第18話 溺愛系のヒロインは本当に幸せなのか
真っ白なドレスが柔らかい日差しを反射する。
風になびく亜麻色の長い巻毛にはフリージアの花冠が飾られている。
美しい花嫁は、兄の横で微笑みながら銀製のゴブレットに満たされたワインを飲みほした。
周囲から拍手が上がる。
「おめでとう」
リアは初々しい夫婦に向かって花びらを舞わせた。
◇
ああ、おいしそうだな。
リアはパンをかじりながら卓上の白ワインのボトルを眺める。
「飲みたいのか?」
いつのまにか横に兄のアダムがいた。
花婿として正装した姿はなんだかちゃんとした大人みたいに見える。
「飲みたいけど……飲まないよ。お母さまがいい顔をしないでしょ」
それに、外の学校にやった娘が酒飲みになって帰ってきたなんていい噂の種だ。
「こんな席なんだから少しくらいはいいだろ。ほら、付き合えよ」
言うなりアダムは栓を抜いてグラスにワインを注いだ。
主役がこう言ってくれてるんだしいいか。
リアはありがたく頂くことにした。
「乾杯!」
アダムと酒を飲むのなんて初めてだ。
「あ、おいしい」
リアはひと息でグラスを空にした。
ワインはすっきりとした口あたりの中にふわりと甘い香りがしてとても美味しかった。
「いい酒だからな」
アダムもおいしそうに飲み干す。
「花嫁さん放っておいていいの?」
リアがアダムのグラスにワインを注ぐと、アダムも注ぎ返してくれた。
「今は向こうの家族といるよ。今日から夫婦っていってもいきなりずっと一緒にいるのもしんどいだろ」
てっきり1秒も離したくないタイプかと思ってたけど、そんな気遣いもできるんだ。
もしかしたらアダムはリアが思っているよりずっと大人なのかもしれない。
「それで、どうなんだ。例の冒険者とは」
アダムは遠慮がちに聞いてきた。
「別にどうもなってないよ」
リアは表情を変えずにワインを飲む。
どうかなりそうなのは全然違う人だとは言えない。
「え、でも、海に行ったんだろ?」
「うん、楽しかった。海だけじゃなくて星も見に行ったし酒場にも連れて行ってもらった」
いろんなことをいっぱい教えてもらった。
当たり前みたいに手をつなぐようになった。
野盗からも守ってくれた。
でも、ルロイの心に入り込むことはできなかった。
「本当に楽しかったんだけどさ、なんて言うか」
リアはワインを飲み干す。
「難しいなあ」
ため息をつくリアをアダムは心配そうに見ていた。
◇
「あらあらあら! アダム! 今日は本当におめでとう! あらまあ! リアもきれいになってまあ!」
謎のテンションでいきなり乱入してきたのは親戚のババアだった。
「今日は来ていただいて本当にありがとうございます」
急によそいきの顔になってアダムが応じる。
なんというか、兄妹で大事な話をしてるかもとか、少しは思わないのかな。
まあ、いいんだけどさ。
「お久しぶりです」
心の声をかくすようにリアはにっこり笑った。
「あら、ワイン? 今の人はいいわねえ。私のときは嫁入り前の娘がお酒なんか飲んだらもう大騒ぎだったわよ」
ほらきた。
なんでババアはなんでも自分の話に持っていきたがるんだろう。
「僕が勧めたんです。めでたい日だし飲んでもいいだろって」
アダムがフォローしてくれてリアも笑顔で合わせる。
「えへへ、おいしそうだったから飲んじゃいました」
「あらいいじゃない。これからは女性だってどんどん活躍する時代だし、お酒くらい飲めなくちゃ。リアは都会の学校に行ってるからやっぱり進んでるのよ、ねえ!」
いつの間にかババアBが参戦しててリアはうんざりした。
たかだか酒を飲んだだけで学校がどうとかまで言われることがもう嫌だった。
ドライツェンだったら誰もこんなことを気にしないのに。
田舎ババアの矛先がアダムと花嫁に移ったところでリアはそっとその場を離れた。
◇
パーティーが行われている庭を抜けて建物の裏手にまわるとそこには誰もいなかった。
木々の間から柔らかい光が差している。
リアは小さく息を吐くと壁にもたれかかった。
ソニアの花嫁姿、綺麗だったな。
全身、髪の毛の一本まですべてが磨き上げられた宝物みたいにキラキラしてた。
アダムがソニアにベッタベタに惚れてるのも納得だ。
でも、ソニアは本当にアダムのことが好きなのかな?
