第13話 ダンジョンってなんか変な虫とかいそう
放課後、リアは談話室にいた。
「カール様、よろしくお願いします」
「よしよし、苦しゅうない」
リアがうやうやしく頭を下げるとカールも腕組みをして答える。
「で、何がわからないの?」
リアは少し考えてから言った。
「ごめん、何がとかじゃなくてもう全部わからない」
「ああ?」
活動魔法の実習にリアはついていけなくなっていた。
はじめは組んである魔学式を発動させる練習がメインだったけど、最近は課題に沿って自分で魔学式を組まなければいけない。
これが、全然うまくいかないのだ。
今やってる課題も、もう少しで発表しないといけないのに行き詰まっている。
ルロイの煙草に火をつける魔法! とか言って浮かれてた頃が懐かしい。
「ブラスが毎回チェックしてるだろ?」
毎時間、中間経過をブラスに報告してはいる。
「でも、どの公式使うかとかは自分で考えろって。アドバイスはくれるんだけど」
前期の期末考査で赤点をとったリアをマークしてるのか様子をよく見にくるけど、やはり答えまでは教えてくれない。
「公式って、はじめにやったやつちょっと変えるだけだろ?」
その『ちょっと』ができないのに……やっぱりカールはわかる側の人間だ。
「悪い、時間をくれ」
カールはうつむいて言った。
「3日、いや、2日でいい。お前にもわかるように教える方法を考えるから。今の俺では力不足だ」
うなだれるカールにリアは声をかける。
「わかったから、カール、顔を上げて」
「うるせえ馬鹿」
◇
実習室を抜け出して屋外階段の踊り場でリアは外の景色を見ていた。
さぼっているわけではない。休憩時間だ。
1、2限は続きになっているので休憩時間も実習室で過ごす学生が多いけど、なんとなく息苦しくて外に出たかった。
こんな時、きっと煙草が吸いたくなるんだろうな。
カールが勉強を教えてくれるのはすごくありがたいけど、いつまでも頼るわけにはいかない。
そもそも人に頼って課題やテストをどうにかやり過ごしたところで、学校に来た意味なんてあるんだろうか。
「何してるんだ?」
上階から声をかけられてリアは息が止まりそうなほど驚いた。
「驚きすぎだろ」
声の主は笑いながら階段を降りてきた。
「エーミール先輩!」
リアはあわてて道を空けたが、エーミール先輩はリアの横に並んだ。
「何かあったのか?」
レンガ積みの手すりにもたれながらエーミール先輩が言った。
こんなこと、エーミール先輩に話してもいいのかな……リアは小さくため息をつく。
「実習が始まったんですけど、魔学式の組み方が全然わからなくて」
言ってて情けなくなってきた。
一年の時から優秀だったというエーミール先輩は、きっと人の何倍も努力してきたんだろう。
リアの泣き言なんてただの甘えに聞こえるかもしれない。
エーミール先輩はじっとリアを見つめたあと、静かに言った。
「どんな魔法が使いたいんだ?」
「えっと、今の課題は」
「課題じゃなくて、君が使いたい魔法だ」
エーミール先輩は真剣な目でまっすぐリアを見る。
リアが使いたい魔法。
ノイフェルト式を習ったとき一番に浮かんだのは煙草に火をつける魔法だ。
全然うまくいかなかったけど、ルロイに喜んでもらいたい一心で魔学式を組んでいたときは本当に楽しかった。
「すぐに思いつかないけど、誰かを笑顔にできるような魔法がいいな」
リアがぽつりと言うとエーミール先輩は優しく微笑んだ。
「魔学って、そういう気持ちが大事だと思うんだ」
エーミール先輩は視線を空に向ける。
こうして見ると先輩は本当にきれいだ。
ふとした仕草や表情の変化に思わず目を奪われてしまう。
「最初に使いたい魔法があって、魔学式はそこまでの道のりだと思ったら組み立てるのが楽しくならないか?」
素敵な考え方だな。
リアが悪戦苦闘してる魔学式も、きっとエーミール先輩の目には全然違う風に見えているんだろう。
「俺は魔法が使えないから、自分で試せないのは本当に残念なんだけど、今は魔学が面白くて仕方ないんだ」
