者がいるのに、好き好き言ってルロイのこと追いかけまわしてたの。ひどい女でしょ」


「え? ええ……」


 ヨゼフは何て言ったらいいのか困ってるみたいだった。


 変なこと言わなきゃよかったな……リアが空を見上げてため息をついたとき、ヨゼフがぽつりと言った。


「そんなこと、ないと思うけどな」


 静かな声だった。


「仕方ないだろ、その、婚約者がいても、好きになることもあるだろ」


 リアはヨゼフを見つめる。


「お前は、中途半端な気持ちじゃなくて、その、真剣に、泣くほどあいつのこと好きだったんだろ? そんな、ひどい女とか……悪いように考えなくてもいいんじゃないか」


「そうかな」


 ヨゼフは真剣な顔で頷く。


 どんな言葉を期待してたのかはわからない。

でも、そう言ってもらえて少し心が温かくなった気がする。


「ありがとう」


 リアは笑顔で言った。


 風が木々を揺らしていく。


 同じなんだろうか。


 おかしくなったんじゃないかって思うくらい会いたくて会いたくて会いたくて、気がつくといつも後ろ姿を探していて、大好きって伝えたくて、手をつないだら嬉しくて……『その先』をリアは顔も知らない相手とする。


 ときめく出会いもなければ、冒険もない、リアを外の世界へ連れ出してくれることのない、『その先』をするために用意された相手と。


 それは、リアがルロイに望んでかなわなかったことと、本当に同じものなんだろうか。


 リアはたわむれに印を結んで指先に火を灯す。


「吸う?」


 指を差しだすとヨゼフは露骨に嫌そうな顔をした。


「吸わねえよバカ、おっさんと一緒にすんな」


 バカって言われた……冗談のつもりだったのに、手厳しいな。

そしてルロイはおっさんって呼ばれてるのか。


 リアは苦笑して火を吹き消した。


「ヨゼフは卒業したあと、どうするの?」


「俺? 就職するよ」


「なんの仕事?」


「グロスヒューゲルの薬屋」


 グロスヒューゲル……ひっきりなしに行き交う人の群れをいかつい城が見下ろす、この国の王都だ。

前に行ったときは、人混みの中、はぐれないようにルロイとずっと手をつないでいた。


「ドライツェンには残らないんだ」


「ああ……ドライツェンでの就職も考えたんだけど、この街には学園の卒業生が多いだろ? そういう魔法使いのコミュニティとは少し距離を置きたくて」


 カールが前に言っていた、ドライツェンで魔法使いの共同体を作るっていう話か。


「なんで?」


 ヨゼフは小さく息を吐いて言った。


「馴れ合うのは好きじゃない、それにあまり魔法使いなことを周りに明かしたくないし」


「ああ、前も言ってたね」


 クラムと3人で試験勉強したときに食堂で話していた。


 あの時から、ヨゼフはクラムのことが好きだったんだろうか。


「でも、グロスヒューゲルだとクラムとはなかなか会えなくなっちゃうね」


 リアが言うとヨゼフは額に手を当ててはあーっと大きなため息をついた。


「それなんだよなあ……」


 それきりヨゼフは黙ってしまった。


 薄い雲がゆっくりと流れていって、辺りが一瞬かげる。


 リアがくるくる印を結ぶと辺りに光の花が咲く。


『笑顔にする魔法』にもヨゼフは無反応だ。


 光に驚いたのか鳥が飛び去っていった。


 リアはふうと息をつく。


「何、そんなにつらいの?」


「つらいに決まってるだろ……」


 ヨゼフはそう言って再びため息をつく。


「週一は無理だし、頑張って月一か……? 俺がこっちに来るとしても、向こうも実習とか忙しくなるだろうし……」


 なにやら小声でぶつぶつ言いはじめた。


「一か月に一回しか会えないなんて、寂しすぎるだろ」


 急に悲壮感を出してきたな。


 こちとら恋に破れてクソ田舎で政略結婚しないといけないんだよ……一か月くらい我慢しろよクソが。


「そんなに好きならドライツェンで就職すればよかったのに」


 リアがつぶやくとヨゼフはまた息を吐いてうつむいた。


「でもなあ……できればグロスヒューゲルで生活の基盤を作っておきたいんだよ。もし、卒業したあともクラムが俺と一緒にいてくれるならいろいろちゃんとしたいし、やっぱり大都市のほうが情報が多いから何かあった時にすぐ動けると思うんだ」


 ヨゼフは急に真面目っぽいことを言い出した。


「あいつ、かわいいけどあんまり頭よくないっていうか、超かわいいんだけど、少し危ういところがあってさ、『魔法の力を社会のために役立てたい』とか言ってるんだよ」


「ああ、確かにそんなこと言ってたね」


 リアはしっかりしてると思ったけど、ヨゼフから見たら危ういと感じるのか。


 どうでもいいけどかわいいって2回言ったぞこいつ。

お前も溺愛系(スパダリでも)だったのかよ(ないくせに)


