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第27話 人生はババアになってからの方が長い

 あと、どれだけ山を越えたらいいんだ。


 リアは早足で山道を歩いていた。

登っては下っての繰り返しで、いま自分がどこにいるのかもよくわからない。


「わっ!」


 くぼみに足を取られたリアを、力強い腕が支えてくれる。


「大丈夫っすか?」


「うん、ありがとう」


「痛いとこあったら言って下さいね。治しますんで」


 そう言って笑ったのは回復魔法科の1年生リチョウ、夏休みに一緒にサッカーをした、日焼けが健康的な男子学生だ。


「次の峠を越えたら村に着くんで、もうすぐっす」


 リチョウが元気に言う。


 次の峠……今は下ってるから、これからもう一回登って、下りないといけないのか。

気が遠くなりそうだけど気合いで前を向いた。


 どこまでも青い空の下、涼しい風が落ち葉を散らしていった。





 峠を越えたら谷に出た。


「これ、渡ったらもう村っすよ」


 リチョウが向こう岸を指差す。


 渡るって……これを?

リアは顔がひきつっているのがわかった。


 深い谷には吊り橋がかけられていた、が……


「じゃ、行きましょう」


 渡ろうとするリチョウの腕をリアはつかむ。


「ごめん、ちょっとだけ待って」


「え? どうしたんですか?」


 底が見えないくらい深い谷に渡されているのは、不揃いの木材を縄でつなぎ合わせただけの橋だ。

ところどころ板が欠けているし、つかまるような手すりもない。


 まるで異界への(トワイライト・)入り口(シンドローム)みたいだ。


「ちょっと、心の準備をするから」


 谷底を見ながらリアはとりあえず深呼吸をした。

リチョウはしばらく不思議そうにリアを見ていたけど、思い当たったように言った。


「ああ、もしかして、恐ろしいですか?」


 無言で頷くと、リチョウは声をあげて笑った。


「ははは! 大丈夫っすよ。村の連中はみんなこの橋使ってるけど、事故なんてないっす。2年前に木こりの爺さんが酒に酔って落ちたのが最後だったかな?」


「事故起こってるじゃん!」


「まあ、あれは寿命みたいなもんだったし、いい死に方っす」


 すでに死生観がリアの世界と違う。


 殺人吊り橋(ヘル・エッジ・ロード)だけじゃなくてこの先の異文化もなんだか恐ろしくなってきた。


 でも、研究のためだ。

リアはこぶしを強く握りしめた。


「大丈夫、行こう」


「そんなに恐ろしいなら向こう岸まで抱っこしてあげましょうか? ルロイ先輩には秘密で」


 ふざけてるのか本気なのか、リチョウが笑いながら言う。


「いや、大丈夫だよ」


 ふるえる声でリアは言った。


 研究のため……研究のためだ……死んだからって何だ!


 気合いで一歩目を踏み出すと、板の表面がヌルっと滑った。


「リチョウ、ごめん」


「何すか?」


「手だけ、つないでもいい?」





 岸から離れるほど風が強くなって橋の揺れは大きくなる。

足場はところどころ苔むしていて気をつけないとすべり落ちそうだ。


「いい天気っすねー、フットボール」


 リチョウがのんびりした声で言う。


 早く渡りきってしまいたいのに足が震えて思うように動かない。


「る、ル、ル、ルビー」


 リアはリチョウの手をきつく握りしめて離せなかった。


「ちょっとパイセン、そんなに強く握ったら痛いっす……ビール」


「ああごめん、えっと、ルーンスタッフ」


「フェンリル、あ、次の板腐ってるんでいっこ飛ばして下さいね」


 そんな初見殺し(デストラップ)まであるの?


