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【連載版を始めました】私が死んで償う結末をお望みでしょう?

作者: 曽根原ツタ

ご好評につき、連載版をはじめました。

下にリンクを貼ってあるので、ご興味を持っていただけましたらよろしくお願いいたします。

 

「ウィンター。そなたは聖女を偽称するという許されざる罪を犯した。よって、私はそなたとの婚約を解消し、新たに――聖女ステラと婚約を結ぶ」

「……ウィンター様」


 新聖女お披露目の夜会の広間に、王太子レビン・アンヴィルの声が静かに響く。彼の隣には、今日の主役であるステラ・イーリエ伯爵令嬢が、レビンに腰を抱き寄せられながら不安そうな表情を浮かべている。ステラは先日行われた聖女認定式で、神託によってこのアンヴィル王国の正式な聖女として認められた。


 そして、ふたりの前に立つのは、罪人ウィンター・エヴァレット公爵令嬢だ。


 この国では古くから、万物に神々が宿るとされ、人々は神を信仰してきた。信仰の見返りに人々は神から神力を授かり、その神力を使った聖魔法で、地上にひしめく魔物を退治してきた。その信仰の中心となるのが、星の数ほどいる神の中でも別格とされる――ラピナス十神と呼ばれる十柱の神々である。


 あるとき、神殿に神界からこのような神託が下りた。


『××年、大量の魔物によって世界は滅ぼされる』


 その後に、こう付け加えられた。


『――だが、アンヴィル王国に新たに誕生する聖女が、その危難から世界を救うだろう』


 聖女はその時代に必ずひとり誕生し、国の平和に貢献してきた存在だ。

 レビンはウィンターを冷ややかな目で見据え、静かに言葉を続ける。


「神託を受け、人々は必死に聖女の資質がある者を探し、新聖女の誕生を願ってきた。そのような中で、そなたはとんでもない嘘を吐いた」


 ウィンターは数年前、神殿で祈りを捧げているときに、『お前がこの国の聖女だ』という神のお告げを聞いたと嘘を吐いた。他の神官たちは誰もそんな神託を受けていなかったが、ウィンターは神託を疑うのは神への冒涜だと神殿を脅し、聖女候補の座を無理やり手に入れた。この国において神意が絶対であることを、巧みに利用したのだ。


 だが、聖女候補になった者は、真の力を発揮するために覚醒が必要となる。神託で選ばれた聖女候補には半年の研修期間が設けられ、聖女認定式という儀式を通して覚醒し、正式に聖女の地位を与えられる。偽物のウィンターは、嘘がバレないように、あれやこれやと理由を付けて、聖女認定式を先延ばしにしていた。


 聖女の主な仕事は、国中に発生した瘴気溜まりに結界を張ることだ。全ての魔物は瘴気溜まりから発生しており、それを浄化する方法は存在しない。一度発生したら、時間の経過とともに自然に小さくなるのを待つしかないのだ。そのため、聖女が結界を張り、魔物が人を害さないように維持していく。

 聖女としての資質などこれっぽっちもないウィンターは、りんごの周りに結界を張ることすらままならない。加えて、なんの努力もしなかった。歴代の聖女たちが張り巡らせた結界は穴だらけになり、魔物による甚大な被害が引き起こされていた。


 そして、世界が滅びるとされる年になり――もうひとりの聖女候補が神託によって選ばれた。それが、ステラである。

 更に、先日の聖女認定式が行われている最中に、アンヴィル王国の国中にいる神官たちが、同じ神のお告げを授かった。


『この国の真の聖女は――ステラ・イーリエただひとりである』


 そこで、誰もが理解した。ステラこそ本物の聖女であり、ウィンターは――偽物なのだと。そして、嘘つきには罰を与えるべきだということで、民衆は神殿に押し寄せて訴えた。


「国に危機が迫る中で、そなたは偽物の聖女候補として、多くの人々を混乱させた。その罪は重い。よってウィンター、そなたに――処刑を命じる!!」


 ざわり。レビンの宣言に、広間の人々がざわめき始める。ウィンターは狼狽しながら言葉を絞り出す。


「私が嘘を吐いたせいで、沢山の人を混乱させたのは事実。でも、死刑なんてさすがに過剰です! 私はただ、ただ……」


 しかし、ウィンターの懇願は誰の心にも届かない。広間にいる人々は、口々にウィンターを罵った。


「そうだ! よくも俺たちを欺いたな!」

「聖女を偽称するなんて、神への冒涜よ。なんて恐れ知らずな……」

「偽物め! 早く罰を受けて償え!」


 この国において神は絶対であり、神に逆らうことは死と同義である。神が選ぶはずの聖女を名乗った罪も、とても重い。


 人々はウィンターに向けて「消えろ、消えろ」というコールを何度も繰り返した。ウィンターはその迫力に圧倒され、一歩、また一歩と後退する。


「私は、ただ……」


 ウィンターは両腕を騎士たちに拘束されながら、重い唇を開きかけて、閉じた。


(――レビン様のことが、好きだっただけなのに)


