1話 ~崩落~
薄暗い洞窟の中、体から湯気を立ち昇らせながらゆっくりと倒れて行く蛸型のモンスター。
「よし倒した!」
「宝箱出現だ」
「やったぁ!」
そこにいたのは防毒マスクを被った男二、女一の三人の若者のグループ。
彼らは「探索者」と言われていて、この世界で日本にだけしかないダンジョンと言う摩訶不思議な空間で探索を行う者たちだ。
「僕が取ってくるよ」
そう言って歩みを勧めたのは三人の中で最も背の低い少年。
マスクの下の顔は子供っぽさはあるものの中々に整っている。髪の毛がウェーブしているのは一見するとパーマをかけているように見えるが天然パーマだ。
軽い足取りで近づいていくと地面に倒れている体長2m程の蛸の体は宝箱へと変化した。驚くべきことだが彼らの誰も驚いていない。ダンジョンではこれが当たり前の光景なのだ。
少年が宝箱の蓋を開けようと手をかけた、その瞬間だった。
――ゴゴゴゴ……。
地鳴りと共に足元が揺れた。
「うわぁつ!」
「きゃああああ!」
三人とも地震の経験はある。けれど、これは違った。内臓を震わせるような嫌な振動が足元から這い上がってきたのだ。
「な……」
天井からパキッという音がして、一瞬で線が走ったのが見えた。乾いた破砕音が連続し、壁のあちこちから小石が雨のように降ってくる。
少年は焦った。これまで幾度もダンジョンを探索してきたが、こんな事態は初めてだった。降り注ぐ土埃が視界を曇らせた。
そして――落ちてきた。
直径三メートルほどのゴツゴツした岩の塊が、「ばこっ」という間抜けな音と共に落下するのが見えた。現実感のない光景に、ただ見上げることしかできなかった。
視界が白く塗りつぶされ、頭頂部に衝撃。次の瞬間、鯰の体は前方に吹き飛ばされた。追撃を加えるかのように、その背中に岩の塊がさらに落ちた。
「が……はっ……!」
呼吸が抜けた。肺が潰れたように空気が入ってこない。右足に激痛。骨が砕け皮膚が裂けた感覚――千切れた。
「鯰くん!?」
遠くで声がする。視界の隅に駆け寄ろうとする穂香の姿が映った。けれどその肩を掴んで引き留めたのは真二だった。
「こいつはもう駄目だ、諦めて逃げよう!」
「でも……!」
穂香の声は震えていた。涙を浮かべ、必死に鯰を見ようとする。けれど真二は一歩も引かなかった。彼女を抱き寄せ説得するように声を張った。
「このままじゃ僕たちも崩落に巻き込まれる。一刻も早く、ここを立ち去るんだ!……お願いだ、穂香……!」
その声は強くてか細くて、冷酷でもあった。
穂香は鯰の方を振り返る。視界には、岩の隙間から伸びた鯰の手と、吹き飛んだ防毒マスクの断片しか見えなかった。
「……ごめん、ごめんね……!」
穂香はそう呟き、目を強く閉じてか。穂香の顔が無表情になっていた。初めて出会ったとき一目惚れしたその顔を今の僕は美しいとは思えなかった。
二人は踵を返した。
手と手を取り合って岩の中を遠ざかっていく。まるでタイタニックのようだ。歓声をあげる代わりに咳が出た。そこでようやく気が付いた。僕の防毒マスクはどこかに吹き飛んでいた。
怒りはそれほど湧かなかった。
人の力でこの岩盤をどかすことはできない。諦めるしかない。論理的に考えれば当然だった。問題は、諦められるのが「僕自身」だったということだ。
薄々感じていた。最近の穂香は真二と話している時の方が笑っていた。僕といる時よりも。
それも当たり前かもしれない。真二は僕と同じ年だが僕よりも断然頭が良くて、今年慶応大学に合格した。しかもその顔面は男である僕から見ても非常に整っていて、街の女性たちがヒソヒソ声をあげている所を何度も見てきた。
――また、岩が落ちる音がした。
きっと彼女は僕よりも真二の方が好きなんだろうな。僕の方が先に出会って告白して、それで付き合う事になった。だけどもしそうじゃなかったら。
酷く虚しい。しかし現実は僕を放っておいてもくれない。激痛が右足を襲い続ける。生き延びられるはずがない。それなら、せめて早く終わってほしかった。
背中を圧迫する岩盤が、軋みながら動いた。肺が押されてまた苦しくなった。もう空気は入ってこなかった。
死んだ。
その時だった――。
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