「ルル、ルール」


 あと少し、あと少しだ。


「下を見るから怖いんすよ、景色見ましょう、ルビーカーバンクル」


「ル、る、えーと」


「はい着いた、パイセンの負けっす」


 リチョウはリアの手を引いて地上に下りるとニッと笑った。


 靴の下に確かな大地を感じてリアは一気に力が抜けた。


「ああー、生きててよかったああ」


 足はまだ震えてるし心臓も苦しいくらいドキドキしてるけど、なんか渡りきった達成感というかまわりの景色が輝いて見える。

頭がクリアになってなんだかとても清々しい気分だ。


「大げさっすね」


 リチョウが笑う。


 つないだままの手から伝わる体温が心地よい。

なんかもうリチョウのことをちょっと好きになってる気がする。


「調査に協力してくれてありがとう。講義休ませちゃってごめんね」


 今回、はるばるリチョウの村まで来たのは卒研のためだ。


 魔法使いが少ない土地でどうやって魔法使いが生活してきたのかを考えるために魔法ババアへの聞き取り調査をする予定になっている。


「全然いいっすよ。こんなことでもないと休めないし、収穫祭の時期に帰れてラッキーっす」


 リチョウがのんきに笑う。


「収穫祭?」


「村祭りっす。田舎だけどご馳走も食べれるし楽しいっすよ」


 嬉しそうに話す様子は子どもみたいだ。

見上げるくらい背が高くて体格もがっしりしてるけど、なんだか可愛く見えてきた。


「それに……正直実習はしんどかったんで、気分転換ができてほっとしました」


 リチョウが空を見て息を吐く。


 そうか、もう実習が始まってるんだ。

去年、ルロイも似たようなことを言っていた。

愛情を込めて世話をしてきたモルセーグを実験に使うのはきっと辛いだろう。


 リアは握った手にぎゅっと力を込めた。


「まあ、学問のためだしやるしかないっす……そろそろ行きましょうか」


 リチョウが言ってリアも笑顔で頷く。


「お前、リチョウじゃねえか!」


 声をかけられたのはその時だった。





「帰ってきてたのか!」


 話しかけてきたのは、リアの母親くらいの歳だろうか、リンゴでいっぱいになったカゴを持った女性だった。


「ああ、ちょっと用さあって」


 言ってリチョウはつないでいた手をぱっと離す。


「しかも、めんこい子さ連れて」


 そう言って彼女(第一村人)はリアを見る。


 紹介してくれるかな? とにかく好印象をもってもらうためにリアはにこにこしていた。


「この人は学校の……」

「こうしちゃいられねえ! 村さ帰ってみんなに教えてやらねえとな」


 リチョウの言葉を遮って彼女は走り去っていった。


「ちゃんと挨拶したほうがよかったかな」


「うわあああー!」


 リチョウがいきなり大声をだしたのでリアはビクッとなった。


「手つないでるところ見られた……しかもリンゴ園のババアに……最悪だ」


 なにやらぶつぶつ言っている。


「あの、なんかごめん……でもあとでちゃんと説明すれば」


「パイセン、ここは田舎っすよ、ドライツェンとは違うんです」


 リチョウが言った。


 確かに、もしリアが男子と手をつないで地元に帰ったら大騒ぎになるだろう。

もしかしたら勘当されるかもしれない。


「まあ、仕方ないっす、行きましょう」


 そう言ってリチョウは歩き出した。


 魔法ババアの言葉、ちゃんと聞き取れるかな。

後ろをついていきながらリアは全然違う心配をしていた。


 ほどなくして村についた。


 収穫祭の準備が進んでいるのか、屋外にテーブルが出されていて村人たちが忙しそうに立ち働いている。

こんな時期に部外者が来てもよかったんだろうか。


「おう、リチョウ、聞いたぞ。嫁っこさ連れて帰ってきたんだってな」