「なんていうか、魔法使いってちょっと珍しい体質みたいなもので、そこに意味なんてないっていうか、そういうことを考え出したらちょっと危険だと思うんだよ」


「危険?」


 聞き返すリアにヨゼフは真剣な顔で頷く。


「俺はさ、ただ回復魔法が使えるってだけで別に何かが優れてるわけじゃないし、本当に普通のやつと変わらないと思うんだけど、世の中には変な目で見てくる連中がどうしてもいてさ」


 ヨゼフが言っていることはなんとなくわかる。

リアだって魔法が使えるだけで特別周りと違うことなんてない。


 特に、魔法が使えたからって戦えるわけではないことは以前痛いほど思い知った。


「魔法使いを特別な存在か何かだと思ってる奴らがいて、そのことを利用しようとする連中はいつの時代にもたくさんいる。なんて言うんだろうなあ……自分がただの人間でしかないってことをちゃんと理解しておかないと、足元をすくわれるっていうか、物騒なことに巻き込まれる気がするんだ」


 ヨゼフは静かに言った。


 もしかしたら、怖い思いをしたことがあるのかもしれない。


「ヨゼフはさ、魔法、使えない方がよかったと思ったことある?」


 もしリアが魔法を使えなかったら、街の外に漠然としたあこがれを抱くことはあっても、地元を出ることもなく普通に結婚していただろう。


 街の外に飛び出して、自分の世界がぐんぐん広がる楽しみを知って、体中からどうしようもなくあふれてくるような『好き』のエネルギーを知ったのに、なにもなかったかのようにあの街に戻って、親の決めた相手と結婚しないといけないと思うとたまらなく空しくなることがある。


 いっそ魔法なんて使えなければ、外の世界なんて知らなければこんな思いをすることもなかったのに……そう思ったこともある。


 それでも今は、やっぱり魔法が使えて、世界の広さを知ることができて、学園の仲間と……ルロイと出会うことができてよかったと思う。


「それはないな」


 ヨゼフはきっぱりと答えた。


「わずらわしいこともあるけど、やっぱり便利だし、面白いし……いや、それ以前になんていうか、回復魔法も含めて俺っていうのかな、魔法が使えなかったらとか考えたこともないな」


