第22話 大都会は田舎の人で出来ている
一体どこからこんなに人が集まるんだろう。
人々は早足で思い思いの方向に歩いていく。
「すごい人……お祭りでもあるのかな?」
リアの言葉にルロイが笑う。
「いや、この街はいつもこんな感じだ」
リアは道を埋め尽くすような人の流れをぼう然と眺めていた。
◇
グロスヒューゲルに着いたのは西日が差し始めた頃だった。
リアは大都会にただ圧倒されていた。
すごい、世の中にはこんなにもたくさんの人がいたんだ。
なんでみんなこの人混みの中、ぶつからないで歩けるんだろう。
高台には街を見下ろすようにそびえ立つ城が見える。
街の華やかさに似合わず、城壁に囲まれた無骨な姿はまさに要塞だ。
建物だけが残っているドライツェンと違って、あの城には強大な力を持った王がいる。
「飯にはまだ早いし、少し街を歩くか?」
そう言ってルロイがリアの手をとる。
「うん!」
ルロイの大きい手のひらに触れるだけで全身に嬉しさがぎゅーっと詰め込まれる。
知らない世界だってルロイと一緒なら何も怖くない。
リアはルロイの手を強く握り返すと人の波に飛び込んだ。
◇
あ、あのお店可愛い。
最近は買い物に出てなかったけど、夏っぽい髪飾りが欲しいな。
向こうの屋台はなんだろう、バターが焼ける甘い匂いがする。
よそ見をしてるとすぐ人にぶつかりそうになる。
「大丈夫か?」
ルロイはリアが人の流れにのまれないように半歩先をゆっくり歩いてくれる。
なんか、ルロイとこんな都会を歩いてるのは不思議だ。
だっていつも会ってるのは山だし、珍しく誘ってくれたと思ったら洞窟だし。
ああ、そういえば一回だけドライツェンでデートをした。
そう思うと、ルロイともなんだかんだ長いな。
「何笑ってるんだ?」
嬉しくなって思わずニヤついたリアをルロイが不審そうに見る。
「何でもない」
「変なやつだな」
ルロイへの好きには上限がない。
昨日も一昨日も好きだったはずなのに、今日はその100倍くらい好きになってる。
ルロイは気づいているんだろうか。
ルロイと手をつないで歩いてる今日が、今までの人生の中で一番素敵な日だ。
◇
中央通りをまっすぐ歩くと城の入り口に着いた。
門のかたわらで衛兵の持つ槍が物々しく光っている。
高台から見下ろす街は夕日に照らされてオレンジ色に光っていた。
「すごい、きれい」
はじめて来た街なのに、こうやって夕焼けに包まれている姿を見るとどこか懐かしく感じる。
隣ではルロイが煙草を吸っていた。
ルロイと同じ景色を見て、同じ時間を過ごしている。
それだけでもう嬉しくて嬉しくて仕方がなくなる。
今、多分、きっと、ものすごく大事な時間だ。
やわらかい夕日を受けながら、一瞬だって無駄にしないように、ルロイの隣にいられる幸せを感じていたかった。
◇
「兄ちゃん、冒険者か?」
街の中心へ向かって坂を下っていたら声をかけられた。
話しかけてきたのは軍服を着た筋肉質な男性で、笑っているのにどこか鋭い目をしていた。
腰に下げられた軍刀が少し恐ろしくて、リアはルロイの手をぎゅっと握る。
「いや、学生だけど」
ルロイは少し緊張した面持ちで答える。
「ああ、そうだったか、ごめんな」
男は大して気にしない様子で言葉を続けた。
「それなら卒業してからでもいい、軍人にならないか?」
「ええ?」
その言葉は予想外だったのかルロイが驚いた顔をする。
「兄ちゃん体格いいし、向いてると思うんだけどなあ」
言いながらルロイの肩にぽんと手を置くと、リアを見てニヤリと笑った。
「君も彼氏が軍服着てるところ見たくないか? かっこいいぞ」
「見たい!」
「何言ってるんだバカ!」
思わず即答したリアをルロイが焦った顔で見る。
「軍に入る気はないから。ほら、行くぞ」
そっけなく言うとルロイはリアの手を引いて歩き出した。
「気が変わったらいつでも来いよー」
後ろから楽しげな男の声が聞こえた。
◇
ルロイに手を引かれて人混みを歩く。
さっきからルロイはひと言もしゃべらない。
「怒ってる?」
リアは不安気に言った。
「いや、怒ってないけど、何でだ?」
ルロイは歩みを止めて不思議そうな顔で振り返る。
「よかった。変なこと言ったから怒らせちゃったのかと思った」
「ああ、さっきの」
ルロイはふっと笑顔になった。
「少し驚いたけど、怒ったりはしないよ」
リアは安心したと同時に面白くなってきた。
「でもなんか可笑しくって。だってルロイには絶対に似合わないもん」