「違えって! リンゴのババアが言うことを信じるな」


 村中が知り合いみたいで、リチョウは行く先々で声をかけられる。


「リチョウ、よかったな! お前もついに男になったか」


「うるせえ! この人は学園の先輩だ!」


 それにしても、この噂の広まる速度……まぎれもない田舎だ。

さっきのリンゴババアはきっとスピーカーババアなんだろうな、リアの地元にもたくさんいる。


「なんかすいません。パイセンまで誤解されちゃって……みんな退屈してるからこういう話が好きなんです」


 リチョウがため息をつく。


「ああ、全然いいよ。うちの地元も似たようなもんだし」


 リアの地元でも調査ができたらよかったんだけど、リアは地元では魔法が使えることを隠している。

最初は世間体のためだと思っていたけど、母なりにリアを心配していたことは今ならわかる。


「え、リチョウ? なんで?」


 声が聞こえた方を見ると、刺繍の入ったエプロンドレスを着た女の子がパンの入ったカゴを抱えて立っていた。

リアよりいくつか年下だろうか、長い黒髪と真っ赤なほっぺが可愛らしい。


「いちゃ悪いかよ」


 リチョウがからかうように言うと、女の子はくすぐったそうに笑った。


「ううん、だって、しばらく会えねえと思ってたから」


「グレーテルも元気そうだな」


 なんだかハッピーな空気がただよい始めたところで女の子、グレーテルがリアに気づいた。


「あの、その人は?」


 嬉しそうに笑っていたグレーテルの顔が少し不安げになる。


「ああ、学園の先輩」


「リアと申します。こちらの村には調査のために参りました」


 リアは練習していた挨拶をした。


「いや、なんすかそのしゃべり方。さっきまで吊り橋が怖くて泣いてた人が」


 せっかく真面目っぽくキメたのにリチョウが茶々をいれる。


「ちょっと、泣いてはいないよ」


 リアとリチョウのやりとりをグレーテルは戸惑ったように見つめていた。


「じゃあ、またあとでな。あ、お前、リンゴのババアが何言っても信じるなよ」


「え? あ、うん」


 少し寂しそうなグレーテルを見て、リアはもうわかった。


 この子、リチョウに恋をしてるんだ。


 風が吹くたびにさらさらと枝葉の揺れる音がする。

この村は深い木々に包まれていて、まるで山に守られているみたいだ。


「じゃあとりあえず俺の家に荷物置いて、とっとと調査を済ませましょう」


 当然のようにリチョウが言ったのでリアはあわてる。


「そこまで迷惑かけられないよ。私はどこか宿をとるから」


「何言ってるんすかパイセン」


 リチョウが呆れたような顔をする。


「宿屋なんて、そんな気のきいたものあるわけないでしょ」





「ただいまー、あれ? 誰もいないかな」


 家の中はがらんとしていた。


 みんな祭りの準備に出ているのかもしれない。 


「とりあえず俺の部屋行こう」


 促されるまま2階のリチョウの部屋に上がった。


「俺、着替えてくるんで、適当に座っててください」


 ひとり部屋に残されて、リアはふうと息をつく。


 ベッド以外ほとんど物がない部屋はきれいに片付いていた。

主がいない部屋の寒々しさは実家のリアの部屋と通じるものがある。


 窓の外からは村の人たちの声が聞こえてきた。


 なんだか、いろんなことがあるな。


 あんまり話したことがなかった男の子と山をひたすら歩いて、死の香りがする橋を渡って、いまこうやって知らない村の知らない部屋に来ている。


 くつろいでいる場合じゃない、調査の準備をしないと。


 荷物からノートを取り出す。

一応質問事項は10項目ほどにまとめてきたけど、全部聞かなくても会話の流れで話してもらえばいい……と思う。