「そっか、魔法も含めて自分かあ……なんかいいね、その考え方」


 確かに、魔法だってリアの一部だ。

使えたらとか使えなかったらとか、そういう次元の話ではないのかもしれない。


「そうかな」


 そう言ったあとヨゼフは急に照れくさそうに手で顔を覆う。


「いや待って、『回復魔法も含めて俺』とか、なんかすごく語ったっていうか、恥ずかしいことを言った気がする」


 いきなりどうした……さっきまでの遠距離がどうとか言ってた時のほうがよっぽど恥ずかしかったと思うんだけど。


「ううん、すごくいい。感動しちゃった」


「やめて……忘れてくれ」


「ふふふ、一生覚えといてあげる」


 いつも涼しい顔をしているヨゼフが照れてるところはなんだか可愛かった。


 こんなふうに笑ったのは久しぶりかもしれない。


「マジで勘弁して」


 言いながらヨゼフも少し笑っていた。


 さっきは元気づけてくれたし、なんかすごいバカとか、バカとか言ってくるけど、なんだかんだいいやつだな。


「ちょっと! 何をしてるんですか!」


 後ろから声が聞こえたのはそのときだった。


 振り返るとヨゼフのお姫さまがいた。


「なんなんですか、このクソ寒いのに2人きりで……こんなところで……」


 怒ってるような、不安げな声でクラムが言う。


 クラムの声から、表情から、上気した頬から、ヨゼフが大好きなことが伝わってくる。


 いいな、こんな風に感情を思いっきりぶつけることができて、好きな人にちゃんと思いを受け止めてもらうことができて。


「ああ、見つかっちゃった?」


 リアは口もとに笑みを浮かべてからかうように言った。


「バカ! 誤解を招くようなこと言うな」


 またバカって言われた。





 街中に明かりが灯ったみたいに、ドライツェンの街はキラキラしていた。

ピカピカに飾り立てられた屋台からは肉が焼ける香ばしいにおいや、お菓子の甘いにおいがしてくる。


 本当に、この季節のドライツェンは夢のなかみたいにきれいだ。


「寒いしまずはワイン飲もう! ワイン!」


 はしゃぐリアにメイリが釘をさす。


「いいけど、飲みすぎないでよ。××(ゲボ)の処理するのもおぶって山登りするのもごめんだからね」


 そういえばそんなこともあった。


 あのときも何がそんなに悲しかったのか、メイリの前で大泣きしたな。


「あの日はノリでボトル一本空けたから……今日はそんなに飲まないよ」


 ホットワインをひと口飲むと冷えた体がほかほかして、キラキラの街がさらに輝いて見える。


 去年は手をつないでルロイと街を歩いたっけ。


 本当に、ルロイとの思い出はどこにでも転がっている。


 迷子になった左手をメイリがぎゅっと握った。


 驚いてメイリを見ると、メイリは反対方向の景色を見ていた。

細くて柔らかいメイリの手はすごく温かかった。


 立ち並ぶ屋台の中で、ふと木彫りの人形が目に入った。


 子ども用のおもちゃなんだけど、素朴で可愛らしい。


「どうしたの? それ食べ物じゃないよ」


 メイリがからかうように笑う。


「見ればわかるよ!」


 メイリとお揃いのもの、なんでもいいから何か持てないかな。

この先離ればなれになったとしても、見るだけで思い出せるような何かを。

でも、冒険に出るメイリにとっては邪魔になるのかもしれない。


「可愛いなって思っただけ、行こう」


 リアはそう言って笑った。


 大丈夫、きっと記念品なんてなくたって、メイリとは一生友達だ。


 歩いていくと、キラキラの街の中でもひときわ光を放つ屋台があった。


「ルームメイト同士で来たのか? 仲良いな」


 爽やかな笑顔はまるで天に祝福されているみたいだ。


 三角巾とエプロンをつけて慣れない手つきでソーセージを焼いていても、エーミール先輩はやっぱりかっこいい。


「うちの店も出店しててさ、よかったら買ってってくれよ、サービスするから」


 エーミール先輩にそんなことを言われたら買わないわけにはいかない。


 リアはカップに残っていたワインをぐっと飲み干した。


「ワインの白とソーセージください!」


「ちょっと、ペース速いって」


 メイリが横で焦ったように言う。


「保護者も大変だな」


 ソーセージとパンを用意しながらエーミール先輩が楽しそうに笑った。


「いや本当ですよ……先輩もあんまり飲ませないでくださいね」


 言いながらメイリも笑っていた。


「髪、今日は巻いてるんだな。可愛いよ」


 ワインとソーセージを手渡すとき、エーミール先輩が小声で言った。


 とたんに顔が熱くなる。


「あ、ありがとうございます……」


 最近ずっとふさぎ込んでたから気分を変えたくて、久しぶりに巻いてみたんだけどちょっと失敗して頬を火傷しちゃって、ヨゼフに傷を治してもらったらなんか溺愛系バカップルのイチャイチャを目の当たりにして少しダメージを受けて、でもこうして気付いてもらえたらやっぱり嬉しくて……いろいろなことが頭をよぎったけど、後ろにお客さんが来ていたので軽く礼をしてその場をあとにした。


「エーミール先輩がいれてくれたと思うとワインもおいしい」


 リアは歩きながらソーセージをかじる。


 ハーブの入ったソーセージは口の中を火傷しそうなくらい熱かったけど、香ばしくてすごく美味しかった。


 あの日、感じの悪い態度をとってしまったのに、エーミール先輩が普通に笑いかけてくれたことも嬉しかった。


「それはよかった」


 メイリはそう言ってカップに口をつけた。


 ワインはあまり好きじゃないのか、ホットショコラを飲んでいる。

クリームがたっぷり乗ってて美味しそうだな……後であれも飲もう。


 角を曲がるとお菓子の屋台に目が止まった。


 色とりどりのチョコレートや、粉砂糖をまぶしたドーナツ、メッセージ入りの大きいクッキーもある。


 去年メイリからもらったやつだ。


 リアはクッキーに書かれたメッセージを見る。


『いつもありがとう』『おめでとう』『あなたを愛しています』


 いろんな言葉がある。


 みんな、口では伝えられない思いをこうやって伝えているんだろうか。

リアがコスモスの力を借りたように。


 リアは一枚のクッキーを手に取った。


『あなたにいいことがありますように』


「それ、ルロイに?」


 のぞき込んできたメイリにリアは小さく頷く。


 このメッセージと一緒になら、ルロイにもう一度話しかけられるかもしれない。

同じ道を行くことはできなくても、ルロイに会えてよかったって伝えられるかもしれない。





 キラキラの街を背に、山を登る。


「楽しかったねえ」


 メイリの言葉にリアは笑顔で頷く。


「うん、すごく楽しかった」


 街は素敵だったし、食べものは美味しかったし、思いがけずエーミール先輩にも会えて嬉しかった。


 それに……リアは赤いリボンをかけられたお菓子の包みを見る。

渡せるかはわからないけど、ルロイへのお土産も買った。


『あなたにいいことがありますように』


 きっと、これがいちばんリアのルロイへの気持ちに近い……というか、日々ぐちゃぐちゃにからまったり分裂する気持ちの中で、どうにかルロイに伝えたい言葉だ。


「前さ、彼のこと話したじゃん?」


 夕陽が沈みきって、あたりが徐々に薄暗くなってきたとき、メイリがぽつりと言った。


「彼?」


「私に魔法のことを教えてくれた人」


「ああ」


 幼いメイリを言葉巧みに村から連れ出して、地獄にエスコートしようとした悪魔みたいな男だ。

最後はジャンにナイフで刺された上、メイリの魔法の練習台になるというグロい死に方をした。


「私さ、彼のこと、忘れられないっていうか、どうにも嫌いになれないんだよね」


 前を向いて話すメイリをリアは無言で見る。


「彼が悪い人だったのはわかってるんだけど、全部が全部嘘だったわけじゃないっていうか……なんて言うんだろうなあ、不安だった私に魔法のことを教えてくれたのは本当だし、故郷を捨ててでもついて行きたいって思ったのも本当で、その気持ちは彼の目的がわかったあとでも消えるわけじゃなくてさ」