エーミール先輩の灰色の瞳がきらきら光る。
「そうだ、君、炎?」
「はい」
「ちょっと待ってな」
エーミール先輩は身をひるがえして階段をのぼって行った。
◇
「ごめん、お待たせ」
すぐにエーミール先輩はノートを持って降りてきた。
「これ、俺が組んだ魔法なんだけど、発動するか試してくれないか?」
ノートにはシンプルな魔学式が書かれている。
使われている魔法元素から炎なことはわかるけど、どんな魔法が発動するのか予測がつかない。
「でも、実習室以外で魔法は使うなって言われてて」
「何かあったら俺のせいにしていいからさ、頼むよ」
エーミール先輩の楽しそうな顔を見ていたら、リアもなんだかワクワクしてきた。
一体どんな魔法なんだろう。
リアはゆっくりと詠唱しながら印を結んだ。
「藍6葱12空6」
瞬間、リアの手の中に生まれた光が弾けて、色とりどりの光球が空中に散らばった。
まるで一面に光の花が咲いたみたいだ。
「すごい、きれい」
リアは自分で発動した魔法に見とれていた。
魔法ってこんなこともできるんだ。
光の花はしばらく宙で瞬いてから静かに消えていった。
「成功したな」
エーミール先輩がイタズラっぽく笑う。
「笑顔になっただろ?」
「あ!」
言われてリアは真っ赤になった。
「実習頑張れよ!」
エーミール先輩はそう言って階段を下りて行った。
リアはしばらくその場に立ち尽くしていた。
どうしよう、ほんの少し、ほんの少しだけ、ときめいてしまった。
◇
「ええ、何なのそれは」
夜、濡れた髪をタオルで拭きながらメイリが完全に引いた顔で言った。
「だからさ、先輩は魔法で元気づけてくれたのかなって」
髪にブラシをかけながらリアが言う。
昼間のことを思い出すとまだドキドキする。
「『君を笑顔にする魔法』ねぇ」
メイリがなんとも渋い顔をする。
「あの人頭いいし、見た目もきれいだけどさ、なんか変わってるっていうか」
メイリは立ち上がると髪を拭いたタオルを洗濯かごに入れた。
「ちょっとキモくない?」
「なんで! カッコいいじゃん」
◇
夜、リアとカールは談話室にいた。
「まず、炎の4元素はわかるな?」
カールがノートを広げながら言った。
とりあえずリアは頷く。
『わかる』というのがどのレベルをさしてるのかはわからないけど、言葉は知っている。
「そいつらはこういう形をしてるんだけど……」
話しながらカールはノートに円を描いていく。
前期の魔法理学でよく見た図形だ。
リアは見るだけで気が滅入ってきた。
「ひとつずつ説明するぞ」
カールがノートを指しながら言った。
「まず、こいつはビッチだ」
「ビッチ?」
伏せ字を使わなくていいんだろうか。
リアが思わず聞き返すと、カールはまじめな顔で頷いた。
「4元素は基本的に不安定なんだけど、その中でもこいつがいちばんヤバいやつで、すぐ他の魔法元素と結合したがるんだ」
なるほど……わかるようでわからないけど、カールは真剣だ。
「次にこれ、こいつはヤリチンだ」
「わかった、ヤリチンね」
リアもノートに『ヤリチン』と書き込む。
「ヤリチンは多くの魔法元素と結合する必要があるから、結合相手を探してるビッチと相性がいいんだ」
カールがヤリチンの周りにビッチの円を描き足す。
「もともと不安定な魔法元素同士が、結合することで互いの足りない部分を補って安定する。それで、安定したあとはもう他の魔法元素とは結合しなくなる」
カールがノートの図形を指す。
「この形になったら、もうビッチもヤリチンも安定するから、他の元素が入る隙はなくなるんだ」
リアはすでによくわからなくなってきたけど、とりあえずノートに図形を書き込んだ。
カール先生の講義は続いた。
ノートがビッチとヤリチンと童貞と悪役令嬢で埋めつくされて、参加したくない合コン会場みたいになったところでカールが言った。
「ここでお前に衝撃の事実を教えてやる」
「え、なに?」
「いままで説明してたこれは、全部仮説だ」