 そんな言葉は、喉元で留める。

 この国の伝統では、聖女に選ばれた者が王太子と結婚し、未来の王妃になる。ウィンターは好きな人の花嫁になりたかったのだ。しかし、犯した罪の重さに気づいたときには、何もかもが手遅れだった。



 ◇◇◇



 断罪されてから何日かが経ち、ウィンターは王都の広場に連れ出され、斬首刑に処されることになった。広場には、嘘つき聖女候補の処刑をひと目見ようと、大勢の野次馬が押し寄せて、騒然とした雰囲気が漂っていた。


 処刑台の上で、ウィンターは諦めたような顔をして膝をついていた。そこに、聖女の神秘的なローブを身にまとったステラが歩み寄ってくる。

 処刑前に、罪人が神の赦しを得られるように神官が祈りを捧げるのが慣例だ。罪人は死後の救済を祈り、死に向けて心の準備をするのだ。


「ステラ……」

「レビン様にわがままを言って、祈りの儀式は神官様に代わってわたくしが行うことにしました。わたくしはあなたが悔い改めることを願っています」


 罪人への慈悲深い言葉に、人々は感心する。ステラは両手を胸の前で組み、優しげな声で続けた。


「もしあなたが悔い改めるなら、神は死後の世界であなたを赦してくださるでしょう。……これからは、わたくしがこの国を守っていきます。レビン様のこともわたくしに任せてください。幸せにしてみせますから。それではさようなら、ウィンター様」


 ステラの左手薬指には、レビンとの婚約指輪が輝いていた。彼女は、ウィンターが喉から手が出るほど欲しかったものを手に入れたのだ。

 ステラの幸せそうな微笑みが、最後にウィンターの目に焼き付いた。


 ――ザンッ。そして、ウィンターの上に剣が振り下ろされた。



 ◇◇◇



「きゃあぁぁぁぁ……っ!」


 ウィンターはエヴァレット公爵邸の自室で目を覚まし、寝台の上で勢いよく半身を起こした。

 そっと手を伸ばし、額を抑えながら深いため息を吐く。心臓が激しく音を立てていた。


「また、この夢……」


 ウィンターはこの一週間、毎晩同じ悪夢を見ていた。悪夢というより――予知夢と言った方がより正確だろう。

 婚約者であるレビンから婚約破棄を突きつけられた挙句、断罪される。これは、ウィンターが迎える未来なのだ。

 そして、この悪夢を見始めたのは、一週間前に前世の記憶が蘇ってからだ。


 前世で日本人だった冬佳(ふゆか)は、病死し、生前にプレイしていた神話系乙女ゲーム『ラピナスの園』の悪役令嬢に転生した。ウィンターとして生きてきた記憶はあるものの、現在のウィンターの人格は完全に冬佳だ。

 この王国には、色んな事情があって神々が地上で人間に紛れて生活しており、『ラピナスの園』は、ヒロインのステラが、攻略対象の麗しい神々との恋愛を楽しむゲームだった。


 ウィンターはそのゲームの中で、ヒロインのライバルであり、偽物の聖女という設定だ。王太子レビンと結婚したくて、嘘を吐いて無理やり聖女になり、本物の聖女であるステラの邪魔をする。そして、『人々を混乱させた偽聖女』として断罪されるのだ。


(このままだと、私は半年後に――断罪される)


 ウィンターが聖女を偽称したのは、レビンが好きで、彼の妻になりたかったから。しかし彼は、未来の聖女がステラであることを見抜いており、いつでもステラに付きっきりで、彼女を優先していた。


『すまない、ウィンター。今日の予定はキャンセルさせてもらう。ステラが体調を崩したから見舞いに行くんだ』

『次の園遊会は、ステラと参加させてもらう。そなたのエスコートはできないから、他の人を誘ってくれ』


 レビンが自分よりステラを優先する度に、胸を痛めながらも、彼の妻になりたいと一途に願っていた。しかし、その恋も人生も、公開断罪という形で幕を閉じる。


(破滅するなんて――絶対に嫌)


 ウィンターは破滅を回避することを決心した。



 ◇◇◇



 ウィンターは自室を出て、父の執務室に行った。ノックをして、扉の奥から低い声で「入れ」と促されたあと、部屋に入る。


 部屋の左右の壁掛け本棚にぎっしりと本が並び、正面に大きな窓がある。

 書類の山が積み上げられた執務机に座る父が、仕事をしていた。


 彼は部屋に入ってきたウィンターに目もくれず、作業を続けている。しばらく待ってみたが、一向に作業を止める様子がないので、遠慮がちに声をかける。


「お父様、お願いしたいことがあって来ました。少しだけお時間をいただけますか?」

「お願い――だと?」


 その瞬間、父の眉間に深い縦じわが刻まれる。彼はペンを動かしながら、ため息を吐いて言った。


「今、仕事に忙しいのが見えないのか? 話があるなら後にしてくれ。お願いというのもどうせ、ろくなものではないんだろう。この間言っていた別荘が欲しい話か? ああ、学園の気に入らない生徒を退学させろという頼みなら聞かないぞ」