 うまくできるかな、いや、ここまで来たんだしやるしかないか。

あの橋を渡り切ったんだ、いまさら怖いものなんてない。


 リアがノートを握りしめているとリチョウが戻ってきた。


「遅くなってすみません、行きましょう」





 魔法ババアの家からはコーヒーのいい香りがしていた。


「よかった、まだ生きてるな」


 リチョウが小声で言ってドアを開けた。


「リチョウです! お久しぶりです!」


 リチョウが急に大声を出したのでリアはビクッとした。


 部屋の奥に座っていたおばあさんがゆっくりこちらを向いた。


「リチョウ、お前、帰ってきてたのか」


 よく響く落ち着いた声だった。


「ああ! 学校の先輩さ連れてきた!」


 リチョウは勝手知ったるといった感じで台所からふきんを持ってくると机の上を拭きはじめた。


「そだなこと、しねえでいいから、座れ」


 おばあさんは笑いながら言った。


「いやもうなんかこうしねえと落ち着かなくて……パイセン! こっち座ってください」


 入り口でただ様子を見ていたリアはリチョウに促されて椅子に座った。


「えーと、この人が」


「ああ、アニタんとこの娘さんだろ?」


「違えよ! 魔法学園の先輩だ!」


 リチョウが言うとおばあさんはリアをゆっくり見る。


「リアと申します。こちらの村には」

「ああ?」


 おばあさんはリアの言葉を遮って聞き返す。


「えっと、こちらの村には」

「ああ?」


「パイセン、そんな声で言ってもババアには届かないっす」


 リチョウが耳打ちする。


「リアです! 魔法使いっす!」


 リアは思いっきり声を張りあげた。


 おばあさんは目をぱちくりさせてしばらく静止していたけど、ゆっくり頷いたあと笑った。


「そうか、お前、魔法使いか」





「ババア! そんなん俺がやるすけ!」


「いいから、お前は座ってれ」


 おばあさんはコーヒーをいれてくれた。


 この家でコーヒー豆の焙煎をしていて、脚が悪くなるまでは喫茶店もしていたらしい。

ブラックコーヒーは苦かったけど、とても深い香りがした。


「私はイリーナ、聞きてえことがあったらなんでも聞いてくれ」


 イリーナは笑顔で言ってくれた。


「ええっと……」


 リアはノートを見る。


 質問することは考えてあるけど、いきなり聞くのも事務的というか何というか……あ、そうか。


「私! 炎なんです! イリーナは何の魔法が使えるんですか!」


 リアができる限りの大声で言うとイリーナは嬉しそうに笑った。


「同じだ、私も炎だよ」





 考えてきた質問が全部できたわけじゃなかったけど、イリーナはたくさんの話を聞かせてくれた。


 村で生まれて、魔法使いになって、魔法の力に助けられながら、時には翻弄されながら今日まで生きてきた。

村の中という小さな世界だけど、これから先、魔法の力に目覚めた子が戸惑わないように魔法のことを伝えていこうと決めた。


 みたいなことを言ってたと思う。

言葉がわからなかったところは後でリチョウに聞こう。


「ありがとうございました!」


 リアは礼を言って魔法ババアの家をあとにした。


「あんなんで本当に論文かけるんですか? なんかほとんどババアの昔のモテ自慢だったじゃないすか……しかも真偽不明の」


 歩きながらリチョウがぼやく。


「いやあ、でも最後は魔法の力をみとめてくれる人より愛をとったところがいいなあって思ったよ。あと、グロスヒューゲル軍の魔法部隊に招集されそうになったときに頭がお花畑なふりして回避した話もよかった」


「村が一丸となってババアを守ったところはクライマックスでしたね。最後に子供が『いつもの魔法さ見せて』て言っちゃうんだけど、兵士が見逃してくれたところとか感動っす」


