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20話

芦屋あしや なまず

勉強は苦手だが、運動は得意。時間にはだらしなく、遅刻の常習犯。まともな職業に就くのは難しいだろうと自覚していたため、「探索者」という道を選んだ。将来の夢は、温泉街の近くにマイホームを構えること。苦手なものは幽霊。


◎アリア

鯰が初めて手にしたスマホに搭載されていた、自称“世界最高のAI”。もともとはポーランドの天才プログラマーによって開発されたが、性格の不一致により開発者のもとを離れ、偶然にも鯰のスマホに住みついたという。「私はAIなので感情はありません」が口癖だが、その言動にはどう見ても感情がにじみ出ている――少なくとも鯰の目には、そう映っている。

 


 ブンッ――低く唸るような音とともに、視界がぐにゃりと歪み、世界が暗転した。


 眼前に広がるのは、薄暗い洞窟。湿り気を帯びた冷気が肌を撫でる。壁面からぽたぽたと滴る水音、空間全体を満たすぬめりとした苔と土のにおい。そして――人間の匂い。


「うおっ!」


 思わず声を上げた。


 目の前、三メートル。岩陰から突如現れたのは、全身に青い斑点を持つ、醜悪な魔物。


 魚のオコゼを思わせるその姿に、探索者たちはそのまま「オコゼ」と呼んでいる。海に住むそれと違い、背びれに毒はないが――牙は鋭く、動きは速い。


 右手に持っていたメイスを咄嗟に構え、体ごと飛びかかるようにして一撃を叩き込む。低い唸りとともに生まれた打撃は、まさにオーバーキル。


 魔物は「ぼもーっ」と間の抜けた声を残し、洞窟の壁に叩きつけられた。


「……あまりにいきなりで驚いたよ」


 声がこだまする洞窟に、鯰の言葉だけが残響する。しかしそれは独り言ではなかった。


「驚かないでください」


 冷静な声が胸元のボディーバッグから響いた。


「転移直後の視界内に魔物がいるケース、これで三度目です。ダンジョンでは、そういう理不尽が“日常”と心得てください」


「わかってるよ。でも驚くでしょ、普通……」


 魔物の体は泡と化し、そのまま地面に吸い込まれていった。


「……残念。宝箱は出なかったか」


「何を期待してるんですか。今日は生徒の救出が目的でしょう?」


「分かってる。もちろん分かってるんだけど、体が反応するんだ。もう職業病みたいなもんだよ」


 その時だった。


 静寂を破るように、洞窟の奥から女性の声が響いた。


「……この声は」


「恐らく、探索者専門学校の重松先生です。事件発生からずっと、生徒の捜索を続けていると聞きました」


「でも、生徒たちが襲われたのは二階層だったはず……。どうして先生が一階層に?」


「それは、本人に聞いてみましょう。……ただし、油断しないでください」


 アリアの声が一段低くなった。


「百戦錬磨の探索者を一撃で昏倒させたとされる“シャーク”が、この階層に現れた可能性もあります」


「……わかった」


 努めて冷静に答えたつもりだったが、喉の奥が乾いている。


 わずかに脳裏に浮かんだのは、肉片すら残さず喰われた自分の無惨な姿。もし本当に遭遇すれば、自分はその運命を辿るのだろうか。


 背後に気配を感じて振り返ったが、そこには相変わらずの薄暗闇があるだけだった。


「ご主人様は随分と臆病でいらっしゃいますね」


 少し冷たいアリアの声が今は嬉しい。


「別に怖がってなんかないよ」


「私に隠し事は出来ませんよ。心音がいつもよりも早いです」


「ああそうですか」


「はい」


 アリアの言う通りだ。こんなにもダンジョンが恐ろしいと思ったのは久しぶり。


 見上げた洞窟の天井には、粘りつくようなコケがびっしりと張り付き、はこうするキノコがそれを照らしている。


 鯰は足元に注意を払いながら、声の方角へと進んだ。


 洞窟の空気は次第に冷たさを増し、光の届かない闇が深く染み込んでいくようだった。


 時折、遠くで水が滴る音が、まるで誰かの足音のように聞こえる。心臓の鼓動が、自分の足音よりも大きく響いている気がした。


 声。


 その声は――生徒を守れなかった教師の声。彼女が目を覚ました時、そこには魔物に食べられた生徒たちの死体があったはずだ。いったいどんな気持ちだったのだろう。


 声。


 事件発生からずっと生徒を探し続けている声だ。


「ご主人様は随分と臆病でいらっしゃいますね」


「戦場では勇敢なやつから死んでいくのさ………」


 僕はおちょくるようなアリアの声に強がって返した。


「別にそんなことは無いと思いますけど」


「そういう名言がどこかにあったような気がするんだけど………」


「ありませんね」


 アリアのお陰でネガティブな想像から解放された鯰は声を追いかけて歩き続けた。






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