「……」


 父の声から、ウィンターを煩わしく思っている気持ちがひしひしと伝わってきた。ウィンターはしょっちゅう父に頼み事をしては困らせてきたからだ。


「違います。今日は、聖女候補についてお話ししたくて。私、聖女候補を辞退したいんです。色々考えた結果、やっぱり私……聖女には向いていないと思って」

「…………」


 すると、父はペンを動かす手をピタリと止めた。ゆっくりと視線を上げ、ウィンターを見つめる。鋭い眼光に射抜かれ、ウィンターはごくっと固唾を飲んだ。


「――駄目だ」


 父の声が、静かに執務室に響く。


「どうしてですか……?」

「どうしてもこうしてもない。神の意向は絶対。神託によって聖女候補になったのを拒めば、神に歯向かうことと同じだ。神罰を受けて死にたいのか?」

「それは……」


 だが、嘘を吐いて聖女候補になったウィンターは、すでに神に楯突く取り返しのつかない罪を犯していると言える。


「もうひとりの聖女候補は優秀だと聞いている。どうせお前は選ばれないだろうし、聖女認定式まであと少しじゃないか。最後まで神意に従いなさい」


 ウィンターはきゅっと唇を引き結んだ。半年後にウィンターは、聖女を偽称したことがバレ、人々を混乱させた罪で断罪される。父は責任を取って公爵家の当主の座を退き、爵位をウィンターの兄に譲ることになる。父は厳格で真面目で、模範的な領主だった。彼にとって唯一の欠点は、どうしようもない娘を持ってしまったことだろう。


 今から聖女候補を辞退すれば、断罪を免れるかと思ったが、父は納得してくれそうもなかった。


「聖女候補の件は分かりました。それともうひとつ、お願いがあるんですけど……」

「まだ何かあるのか?」


 父の眉間のしわがますます濃くなったのを見て、ウィンターは冷や汗を浮かべる。けれど、震える喉を鼓舞してどうにか言葉を絞り出した。


「はい。レビン様との婚約を解消……したくて」


 要求の内容を聞いた彼は、鬼の形相をしていて。その表情に気圧され、ウィンターは思わず、ぴんっと背筋を伸ばした。彼は低い声で言う。


「私がそれを、許すと思ったか? 聖女と王太子の婚約は、この国の伝統だ。公爵家の一存で反故にできるものではない。それこそ、お前が聖女候補でなくなれば話は変わるがな」

「…………」


 ウィンターは沈黙し、父の言葉を受け入れた。

 聖女候補はウィンターが一人目で、ステラが二人目だった。だから、先に王太子と婚約したのが、ウィンターだった。


「用が済んだなら出て行きなさい。私は暇ではない」

「……はい。お忙しいところ、失礼しました」

「全くだ。どうしてお前は私を悩ませることばかりするのか……」

「では、失礼します。お父様、目の下にクマができていますよ。あんまり無理はしないように。身体に気をつけて」


 ウィンターはそう言ったあと、淑女らしく礼をして執務室を後にするのだった。

 一方、執務室に残された父は、ウィンターの後ろ姿を見送りながら目を見開き、驚いた様子で呟いた。


「あのウィンターが、私を気遣った……だと?」


 いつも自分のことばかりで思いやりを見せなかったウィンターが、他人を気遣うのは初めてだった。



 ◇◇◇



 その日、ウィンターは身支度を整え、王都の中心部にある神殿を訪れた。

 聖女候補は月に一度、神殿で神力を測定する習わしがある。しかし、ウィンターは面倒がって、ここ半年は一度も足を運んでいない。


(久しぶりの神殿だけど、みんなにどんな反応されるんだろう)


 長年努力を怠ってきたせいで、ウィンターは平均以下の神力量しかない落ちこぼれだ。神殿で祈りを捧げ、修行に励めば、多少は増えるかもしれないが、ステラが聖女になるのは既定の事実だ。

 彼女は神殿で測定を行う度、みるみる神力量が増え、神官たちを驚かせているとか。


 この世界において、聖女には――覚醒が必要となる。ただ聖女に選ばれただけでは、完全に力を行使することができない。研修期間を経て覚醒の儀を通し、神から真の力を授かるのだ。日々の鍛錬によって神力量を増やしているのは、聖女の身体を覚醒に耐えられる器にするため。