 暗くなってきたのでリアは明かりを灯す。


 魔法の光に照らされたメイリの横顔は少し笑ってるようにも見える。


「最後はめちゃくちゃになっちゃったし、騙されたって悔しい思いもあるけど、彼を好きになってよかったって……いや、よくはないか、彼のことを大好きだった自分のことまでは否定したくないんだ」


 静かな山の中、メイリの声は妙に通って聞こえた。


「だから、ただ彼と出会って、好きになった。それだけでいいんじゃないかなって今は思ってる」


 ただ、好きになった。


 髪の毛を巻いて、リボンをつけて、飾りたててごまかしていた傷がまた少し痛む。


 好きになった気持ちは本当で、隣にいるときの嬉しさも本物で、もしかしたら、そこに意味を求めるものではないのかもしれない。

この先一緒にいることができなくても、ルロイを好きだった日々が消えてしまうわけではない。


 それでいい……本当に、それでいいのか?


「まあ、今好きなのはジャンだけどね」


 そう言ってメイリが笑ったとき、雪の混ざった強い風が吹いた。


「きゃあ寒い! はやく帰ってお風呂入ろ」


 その言葉を聞いて、メイリと一緒に山を登るのは初めてなことに気がついた。





 キラキラの季節を過ぎると、街にも山にも静かな時間が訪れる。


「じゃあ私は行くけど、朝はちゃんと起きて、卒論も計画的に進めるんだよ」


 部屋を出ようとするメイリの服をリアはつかむ。


「行っちゃヤダ……寂しい」


「ええ……」


 メイリはめんどくさそうな顔でリアの頭を撫でた。


「甘えっ子だなあ……私も卒論あるし、お正月明けたらすぐ帰ってくるから」


 自分でもめんどくさい奴だと思うけど、メイリの不在が心細かった。

ルロイとの一件以来どうにか正気を保ってきたのはメイリのおかげだ。


「ほら、ぎゅーしてあげる」


 メイリがリアを優しく抱きしめる。


「ちゃんと戻ってくるから、ひとりでも頑張るんだよ」


「うん、寂しいけど我慢する」


 温かい腕の中は心地よくて、リアは静かに目を閉じる。


「はい終わりー、じゃあね」


 メイリは笑ってリアを離すと、楽しそうに部屋を出て行った。





 窓をたたく風の音で目が覚めた。


 朝、メイリを送り出してから、ひと眠りするつもりが熟睡してしまったらしい。


 部屋の中は真っ暗だ。


 いったい今何時なんだろう……窓の外は吹雪いているようで、時間の見当がつかない。


 明かりをつけて時計を見るともうすぐ18時になるところだった。


 今日は論文を進めようと思ってたのに、もうこんな時間……まあ、冬休みなんだし、たまにはこういう日があってもいいか。

明日から頑張ろう。


 お昼ごはんを食べていないから、お腹が空いたな。

とりあえず18時になるのを待って食堂に夕ごはんを食べに行こう。


 リアはのっそり起き上がると鏡に向かった。





「おう、久しぶりだな」


 学食に行ったらカールがいた。


「カール! 久しぶり」


 リアはカールの向かいの席に座る。


 通常講義がなくなると一気に顔を合わせる機会が減った。

毎日一緒に講義を受けて昼ごはんを食べていた日々がもう懐かしく感じる。


「卒論どう、進んでる?」


 スープを口に運びながらリアが言う。


 マカロニが入ったキャベツのスープだ。

なんでこれにソーセージとか豚肉を入れてくれないんだろう。


「まあ、ぼちぼちかな、お前は?」


「資料は揃ったからあとは書くだけなんだけど、なかなか進まなくって」


 山のババアと森のババア、海のババアに都会のババア、いろんなババア(ババア・ラ・カルト)の情報は集まった。


 あとはまとめるだけなんだけど、これが難しい。


「なんか、書いてるうちに本当にこれでいいのかよくわからなくなってきちゃって」


 リアが言うとカールも頷く。


「ああ、わかる。そういうのって人に読んでもらうといいらしいぞ」


 なるほど、学生同士で見せ合うのもいいのかもしれない。

とにかく人に見せて恥ずかしくない程度の文量は冬休み中に書いておいた方が良さそうだ。


「お前さ、どうすんの? 卒業したあと」


 カールの言葉に少し緊張するのがわかった。


 カールはどこまで知っているんだろう。


 リアは水をひと口飲んでから言った。


「地元に帰るよ」


「ああ、そうなんだ」


 カールは特に気にする感じもなさそうだった。


「俺はドライツェンで就職することにした」


「こっちに残るんだ」


 春に話したときはまだ迷ってるみたいだったけど、カールも答えを出したのか。


「うん、エーミール先輩みたいに残って研究したりはしないけど、たまに学園に来て情報を共有しようとは思ってる。魔学はこれからもっと進むだろうし、常に新しい情報に触れてたいんだ」