「軍服か?」
「違うよ! 軍隊がだよ」
街は陽が落ちきる手前の青い光に包まれていた。
さっき、彼氏って言われてくすぐったいような、甘い気分になった。
もしかしたら、周りからは恋人に見えているのかもしれない。
ルロイの手をぎゅっと握ると、ルロイも握り返してくれた。
◇
酒場の賑わいは凄まじかった。
まるで、街を歩いていた人たちがそのまま収納されたかのようだ。
「とりあえず注文してくるから! ビールでいいか!」
どうにか横並びの席を確保してルロイが怒鳴るように言った。
「ワイン! ワインの白!」
リアも叫ぶ。
すぐ近くにいるのに大声を出さないと喧騒にかき消されてしまう。
カウンターに向かうルロイの姿はすぐに人の渦で見えなくなった。
リアは酒場を見まわす。
冒険者っぽい人や街の人、軍服の人もいるしリアたちみたいな学生もいる。
みんな一様に笑顔で喋っている。
この時間をめいっぱい楽しもうとみんな一生懸命だ。
女性同士で楽しそうに飲んでる人もいた。
考えたこともなかったけど、女の子同士で酒場に行ってみるのもいいかもしれない。
今度メイリを誘ってみようかな。
でも、メイリにはジャンがいるからなあ。
「しかし、すごい人だな」
ルロイが酒と山盛りの料理を持って戻ってきた。
◇
「乾杯!」
ジョッキで豪快にワインを飲む。
「ああ、美味しい」
まるで川辺に花が咲いたような爽やかな香りが口の中に広がる。
ポテトフライも鳥の唐揚げも揚げたてですごく美味しかった。
周りの人がみんな楽しそうに笑ってる理由がすぐにわかる。
きっと、全部このためにあったんだ。
グロスヒューゲルまでの旅路も、試験勉強も、ルロイとの出会いも、いや、今までの人生の全て。
「しあわせだなあ」
リアのつぶやきは話し声の渦に巻かれてルロイまで届かない。
「ん? 何か言ったか」
リアはルロイの耳元に口を寄せて低い声で言った。
「しあわせだって、言ったの」
「そうか」
ルロイは口元を手を当てるとニヤリと笑った。
こんなふうにジョッキでワインを飲んでたらすぐにまわってしまいそうだ。
飲みすぎないようにちゃんと気をつけないと。
酔った勢いで思いっきりルロイに甘えたい気もするけど、お酒の力を借りた行動ではきっとルロイの心まで届かない。
◇
「おい! そっちもっと詰めろ」
飲んでる間にも人は増えてどんどん店は狭くなる。
ルロイとの距離が近くなってリアはドキドキしてしまう。
「ねえねえ、お兄さん達冒険者?」
ルロイの横に座った若い男性が話しかけてきた。
ルロイはリアと顔を見合わせて笑った。
このやりとりは本日2回目だ。
「いや、学生だ」
「そうなんだ! まあどうでもいいや! 聞いてよ、俺、グロスヒューゲルで軍人になるんだ」
「へえ」
タイムリーな話題だからか、ルロイもなかなか興味深そうな顔をする。
「長いこと冒険者をしてたんだけど、結婚したい女の子ができちゃってさ、いつまでもふらふらしていられないって思ったんだ」
彼はビールをあおりながら嬉しそうに話す。
「ちょうどグロスヒューゲルで軍人を募集してたから、今日決めてきたんだ。これからは国と彼女を守るために戦うよ」
「冒険は楽しかった?」
リアが聞くと彼はしんみりと笑った。
「楽しいっていうか、もう人生そのものだった。行きたいところに行って、やりたいことやって、最後はどっかで無縁仏みたいな、俺はそんな生き方しかできないと思ってたんだ」
彼はビールを一気に飲み干すとはあーっと大きく息を吐いた。
「だから自分で自分に驚いてる。大好きな女の子ができて、就職して、縁がないと思ってた『普通の生き方』を今、自分がしてることがすごく不思議なんだ」
それまで黙って相槌をうっていたルロイが優しく笑った。
「一杯ご馳走するよ。冒険の話を聞かせてくれ」
◇
「今日はありがとう! またどこかで会おう」
上機嫌で彼は酒場を出て行った。
「結構飲んだな、大丈夫か?」
ルロイの言葉にリアは笑って頷く。
「うん、楽しかった」
少し頭がふわふわしてるけど酔ったという程ではない。
周りを見渡すとあんなにいた客はだいぶ少なくなって、酒場の喧騒も落ち着いていた。
「あのさ、ルロイ」
リアは空になったジョッキを見つめて言う。
「あの人の恋人はさ、自分のために彼が生き方を変えること、冒険をやめることを本当に望んでたのかな」
彼女のことは何も知らない。
でも、もしかしたら冒険の中に生きる彼が好きだったんじゃないだろうか。