カールが広げたノートを指して言った。
「仮説?」
リアが聞き返すとカールは頷く。
「魔法元素を実際に見た人はいないんだ。だから、結合とか安定とか、そういうのは全部想像にすぎない」
「なんですって!」
衝撃だった。
リアは実在するかもわからない誰かの妄想に苦しめられていたのか。
「魔法理学がそんな、そんな不確かなものだったなんて……」
リアがノートを見つめたとき、声が聞こえた。
「魔法元素は実在するぞ」
声のした方を見ると、棚の陰からエーミール先輩が楽しそうに笑いながら姿を現した。
「え、いつからいたんですか?」
カールが焦ったように言う。
「ごめん、最初から聞いてた。お前すごいな、わかりやすかった」
え、ちょっと待って……ビッチとかビッチとかヤリチンとか言ってたの、全部エーミール先輩に聞かれてたってこと?
リアは恥ずかしくて顔が赤くなるのがわかった。
「魔法元素が実在するって、どういうことですか?」
リアがノートを閉じてうつむく横で、カールが尋ねた。
「俺が見たわけじゃないんだけど、見れるやつがいてさ、本当にそういう形をしてるらしい」
「すげぇ、俺も見たいな」
楽しそうに話す2人をリアは呆然と見ていた。
ランプの明かりに照らされたエーミール先輩は、やっぱり美しかった。
◇
その日、ルロイの隣には先客がいた。
顔は見えないけど、煙草を吸いながら親しげに話している後ろ姿には見覚えがあった。
「あ、見つかっちゃったあ」
柔らかい笑顔と共にエルフィ先輩は振り返った。
いや、何やってんの?
ふうっと煙を大きく吐いてから、エルフィ先輩はルロイに笑いかける。
「じゃあ、私はこれで。冒険者さん、ありがとうねえ」
冒険者さんってルロイのこと?
エルフィ先輩、女子と話してる時より声のトーン甘くない?
いやどうでもいいけど。
「今は学生だけどな、まあ頑張って」
頑張るって何を?
ルロイもなんかちょっと嬉しそうにしてるし。
何この喫煙者特有の謎の連帯感みたいなやつ。
「じゃあねえ」
エルフィ先輩はリアにも軽く手を振ると山を下っていった。
◇
「冒険者さん。エルフィ先輩と何話してたの?」
ルロイと目を合わせずに聞く。
エルフィ先輩と楽しげに話すルロイをみて、リアは当然面白くない。
「冒険者さんって、お前に言われると気持ち悪いな。いつも通り名前で呼んでくれよ」
いつも通り、いつも通りかあ。
そのひと言でもうリアの機嫌は治ってしまう。
「ふふふ、そうかな。じゃあルロイ、何話してたの?」
「魔法国家計画について聞かれてたんだ」
「魔法国家計画?」
何やら聞きなれない単語が出てきた。
「以前、魔法使いの共同体を作ろうとした試みがあったんだ。卒業研究で調べてるらしくて、冒険者だったなら何か知らないかって」
「そうだったんだ」
卒業研究……もうそんな時期なのか。
もしかしたら学生でいられる時間はリアが思っているよりずっと短いのかもしれない。
「まあ、昔の話だし、実現はしなかったみたいだけどな」
そう言ってルロイは煙草を吸うと、ふうーっと煙を吐いた。
「お前、今から時間あるか? ちょっと付き合ってほしいところがあるんだけど」
「え! 行く!」
不意打ちの誘いに頭より口が先に動いた。
ルロイと出かけるなんて久しぶりだ。
リアはもうワクワクでいっぱいだった。
◇
ドライツェンの街とは反対側に山を下りた先にそれはあった。
「木で隠れててわかりづらいけど、奥が洞窟になってるんだ」
確かによく見ると木々の間に穴が見える。
「中が暗くてさ、明かりが欲しいんだけど魔法でできないか?」
ただ山をウロウロしてるだけじゃなくて、こんな洞窟を見つけてたんだ。
さすが冒険者、未知への好奇心がすごいな。
「できるよ、講義で習った」
いちばんはじめの実習でやった、簡単だけど便利な魔法だ。
できるけど……
「じゃあ、頼む」
そう言ってルロイは木々の間をくぐって洞窟へ向かう。
リアは足が動かなかった。
入るの? これ、本当に?