 リチョウの言葉にリアは頷く。


「きっとさ、その兵士にもババアと同じ年頃の娘がいたんだよ」


「いいっすねえ、ババアに歴史ありっす」


 空はもう赤くなっていた。


「腹へったー! パイセン、祭り行って飯食いましょう」


 リチョウが楽しそうに言う。


 目的を果たして緊張が解けたのか、リアも急激にお腹が空いてきた。


「リチョウの家のひとに挨拶もしないといけないしな……でも、村の人じゃないのに参加してもいいの?」


「わかんないけど、多分大丈夫っす!」


 リチョウがにっこり笑った。


 広場では宴が始まっていた。


 大量の料理やお酒を囲んでみんな思い思いの時間を楽しんでいた。

楽器を演奏している人や、踊っている人もいる。


 リチョウとリアが現れるとみんな一斉にこちらを向いた。


 本当にここにいていいのかな……なんとなく、知らない家の食卓に紛れ込んだような居心地の悪さを感じる。


「リチョウお前、学校はどうした」


 いかつい男性がこちらに来た。


「親父っす」


 リチョウが小声で言ったあと、親父に向き直る。


「学園の先輩が研究したいって言うすけ、魔法ババアさ会いにきた」


「先輩?」


 みんなの視線がリアに集まる。


「ああ、いっこ上のリア先輩」


 リチョウに手で促されてリアは頭を下げる。


「ホーエンノイフェルト魔法学園から来ました。リアです」


「リチョウ! お前彼女って言ってたらねっか!」


 リンゴのババアが茶々を入れる。


「言ってねえよ! 記憶捏造(エラッタ)すんなババア!」


 やりとりを見てたら、中年の女性に話しかけられた。


「どうも、リチョウの母です」


 リアはあわてて頭を下げる。


「リアです。本日はお世話になります」


「こんな田舎までよく来たない。大したものもねえけど、好きなだけ食ってってな」


 リチョウのお母さんはやさしく言ってくれた。

緊張と空腹に支配されていたリアにとっては涙がでるほどありがたかった。


「じゃあ、食べましょ! もう腹減って死にそうっす」


 リチョウに促されてリアも手を合わせた。


「いただきます!」


 正体のわからない肉とか、知らない野菜の煮込みとか、食べたことがない料理ばっかりだったけど、どれも本当においしかった。


「うめえか?」


 リチョウのお母さんが話しかけてきた。


「はい! すごくおいしいです!」


「リチョウは少し痩せたんらねっか、飯はちゃんと食べれてるのか?」


 そういってお母さんはリチョウを見る。


「大丈夫らて、ちゃんと食うとるが」


 リチョウは笑って言う。


 以前実家に帰った時、リアの母も似たようなことを言っていた。

きっと家を離れた息子が心配で仕方がないんだろう。


「あんまり豪華なものは出ないけど、学園では3食ちゃんと食べられるから大丈夫ですよ」


 学園の食糧事情は決して良いとはいえないけど、リアは笑顔で答えた。


「パイセン! 向こうで一緒に飲みましょう」


 リチョウがビールを持ってきてくれた。


「え、でも……飲んでいいのかな」


 一応ここには学術目的で来ている。


 どうなんだろう、お酒を飲まないで真面目感を出したほうがいいのか、それとも楽しく飲んでコミュニケーション的なやつをしたほうがいいのか。


「あれ、酒ダメでしたっけ?」


「大好き」


 リアは即答した。


「じゃあ飲むしかないっしょ!」


 リチョウにジョッキを手渡される。


 まあいっか、飲んじゃえ! リアはコミュニケーション案を採用することにした。


「乾杯!」


 ひと息で飲み干すと村の人が嬉しそうにビールを注いでくれる。


「お前、いい飲みっぷりだな」


「えへへ、お酒好きなんです」


 リアは笑顔でジョッキを傾けた。


 ビールを飲むとルロイを思い出す。

今ごろ、何をしているんだろう。

食堂でごはんを食べているのか、それとも、研究でもしているんだろうか。


「なあ、都会ではそんな服が流行ってるのか?」


 今度は若い女の人に話しかけられた。


「ええ、どうだろう……流行ってはいないかな」


 今着てるのは普段着、なんの変哲もないシャツとスカートだ。

山歩きするし、いつも通りでいいだろうと思って特に考えもなく着てきた。


「やっぱり都会の人は違うなって思ってたんだよ、なんかこう、雰囲気が垢抜けてるっていうか」


 都会の人……なんて感動的な響きなんだ。

そんな素敵な名前で呼ばれる日が来るなんて。


 ちょっと前まではリアもただのクソ田舎娘だったし、学園も山の中で都会もクソもないけど、知らず知らずのうちに都会的な何かが身についていたのかもしれない。

まあ、やってることと言えば、風呂を焚いて勉強に苦しんで山を歩いてルロイの煙草に火をつけるの繰り返しだけど。


 ふとリチョウの方を見ると村の同年代の子たちと飲みながら楽しそうに話していた。


 こうやってみるとすっかり村の子って感じだ。

学園では『回復の学生』のひとりだけど、きっとこの村で元気いっぱいに育ったんだろうな。


 輪の中にグレーテルの姿もあった。

昼間は下ろしていた髪を、今は結い上げて真っ赤なダリアの花を飾っている。


 リチョウを嬉しそうに見上げる横顔は宝物みたいに可愛かった。





 日が沈みきった頃、イリーナが杖をつきながら現れた。


「ババア! 無理すんな死ぬぞ」


 リチョウがかけよってイリーナの手を引く。

イリーナは小さな包みをテーブルに置いた。


