第3話 チョロくて何が悪い
何を着ていけばいいんだ。
街に行くから可愛くしたほうがいいのか、でも山を歩くには邪魔だし。
そもそも実家から持ってきた服はどれもなんとなくあか抜けない気がする。
「ねえ、髪の毛とか巻いたほうがいいかなあ」
リアは鏡を見ながらメイリに言う。
「いつも通りでいいと思うよ」
すっかり支度を終えたメイリはさっきと同じ答えを返した。
◇
今日は初めての週末。
外泊許可をとって冒険仲間に会いにいくメイリと一緒にふもとの街、ドライツェンに買い物に出ることにしていた。
結局服はシンプルなワンピースにして、髪はリボンを編み込んだみつあみにした。
「風呂当番まかせちゃってごめんね」
山を下りながらメイリが申し訳なさそうに言う。
「全然いいよ、仲間ってどんな人?」
木々の間から明るい光がさしている。
どこか花の匂いがするような春の空気にリアはたまらなくワクワクしていた。
「ええと、どんなって言われると難しいな。ジャンっていうひとつ上の男の子で、地元が同じなの」
仲間って男の子だったんだ……少しだけ、メイリの横顔が遠くなった気がした。
「じゃあ、5年間一緒に冒険してたんだ。今は何をしてるの?」
「ドライツェンで働いてる。私の学費を稼いでくれてるの」
「ええ!」
意外な答えにリアは思わず声をあげた。
「ジャンが頑張ってくれてるから、私もちゃんと勉強しないとって思うんだ」
真剣な顔でメイリは前を見つめる。
「ジャンに会うの、楽しみ?」
リアが聞くとメイリは少し考える。
「うーん、会いたいけど……1週間も会わなかったのは初めてだから、どんな顔して会ったらいいかわからないよ」
そう言って恥ずかしそうに笑うメイリは可愛かった。
きっと、メイリはジャンのことが大好きなんだろうな。
話しているうちにふもとに広がるドライツェンの街が見えてきた
◇
ドライツェンの街でリアは目をキラキラさせていた。
すごい! すごい! 都会だ!
街並みも、店も、歩いてる人も、リアの地元とは全然違う。
広場では楽器を演奏している人もいてリアの気分はめちゃくちゃアガった。
はしゃぐリアを見て広場にいた女の子がアネモネの花を一輪手渡してくれる。
「私に? ありがとう」
リアが受け取ると、女の子は笑顔で左手を差し出した。
「お代を頂けませんか」
「え?」
リアが戸惑っているとすごい勢いでメイリが来て花を乱暴に女の子に返した。
「こんなのいらないから! もうあっち行って」
女の子はびっくりして逃げて行った。
「リア、財布確認して!」
リアは慌てて荷物を探る。
「財布、ある」
「あんなのいちいち相手にしない! 向こうから話しかけてくる奴は泥棒かサギだと思って、目合わせちゃだめだよ」
「はい……」
メイリはしっかりしてるな……これからはもっとまわりを警戒したほうがいいのかもしれない。
リアは都会の洗礼を受けた気分だった。
◇
「あ、おいしい!」
ラズベリーがたっぷり乗ったバターケーキは甘酸っぱくて春らしい味わいだった。
都会のカフェで食べるケーキはなんだか味までオシャレな気がする。
「学園と違って街は賑やかだね」
メイリはそう言って通りをながめる。
確かに、山の上はあんなに静かなのに街にはいっぱい人がいて賑やかだ。
「あ!」
外を見ていたメイリが声をあげる。
「どうしたの?」
「ジャンだ」
メイリの表情が明るくなる。
「え! どこ?」
「あれ、あの赤毛の」
メイリが指さしたさきに、大柄な赤毛の少年がいた。なんだか不機嫌そうな顔をしている。
「声かけなくていいの?」
リアの言葉にメイリはニヤニヤしながら首をふる。
「もうちょっと観察しよう。ふふ、こっちに気づくかな?」
ジャンはしばらく仏頂面でうろうろしていたが、こちらに気が付くと驚いた顔をしてずんずん向かってきた。
「メイリ!」
「元気だった?」
「おう」
メイリの声は心なしか普段より低くて早口に聞こえる。
短いやりとりのなかにも、慣れた空気というか、2人が過ごしてきた時間の長さを感じた。
「この子はリア、ルームメイトなの」
メイリの紹介でリアは軽く頭を下げる。
「はじめまして、リアです」
「あ……ども、ジャンっす」
ぎこちなく挨拶を交わす2人を見て、メイリは面白そうに笑った。
◇
お昼前の透き通った空気の中、リアはひとりでドライツェンの街を歩いていた。
一番の目的は買い出しだけど、まずは街をゆっくり見てまわりたい。
敷き詰められた石畳に色とりどりの花を飾ったオシャレな建物、可愛らしいお菓子屋さんにアクセサリー屋さんもいっぱいある。
なんてステキなんだろう。
街を歩いているだけで、オシャレな街の一部になったようなワクワクした気分になる。
表通りでレース編みのリボンとチョコレートを買ったら、次は必需品の買い物だ。
まず何より、服だ。
家から持ってきたフリルや刺繍の入ったワンピースはみんなお気に入りだったけど、1週間過ごしてみてわかった。
誰もこんな格好してない……田舎娘丸出しだ。
だいたいほとんどを山の中の学園で過ごすのに、洗濯もろくにできないフリルを着る必要なんて1ミリもない。
リアは洗濯しやすそうなシンプルなシャツとスカートを何着か買った。
あとは何より食料!