洞窟の中をじっと見る。
外はまぶしいほど明るいのに、中は一歩先も見えない深い闇が広がっている。
普通にめちゃくちゃ怖い。
モンスターが出るかもとか、野盗が潜んでるかもとか、そういうのじゃなくてもっと根源的なやつ。
得体の知れないものに対する本能的な恐怖がリアの足を止めていた。
「リア?」
立ちすくんでるリアに気づいてルロイが戻ってきた。
「ああ、ごめん気づかなくて。そうか、嫌だよな洞窟なんて」
ルロイが申し訳なさそうに言う。
「今日は学園に戻ろう」
怖い。確かにすっげえ怖い。
でも、ルロイはリアと洞窟探検したいと思って誘ってくれたんだ。
ルロイにそんな顔なんてさせない。
「いやじゃない!」
思いのほか大きな声が出た。
だって、ここで怖気付いてたらルロイと一緒に冒険なんてできない。
「本当か? 無理しなくていいぞ」
「無理してない! 怖くない!」
リアはルロイの目をまっすぐ見ると、震える足を無理やり前に動かした。
「行こう」
◇
外は暑いくらいだったのに、洞窟の中はひんやり涼しかった。
カビの匂いと動物の匂いが混ざり合ったような独特の土臭い匂いがする。
「藍空2!」
リアの詠唱が洞窟の中で反響する。
魔法で明かりをつけると、ガサッと奥で何かが動く音がした。
「足もと気をつけろよ、ほら」
ルロイが差し出した手をリアはしっかり握る。
ひさしぶりに触れた手は温かくて、リアの心にも明かりが灯ったみたいだ。
何をあんなに怖がってたんだろう。
ルロイが一緒なら怖いことなんて何もないのに。
ルロイとふたりきりで探検だ!
リアはなんだかワクワクしてきた。
◇
「人の手で掘られたっぽいんだよな」
ルロイが洞窟内を見回して言う。
道は一定の広さを保ちながら奥へと続いている。
どのくらい歩いたんだろう。
かなり奥まで来た気もするし、全然進んでない気もする。
外の様子がわからないので時間の感覚がなくなってくる。
まあ、門限に間に合わないってことはないと思うけど。
「なんだろう、なんか音がしない?」
さっきから鳴き声のような妙な音が聞こえる気がする。
きゅぅきゅぅ
「あっほら、また聞こえた」
きゅぅ きゅぅきゅぅきゅぅ
つないでいるルロイの手に力が入る。
「ルロイ?」
「まずいな」
きゅぅきゅぅきゅぅきゅぅきゅぅ
鳴き声はだんだん大きくなる。
一匹じゃない、集団だ。
「リア、走れるか?」
そう言ってルロイが手を強く握った瞬間、ボトッと肩に何かが落ちてきた。
◇
「あああああああああああああ」
急に落ちてきた謎の物体に驚いてリアは悲鳴をあげる。
集中が切れたせいか、明かりは消えてしまった。
きゅぅきゅぅきゅぅきゅぅきゅぅきゅぅ きゅぅきゅぅきゅぅきゅぅきゅぅ
暗闇に生き物の声が響き渡る。
ふくらはぎのあたりに毛のような何かが触れてリアはぞっとする。
とにかく明かりをつけないと。
両手で印を結ぼうとしたとき、今度は頭の上に毛むくじゃらの物体が降ってきた。
「いやっ」