家の繋がりとかそういうのがなくても、アダムと結婚するのかな?
リアはふと空を見上げた。
空の青さはリヒトシュパッツもドライツェンも同じだ。
もし、もしも、リアが卒業後に戻らなかったらどうなるんだろう。
母はリアをドライツェンにやったことで周りからきっといろいろ言われている。
それはさっきのババアとの会話で感じていた。
父は仕事で家を空けることが多いし、アダムもこれからは父について街の外で仕事をするようになるだろう。
その上リアまでいなくなったら母は心細いんじゃないか。
リアは学園が好きだしドライツェンも好きだ。
魔法の勉強だって最初は全然わからなかったけど、まわりに助けてもらいながら少しずつできるようになった。
最近、やっと勉強が楽しいと思えるようになってきた。
このまま地元に帰って何もなかったみたいに魔法のことを隠して一生を過ごすなんて嫌だ。
でも、それは母を悲しませるほど重要なことなんだろうか。
考えはいつも堂々巡りだ。
答えが出ないままもう学園生活の半分が終わってしまった。
時間はリアのことを待ってはくれない。
風に乗ってどこからか綿毛が漂ってきてリアは耳を塞ぐ。
エーミール先輩とのことだって中途半端なままだ。
リアが好きなのはルロイだ。
それは出会った日から今日までずっと変わらない。
でも、エーミール先輩のことを考えると身体中が切なさでいっぱいになる。
だって、ルロイはリアにキスしてはくれない。
この感情に、この衝動にどうやって整理をつけたらいいんだろう。
リアがため息をついた時、建物のドアが開いた。
◇
「うわあ!」
ドアから出てきた少年はリアの姿をみとめると声をあげた。
狐のしっぽみたいなツンツンした焦茶色の髪の毛とくりくりした目、年はリアと同じか、もっと下かもしれない。
洗いざらしたシャツにパンツ、服装をみると式の参列者ではなさそうだ。
「そんなに驚かなくてもいいじゃん」
リアは笑って言った。
「いや驚くだろ。こんなところに人がいるなんて思わねえもん」
彼はふーっと息を吐く。
「お兄様の結婚式なんだけどさ、ちょっと疲れたから抜けてきたの」
「え!」
リアが言うと彼は目を見開いてリアを見た。
「どうしたの?」
驚いた表情のまま固まってる彼にリアが声をかける。
「あ、いや、俺は親方の使いでケーキを届けに来たんだ」
デザートが来たのか。リアの気分が一気に華やいだ。
「ねえ、何のケーキ?」
「さくらんぼのレイヤーケーキ。クリームにキルシュが使われてて美味いぞ」
彼が得意そうに言う。聞いただけでウキウキしてきた。
「あなたが作ったの?」
彼は首を横に振る。
「俺はまだ見習いだから」
そう言うと、彼は思い出したように懐から煙草を取り出す。
「そうそう、工房に戻る前に一服していこうと思ってたんだ」
煙草を見てリアの中にイタズラ心がわいてきた。
「ねえ、面白いもの見せてあげようか」
「ええ、何?」
怪訝そうな顔をする彼の前でリアは印を結ぶ。
「葱2桔空4!」
指先に灯した火を彼に差し出す。
「私、魔法使いなんだ」
そう言ってニヤリと笑うリアに、彼は驚いて言葉も出ないみたいだった。
彼はおそるおそる煙草に火をつける。
「おお、すげえ!」
火がついた煙草を見て彼は楽しそうに笑った。
「ほかの人には内緒ね」
リアは唇の前でひとさし指を立てる。
「さてと、ケーキ食べたいしそろそろ戻ろうかな。じゃあね」
リアが片手を上げると、彼も煙草を吸いながら小さく手を振ってくれた。
◇
パーティーに戻るとアダムはソニアと揃って両親のところにいた。
