第29話 酒と屏風とボディコンスーツ
1560年、地獄の様相の大高城に入城した一行。恵は兵舎の一つで急速な眠りに落ちた。
2028年の冬、名古屋の発展場で飲んでいた「四つ子」という名の酒の芳香は?
2028年冬、名古屋の発展場のバーカウンター。ワインレッドのOL風のボディコンスーツをまとう恵は、江戸切子のグラスに注がれた透明な液体を上品に一口飲んだ。
「ねぇママ、この日本酒おいしい。なんていうの?」
がっちりとした体格のスパンコール女装のママは一升瓶のラベルを見せる。「浜松の地酒で『四つ子』。鈴木酒造ってとこの純米吟醸よ」
「四つ子…鈴木…」恵はその名前を舌の上で転がすように繰り返す。「なんかいい名前。温まるわぁ」
純米吟醸の芳醇な香りが、恵の身体を芯から温める。浜名湖の伏流水で仕込まれたという酒は、どうしてだろう、なぜか懐かしい味がした。
「ママ、もう一杯ちょうだい」
「あら、下戸の恵が珍しいこと」
「なんだろ……今夜はちょっと飲みたい気分なの……」
◇
恵は目を開ける。
薄暗い小屋の中。荒い木の壁、土の床、かすかに漂う煤の匂い。ここは大高城の中の、兵士たちの宿舎だ。
——きょう何度目の夢かしら。それにしても発展場のことを思い出すなんて。
恵が身体を起こすと、目の前に竹筒が差し出されている。
持っているのは鈴木四郎だった。無言で、ただ竹筒を恵に向けている。芳香からすると、中身はどぶろくのようだ。
「えっ、お酒?」
四郎は黙ってコクリとうなずく。
隣で心配そうに見つめる井伊直虎が説明を加える。
「姫、だいぶ疲れて身体が冷えてる。食事も用意するけど、酒は栄養も豊富だし、なにより身体が温まる。四郎が趣味でつくっている酒だけど、味は良いから、安心して飲んでください」
恵は竹筒を受け取り、口をつける。素朴だが、芯から温まる味だった。
「…おいしい」
直虎と四郎の口元が、安堵したように少し緩む。
恵は竹筒の中を見つめながら、つぶやく。
「四つ子…鈴木…酒造…まさかね」
その言葉に、四郎がピクリと反応する。恵は慌てて「あっ、ごめん、なんでもない」と首を振り、「四郎さん、黒いバッグ持ってきてくれる?着替えたいの」と頼む。
四郎は無言で首を縦に振り、小屋の土間に行き、キャスター付きのキャリーバッグを恵の横にそっと置く。
恵はキャスターのジッパーをおろして全開にする。ジッパーの機構に、技術好きの四郎は興味津々だ。
バッグの中はぎゅうぎゅうに色々な女性ものの衣服がつまっている。直虎はそっちに目を惹きつけられる。
恵は「軍議ねぇ、当たり前だけど出たことないなぁ。できるだけフォーマル寄りのほうが良いよね。じゃあ半年ぶりにスーツにしよっかな」と深い紅色のボディコンスーツを取り出し、脇に置く。
すっと恵は立ち上がって「よいしょ」と言いながらセーラー服のスカートの脇ホックを外すと、スカートがストンと足元に落ちる。
「ちょっ、ちょっと、姫、なにしてるんですか!」と直虎は顔を真っ赤にして、あわてて四郎の目を手でふさぎ、自分もぎゅっと目をつぶる。
「えーっ。さっきワタシ男だって言ったでしょ。同性同士だし別に良くない?あなたたちもだいぶ濡れてるから一度脱いだら」
四郎は無言のままうなずくと背中を向けて、狩衣を手際よく脱ぐと、ふんどし一枚になって、ぎゅーっと濡れた服を絞り始める。
「ちょ、ちょっと、四郎まで!」
「ほら、直虎君も、脱いだら」とセーラー服の上着も脱いで、レースで彩られたブラジャーとパンティーだけになった恵は、両手で目を抑える直虎の前に仁王立ちになる。
(……な、なんだ、この信じられないほどに繊細な網目の布は! それにしても美しい……もし俺が装着したら、いやいや、やはりメグミ姫がまとう故の美しさだろう……)
直虎は指の隙間から下着のレースを凝視してしまう。
はっと我に返った直虎は「いえいえ、姫さま!そ、某は、さきほど義元様から、姫に姫らしさ、淑女らしさを教えるようにと厳命を受けましたゆえ。ちょ、ちょっと奥で衝立を探してきます」とあわてて小屋の奥に隠れる。
ささっとボディコンスーツに着替えた恵は、四郎に向かって、「姫らしさを教えるってなに?笑えるんだけどぉ。ワタシ、男から教わることないってほど十分に女らしいつうの。ねぇ、四郎さん、そう思うっしょ?」とわざとギャルっぽく話す。
ふんどし姿の四郎はそれに答えも反応もせず、淡々とした手つきで、恵が脱ぎ捨てた、濡れたセーラー服を絞っている。
しばらくすると直虎が四曲一隻の屏風をひきずってくる。
美術品を前に素に戻った恵は興味津々で「狩野元信の酒呑童子絵巻をもとにしたものね。狩野派の工房の作品かしら、悪くないわね」と屏風を鑑賞する。
直虎は「いいですか、姫。着替えるときは、必ず屏風の裏で着替えてください」と有無を言わせない口調で恵に伝える。
「はーい」と恵が答えると、直虎は「あっ、あと、俺が着替えるときも屏風を使わせていただきます」と目を泳がしながら言う。
「別にいいけど……なんかひっかかるなぁ……」と恵は首をひねる。
誤解とすれ違いを続ける二人を見る四郎は無表情ながらも、その視線にはまるで「母親」のような慈愛が含まれていた。「ふっ」っと声なく微かに笑うと、また濡れた衣服を力強く搾り上げる作業を再開した。