 神殿の敷地内に到着し、馬車を降りる。聖女候補ならば普通、手厚く歓迎されるものだが、ウィンターを迎えに来た者はひとりもいなかった。

 そのとき、もう一台の馬車が到着し、神官たちがぞろぞろ集まってきて、歓迎の言葉を口にした。


「「ようこそおいでくださいました! 聖女様!」」

「ごきげんよう。みんなでお迎えしてくださってありがとう」


 鈴を転がすような愛らしい声が、ウィンターの鼓膜に届いた。聞き馴染みのあるその声に振り向くと、ステラが馬車を降りる姿が見えた。

 こつん、とつま先が石畳を踏んだ瞬間、彼女の長いピンク髪が、ふわりと風に揺れる。


「ふふっ、でも気が早いですね。わたくしはまだ聖女ではなく候補ですよ?」


 ステラは口元に手を添え、優美に微笑む。その愛らしい笑顔に、神官たちはうっとりと見蕩れた。

 彼女は乙女ゲームのヒロインで、未来の聖女だ。ステラは人々に慕われていた。


 神官のひとりが馬車の踏み台を片付け、また別の神官がステラの荷物を持つ。またまた別の神官は、彼女の日傘を差し出した。神官たちに囲まれながら、楽しそうに話をするステラが眩しくて、ウィンターは太陽でも見るかのように目を細めた。


(当たり前だけど、対応の差がすごい……!)


 誰にも歓迎されず、目の前に砂埃が寂しげに舞うウィンターとは対照的に、ステラの周りは賑やかそのものだった。


「ですがもう、次の聖女はステラ様に決まったようなものです!」

「そうですよ。我々はそりゃーもう、全力でステラ様を応援しますから」

「ステラ様が聖女になれば、この国の未来も明るいでしょう」


 ステラはすごい人気ぶりで、神官たちから次々と応援の言葉を投げかけられていた。彼女は天使のような笑顔を浮かべて、彼らの言葉のひとつひとつに丁寧に相槌を打ち、耳を傾けている。


「こうして皆さんに応援していただけるなんて、わたくしはとっても幸せ者です……!」


 そんなやり取りを遠くから眺めていると、人集りの真ん中にいるステラと視線がかち合った。まさかここにウィンターが来るとは予想していなかったらしい彼女は、元々大きな瞳を更に大きくした。


「あら、ウィンター様……いらしてたんですね。ごきげんよう」


 ステラはライバルに対し、スカートを摘んで深くお辞儀をした。神官たちもようやくウィンターの存在に気づいたようだが、彼らの目には敵意のようなものが滲んでいた。


 和やかだった空気が、一瞬にして気まずくなった。


 悪役令嬢のウィンターは高飛車でプライドが高く、一度もステラに挨拶を返したことがなかった。けれど、ここにいるウィンターは前世の人格が融合した別人であり、以前のウィンターとは違う。


 ウィンターはにっこりと愛想く微笑み、手を振った。


「こんにちは。今日はよろしくね」

「「…………」」


 ウィンターが挨拶を返したことに、ステラたちは驚き、しばらく呆然とした。


「お、おい。ウィンター様がお笑いになったぞ。挨拶をしてくるなんておかしい。頭でも打ったのか?」

「明日はきっと大雨ね」


 神官たちがひそひそと話す声がウィンターの耳まで届き、呆れ混じりの半眼を浮かべる。


(挨拶しただけでそんな大袈裟な)


 だが、これまでの態度を考えれば無理もないだろう。


 するとそのとき、停車場に別の一行が現れた。ひとりの青年が、数名の騎士を付き従えて歩いてくる。金髪をなびかせた長身の美男子で、その瞳は王族を象徴する金色だった。

 彼は、ウィンターの初恋の相手であり、婚約者の――レビン。レビンはウィンターとステラを交互に見たあと、口を開いた。


「――ステラ!」


 彼が呼んだのは、婚約者ではなくステラの名前。そして彼は、当たり前のようにステラの隣に立つのだった。


 レビン・アンヴィルは、この国の王太子であり、乙女ゲーム『ラピナスの園』の攻略対象キャラだ。そして、攻略対象の中で唯一の人間である。アンヴィル王国の初代国王は、神と人間の子だと言われており、王族はすなわち――神の子孫にあたる。


 王太子の登場に、その場にいた者たちは、恭しく頭を下げる。ウィンターも神官たちに合わせて、お辞儀をした。


「そうかしこまらなくていい。皆、顔を上げなさい」


 レビンの一声で一同が頭を上げる。彼は人々の顔を確認し、ウィンターのことは見向きもせず、ステラに微笑みかける。


「レビン様……っ! どうしてこちらに? お会いできて嬉しいです」


 ステラはぱっと花が咲いたように表情を明るくし、レビンもまた、優しげに目を細めていて。とても親密な関係なのが伝わってきた。


「ウィンターにひどいことを言われていたのか?」

「レビン様が来てくださったから、平気です」


 そのとき、ウィンターは心の中で違和感を覚えた。


(その言い方だと、私がひどいこと言ってたみたい)


 今日はただ挨拶をしただけで、ひどいと言われるような何もしていない。

 すると、レビンはステラを庇うように前に立ち、冷たい眼差しでこちらを見据えた。


「ウィンター。どうしてそなたがここにいる?  ステラに不用意に近づかないように、散々忠告してきたはずだ」

「私もステラと同じ聖女候補です。毎月、神殿に足を運ぶのが習わしでしょう?」

「はっ、聖女候補だと? そなたが未来の聖女だという神託を聞いた者は、そなた以外にひとりもいない。現時点でそなたはお飾りの聖女候補に過ぎない。鍛錬を怠って半年も神殿(ここ)に来なかったそなたが、今更何をしに来た?」