「リア、どこ行ってたのよ。ケーキが届いたからみんなでいただきましょう」
母が嬉しそうに笑っている。
あの子が持ってきたケーキだ。
真っ白なケーキの上にはこぼれそうなほどさくらんぼが乗っていて見た目も可愛らしい。
ケーキはクリームだけじゃなくてスポンジにもキルシュが効いててとても美味しかった。
食べながらリアはツンツン頭の菓子職人見習いのことを思い出していた。
なんであの子に魔法を見せたりしたんだろう。
びっくりした時に大きくなる目がちょっと可愛かったのと、あとは多分お酒のせいだな。
「リヒトシュパッツは温泉があるから、住むのが今から楽しみなの。これからよろしくね」
『お義姉さま』が笑顔でリアに話しかける。
当たり前だけど、外から見たらリヒトシュパッツも『外の世界』になるんだな。
アダムは仕事で家を空けがちになるだろうし、義妹は魔法使いか……ソニアも大変だ。
「慣れるまではいろいろ大変だと思うけど、水がきれいだしいい街だから」
アダムは愛しさがぎゅっと詰まったような目でソニアを見る。
リアはアダムとソニアの歴史を知らない。
手をつないで遠くまで冒険したり、ワインを飲みながら本音で語り合ったことなんてあるんだろうか。
もしかしたら、そんなことは家族になることとあまり関係ないのかもしれない。
それなら、このおかしくなりそうなほどの好きは何のためにあるんだろう。
いまだに唇に残っている切ない感触は何のためにあるんだろう。
終点を見つけられない気持ちはどこに向かえばいいんだろう。
真っ赤でつややかなさくらんぼを口に含んでソニアが笑う。
今日のソニアは本当に美しい。
とびきり美味しくて可愛いケーキも、花の香りがする柔らかい風も、雲の切れ間から差しこむ光も、なんだか結婚を祝福するための舞台装置みたいだ。
リアもさくらんぼをひとつ食べる。
いつか、好きの先に、キスの先に、結婚の先にあるらしい『幸せ』の正体がわかるんだろうか。
それとも、そんなもの存在しないのだろうか。
少し固い皮を歯で破ると甘酸っぱい果汁が口の中に広がった。
◇
色づきはじめた西の空が祝宴の終わりを告げていた。
招待客たちはワインを飲みながらアダムが昔、露天風呂だと思って全裸で池に飛び込んだ話で盛り上がっていた。
「ねえ、ソニア」
リアは声を潜めてソニアに話しかける。
「なあに?」
ソニアは優しく微笑む。
「ソニアは、その……お兄さまのこと」
言いかけてリアは口をつぐんだ。こんなこと聞いてどうするんだ。
「ごめん、なんでもない」
「好きよ」
リアは驚いてソニアを見る。
ソニアの口もとから笑みが消えて、まっすぐリアを見ていた。
「愛しているのかはよくわからない。でも、大事にするって言ってくれたし」
ソニアは花冠を外して両手でそっとリアに被せると耳元で静かに言った。
「相手がアダムでよかったと思っているわ」
リアが顔を上げると、ソニアには笑顔が戻っていた。
「ソニア! そろそろお開きにしようって」
「はいはい」
嬉しそうな顔で呼びにきたアダムにソニアは優しい笑顔を返す。
「なんだお前、それもらったのか?」
花冠を見たアダムにリアはぎこちない笑顔で尋ねる。
「似合うかな?」
アダムはしばらく微妙な表情でリアを見ていたが、からかうように笑った。
「なんかそういう妖怪いたよな」
「うるさいなあ、もう!」
そう遠くない未来、リアも花嫁衣装を着るのだろうか。
そのとき、リアの横にはいったい誰がいるんだろう。
いまはとても想像できない。
こっちが恥ずかしくなるくらいデレデレしているアダムの横で静かに微笑むソニアを、リアはずっと見ていた。