振り払おうとしてバランスを崩して転んだリアの手に、わさわさした生温かい生き物が触れる。
「ひっ」
きゅっ? きゅぅきゅぅきゅぅきゅぅきゅぅ
早く明かりをつけないと。印を結んで、詠唱をしないと。
簡単な魔法のはずなのに頭が真っ白になって全然うまくいかない。
早くしないと。
きゅぅきゅぅきゅぅきゅぅ きゅぅきゅぅきゅぅきゅぅ
「あー……リア、落ち着け」
近くでルロイの声がする。
「ルロイ!」
「ああ、そこか」
大きくて温かい手のひらがリアの頬に触れる。
そこからゆっくりと首すじ、肩、腕と下りてきてリアの手をつかんだ。
「立てるか?」
「うん、ありがとう」
ルロイが手を引っ張って立たせてくれた。
相変わらず足元には毛だらけの生物がうごめいている。
きゅぅきゅぅきゅぅ きゅぅきゅぅきゅぅきゅぅきゅぅ
「ごめんね、すぐ明るくするから」
自分の手が見えない中で印を結ぶのがこんなに難しいとは知らなかった。
「落ち着いてからでいいぞ」
ルロイの低い声が洞窟に響く。
こんな状況でも、ルロイがそばにいるとわかればリアは安心できる。
きゅぅきゅぅきゅぅきゅぅきゅぅきゅぅきゅぅ
「こいつらは危害を加えたりしないし」
きゅっ? きゅぅきゅぅきゅぅ
「俺はこいつらの姿をあまり見たくないからな」
どういうこと? 不穏な物言いがちょっと気になったけど、リアは魔法を発動させた。
「藍空2!」
きゅ! きゅきゅきゅきゅ!
明かりを灯すと鳴き声の正体がわかった。
光に驚いたのか、つぶらな瞳が動きを止めてこちらを見ている。
大きさは枕くらいだろうか、全身がふさふさの毛で覆われていて小さな耳としっぽは動くたびにぴこぴこ左右に揺れる。
きゅぅきゅぅきゅぅきゅぅきゅぅ
10匹ほどの小さな生き物が足元でぴょこぴょこ跳ねていた。
「あ、可愛い!」
リアは思わず声をあげた。
「こいつらはモルセーグって言ってな」
ルロイが苦い顔で言う。
「実験用のモンスターだ」
◇
きゅぅきゅぅきゅぅきゅぅ きゅぅきゅぅきゅぅきゅぅ
「実験用のモンスター?」
足元では相変わらずモルセーグたちがぴょこぴょこしている。
「ああ、回復の実習で使う」
そうか、回復魔法の実習は『回復させるもの』が必要なのか。
ルロイが可哀想って言ってた理由がわかった。
「世話するのは学生の仕事なんだけどさ」
ルロイはしんどそうにモルセーグ達を見つめる。
「めちゃくちゃ懐くんだよ、こいつら。エサとかやると」
きゅぅきゅぅきゅぅきゅぅ
リアはそっとルロイの手を握った。
「行こう」
「そうだな」
モルセーグ達の鳴き声から逃れるように奥に向かった。
◇
「ルロイ、大丈夫?」
モルセーグの声がすっかり聞こえなくなってからリアは口を開いた。
「ああ、お前こそ怪我してないか?」
「うん、大丈夫」
ルロイは回復の実習がまだ辛いのかな。
だからといって、リアにしてあげられることなんてないんだろう。
リアにできるのはこうやって手を握ることくらいだ。
まてよ……今、「怪我してないか」って言った?
