第7話 利家とサル
地味なサラリーマンの恵は、新幹線で着替えて女装して恵となるのが趣味。もう一つの趣味は「戦国オタク」。東京発の新幹線が名古屋に着く直前、桶狭間古戦場を通過したときにセーラー服女装のまま、1560年の今川義元の本陣に転生してしまう。恵のアドバイスで義元は輿を囮に逆方向の大高城に向けて脱出。信長は義元本陣にやってくるが…
◇今川義元本陣跡
信長はユノロクの黒いビジネスリュックを持ちあげて上下に振る。
「見た目よりも軽いな。中身は衣のたぐいか? だが、どうやって開けるのか?」 とつぶやく。信長には、ジッパーの開け方が分からない。
「むんっ」と肩紐を左右に思い切り引っ張る。ゴルティクス素材ほどではないが、ポリエステルの繊維は人の手で引き裂けるほど軟ではない。苛立った信長は腰の短刀を抜くと、リュックを切り裂こうとする。
その時、背後から「お待ちください、信長様」と声がかかる。声の主が霧の中から姿を見せる。
鎧は簡素だが兜を被っているから、単なる足軽ではない。だが、異様なのは、テナガザルのようにダランとした腕が地面すれすれにまで伸びていることだ。
「サルか? 何用じゃ?」
サルと言われた男は木下藤吉郎、後の豊臣秀吉である。
その異様な風貌ながらも、信長は才覚を見出して、平時は多忙な信長の「スケジュール担当秘書」に、戦では足軽100人の徒士部隊の隊長の一人に抜擢している。
日頃のスケジュール調整で阿吽の呼吸を築いた信長は、無言でユノロクのリュックを藤吉郎に渡す。
藤吉郎は饒舌に「信長様に仕える前、針売りで諸国を歩いておりましたゆえ、サルは金物にちょいと詳しいのです」と自らをサルと呼び、知見をさらりとアピールする。信長は「早くせい。急いでおる」と急かす。
「いけねぇ、いけねぇ」と藤吉郎は長い手で額をチョイと叩き、リュックを空に掲げたり上から覗いたり一通り検分。ジッパーを指で摘むと、器用にスルスルと開け、信長に差し出す。
信長は感心したように「ほぉ、面白い仕掛けだ」と言い、リュックに手を突っ込む。
黒いスーツの上下、黒いナイロン靴下、黒いボクサーパンツ、黒い革靴を取り出し、藤吉郎にリュックを渡す。
スーツのジャケットとズボンを両手に持ち、見比べながら眉をひそめる。
「黒尽くめ…南蛮の服に似てる気もするが、見たことのないものだ。こいつは忍びの装束か?」
藤吉郎は黒い靴下とボクサーパンツ、靴を見て、「忍びの者、間違いなく忍者ですな」と同意し、「やっかいですな。単なる間者なら、目立つ格好はせぬはず。これは義元が夜に清須城へ暗殺者を送る策かもしれませぬ」と危惧する。
「サルの言うことももっともじゃ。ワシは少し義元を侮っていたかもしれん」と言い、信長はリュックに再び手を入れ、真っ白なワイシャツと艶やかな赤茶色のシルクネクタイを引っ張り出す。
「どういうことだ? これでは闇夜にハッキリ見えてしまうではないか?」と首をひねる。
藤吉郎も「義元め、侮れませんな。裏の裏をかこうとしているかもしれません、どんな策を案じてるのやら」と、先行する騎馬隊100騎が突撃した霧を心配そうに見やる。
◇
その時、藤吉郎が来た方向から、長い槍を肩に担いだ徒士の足軽の大群が湧くように現れる。信長の本隊2000人が追いついてきたのだ。
信長は藤吉郎と同格の部隊長たちに顎で東を示す。部隊長たちは無言でうなずき、輿が消えた霧へ向かってザッザッと整然と進む。藤吉郎も列に加わろうとするが、信長が「サルは残れ。もう少しこの妙なものを検分する」と命じる。
すると、行軍する槍歩兵の一団から、ヒョロっと背の高い男が列を離れ、走ってきて信長の前にひざまずく。
「槍の又左こと前田又左衛門利家! 信長様の危機に助太刀に参りました!」と大げさに挨拶する。
信長は顔をしかめ、「チッ」と舌を打ってから、地面にペッと唾を吐き捨てる。
次回 信長大爆発!どうする利家?!