第32話 大炎上の軍議
海に面した独立丘陵にそびえる大高城。最上部にある主郭の御殿は夕暮れの光が西から差し込み、室内を茜色に染めている。太陽は海を隔てた熱田神宮のある熱田半島のすぐ上に位置し、間もなく日没だ。
上座に今川義元が扇を手に座り、その左右に老参謀の朝比奈と、遠江軍団長の井伊直盛と三河軍団長の松平元康が控える。
下座には井伊直虎や鈴木四郎といった隊長クラスの武士たちがずらっと並び、その最前列中央には場違いなワインレッドのボディコンスーツをまとった恵がちょこんと座っていた。
義元が扇をパチンと閉じる。
「さて、軍議を始めようぞ。まずは現状の報告を」
朝比奈が重々しく口を開く。「はっ。桶狭間にて義元様の馬回り衆は、ここにいるものを除き全員戦死。囮となった小幡殿も討死された模様」
小幡の死ーー恵が最初に出会った戦国武将だった。「粗野なおじさんだったけど、優しいところもあった」と感傷にひたる間もなく、朝比奈の続く言葉に恵は戦慄する。
「いましがた、鳴海城に籠城せし岡部元信殿も城を枕に討ち死にしたと急報が届きました。鳴海城の兵1000も全滅…」
(そんな!岡部元信は史実では鳴海城を脱出して生き残った。今川滅亡後は武田の臣下になって、1581年の家康による高天神城攻めで戦死するけど、それはまだ20年以上先のはずよ)
恵はごくりとつばを飲み込む。
義元は「ふん」と鼻を鳴らす。「で、今川軍はどれほど残っているのじゃ?」
朝比奈は「遠江軍団5000と三河軍団の残存2000、合わせて7000ほどでございます。後方の沓掛城には駿河軍団の主力5000がおります」
「1万2000か。信長軍はいかほどじゃ」
「……わかりません」沈黙する朝比奈。
恵が代わりに答える。「江戸時代の尾張は62万石。1万石で200人動員できるっていうから最大で1万2000くらいだと思う」
義元は髭だらけの井伊直盛に顔を少し向けて「どうじゃ?」と聞くと、直盛は「合ってますな」と一言だけ答える。
「くくくっ。数が同じでも、戦意は段違いじゃな…」と義元は自嘲気味に笑う。
「それでは、これからどうするか、じゃ。意見を聞こう」
朝比奈が進言する。「駿府へ向けて撤退し、駿府で態勢を立て直すべきかと」
直盛が首を横に振る。「撤退の途中で追撃されれば、全滅しかねん。大高城で援軍を待つべきだ」
元康が淡々と口を開く。「鳴海城の…信長を討つべきだ。今なら…勝てる」
「勝てる根拠は?」と朝比奈が訝しむ。
「信長も…消耗している。今夜中に攻め込めば…奇襲を奇襲で返せる」
義元は扇で口元を隠しながら、「くくく、三河の小僧が一番血の気が多いとはの」と笑う。
そして、恵に視線を向ける。
「さて、白き女軍師。いや『虹色の女軍師』だったな。メグミ、お前の意見は?」
恵は黙っている。義元が眉を上げる。
「なんじゃ、申してみよ。遠慮はいらん」
恵は深く息を吸い、覚悟を決めたように顔を上げる。
「……ワタシは人を殺す策は絶対に言いません。それがたとえ最上の策であっても」
朝比奈は「ふざけるな!軍師だろうが!」と怒鳴り、直盛は髭を引きつかせてすごい形相で睨みつける。
義元は「まぁまぁ」とでも言うように二人の重臣を手で制し、「分かった、分かった。まったく強情なやつよ。殺しの策は言わんでもいい。だが、わしは知っているぞ。お前は未来を知っている。それを言ってもらおうか」と恵の目を凝視する。
恵はスーッと息を吸い込むと、横座りを正座に直す。
「そうです。ワタシは未来を知っています。では、きょう死んだ人、生き残った人をお伝えします」
御殿の空気が凍りついた。朝比奈が「な、なんじゃと!」と声を荒げる。直盛も目を見開く。詰めかけた兵たちからもざわつきが起きる。
直虎は恵を心配そうに見つめる。ただ元康だけが、無表情ながら口角を少しだけあげている。
義元は眉をピクピクとさせながら、静かに命じる。「……言ってみよ」
恵は震えそうになる声を抑えてゆっくりと口を開く。
「西暦1560年、永禄3年5月19日、桶狭間の戦い…
今川義元さま、田楽狭間で信長に首を取られる。つまり討ち死に」
義元は怒りや不安を超えた狂気の表情で「カハッ」と大きく口をあけて悪役プロレスラーのような笑い顔を見せる。
「続いて、井伊直盛さま、戦死。場所は不明。おそらく義元急襲の報で救援に引き返したところで尾張の後続主力軍とぶつかったんだと思う」
井伊直盛は髭を逆立てて顔を真っ赤にするが、なにも答えない。恵の隣の直虎は小声で「…親父が」とつぶやく。恵は心にずきずきするものを感じながら、話を続ける。
「松平元康さま。桶狭間の混乱に乗じて、岡崎へ脱出成功。生き残りです」
元康は関心なさそうに虚空を見つめる。
「岡部元信さま。桶狭間後、信長と交渉し、義元さまの首を受け取る代わりに鳴海城を撤収。途中で刈谷城の水野氏を打ち取り、駿府へ帰還。以上です」
「わ、わしが出てこないぞ」と朝比奈が大声で抗議する。
「あなた、朝比奈泰能さん?」
「あぁ、そうじゃ。掛川城主で遠江の軍政を任されておる重要人物じゃ!」
