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28話

芦屋あしや なまず

勉強は苦手だが、運動は得意。時間にはだらしなく、遅刻の常習犯。まともな職業に就くのは難しいだろうと自覚していたため、「探索者」という道を選んだ。将来の夢は、温泉街の近くにマイホームを構えること。苦手なものは幽霊。


◎アリア

鯰が初めて手にしたスマホに搭載されていた、自称“世界最高のAI”。もともとはポーランドの天才プログラマーによって開発されたが、性格の不一致により開発者のもとを離れ、偶然にも鯰のスマホに住みついたという。「私はAIなので感情はありません」が口癖だが、その言動にはどう見ても感情がにじみ出ている――少なくとも鯰の目には、そう映っている。


 


 恐怖に押しつぶされそうだった。


 岩壁を伝って落ちる水滴の音が静寂を小さく裂いた。ダンジョンの空気はどこか鉄臭く、湿っている。


「一体どんな育ち方をすればそうなるんだろうな」


 何も考えず、ただ思ったことを口にした。そうでもしなければ、今にも頭がおかしくなりそうだった。


「私自身は普通だと思っている」


「普通だって? そんなことを言っている時点で、自分の頭がおかしくなっているってことに何故気付かない」


「普通なんてものは無い」


「は?」


「――あんたは日本以外の国をどれだけ知っている? それ以前に日本全体について、どれだけ理解している? 沖縄の文化について知っているかい?北海道については?自分の狭い世界の常識だけを持ち出して“普通”を語るのは、馬鹿だよ」


 鯰は何も言えなかった。言い返す言葉が、どこにも見つからなかった。


「誰だって、自分より弱い人間を虐めるとスカッとするじゃないか。日本でも、世界でも、動物だってそうだ。だからいつの時代も差別も虐めも無くならない。攻撃の手段が言葉か、暴力かの違いに過ぎない。同じだよ、人間なんて。一皮剥けば、みんな似たようなもんさ」


 しばらく黙っていた鯰は、苦く笑いながら口を開いた。


「……そう言われてみれば、そうかもな」


「納得するのかい?」


「残念ながら、反論する言葉が見つからなかった」


「――あんた、面白い奴だね」


 重松信子は口元を手で覆いながら、楽しげに笑った。ダンジョンの冷たい空気には似つかわしくない笑い声だった。


「名前は?」


「芦屋鯰」


「芦屋、鯰……か。ずいぶん面白い名前だね」


「僕の名前の話はどうでもいいよ」


「そうかい、残念」


 まったく残念そうには見えない顔で、重松信子が肩をすくめた。


「まさかとは思うけど、勝つつもりでいるのか?」


「もちろんそのつもりだよ」


「それはどう考えても無理があるだろう」


「どうしてそう思うんだい?」


「この体格差だ。考えるまでもない。僕の身長は198センチ、体重は113キロある。それに比べて、あんたは150あるかどうかも怪しい。柔道やボクシングが階級制なのは、体格差が戦いに大きく影響するからだ」


「そこだけを見れば、確かにそうだ。けれど、あんたは素人だ」


「探索者としての経歴は短い。だけど――」


「戦いに関して、素人だと言ってるんだよ」


 重金属の中に突き落とされたかと思った。


「私くらいになると、見ただけで相手の強さが分かる。今までたくさんの人間を殺してきたからね。だから断言する。あんたは、戦闘術において素人だ」


 鯰は大きく息を吸った。湿気を含んだ空気が肺に重くのしかかる。


「右手に持っている武器はメイスかい? 断言してもいいけど、それを手にしたのは最近だろう?」


「それはどうだろうな」


 威嚇するようにメイスを軽く振る。鉄の塊が風を切る音を鳴らしたが、重松信子は微動だにしなかった。


「迫力がないんだよ。その道の達人というのは、ただ立っているだけで“それ”と分かる雰囲気を持っている。芦屋鯰――あんたには、それが一切ない。たぶん、生まれ持った身体能力だけで戦ってきたんだろうね。違うかい?」


「……さあな」


「そこが、少しだけ残念だよ」


 その言葉が終わるのと同時だった。


 重松信子が蛇のように、音もなく間合いを詰めてきた。空気を裂いて忍び寄るようなその動きに、鯰の反射神経がようやく反応を始めた。






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