「アップルパイ焼いてきた、みんなで食べれ」


 リチョウは椅子を引いてイリーナを座らせると、嬉しそうに言った。


「ババアのアップルパイ美味いんすよ」


「嬉しい! ビールにぴったりだね」


 アップルパイの中にはカリカリにローストしたクルミがたっぷり入っていてとてもおいしかった。

ビールもいいけどコーヒーによく合いそうだ。


 リアが焼きたてのパイを頬張っていると、かわいらしい男の子がてこてこ歩いてきた。


「リチョウと同じ学校なら、怪我さ治せるのか?」


 男の子は丸い瞳でリアを見上げる。


「ううん、私はイリーナと同じ、炎の魔法使いなの」


「ねえ、魔法さ見せてけろ」


 男の子が無邪気に笑うと村の人も集まってきた。


「私も見たい」

「見せて見せて!」


「大丈夫っすか? 炎なんて危ないし、あれだったら俺からみんなに言いますけど」


 いつの間にかリチョウがリアの横に来ていた。


「いや、大丈夫だよ」


 こんな場面にぴったりの魔法がある。


 リアはビールをぐっと飲みほしてジョッキをテーブルに叩きつけると豪快に印を結んだ。


藍6葱12空6(□・□+→+×△)!」


 夜空に光の花が咲く。


 一瞬水をうったように静かになったあと、歓声があがった。


「うわ、すげえ」


 リチョウが空をみながら言った。

イリーナも少し離れた席で笑っていた。


 さすが『笑顔にする魔法』だ。


 リアが満足げに周囲をみまわすと、寂しそうにこちらを見るグレーテルと目が合った。





 窓から月が見える。


 夜、リアはリチョウの部屋で聞き取り調査の内容をまとめていた。


「起きてます?」


 リチョウが部屋に入ってきた。


「うん、いろいろありがとう。リチョウはみんなのところに行かなくていいの?」


 外からは村人たちの楽しそうな声と音楽が聞こえてくる。

夜が深まって、祭りはさらに盛り上がっているみたいだ。


「いや、ここが静かで落ち着くっす」


 そう言ってリチョウは息をつく。


「ごめんね、久しぶりの実家なのにお邪魔しちゃって」


「全然いいっすよ。酒持ってくるんで飲みましょ」


 リチョウは赤ワインとグラスを持って上がってきた。


 テーブルにグラスを置いてワインを注ぐ。


「乾杯!」


 赤ワインを飲んだのは初めてだった。


「はじめて飲んだけど、けっこう濃いっていうか、渋いっすね」


 リアが思ったことをそのままリチョウが言ったので笑ってしまった。


「同じ、私もはじめて飲んだ」


「あんまり美味しくないっすね」


 リチョウが渋い顔で言うのが面白かった。


「じゃあなんで持ってきたのよ」


「いや、なんか飲んでみたくて……だってワインってなんか大人って感じするじゃないすか」


 素直なリチョウはなんだか可愛かった。


「私は嫌いじゃないけどな、飲んでるうちに美味しくなるんじゃない?」


 リアはグラスを傾ける。


 甘くはないけど、濃厚な香りと柔らかい口当たりはなかなか悪くない。


「ババアップルパイもらってくればよかったな。まあ、これも修行っす」


 リチョウはグラスに口をつけると、リアの目をみてニヤリと笑った。


「でもね、こんな風に男の部屋で2人で酒飲んでたら、ルロイ先輩に怒られちゃいますね」


「ルロイ?」


 突如出てきた名前に少しドキッとする。


「なんでルロイが怒るの?」


「え、だって彼女がその……やっぱり男としては面白くないんじゃないですか?」


「彼女じゃないよ、ルロイとは付き合ってない」


 リアはそう言ってワインを飲む。


「まじっすか!」


「まじっす」


「えええ、そうだったんだ……いや、ルロイ先輩って大人の男だし、その、パイセンが虜になるような凄いテクニックを持ってるのかと……」


「え、何、どういうこと?」


 なんか話が変な方向になってきた。


「なんかね、パイセンってロリ……ちょっと幼く見えるじゃないですか、だからルロイ先輩との組み合わせってなんていうかすごく、いけないものを見てるような気分になるんすよね」


 聞いてるうちにリアは恥ずかしくなった。

男子学生からはそんな目で見られていたのか。


「毎晩ルロイ先輩の技で骨ヌキにされてるんだと思ってました! すいません!」


 なんの謝罪なんだか……リアは苦笑する。


「ルロイには、ずっと片想いなんだ」


 リアは空になったグラスにワインを注ぐ。


「まだ新入生だった時にさ、山で怪我したのを魔法で治してもらって、好きになっちゃったんだよね」


 なんだか懐かしい。もう、ずっとずっと昔のことみたいだ。


「ええー! そんなん俺でもできるのに」


 言いながらリチョウがワインを飲む。


「苦ぁ!」


 なんだか楽しそうに言ったあと、リアを見て笑う。


「彼氏いないんなら、俺とかどうすか? 怪我なんていつでも治しますよ」


「あはは、考えとくよ」


 リアもワインを飲みながら笑った。


「ちょっと、本気にしてないでしょ」


 リチョウはすねたようにグラスを傾けるとため息をついた。


「ああもう、楽しいスクールライフを期待してたのに、学園は男ばっかりだし、学科の唯一の女子は速攻で先輩に持ってかれるし、もう俺の青春真っ暗っす!」


「ああ、クラムね」


「ヨゼフ先輩、まじでずっこいっすよ。俺たちは実験とかも全部一緒にやるし、抜け駆けっぽくなるのもあれだしでクラムに簡単に手なんて出せないのに、横からとっていきましたからね」