 レビンはウィンターをいぶかしげに見つめてくる。ここで、前世の記憶が蘇って運命を変えようとしているのだと荒唐無稽な話を持ちかけても、まともに取り合ってはくれないだろう。


「これまでの振る舞いを反省して、心を入れ替えたんです」


 そう答えることしかできなかった。だが、ウィンターの言葉はレビンの心に届かない。彼は冷笑混じりに「どうだかな」と低く呟いた。


「昔からそなたは、自分が不利になるとすぐ嘘を吐く。もう私はそなたを信用していない」


 昔のウィンターは確かに、よく嘘を吐いていた。

 ステラは小さく震えながらレビンの袖をきゅっと掴み、不安そうな顔をした。彼はステラの華奢な肩を抱き寄せた。


「そなたのせいでステラが不安がっている。彼女はやがて世界を救う聖女になる。その命の価値は、王族である私と同等か、それ以上だ。最後に忠告をさせてもらう。もしステラを傷つけるようなことがあれば、婚約者であろうと――決して許さない。どちらが偽物かどうかは、聖女認定式で明らかになるだろう」


 そのとき、レビンの瞳に鋭さが宿る。美しい顔に威圧が乗ると数段迫力が増し、ウィンターは喉の奥をひゅっと鳴らした。

 告げられた言葉が、ウィンターの胸に重くのしかかる。聖女は一国につきひとり誕生すると決まっている。レビンはステラが本物だと確信しているようだ。


「さぁ、行こう。ステラ」

「え、ええ。でも、婚約者様を置いていってしまってよろしいのですか……?」

「気にしなくていい。未来の聖女を守るのは、王族として当然の務めだ」


 アンヴィル王国の伝統によって、王太子は代々聖女を娶ることが定められている。レビンはステラが未来の妃であるかのように、彼女を丁重に扱った。

 レビンがそっと手を差し出すと、ステラは自分の手を上に重ねる。レビンは婚約者ではなくステラを建物までエスコートするつもりのようだ。そして、ステラは踵を返す寸前、こちらをちらりと見た。


「それでは、お先に。ウィンター様」


 ぺこりと軽く会釈するステラ。彼女がわずかに浮かべた微笑みには、優越感が含まれているように見えた。ステラはレビンの腕に手をかけながら、ウィンターに聞こえる声で楽しそうに話し始めた。


「そうだっ、この前いただいた手紙のお返事、まだ出せてなくてごめんなさい。あの花の香りがする便箋、すごくかわいいですね。嗅いだことがある匂いだったんですけど、なんの花だったか思い出せなくて……」

「ラベンダーだ。最近、令嬢たちの間で香り付きの便箋が流行っていると聞いてな。そなたが喜んでくれると思って使ってみた。返事は無理して書かずともよい」

「ふふっ、無理なんてとんでもないですよ。ただ、何を書こうか迷っているだけで」

「そうか。では、気長に待つとしよう」


 ウィンターはこれまで何度もレビンに手紙を送っていたが、一度も返事をもらったことがなかった。


 ぽつんとひとり残されたウィンターは、寄り添い合うレビンとステラの後ろ姿を見つめ、肩を竦めた。


(婚約者がいるのに、他の令嬢をエスコートする男の人なんて、全然魅力的じゃない。ウィンターもレビン様を早く諦めればよかったのに)


 記憶の中の悪役令嬢ウィンターはレビンに執着していたが、冬佳の人格が宿る今のウィンターには、彼の魅力がよく分からなかった。

 ゲームの王太子ルートでは、現段階でふたりはすでに恋に落ちている。まだお互いに想いを口にしていないかもしれないが、シナリオ通りに愛し合っているに違いない。


 

 ◇◇◇



 神殿の祭壇室で、ウィンターは神力測定を行った。先に測定をしたステラは、前回よりも神力量が増えていたらしく、神官たちが喜びの声を上げていた。

 測定を終えたステラは、レビンと一緒に祭壇室を出て行き、ウィンターの順番が回ってきた。測定の手順は簡単で、祭壇に置かれた測定器に手を置き、神力を注ぐだけだ。


 すると、測定を見守る神官が、ウィンターに対して嫌味を零す。


「神力は偉大なラピナス十神が信仰心の代わりに我々に授けてくださる特別な力です。神に祈りを捧げず、なんの努力もしていないあなたに、この測定器が必要かどうか疑問です」


 彼の言っていることは正論で、何も言い返せなかった。


 そして、神力を有しているだけでは聖魔法を扱うことはできない。神々のことを理解し、聖魔法の呪文の発音や魔法陣の描き方などを習得することで、初めて聖魔法師になれる。


「聖女候補は通常、神殿が選ぶものです。けれど、あなたは神殿を脅迫して無理矢理候補に加わった。言葉を選ばずに申し上げれば、あなたは――卑怯者です」

「……」


 奇特な神官の言葉が、ウィンターの胸にぐっさりと刺さる。神託で聖女候補に選ばれたステラと違い、ウィンターは自分から名乗り出た。神意を盾にしたせいで誰も反論しなかったが、内心ではほとんどの者が、ウィンターを嘘つきだと疑っている。