 カールは卒業した後もこの街で、魔法のそばで、魔学の発展を見ながら生きていくのか。

田舎で家庭に入るリアには縁のない世界だ。


 同じ炎の魔法使いなのに、一体何が違うんだろう。


 いや、本当はわかっている。


 最後まで単位を取るので精一杯だったリアと違って、カールは新入生のときから優秀だった。

きっと、最新の魔学の話をリアが聞いてもよくわからないんだろう。


 わからないなりに、必死に勉強してきたつもりだけど、それだけじゃいけないらしい。


 テストで点数をとるための勉強と学問はなにやら別のもので、その先に進むには学問のほうが必要になってくるらしい。

じゃあ、今までリアが泣きそうになりながら食らいついてきたことは何だったんだろう。


「帰りたくないなあ」


 ぽつりと出た言葉に動揺してリアは手で口を押さえる。


「どうした?」


 カールが不思議そうにリアを見る。


「いや、違うの、本当に違くて……」


 なんでこんなことを言ってしまったんだろう。

しっかり、前に進むと決めたのに。


「人が増えてきたし、場所変えるか」


 カールはそう言って立ち上がった。





 研究室には誰もいなかった。


 窓の外は相変わらず吹雪いている。


 カールが魔法で明かりをつけてくれたので、リアは椅子に座った。


「私さ、地元に帰ったら結婚するの」


「それはまた、急な話だな」


「ううん、学園に来る前から決まってたことなんだ」


 カールは少し驚いた顔をしたけど、落ち着いた声で言った。


「嫌なのか?」


 リアは首を横に振る。


「嫌だと思ってたこともあったけど、自分で納得して決めたことだから」


 すごく悩んで、考えて答えを出したことだ。


「別にルロイに帰れって言われたからじゃなくて、ひとりでいろいろ考えて、こうするのが一番だなって」


「え……あいつそんなこと言ったの?」


 あ、カールは知らなかったんだ……まあいいか。


「ああまあでもそれは関係なくて、本当にちゃんと考えて決断したことで、そこは本当にいいんだけど、なんていうかさ、私のなかで、その、脳内会議をしたとして90人くらいはちゃんと決議に納得してるんだけど、3人くらいどうしても反対勢力が混ざってて、たまにそれに引っ張られるっていうか、だから本当は嫌だけど無理してるとかそういうんじゃないの」