「ルロイ、回復魔法使えるようになった?」
「ああ、簡単なやつなら」
怪我してたらルロイの魔法が見れたのに!
「どこか怪我してないかな」
ひじとか、ひざとかさ。
「何言ってんだ、変なやつだな」
きょろきょろするリアを見てルロイが笑った。
「お前が怪我しなくて良かったよ」
そう言ってルロイがぽんとリアの頭に手を乗せる。
明かりが消えた。
◇
しばらく歩いていくと道の先に石積みの階段があらわれた。
階段は途中で曲がっていて先が見えない。
やっぱり人の手で作られた道なんだ。
でも、何のために?
階段で急に道幅が狭くなった。
ひとり通るのがやっとだ。
「私、先に行くよ」
明かりを持ってるリアが前を行った方がいいだろう。
「ああ、気をつけろよ」
石の階段はでこぼこしてて、しかもかなり急だ。
手すりもないし先は暗くて見えない。
どこまで登ればいいんだろう。
壁に手をつくとひんやりした土の感触が伝わってくる。
こんなところ、ルロイがいなかったら絶対来なかっただろうな。
だいたい、ノイフェルト生の中でドライツェンの反対側に山を下りる学生が何人いるだろう。
洞窟を見つけたからって入ろうと思う人が何人いるだろう。
ルロイも相当変わってるよな。
冒険が好きで、知らないものを追いかけて、リアまで巻き込んで。
大人みたいな顔してるけど、中身なんてほんの子供なのかもしれない。
ふっと小さく笑って前に進んだとき、リアは壁に頭をぶつけた。
◇
「痛っ!」
「大丈夫か?」
「ダメだ、ルロイ。行き止まりだよ」
リアは壁を手のひらで触る。
ざらざらした木のような感触がする。
「なんか木みたいなので塞がれてる」
「ちょっと見せてくれ」
ルロイがすいとリアの横に来る。
「確かに木材っぽいな。でもなんでここだけ木なんだろう」
ルロイが壁を触って調べる。
リアはもう探索どころではなかった。
いや、近い近い近い、近いって。
近いというか、さっきからもう触れてる。
肩とか、二の腕とか。
心の動揺を表すように明かりが揺らぐ。
「リア、もっと端のほう照らせるか?」
「うん」
ルロイは壁をどうにかすることに集中している。
こんな近くでリアがドキドキしてるなんて思いもしないんだろう。
「ここ、隙間がある」
ルロイが指差す方を見ると確かに壁の間に小さく隙間が空いている。
よく気付いたな、こんなの。
「動くぞ、これ」
ルロイは隙間に手を入れて広げると、一気に動かした。
◇
道の先は、レンガ作りの細い廊下だった。
洞窟からガラッと雰囲気が変わったな。
道を塞いでいたのはどうやら本棚らしい。まばらに何冊か本が収められている。
リアは本棚から一冊のノートを取り出した。
「読みたいのか?」
「もしかしたら古代のすごい魔法が書いてあるかも」
リアの言葉にルロイが笑った。
「そんな昔のものじゃないだろ。貸して、俺が持つよ」
ルロイがノートを広げる。
「読み終わったら言えよ、ページめくるから」
ひとつのノートを2人で読む。
リアはすでにこのシチュエーションにときめいていた。
ノートの中身は古代のすごい魔法ではなかった。
◇
せっかく都会に来て喜んだのもつかの間
配属されたのは城、山の上だ。
出世コースらしいが、街までは1時間も山を下りなくちゃならない。
酒場にだって気軽に行けやしねえ。
国王のアイン様は若いのにお堅いし、最悪だ。
追記……掃除婦の子が超可愛かった。
ララっていうらしい、なんて可憐な名前なんだ。
城に配属されて本当に良かった。
⌘⌘⌘⌘⌘
ノイフェルトとかいう奴が城に来た。
魔法使いだという。魔法なんて本当にあるのか? うさんくさい奴だ。
早速ララにちょっかい出してやがる。殺すぞ。
「魔法で回復してあげる」だの「困ったことがあったら俺に言って」だの、お前今日来たばっかりだろうが!