『さっきお祈りをしてる最中にはっきりと神託を聞いたの! 私が聖女だって。ねえ、神託に逆らって神罰を受けたいの? 私を聖女候補にしなさい。レビン様の婚約者にふさわしい女は私以外にいないんだから……!』


 全ての始まりは、悪役令嬢ウィンターの嘘だった。


「私はもう、辞退しようと考えています」

「辞退ですって? 負けるのが分かっているから、ここまで来て逃げるのですか? 私どもはあなたに脅されたことを忘れていませんよ。自分の発言には最後まで責任を持つべきです。そして、もしあなたが嘘つきなら――罰を受けてください」


 ゲームの強制力か、それとも運命なのか、ウィンターに逃げる選択肢がないように感じられたら、断罪される結末へと、着実に引っ張られているような感覚がする。

 ウィンターは神力測定器に手を置き、なけなしの神力を注ぐ。しかし、数値を示す指針はほとんど動かなかった。


(みんな、私が罰を受けることを望んでる。断罪から逃れる方法は、ないの……?)


 ウィンターの中に、本来のウィンターの人格は残っていない。どうして冬佳が、他人の罪を代わりに償わなくてはいけないのだろうか。理不尽な現実に、下唇を噛んだ。



 ◇◇◇


 

 神官に言われた言葉が胸に引っかかったまま、ウィンターは祭壇室を出た。白亜の柱が並ぶ廊下を歩き、建物の外へ向かって足を進める。


 廊下の途中で、一室の扉がわずかに開き、その隙間から明かりが漏れているのが目に入った。そこは神像室で、神の像が管理されている部屋だ。とても神聖な場所なので、一般人は入ることができない。


「ウィンターは――だ」

「――です。だから……」


 扉の隙間から、男女の会話が聞こえてくる。話している内容は分からないが、『ウィンター』と自分の名前が耳に入った。


(私の話?)


 悪名高いウィンターの話ということは、どうせ悪口だろう。気になって立ち止まり、部屋を覗いてみると、そこにはレビンとステラの姿があった。


「でも、さすがに処刑はやりすぎでは?」

「ウィンターがしたことを思えば、妥当だろう。力もないくせに聖女を名乗り、そなたやみんなに迷惑をかけた。聖女の偽称は、神々への冒涜に等しい」

「ウィンター様が聖女ではないのは確定ですか?」

「ああ。神は私に直接、ウィンターは偽物だとおっしゃった。そして、聖女認定式で人々にも同じことを告げるそうだ。処刑について、エヴァレット公爵家もすでに了承している」


 神の子孫と言われる王家の血を引く者は、神の声を聞くことができる。レビンも子どものころから、その特別な能力を持っていた。


「でも……なんだか気の毒ですね」

「ステラは相変わらず、お人好しだな」


 ふたりの会話の内容に、ウィンターは震え上がった。


(そ……っか。もう、私の運命は決まってるんだ)


 無意識に片手を首に伸ばし、そっと触れる。半年後には、この首とお別れしなくてはならないと思うと、背筋がぞわぞわと粟立った。

 一方、ウィンターが盗み聞きしていることに気づかないステラが、続けて言う。


「だって、ウィンター様が嘘を吐いたのは、レビン様に好意があるからなのでしょう?」

「迷惑な話だがな」


 レビンは忌々しげに言い、ウィンターの恋心を一刀両断に斬り捨てた。

 彼は、ステラの両肩に手を置く。


「ウィンターが断罪されれば、婚約も解消される。その後、私は正式にそなたに求婚するつもりだ。私が愛しているのはそなただけだ。ステラ」

「レビン様……」


 ステラはほんのりと頬を染めて、肩に置かれたレビンの手に、自身の手を遠慮がちに重ねた。


「……はい。私、レビン様と婚約できる日を楽しみにしています」


 シナリオ通り、ふたりは禁断の恋に落ちているようだ。逢瀬を交わす彼らの様子を見ても、やっぱり胸は痛まなかった。レビンのことが大好きだったのに、前世の記憶を思い出したことで、ウィンターの人格と一緒に恋心もどこかに消えてしまったらしい。


 しかし、ふたりがウィンターの断罪を待ち望んでいるのが伝わってきて、複雑な気分が胸に湧いてきた。


(私は、邪魔者でしかない)


 早くこの場から去ろう。そう思って、踵を返そうとしたとき、つま先が扉にぶつかり、ごんっという音が響いた。その音に反応したレビンが、はっとしてこちらを振り向き、「誰だ!」と声を上げて扉を開けた。


「ウィンター……っ。まさか、今の話を聞いていたのか……?」


 レビンの背後で、ステラが口元に手を添えながら青ざめている。

 ウィンターは少し沈黙したあと、首を横に振り、困ったように微笑んだ。


「いいえ、何も」

「……そうか。測定が終わったならもう帰りなさい。私はステラを送っていく」


 レビンは安堵した表情を浮かべ、ステラとともに神像室を出て行った。



 ◇◇◇



 茫然自失となっていたウィンターは、無意識に神像室に足を踏み入れていた。部屋の奥に、ラピナス十神のうち、九体の白い神像が並んでいる。唯一、序列第二位のギノの像だけがなかった。

 ウィンターはよろよろとおぼつかない足取りで、神像の前まで歩み寄り、へたり込む。


(どうして、こんな思いをしなくちゃいけないの?)