 たしかに回復魔法科の1年生からしたらそうなんだろうけど、リチョウの言い方が面白くてリアは爆笑した。


「あはははは! お姫様とられちゃったねえ」


「いや、笑い事じゃないっすよもう」


 リチョウはワインをちびちび飲むと大げさにため息をついた。


「あ、そうだ、あの子は?」


 リアは黒髪の可憐な少女のことを思い出した。


「誰っすか?」


「なんだっけ、グレーテル?」


 みんなが夜空に散らばった光を見上げる中、彼女だけがリチョウを見ていた。


「あの子、リチョウのことが大好きって感じだった」


「ああ」


 リチョウの顔から笑みが消える。


「知ってます」


 無表情で言うとふーっと大きく息を吐いた。


「あいつ、いっこ年下なんですけど、昔っからあんな感じなんすよ。リチョウ、リチョウって俺のあとついてきて」


 光景が目に浮かぶようだった。きっとこの村で、ずっとリチョウのことを見ていたんだろう。


「ちゃんと言わなきゃいけないとは思ってるんですけど」


「何を?」


 リチョウは窓の外を見る。

もうだいぶ遅い時間だと思うけど、窓の外からは音楽が聞こえてくる。


「グレーテルの気持ちには応えられないってことです」


 風の音に混ざって村人たちの笑い声が聞こえる。


「そう、なんだ」


 リアはグラスの中のワインを見つめる。


「リチョウはグレーテルのこと、好きじゃないの?」


「いや、好きは好きですよ?」


 リチョウは窓の外を見つめたまま言う。


「グレーテルのこと、可愛いとは思います。でも、なんていうんだろう……俺がね、兄貴と一緒に畑やって、ずっとこの村で暮らしていくんなら普通にグレーテルと結婚してたと思うんですけど」


 リチョウは小さく息を吐いてリアを見る。


「俺、魔法使いなんですよ」


 さっきまでと違ってすごく真剣な目をしていた。


「村を出るときはそこまで真面目に考えてなかったけど、学園で勉強していくうちにね、魔法の力って俺が考えてたよりすごいんだと思うようになって……多分、他の人にはできないようなことができるんですよ」


 リアは無言で頷く。

以前、誰かが似たようなことを言っていた。


「何ができるのかはまだわからないけど、もっと勉強して今の医療じゃ治せないような人を救ったりとか、学園長先生は嫌がってるけど、たとえば軍隊とかに入って未来のために戦うのもいいと俺は思います。何をするにしても、村にはもう戻らないつもりです」


 リチョウの目はまっすぐで、未来へのエネルギーに満ちていた。


「でもさ、もしグレーテルが村を出てリチョウについて行きたいって言ったら、どうするの?」


「言うかもしれないけど……連れては行けないっすね」


 リチョウは静かに言った。


「なんで?」


「村を出たいって言ってるやつはこの村にもいるけど、あいつはそういうタイプじゃないんです。この村でずっといるのが似合うっていうか、それがあいつにとって一番いいんだと思います」


「でも、でもさ、それでも、リチョウと一緒にいられることが一番幸せなんじゃないのかな」


 グレーテルが何を考えているのかはわからない。

でも、リアだったら好きな人の隣にいられない『幸せ』なんていらない。


 リチョウはリアの目をまっすぐに見つめて言った。


「もし村から連れ出したとして、慣れない生活に苦労もするだろうし、俺も自分のことで精いっぱいになるだろうし、村にいるより危険も多くなると思います。そんな時に、それでも一緒に支えあっていこうと思うほどね……多分、俺はあいつのこと、好きじゃないと思うんです」