 前を向こうと決めたのに、リアの心の中にルロイのところから戻ってこない部分がある。

それらを切り離さないと、きっと先には進めない。


 心の空白はいつか埋まるんだろうか、それとも、ずっと抱えて生きていくものなんだろうか、今のリアにはわからない。


「何言ってるのかよくわからないけど、お前の脳内人口が93人なのだけはわかった」


 そう言ってカールが手の中の光をふわっと上に投げると光は空中で静止した。


「え、何それ! 今のどうやったの?」


 リアが思わず言うと、カールは笑った。


「魔学式は簡単だけど、ちょっとコツがいるんだ」





 ふわふわ浮く光が廊下を照らす。


「すごーい」


 これなら探索中でも両手が使えるし便利だ。


「まあ、地元に戻ってもさ、魔法使いなことに変わりはないんだし、新しい魔学式組んだりして楽しくやっていけばいいじゃん」


 リアが光を見上げる横でカールが言う。


 確かに、地元にいても、結婚しても、魔学式を組むことはできる。

たとえ周りに魔法使いがひとりもいなくても。


「うん、話聞いてくれてありがとう」


 廊下を歩いていくと活動魔法実習室から声が聞こえた。


「いやもう全然進まねえじゃん! どうすんだよ……」


「俺たちでこれ以上やっても無駄だって、もう諦めて飯食いに行こうよ」


 中をのぞくと男子学生が2人で話をしていた。

会話の内容と裏腹に、話す声はなんだか楽しそうだ。


 去年のリアもあんな風に見えていたんだろうか。


 もうすぐこの学園は、自分たちの場所ではなくなる。





「パイセン! パイセン!」


 朝ごはんを食べて食堂から出ると、リチョウに声をかけられた。


「見てくださいよ、これ」


 リチョウに促されて中庭を見た。


 腰までありそうなくらい積もった雪を朝日が照らしている。


「うわー、積もったねえ」


 ここ数日の吹雪のせいか。

雪は降るけど、ここまで積もるのは珍しい。


「サッカーしようと思ってたのに……パイセン、魔法でひと思いに溶かしてくださいよー」


「そんなの無理だよ、ノエル(ボムへい)だったらいけるんじゃない?」


「いやいや、死人が出るっす。どうしようかな」


 リアは雪の表面をすくう。


 降ったばかりの雪はサラサラと軽くて、リアの手の中で崩れていきそうだ。


 リアは両手でぎゅっと雪を固めた。


「それよりさ、みんなで雪合戦しない?」





「総員、打てー!」


 なんだかんだで結構な人数が集まった。


 その場で即席のルールが作られて西軍と東軍に分かれて雪玉を投げ合っている。


「パイセン! 俺が盾になるんで弾の製造をお願いします」


「任せて!」


 リチョウの背中に隠れてリアは急いで雪玉を作る。

前方では雪壁でバリケードを作っている。


「よし、向こうの球が尽きたタイミングで総攻撃をかけるっすよ」


 完成したバリケードに半身を隠してリチョウが言う。

リアは雪玉を作りながら頷く。


 そうは言っても向こうにはカール参謀がいる……一筋縄ではいかないだろう。


「あのさ、リチョウ」


「なんすか?」


 リアはぎゅっと雪を圧縮して言った。


「前言ってたじゃん、その、ルロイのこと」


「ああ」


「ダメだって……ダメだったよ」


 リアは白い息を吐くと笑った。


「そうすか」


 リチョウはそれだけ言うと立ち上がった。


「じゃ、とりあえず反撃開始っすよ!」


「うん!」


 自軍が攻撃を仕掛けたタイミングで向こうからもいっせいに雪玉が飛んできた。


 やっぱり……さっき一瞬攻撃が止んだのはトラップか。


「向こうも乗ってきましたね」


 雪玉を投げながらリチョウが言った。


「うん、こっちの弾がもてばいいんだけど……」


 戦況は総力戦の様相を帯びてきた。

おそらく先に弾が尽きたほうの負けだろう。


 向こうの弾数を把握していない、果たして耐えられるだろうか。


「とりあえず、攻めるしかないっすよ」


 リチョウが球を投げた瞬間、肩口に雪玉が飛んでくる。


「パイセン!」


 当たった雪を払いながらリチョウが言う。


「なあに?」


 リアは的を小さくするために半身の体勢で球を投げる。


「大丈夫っすか?」


 敵の攻撃は止む気配がない。

狙い撃ちを避けるようにリアは小刻みに位置を変える。


「大丈夫、私、雪国育ちなんだ」


 こっちの消耗を少なくした方がいいかもしれない。


 リアはバリケードに手をかける。


「いや、そこじゃないっす」


「え?」


 バリケードを崩して雪玉を作りながら、リアはリチョウを見た。


「俺の胸なら、空いてるんで」


 リチョウがぽんと胸を叩く。


「いつでも飛び込んできていいっすよ」


 バリケードがなくなって容赦なく敵の攻撃にさらされる。


 きっと、ここが正念場だ。


 顔の横を雪玉がかすめた。


「ありがとう」


 リアは雪玉を手でガードしながら笑った。


 ノリは軽いけど、優しい子だ。


 よく見ると敵軍もバリケードを解体している。

思ったより残弾が少なくなっているのかもしれない。


 戦いの終結は近い。


 ふと廊下に目をやると窓からルロイがこちらを見ていた。

リアと目が合った瞬間、ルロイはふっと笑顔になった。


「パイセン!」


 リチョウの声が聞こえたと同時に、リアの顔面を雪玉が直撃した。





 調子に乗りすぎた……全身がぐちゃぐちゃだ。


 リアはよろよろと寮の階段を登る。


 髪も服も雪まみれだ、お風呂が沸くまでにまだまだ時間があるのに。


 バルコニーに出て服についた雪を落としていたら同じようにクラムが出てきていた。


 クラムはリアに気付くとこちらに歩いてきた。