⌘⌘⌘⌘⌘
山は天然の要塞だ。
深い木々の中を俺たちは自由に動き回れる。
何人たりとも城には近づけない。
眼下に広がるドライツェンの街を見下ろしながら一服する。
この美しい街も、城も、もちろんララも、俺がずっと守っていくんだ。
⌘⌘⌘⌘⌘
城の中でララとノイフェルトクソ野郎が話しているのをよく見かける。
あいつは何をしてるんだ。仕事しろよ。
俺は最近全然ララと話してないってのに。
今度勇気を出して食事に誘ってみようかな。
⌘⌘⌘⌘⌘
朝礼で俺の世界は崩壊した。
ララが寿退職するらしい。
田舎で養鶏をするとか何とか、あまり覚えていない。
明日から何を楽しみに生きていけばいいんだ……。
ノイフェルトを見ると奴の世界も崩壊していた。ざまあないぜ!
山を下りてドライツェンでノイフェルトとひたすら飲んだ。
まともに話したのは初めてだったが、思っていた通りの嫌な奴だった。
⌘⌘⌘⌘⌘
酒場からの情報によると街に妙な連中が増えてるらしい。
冒険者とも行商人ともつかない奴らが裏路地をウロウロしている。
何とも不気味だ。
グロスヒューゲルも軍備を増強してるらしいし、何もないといいんだが。
⌘⌘⌘⌘⌘
ノイフェルトと将棋を指していたらアイン様が通りかかったので3人で鉄道系双六をした。
ノイフェルトは開始早々ナイスカード駅を周回するタイプだった。
アイン様は笑ってたけど俺は奴とは2度と鉄道系双六はしない。
「ナイスですね〜」じゃねえよ死ね。
⌘⌘⌘⌘⌘
街のあちこちで火の手が上がっている。
予告なく始まったグロスヒューゲル軍の攻撃で、ドライツェンは煙と悲鳴の飛びかう地獄と化した。
ひどいことをしやがる。
森に眠る宝と呼ばれた美しい街はもう影も形もない。
ノイフェルトも1日中怪我人の治療にあたっているが全然追いつかない。
この地下室が見つかるのも時間の問題だ。
まだ幼いフィーア様だけはどうか逃げのびてほしい。
状況を理解しているのか不安げなフィーア様をノイフェルトに託す。
お前は生きてフィーア様を守るんだ。
俺は命をかけてこの道を守る。
フィーア様、どうかご無事で。
ドライツェンに栄光あれ
◇
日記はそこで終わっていた。
ルロイは無言でノートを棚に戻した。
おそらくノートの持ち主はもうこの世にいないのだろう。
自分が死んだあとに日記を読まれる。
しかもなんの関係もない奴らに「ページめくるから言えよ」とかなんとか言われながらエンタメ感覚で!