 気づけば、涙が溢れていた。どうして、断罪目前の悪役令嬢に転生してしまったのだろうか。病気との戦いばかりだった冬佳の人生が終わり、健康な身体に転生したのに、先は短そうだ。


 神なんて、本当にいるのだろうか。

 両手で顔を覆い、ひとしきり泣いたあと、袖で涙を拭って、ぱんっと頬を両手で叩く。


「泣くな、私」


 たとえ、断罪を回避する可能性が限りなく低かったとしても、諦めたくはない。自分の運命を変えるために、少しでも足掻いてみたいのだ。


 ウィンターはポケットから、四つ折りの紙とペンを取り出し、床に置いてメモを確認した。

 この紙には、乙女ゲーム『ラピナスの園』のシナリオと、攻略対象のリストが書かれている。前世の記憶が蘇ったときにウィンターがメモしたものだ。


 現状、王太子レビンルートに進んでいるが、このままだと結末は――バッドエンドだ。


 実は、レビンルートでハッピーエンドを迎えるには、ヒロインのステラが、悪役令嬢ウィンターと仲良くなっておく必要がある。きっとどこかで分岐を間違えたのだろうが、ここまで関係がこじれてしまっては修復は難しそうだ。ウィンターの処刑が決まった時点で、バッドエンドが確定する。


(もっと早く前世の記憶が戻っていれば……でも、今からでもできることが、きっと何かあるはず。きっと……)


 メモを見下ろしながら、顎に手を添えて考えを巡らせる。王太子やヒロインを含む周囲の人々は、みんなウィンターのことをすっかり嫌っている。こんな嫌われ者が、頼れる相手がいるのだろうか。そこでひとり、思い浮かんだ。


(私と同じ、嫌われ者の神様なら)


 嫌われ者の神、ギノはこのゲームのラスボスだ。


 ラピナス十神のうち序列第二位である彼は、現在――石像に封印されている。ギノはどのルートでもラスボスとして君臨し、ハッピーエンドではヒロインと攻略対象たちに再封印され、バッドエンドでは――世界を滅ぼす。


 数年前の予言の、世界が滅びる原因は――ギノなのだ。


 彼は闇を司る神で、魔物たちを支配していた。はるか昔、魔物による被害が拡大したことで、人間は魔物の王であるギノを恨み、封じたのだ。実際、ギノが直接人間に危害を与えたことはなかった。


 その封印は、時間とともに弱まっており、ウィンターが断罪される日に解ける。人間を恨んだギノは、世界を滅ぼしてしまうのだ。


「よし。決めた」

(ギノ様のところに行ってみよう)


 ゲームの知識で、ギノの神像がある場所は知っている。他の神々がウィンターを切り捨てるつもりでいるが、ギノなら助けてくれる希望がゼロではない。どうせ世界が滅ぶなら、最後の希望に賭けてみたい。ウィンターは一歩踏み出す決心をし、紙に書かれたギノの名前を丸で囲った。



 ◇◇◇


 

 神殿を出たウィンターは、屋敷に帰る前に、とある森に向かった。ウィンターが通っている王立学園の近くには、小さな森が広がっている。護衛もつけずにウィンターはひとり、鬱蒼と生い茂る茂みを掻き分けて、森の奥へと進んだ。


 三十分ほど歩いたところで、わずかに開けた空間を見つけた。その中央に、白い石像がぽつんと佇んでいる。


「あった」


 ウィンターはそう呟く。木の枝を掻き分け、草を踏み歩きながら石像の前に立った。


 薄汚れた古い像。全体がひび割れていて、首から上が欠けている。身体は、程よく筋肉がついた男性の姿だ。

 実は、この石像の中に、ギノが封印されている。それを知っているのは、前世で乙女ゲームをプレイしていたウィンターだけだろう。


(この石像の中に、何百年も閉じ込められてたなんて)


 一見、ただの石像にしか見えないが、ウィンターは意を決し、石像に話しかけた。


「あのぅ……願い事って受け付けてる感じですかね」


 しん……。ただの石像から、返事は返ってこない。

 けれど、ウィンターはめげずに続けた。


「も、もしもーし! 聞こえてるんでしょう? 今日は神様にお願いがあってきたんです。実は私、前世の記憶があって――」


 ウィンターはそれから、自分の前世が冬佳という日本人であることや、冬佳の人生、乙女ゲームの世界に転生したことなどを包み隠さず話し始めた。


「――というわけで、半年後に処刑されることになってるんですけど、それを避けるために助けていただきたくて。もし処刑されるとしても、せめて痛くないようにしてほしいし、ついでに、世界を滅ぼさないでほしいです。何卒、お願いします……!」