ただでさえ夕ごはんのあとは朝まで食事が提供されないのに、なんか体に優しそうなメニューでお腹にたまらないし、夜ひたすらお腹が減るのだ。
リアは空腹で夜中に目が覚めるのなんて初めてだった。
ここ数日は地元の銘菓で食いつないでいたようなもの。
チョコレートとかキャンディとか、そんな可愛らしいものじゃなくて、もっとクッキーとかラスクとか、ガチめの炭水化物じゃないときっと夜を乗り切れない。
リアはとにかくお腹がふくれそうなものをたくさん買った。
◇
山の登り口で下りてきたエーミール先輩と会った。
「今帰りか?」
リアに気づくとエーミール先輩は笑顔で声をかけてくれた。
白い肌と金色の髪は太陽に照らされてキラキラと柔らかく光る。
エーミール先輩はやっぱり今日もかっこいい。
「はい、買い物してました!」
「どう、学園には慣れた?」
「まあまあ慣れました。ただ、勉強が難しくて」
リアが苦笑するとエーミール先輩は真剣な顔で言った。
「そう、俺でわかることなら教えるから、困ったことがあったらいつでも言えよ」
優しい、きっと頭もいいんだろうな。
リアにはエーミール先輩が眩しかった。
「じゃあ俺はこれで、気をつけてね」
エーミール先輩はさわやかに笑うと、街の方へ歩いて行った。
◇
エーミール先輩に会えるなんて、今日はラッキーだな。
リアは軽い足取りで山を登っていた。
かっこよくて、優しくて、エーミール先輩が同じ学園にいると思うだけでなんだかワクワクしてくる。
でも、エーミール先輩は魔法使いじゃないのに、どうして学園に来たんだろう。
何か理由があるんだろうか。
それにしても……学園が近づくにつれてリアは憂鬱になってきた。
相変わらず魔法理学はわからないままだ。
授業はどんどん進むのに、一向に理解できない。
このままじゃいけないのはわかってるけど、教科書を読んでもわからないし、ノートを見直してもわからない。
一体、どうしたらいいんだろう。
街に行って少し晴れた気持ちがまた沈んできた。
考え事をしていたせいか、茂みから小動物が飛び出してきたのに気づかなかった。
「わっ!」
足元をかすめて行った謎の生物に驚いたリアはぐらりと体勢を崩した。
とっさに出した足が地面のへこみにとられる。
あ……これ、ダメなやつだ。
買い物の袋が地面に散らばるのがやけにスローモーションで見えたあと、右足首が曲がってはいけない方向に曲がるのがわかった。
ぐにゃりと嫌な感触があった。
一瞬、足首に強い痺れが広がって、すぐに焼けるような痛みに変わる。
「ぐあああああああ!」
リアは非戦闘要員だと思ってたキャラから意外に強力な攻撃を受けた時の魔王のような悲鳴を上げてその場にうずくまった。
痛い痛い痛い! 骨までいったかも。
脈打つ度に足首から痛みが広がって頭にまでガンガン響いてくる。
どうしよう……これ以上登れない。それ以前に立てない。
もしかして、詰んだんじゃないか?