「パイセン、この間はすみませんでした。2人で話してるところに割って入っちゃって」


 クラムは申し訳なさそうに頭を下げる。


 この間……ヨゼフのことか、すっかり忘れてた。


「ああ、全然いいよ。大した話してなかったし」


 そう言ってリアが笑うと、クラムは手すりにもたれながら言った。


「なんかね、普段はヨゼフ先輩が誰と話してても全然気にならないんですけど、あの日はパイセン、ちょっと雰囲気違ったから」


「そう?」


 確か、メイリとドライツェンに行く約束をしてたから髪を巻いた日だ。

そういえば、ヨゼフに話しかけたのもコテで火傷をしたからだった。


「パイセンって普段はロリ……みつあみとかして可愛い系じゃないですか、あの時は髪おろしてたしきれいだったから、なんか妙だなって思って」


「ああ、それね」


 リアはふと景色をみる。


 小鳥が木の枝を揺らすと積もった雪が落ちていく。


「みつあみはさ、ルロイが好きだったんだよ」


 リアは笑って言った。


「だから、もうしなくてもいいかなって思って」


 最近は下ろしているか、ポニーテールにすることが多くなった。

それでも手に馴染んでいるのか、無意識にみつあみを編んでしまうことがある。


「パイセン……」


 クラムはしばらく戸惑ったようにリアを見つめたあと、言った。


「部屋に来ませんか? 話しましょう」





「ノエルは?」


 リアはホットミルクにチョコレートを溶かしながら言った。


「朝から教室棟のほうに行ってます。活動魔法科の友達に勉強を教えるとかで」


 リアたちが雪合戦で大騒ぎしてる間、勉強してる学生がいたのか。


「真面目だねえ、年末くらい休んだらいいのに」


 そう言ってリアはミルクを飲む。


 冷えた体に甘くて温かいものが染み込んでいく。

ひさしぶりに運動した疲れもあって、このまま眠ってしまいそうだ。


「それでね、パイセン。ルロイ先輩となんかあったんですか?」


 クラムが言った。


「なにかあったというか……この間卒業後の話をしてさ、冒険に連れて行って欲しいって言ったら、断られちゃった」


 だいぶ落ち着いて話せるようになった。

以前のリアだったら泣いてしまって言葉にならなかっただろう。


「そんな……そうだったんですか」


 クラムは言葉が出てこない感じだった。


 リアはカップで手を温めながら笑う。


「うん、それでたまたま泣いてるところをヨゼフに見られちゃって、この間はそれで話してたんだ」


 ヨゼフなりにリアのことを心配してくれてたみたいで嬉しかった。


「パイセン……大丈夫ですか?」


 クラムの言葉に、リアは笑顔で頷く。


「うん、大丈夫」


 ルロイに拒否されたときは人生が終わったと思うくらい悲しかったけど、こんなふうに話を聞いてくれたり、元気づけてくれる人の存在に気付くことができた。


 どうやら、世界はそう簡単には崩壊しないみたいだ。


「そうだったのかー」


 クラムはミルクを飲むと大きく息を吐いた。


「いやね、最近ヨゼフ先輩の様子がちょっとおかしいなって思うところがあって、そう思ったらリチョウとも妙に距離近かったじゃないですか、今日! もう何が起こってるんだろうと思って」


「え、距離近かった?」


 クラムは頷く。


「なんかもう2人の空気みたいなのができてましたもん。たしか卒論の現地調査? したんですよね。もしかしたらそのときに何かあったんじゃないかとか、いろいろ考えましたよ」


 そんなふうに思われてたのか。


「なにもないよー」


 一緒にお酒を飲んで、同じベッドで眠って、帰り道で抱きしめられただけだ。


「ふーん、まあどうでもいいや」


 そう言ってクラムは息をついた。


 リアはミルクをひと口飲む。


 きれいに整頓された机に可愛らしい木彫りの人形が乗っていた。

クラムもドライツェンの縁日に遊びに行ったのかもしれない。


「ヨゼフはグロスヒューゲルで就職するらしいね」


「ああ、それね」


 途端にクラムが不機嫌そうな顔になる。


「ひどいでしょ、私にひと言も相談しないで決めたんですよ」


「ええ! そうだったの?」


 リアが思わず声をあげるとクラムはふくれた顔のまま頷く。


「だって、この間話したときはクラムとの将来を考えて、みたいなこと言ってたのに」


 そして遠距離になることに死にそうな勢いで落ち込んでいた。


「それですよ!」


 クラムの剣幕にリアは少し気圧される。


「私のため、私のためって言うけど、ヨゼフ先輩は私の意見なんて聞いちゃいないんですよ。そりゃあ、回復魔法使いが危険と隣りあわせなのはわかりますよ。でも、だからって魔法の力を隠して引きこもるのなんて私は嫌なんです」


 クラムは一気にまくしたてた。


 クラムとヨゼフ、どちらが言っていることもわかる。


 戦う力を持たない回復魔法使い……特に女性は悪人に利用されやすいので、家族以外にはその力を明かさずに一生を終えるのが普通だ。


 ただ、そこにクラムの意思は何も関係ない。


 クラムが魔法の力を活かしたいと思うのは自然なことだし、ヨゼフはそんなクラムが心配でならないんだろう。


「こういう話をするとヨゼフ先輩ね、私のことバカって言うんですよ」


「ああ……言いそう」


 あいつすぐバカって言うよな。


「確かに私、あんまり勉強ができる方じゃないですけど、それとはまた話が違うじゃないですか! 魔法使いが! 魔法の力を役立てたいと思うのなんて普通じゃないですか! ヨゼフ先輩がそのね、魔法のことを周りに言いたくないのはわかります。でも、それはバカとかじゃなくて考え方の違いだと思うんですよ。自分の意見と違ったからってバカって言ってくるんですよ、ムカつきません?」