リアは実家に置いてきた日記の存在を急に思い出して背すじが寒くなった。
そのとき、奥から風が吹いてきた。
「出口が近いのかもな、行こう」
「うん」
◇
廊下を抜けると広い空間に出た。
目に入ったのは、おびただしい数のお墓だった。
洞窟の奥には死者が眠っていたのだ。
ルロイがひざまずいて祈りを捧げる。
リアの知っているやり方とは違うけど、きっと死者への祈りは同じだ。
リアもその場で静かに手を合わせた。
安らかに眠ってください。
あたりは暗闇に包まれて、ただ時間だけが流れた。
あれ、やってみようかな。
リアはふと思いついて印を結ぶ。
「藍6葱12空6!」
暗い墓地に光の花が咲いた。
「すごいな、お前が組んだのか?」
ルロイが静かに言う。
「ううん、先輩に教えてもらった」
エーミール先輩の笑顔を思い出す。
「『笑顔にする魔法』なんだって」
「そうか」
ルロイの声が優しくなる。
光の花が消えて再び静寂が訪れた時、奥から足音が聞こえた。
◇
「誰かいるの?」
ランプを持って入ってきたのはフィーアだった。
「藍空2!」
リアはとりあえず明かりをつけた。
「ルロイとリアじゃない! あなた達、こんなところでなにしてるのよ」
フィーアはかなり驚いていた。
「ええと、ふもとの洞窟を探検してたらここにつながってて」
ばつが悪そうにルロイが言う。
なんだかイタズラがバレた子どもみたいだ。
「ええ! あの道を上がってきたの?」
リアとルロイは顔を見合わせて頷く。
「よくやるわねえ、こんな学生は初めてよ」
フィーアはあきれたようにため息をついた。
◇
「ここにはドライツェンの戦いで亡くなった人たちが眠っているの」
ランプを置いて墓前で祈りを捧げたあと、フィーアが静かに話しはじめた。
「私の家族もここにいる。私だけ、どういうわけかノイフェルト様……学園長先生に助けられてね」
そして再び戻ってきたのか。
残された城を平和な学園にするために。
「私はあまり覚えていないんだけど、戦争で破壊される前のドライツェンはとても美しい街だったそうよ」
リアは今のドライツェンも素敵だと思うけど、かつてはどれほど美しい街だったんだろう。
その姿を見ることはもう永遠に叶わない。
「ここは冷えるでしょ、学園に戻りましょう」
そう言ってフィーアはランプを再び手にとった。
◇
墓地を抜けるとレンガ作りの地下室が広がっていた。
その先の長い階段を上がって天井の板を外すと学園の裏庭に出た。
「こんなところにつながってたんだ」
リアは外のまぶしさに目を細めた。
「ほかの学生には秘密よ」
そう言って笑うとフィーアは秘密の入り口をそっと閉じた。
きゅぅきゅぅきゅぅ きゅぅきゅぅきゅぅ
西日がゆるく差し込む裏庭を1匹のモルセーグが楽しそうに駆け回っている。
「あ、逃げてる。誰か鍵かけ忘れたな」
ルロイはそう言うと、しゃがんで両手を広げた。
「ほら、こっち来い」
きゅぅきゅぅきゅぅきゅぅ
一直線に飛び込んできたモルセーグをルロイは優しく抱き上げた。
ルロイの腕の中でモルセーグは気持ちよさそうに鳴いている。
あ、いいなあ。
リアは少し思ったけど、その後のモルセーグの運命を考えると複雑な気持ちになった。
「すいません、こいつ準備室に戻さなきゃいけないんで、僕はこれで」
ルロイはフィーアに軽く頭を下げる。
「リアも付き合ってくれてありがとな」
「うん、じゃあね」
ルロイは校舎へ消えていった。
「私、学生のプライベートには干渉しないことにしてるんだけどね」
フィーアは小さくため息をついてリアを見る。
「あなた達、デートするならもっと、ほかにいいところがあるでしょう」
ちがいないな。
リアは笑うしかなかった。
◇
詠唱を終えると周囲の空気は温かくなって、ゆっくりと温度計の目盛りが上がりはじめた。
できた! できた! できた!
初めて魔学式を組めた!
夜、ひとりの部屋でリアは感動していた。
自分で組んだ魔法を発動させるのって、こんなに楽しいんだ。
もっといろんな魔学式を試してみたい。
そうか、だから魔法理学が必要なんだ。
いろいろなことがリアの中でつながった。
今なら教科書も理解できる気がする。
リアは魔法理学の教科書を開いた。
教科書の内容はやっぱりよくわからなかったけど、リアは晴れやかな気持ちで眠りについた。
夢の中でリアは雨上がりの光に包まれた美しい街を見た。
もしかしたら、かつてのドライツェンの姿だったのかもしれない。