自分を冒険に連れだして欲しかったんじゃないだろうか。
「さあな」
そう言うとルロイはジョッキに残ったビールを一気に飲み干した。
◇
「俺、学生には見えないのかな」
宿屋に向かってわき道の石段を上りながらルロイがぽつりと言った。
「どうだろう……私は学生のルロイしか知らないからなあ」
ルロイは確かに他の学生とは少し雰囲気が違う。
リアが惹かれた自由な空気だ。
学園を離れたら学生に見えないのも無理はないのかもしれない。
でも、そんなことを言ったらリアもそうだ。
魔法学園の人から見たらリアは『活動の2年』だけど、それより前、ただの田舎娘だった期間の方がずっと長い。
メイリだってずっとジャンと一緒に冒険者をしてたけど、学園では『魔学の2年』だ。
それぞれ違う人生を歩んできた人がひとまとめに『学生』の枠でくくられるのはなんとなく不思議だ。
そして、リアが学生でいられる期間はもうあまり残されていない。
「なに、もしかして気にしてるの?」
リアは笑って言う。
「そういうわけじゃないんだけどさ」
ルロイがぼやく。
リアは冒険者と言われたのは少し嬉しかった。
なんだかルロイと一緒にいるのが自然というか、同じ世界の人間だと周りから思ってもらってる気がした。
学生でなくなった後、リアはいったい何になるんだろう。
月明かりだけでは足元が頼りなくてリアはルロイの手をしっかり握った。
◇
お風呂から上がって部屋に戻ると、ルロイは煙草を巻いていた。
机の上でろうそくの灯りが静かに揺れている。
「いいお湯だった」
ふーっと息を吐いてリアはベッドに腰掛ける。
「酒場、すごい人だったね。びっくりしちゃった」
言いながらリアはひとつにまとめていた髪をほどく。
寝巻き代わりに持ってきた薄手の白いワンピースに栗色の長い髪がするりと広がる。
「ああいうところで情報を集めたり、仲間を見つけたりするんだ」
ルロイは指先に視線を落としたまま言った。
ペーパーの端を舌で濡らす仕草がなんだか色っぽくて少しドキっとする。
夕方の喧騒がうそみたいに、この部屋は静かだ。
リアはひざを抱えて座るとルロイの横顔を見つめる。
ルロイは何を考えているんだろう。
以前エーミール先輩と宿屋に行ったとき、先輩は部屋に入るなりノータイムでキスをしてきた。
いや、あのときは宿屋に行くこと自体にもう『そういう意味』がある感じだった。
ルロイとは全然そんな空気にならない。
リアのことをそういう対象として見ていないんだろうか。
「どうした?」
ルロイがリアの視線に気づく。
手を伸ばせばすぐに届きそうな距離だ。
もし、もしも今、リアが動いたらどうなる?
後ろから抱きしめて、「私のこと、嫌い?」って言って。
キスしたら、どうなる?
ルロイとの距離はいくらもない。
「見てただけ」
リアは笑った。
「そうか」
ルロイは小さくつぶやくと巻いたばかりの煙草を吸い始めた。
「明日は早いから、遅くならないうちに寝ろよ」
今回の冒険の目的地はこの町ではない。
グロスヒューゲルから3日ばかり馬車で揺られた先、遺跡の街サザンヴィーレだ。
地下に埋もれているという古代の遺跡を見てみたくてリアが提案した。
遺跡のある街なんて素敵だし、それにもしかしたら何か卒論のヒントがあるかもしれない。
だからルロイと一緒の時間はたっぷりある。きっと、いま焦って行動する必要もない。
でもリアはもう知っている。
時間はたくさんあるように見えて、気が付けばものすごい速さで駆けていってしまうことを。
リアがルロイと一緒にいられるのはいったいあとどれくらいなんだろう。
それを知るのがリアは少し恐ろしい。
「うん、おやすみ」
リアはそう言ってろうそくを吹き消した。
「あ、おい! 消すな」
◇
南に向かう馬車は混み合っていた。
「リア! ここ、座ろう」
なんとか席を確保して並んで座る。
リアがまわりから押されないよう、ルロイが包むように腕をまわしてくれる。
「3日間これか……まあ辛抱してくれよ」
ルロイは小さくため息をついて言った。
やっぱり、わかってないんだな。
こんなふうにルロイにくっついているだけで、お酒なんてなくても頭が別世界に行ったみたいにふわふわ浮き上がってドキドキしてたまらなくなる。
ルロイの腕の中はしあわせでいっぱいなのに。
「全然だいじょうぶ」
3日といわず、一生このままでもいいくらいだ。
リアは小さく笑ってルロイに体を預けた。