 クラムはふうーっと息を吐くとミルクを飲んだ。

興奮しているのか、頬が真っ赤になっている。


「なんかね、ヨゼフ先輩、好きとか、可愛いとかすごい言ってくれるんですよ。大事に思ってくれてるのはすごくわかるし、将来のことをちゃんと考えてくれてるのは嬉しいです。でも、そんなふうに全部自分の中で決めちゃうのを見ると、なんだろう……私の意思は関係ないっていうか、私だっていろいろ考えて、悩んでここにいるのに、そんなの興味ないのかなって」


 さっきまで怒っていたのに急にクラムは寂しそうな顔になる。


「可愛い、可愛いって、可愛いだけでいいなら愛玩用生物(モルセーグ)でも連れて行けばいいじゃないですか」


 確かにモルセーグ(実験用生物)は可愛いけど……リアは少し複雑な気分になった。


「ヨゼフ先輩のことは普通に好きですし、先のことはわからないけど、私が卒業するまで続いてたら結婚してもいいと思ってます。でも、このまま、大事なことも話せないままだと、ちゃんとやっていけるか不安になるんですよ」


「そう……」


 お姫さまもいろいろ大変なんだな。


「でも、クラムもヨゼフのこと、やっぱり好きなんだね」


 好きな人に好きって思ってもらうことは、今のリアにとっては奇跡のように思える。


 リアの言葉にクラムは恥ずかしそうに笑った。


「うん、好きです。なんか、ヨゼフ先輩がしょうもない怪我……紙で手きったとか、してたら、治してあげたいなって思うんですよ」


 あれ? リアは思わずクラムを見る。


「まあヨゼフ先輩自分で治せるから、私が魔法を使うことはないんですけど……どうしました?」


「いや、なんでもない」


 いま、何かわかりそうだった。


 わかりそうだったのに、つかみかけた答えはどこかに飛んでいってしまった。


 リアがぬるくなったミルクを飲むと、ドロドロに溶け残ったチョコレートがカップの底にたまっていた。





 リアは食堂で夕ごはんを食べながらひとりで考えていた。


 昼間クラムと話したときにわかりかけたことが引っかかっている。


『治してあげたいなって思うんですよ』


 もう少しで何かに気付きそうだった。

リアが忘れている、重大なこと。


『ちょっとコツがいるんだ』


 そう、思い出すのにはコツがいる。


 カールはなんでもコツをつかむのが上手かった。

ときおりリアにもテストの点数のとり方や魔学式の組み方を教えてくれた。


『笑顔になっただろ?』


 そう言って笑ったのはエーミール先輩だ。


 そのとき、リアはなんて言ってた? 確か……


『誰かを笑顔にできるような魔法がいいな』


 思い出した……!


 リアが、伝えたかったこと。


『火、くれよ』


 なんで、忘れていたんだろう。


 リアは急いで食事を終えると立ち上がった。


「あ、リア!」


 そのとき、声をかけられた。


「ヨゼフ! どうしたの?」


 偶然ではなくて、リアを探している感じだった。


「これから時間あるか? クソジジイと年越双六30年(お正月スペシャル)やろうって言ってるんだけど、メンバーがひとり足りなくて……」


「双六……?」


 双六って、あの双六だろうか。


「ああ、あれからいろいろカード効果とか定石とか勉強して、試行錯誤しながら何回かやったんだけど、どうしてもジジイに勝てなくてな……でも今夜こそはクソジジイを地獄(ボンビラス)に送ってやるぜ」


 こいつ、完全にハマってやがる……! 鉄道系双六に……!


 クラムが最近様子がおかしいって言ってたのはこのことだったのか。


「誘ってくれてありがとう。でも、私どうしてもやらなきゃいけないことがあるから……」


「そうか、わかった。まあ後輩でも誘うわ」


 そう言って行こうとするヨゼフにリアは声をかけた。


「あのさ、ヨゼフ」


「何?」


「クラムがさ、たとえば転んで怪我したときとか、治してあげたいって思う?」


 ヨゼフは間髪入れずに答えた。


「そんなのクラムは自分で治すだろ。考えるだけ無駄だ」





 棚に置きっぱなしだった屋台のクッキーを手に取ると、リボンを外して包みを解く。


『あなたにいいことがありますように』


 カラフルなチョコレートで書かれたメッセージが出てくる。


 リアが両手で力を込めたらクッキーはあっさりと真っ二つに割れた。

リアはクッキーをさらに2つに割ると机に向かってノートを広げた。


 いったい、何を血迷っていたんだろう。


 ルロイへの気持ちは、こんなカラフルにデコレーションしてリボンをかけるような綺麗なものじゃない。

蜂蜜とフルーツをたっぷり使ってチョコレートでコーティングするような、甘ったるいものじゃない。


 もっと生々しい、むき出しの衝動だったはずだ。


 こんなメッセージに収めることなんてできない。

どんなに近い言葉を探しても、きっとそれはよく似た別の何かだ。


 でも、伝える方法がひとつだけある。

だって、リアは魔法使いだから。


 リアはクッキーを口の中にほうり込む。


 蜂蜜とスパイスの香りがいっぱいに広がった。

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