 リチョウは小さく息をつくと黙ってしまった。


 リアはグレーテルの戸惑ったような、寂しそうな瞳を思い出していた。


 窓の外からは風の音が聞こえてくる。


「私さ、地元に婚約者がいるんだよね」


 リアがぽつりと言うと、リチョウが驚いた顔をする。


「いきなりぶっこんできましたね。なんなんすかそれ?」


「親の仕事の関係の人で、卒業したら結婚することになってるの。でもさ、私、ルロイと離れたくなくて」


 リアはグラスに残ったワインを飲みほす。


「卒業した後もルロイと一緒にいるにはどうしたらいいんだろうって、最近そればっかり考える」


 なんでこんなことを話しているんだろう。


 ワインに酔っているのか、それとも、この深い夜のせいなのか。


「ちゃんと、言った方がいいっすよ」


「え?」


「パイセンが思ってること、そのままルロイ先輩に伝えた方がいいっす」


 真剣な声だった。


「でも、ルロイが何を考えてるのかよくわからないし……怖くて」


「パイセン」


 リチョウがリアの目をみる。


「このまま、もし何も伝えないまま卒業したとして、地元に戻って結婚なんて本当にできるんですか? 絶対後悔します」


 心の奥まで抜けるような、強い眼差しだった。


「ルロイ先輩だって、パイセンの気持ちがわからないから踏み込めない部分もあるかもしれないじゃないですか、言わなきゃ何も伝わらないっすよ」


 どうなんだろう、ルロイは何もかもわかった上で深入りするのを避けてる気もする。

でも、このままじゃ何も変わらないのも事実だ。


 リアは小さく頷く。


「大丈夫っす、もしうまくいかなかったら、俺の胸で泣いていいですから」


 リチョウは笑顔で言うとワインをあおった。


「苦っ!」





「パイセン……パイセン……」


 遠くで声が聞こえる。


「寝ちゃダメっすよ……ちゃんとベッド行かないと」


 誰の声だろうか……まるで谷の向こうから聞こえているみたいにはっきりしない。


「風邪ひきますよ」


 なんだろう……体が重くて目が開かない。


「ああもう、仕方ねえな」


 体がふわっと軽くなった。


「よいしょっと……あ」


 急に光のあたる海に浮かんでいるような、柔らかい温かさに包まれた。

気持ちいい……きっと、これは夢だ。


「あー、俺ももう寝よ」





 目を覚ましたら至近距離にリチョウの寝顔があったのでリアは固まった。


 昨夜はリチョウと一緒にワインを飲んで……どうやってベッドに入ったのか覚えていない。


「うーん」


 状況を把握する前にリチョウが目を開ける。


 リアと目が合うとニッと笑った。


「おはようございます」


「お、おはよう」


 予想外の事態に動揺しすぎて、どんな顔をしたらいいのかわからない。


「どうっすか?」


「え、何が?」


「ルロイ先輩と俺、どっちがよかったですか?」


 ニヤニヤ笑いながらリチョウが言う。


「ええ、どういうこと?」


「もしかして覚えてないんすか? 悲しいっす」


 リチョウが意味ありげに目を伏せる。


 なに、何があったって言うんだ。


「ちょっと待って、何のこと?」


 リチョウはリアの問いには答えず、起き上がって伸びをすると愉快そうに笑った。


「パイセンは可愛いですね」





 谷には深い霧がたちこめていた。


「やっぱり恐ろしいですか?」


 リンゴが大量に入った麻袋をかついでリチョウが言う。


 リアは無言で頷いた。

視界が不明瞭な分、昨日よりあの世との境界線が薄くなった気がする。


「今日はひとりで渡ってください」


 リアは驚いてリチョウを見る。


「なんで?」


 俺が一緒に来れるのはここまでってこと?

もしかしてこの村で起こったことはすべて幻で、向こう岸に着いたら全部消えてしまうんだろうか。


「振り返らずに渡って、渡り切ったら橋を焼き落とす……とか?」


 リアが谷を眺めながらつぶやくとリチョウは呆れたように言った。


「何を言ってるんですか、迷惑なんでやめてください」


 リチョウが橋を指差す。

向こう岸は霧に包まれてここからは見えない。


「この橋を渡るのと、ルロイ先輩に思いを伝えるの、どっちが恐ろしいっすか?」


「ええ?」


 それは怖さのベクトルが違うというか……橋を渡るのは普通に命の危険を感じる。


「これ、ひとりで渡り切れたら、ルロイ先輩に想いを伝える勇気も出るんじゃないですか?」


 理屈はわかるようでわからないけど、リチョウは譲る気はなさそうだ。


「わかった、ひとりで渡るよ」


 リアが言うとリチョウは満足そうに頷いた。


「大丈夫っす! 骨は拾ってあげますから」


 大きく息を吸って一歩目を踏み出すと、板がミシッと鳴った。





 視界が白い。


 谷底からはごうごうと川の流れる音が聞こえる。


 確かここは板が腐ってたからひとつ飛ばすところだ。

次の板を踏むとズルッと横に滑った。

よろけそうになるのを踏ん張って立て直す。


 風が吹いて足場が揺れる。


 止まったらダメだ、それ以上歩けなくなる。

ふるえる脚を無理やり前に出す。


 進むにつれて霧はさらに深くなって、対岸どころかすぐ目の前も見えない。


 まるで、ルロイとの関係みたいだ。

この先の景色を見るには、進まなければいけない。


 霧をはらう方法は知っている。

でも、向こう岸に何があるのか、それを見ることが恐ろしい。


 どれだけ一緒にいても、2人きりで遠出をしても、ルロイがリアに踏み込んでくることはない。

それが、すべての答えのような気がして、はっきりさせるのが恐ろしい。


 渡った先に何がある?


 霧の向こうの未来ではリアは笑っているのだろうか。

すべてを明らかにした後も、ルロイと手をつないでいられるのだろうか。


 風の中に深い秋のにおいがする。


 足元の板は相変わらず不揃いで歩きにくいけど、リアの心は不思議と落ち着いていた。

視線を上げると、さっきまでかすんで見えなかった対岸がすぐ近くにあった。


 ゆっくりと地面を踏んだ、その瞬間だった。


 リチョウが後ろからリアを強く抱きしめた。

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