リアが途方もなく空を見上げたときだった。
「どうした!」
山の奥から誰かが走ってきた。
◇
「大丈夫か?」
リアに声をかけたのは、リアよりいくらか年上に見える背の高い青年だった。
「痛い、痛い、痛い」
リアは全然大丈夫じゃなかった。
「どこが痛い?」
彼はリアの目線に合わせてしゃがむと、冷静に聞いた。
「足、ひねっちゃって、痛くて」
リアが答えると、彼は難しい顔で考え込んでいたが、意を決したように言った。
「怪我したところ見せて」
靴を脱ぐと足首はパンパンに腫れていた。
彼はリアの足にそっと手をかざす。
「回復!」
なにやら不穏な呪文が聞こえた瞬間、あたたかい光に包まれたような不思議な安心感が広がって、リアは意識を失った。
◇
頬に風を感じてリアは目を覚ました。
「あ、起きた?」
近くで声が聞こえる。
「あれ、私……寝てた?」
リアは草地の上に寝かされていた。
彼のものなのか、上着がかけられている。
まだ意識がぼんやりとしている。
「ごめんな、眠らせちゃって。足の怪我はどう?」
ああそうだ、確か怪我をしてた。
靴を脱いだままの足からは腫れも痛みも引いていた。
「治ってる!」
「ああ、よかった」
彼は安心したように笑った。
「治してくれたの? ありがとう」
これが回復魔法か! リアは感動した。
「私リア、活動の一年なの」
「俺はルロイ、回復の一年だ」
学生だったのか……そういえば、学園で見かけたことがあるような気がする。
リアの意識はだんだんはっきりしてきた。
「ちょっと周りより歳くってるけどな。長いこと冒険してたから」
「あなた、冒険者なの?」
リアが知らないだけで冒険者って意外と沢山いるのかもしれない。
「今は学生だけどな」
ルロイはそう言って空を見上げる。
「今までパーティーを組んで冒険してたんだけど、なんか回復した相手を眠らせるようになっちゃってさ。これじゃ普段は使えないだろ?」
それで眠くなったのか。確かにそれは大変そうだ。
「とりあえず仲間と別れて、魔法について勉強すればなんとかなるかもと思って学園に来たけど」
ルロイは大きなため息をつく。
「魔法理学が無理だ」
「私も! 全然わからないの」
仲間がいた! リアは本当に嬉しかった。
自分以外は全員理解してるように見えてたけど、やっぱりわからない人もいるんだ。
「そうだ、お前活動だろ。炎?」
ルロイが思いついたように聞いてきた。
リアがうなずくとルロイは懐から煙草を取り出した。
「火、貸してくれよ。一本吸ったら学園まで送ってやるから。」
「いいけど」
リアは燃えそうな草を集めて火をつける。
「点火!」
空を見ながら煙草を吸うルロイをリアは何も言わずに見ていた。
傾きはじめた陽光が2人を柔らかく照らしていた。
◇
「そういえばさ、ルロイは魔法誰に習ったの?」
学園に向かって山を登りながらルロイに聞く。
買い物の荷物を持ってくれてありがたい。
「魔法ババアだけど」
やっぱり魔法ババアか。魔法ババアってどこにでもいるんだな。
「あの呪文も?」
「ああ、あまり良くない意味なのは知ってる。でももう今さら直せないんだ」
そう言ってルロイは小さくため息をつく。
魔法ババアガチャがあるな。
カールのババアはSSRでルロイはノーマルかな。
寮の廊下で2人は別れた。
「荷物まで持ってもらっちゃって、今日は本当にありがとう」
「ああ、お互い勉強がんばろうな」
◇
リアは風呂焚き場の燃えさかる炉を眺めていた。
回復魔法ってすごいんだな。
あんなに痛かったのに何もなかったみたいに治ってしまった。
怪我を治してくれて、優しくしてくれた。
ルロイのことを考えると、苦しいような、嬉しいような、よくわからないゴチャゴチャした感情でいっぱいになる。
「ルロイ」
小声でつぶやくと、胸のあたりがギュッとなるような、強烈な切なさにおそわれる。
リアはふと男子寮の窓を見る。
あの部屋のどこかにルロイがいるんだろうか。
今ごろ何をしてるんだろう……リアのことを思い出してくれているだろうか。
年上だと言ってたけど、いくつなんだろう。
今までどんな経験をしてどんな世界を見てきたんだろう。
起きるまでどのくらい待っててくれたんだろう……寝顔、見られたんだろうな。
煙草吸ってたな、大人っぽかった。
なんなんだ本当に、リアは雑念を払うように首を振る。
油断するとすぐにルロイのことが浮かんできて頭の中が埋め尽くされてしまう。
「あ! お風呂」
気づいたら浴槽に張ったお湯はすっかり熱湯になっていた。
「あー……何やってんだろう」
風呂に水を埋めながらリアはため息をつく。
浴槽から溢れたお湯がリアの足を濡らしていった。