恵は少しだけ戦国オタク脳センサーをまわす。
「あなたはややこしいから省いたの。あとで説明してあげるからとりあえず黙ってて」
「ぐぬぬ」
(※朝比奈泰能は桶狭間に参戦したともいわれるが、定説では3年前の1557年に死亡しており、桶狭間には22歳の嫡男泰朝が参戦したのではとの説が有力視されている)
「メグミよ。お前の言う未来……三河の小僧が生き残る以外、すべて外しているではないか」
朝比奈が「そうだ、そうだ。完全なほら吹きではないか!」と叫ぶ。直盛も「戯言としか思えませんな」と睨みを強める。
だが義元は手を上げて二人を制し、恵を見据える。
「いや……ワシは信じる。お前の『鳥の目』、あの妖術、そしてこの異様ながらすばらしい衣装や持ち物。すべて、この世のものとは思えなんだ。続けよ」
恵はうなずく。
「朝比奈さまや井伊さまがそうおっしゃるのもっともです……ワタシは嘘はついていませんが、ワタシの知っている歴史とは違う『今』が存在しているのは間違いありません」
義元が「で?」とさらに問う。
正座した恵は「ばっ」と両手を床につき、頭を一度つけてから、顔をあげると、決意の表情で義元に向かう。
「軍師として、ひとつ献策します」
義元が前のめりになる。
「ワタシはここに生きている7000人を、あらゆる手段を使って生き残らせます!」
兵たちが「俺たちを……弟の分まで、生かしてくれるんですか!」「虹色の女軍師さまは末端のことまで心配してくださるのか!」と驚きと期待の声があがる。
「はい、約束します。ワタシは、神や仏、未来の定めを裏切っても、絶対にあなたたちを護ります!」
直虎は感動で瞳を潤ませながら息を呑んで恵の横顔を見つめる。兵たちの歓喜のざわつきが波のように広がる。
元康の眼に初めて光が灯される。(…ふふふ…トラ姐が惚れるだけある…面白い人だ…僕が…壊したくなるなんて…何年ぶり…)
義元は立ち上がり、恵の前まで歩み寄る。
「虹色の女軍師よ。ワシは死ぬべきだったのに、生きておる。これは何を意味する?」
恵は義元を直視する。
「……分かりません。ワタシにも」
「歴史が変わった、ということか」
「そうかもしれませんし、歴史はあとで補正をしてくる可能性もあります」
義元は扇を開き、白檀の香りを漂わせながら、「では、その策を聞こうか」と問う。
恵は立ち上がる。ボディコンスーツの深紅が、夕暮れの光に艶めく。
「この城には7000人の兵がいますが全員撤退します。今夜中に大高城を放棄して、沓掛城へ全速力で移動します」
直盛が髭をいじりながら「撤退中に追撃されたらどうする」と問う。
恵は自信ありげに微笑する。
「追撃はさせません。信長が絶対に追撃できない状況を作ります」
義元が興味深そうに「ほう、どうやって」と聞く。
恵は御殿の床に広げられている地図に指でなぞる。
「大高城の西の海に、来援の舟が100隻ほど来ているはずです」
朝比奈が「確かに、水軍が到着しておる。なぜそれを知っている」と驚く。
恵は「歴史の記録に残っていますから」と簡単に答え、続ける。
「この100隻を使います。舟に武装を積んで、熱田神宮の方へ向かわせます」
直盛が眉と髭をひそめる。「熱田神宮? なぜじゃ」
恵は「熱田神宮には三種の神器のひとつ草薙の剣が祀られています。信長は桶狭間の前に熱田神宮で戦勝祈願のために立ち寄ってます。信長にとって尾張の人々にとって、熱田神宮は精神的な支柱です」と説明する。
義元が「信長は熱田神宮に立ち寄っていたのか? で、どうするのじゃ?」と新情報に少し驚きながら聞く。
恵の目は反射する夕日で赤く燃えている。
「熱田神宮を燃やします。名付けて『草薙の剣大作戦』です」
期待一色のざわつきが困惑の色に染まる。
「神宮を燃やす…そんなことをしたら神罰が落ちるぞ」と義元もさすがに顔を曇らせる。朝比奈と直盛も無言になる。
「きゃはははは!この人…サイコー!…最高に狂ってる!」と元康が突如大きな声で笑いだして拍手をする。
「僕は…乗るよ…その策に」
義元は真面目な顔で「うぬぬ。三種の神器をまつる神の社を燃やしたら、ワシは『第六天魔王』と世間からののしられるやもしれん。……しかし、やる価値はある。この策、採用じゃ!」と軍議の決定を一同に伝える。
百人を超える武者たちが一斉に「応!」と拳を突き上げて吠える。
直虎は、恵が握りしめている自身の拳が白くなるほど力が入っていることに気づく。(……姫は、自分の命や来世すら削って、俺たちの未来をこじ開けようとしているんだ……姫を護るのは俺だ。俺なんだ!)と護衛の騎士としての決意を新たにする。
「メグミ、もっと詳しく説明を」と義元は手招く。
「はい。では、隊長たちは今すぐ全兵の撤収の準備を始めてください。けが人はちゃんと運ぶように。朝比奈さまと井伊さまは指示をお願いします。武器は攻撃用も防護用もすべて置いていくようくれぐれも徹底してくださいね」
朝比奈と直盛はうなずいて立ち上がると部屋を出ていく。
「……義元さま、元康さま、そして直虎くんと四郎さんはここに残って。作戦を説明するわ」