 ウィンターは手を組み、全力で祈った。


 やっぱり、返事はない。乙女ゲームでは、石像に封印されている間も音が聞こえていると書かれていたので、ウィンターの声は確実に届いているはずだ。思いのたけを全て伝え終えたウィンターは、「よし」と満足げな顔をする。


 それから、石像に載っている枯葉を払い落とし始めた。そして、ポケットからハンカチを取り出し、汚れを丁寧に拭いていく。長い間ほったらかしにされていたせいで、かなり汚れていた。

 磨かれてピカピカになった石像を見上げながら、額の汗を脱ぐ。


「ふぅ。とりあえず、こんなもんか。ねぇ神様、綺麗になってスッキリしましたか? 気持ちがいいでしょう?」


 ウィンターはふわりと微笑みながら、石像に触れた。


「……五百年も一人ぼっちで、寂しかったですよね。私は、寂しいのは嫌いです」


 闇を司る神ギノは、十人の神の中で最も戦闘力が強いと言われている。そんな彼がどうして人間に封印されたのかは分からないが、孤独の辛さならよく知っている。


 前世の冬佳も、病気で寝たきりの生活を送っていた。最後の方は声も出せなくなって、誰とも話せなくなった。病気のせいで両親は喧嘩ばかりしていたし、お見舞いに来てくれる友達もいなかった。ずっと、寂しかった。


 もしギノにも、寄り添ってくれる人がいたら、世界を滅ぼそうと思わなくなるかもしれない。


「私がもう、神様を寂しくさせません。それじゃあ、また明日もお祈りをしに来ますね!」


 最後にそう伝え、ウィンターは森をあとにした。



 ◇◇◇



 前世の記憶を取り戻してからというもの、ウィンターは必死に勉強し、周囲に親切にし、神力を上げる修行に勤しんだ。

 そして、ウィンターは石像のもとに足繁く通った。雨の日も、風の日も、毎日だ。


『今日はクッキーを焼いてきました。神様は食べられないけど、私がその分食べるので安心してください! しょっぱ!? 砂糖と塩間違えてた……。いつか封印が解けたら、神様の分も作ってきますね。もちろん砂糖と塩は間違えません!』

『今日は小テストで満点を取ったんです。頑張って勉強してよかったな。神様は勉強は得意ですか?』

『ねぇ、今のバイオリン演奏、すごく良かったと思いませんか?』


 毎日、石像に話しかけ続けた。変わらず一度も返事はなかったが、ギノに声が届いていると信じていた。時には歌や、バイオリンを弾いて聞かせることもあった。


 その日は雪が降っていた。ウィンターは石像の首にマフラーを巻き、白い息を吐きながら、声をかける。


「今日は寒いですね。これを使ってください。あったかいですか?」


 ウィンターは石像に背を預けながら、雪が積もった地面に腰を下ろした。かじかんだ手を擦り合わせて温めながら、いつものように一日の出来事を語る。


「……今日はね、婚約者に言われたんです。今更猫を被っても、誰の気も引けないって……。この半年、私が頑張ってきたことは無駄だったのかな」


 苦笑を零し、目を伏せる。

 降り積っている雪が溶け、新緑が芽吹く前に――ウィンターは処刑される。


「やってみたいことが……沢山ありました。友達を作って、学園生活を楽しんで、恋をして、毎日幸せに過ごすんです。でも私、死んじゃうみたい……っ」


 最後の方は、声が震えていた。熱いものが込み上げてきて、瞳にじわりと涙が滲む。ウィンターは震える声を絞り出した。



「助けて……」



 前世でも、何度も何度も神に懇願してきた。でも結局、助からなかった。ウィンターの『幸せになりたい』という祈りは、どの神にも届かないのだろうか。


 その小さな懇願は風の音に掻き消された。散々泣いて真っ赤になった目を擦りながら、よろよろと立ち上がる。

 なけなしの平常心を掻き集めて笑顔を取り繕い、石像に向かって言う。


「今日でお祈りはおしまいです。この半年間、私なんかの話を沢山聞いてくれてありがとうございました。楽しかったです」


 ウィンターは石像に額を擦り寄せ、小さく呟く。


「もし叶うなら、本当の姿の神様にお会いして話してみたかったな。――そうしたら私のこと、友達にしてくれますか?」


 前世でも、ウィンターには友達がいなかった。神と友達になれたらきっと楽しいだろう。

 ウィンターはそっと額を離して、続けた。

 

「人を嫌いになる気持ちは分かります。でも、悪い人ばかりじゃないですよ。世界を滅ぼしたって、神様は虚しくなるだけだと思います。五百年も辛いことを耐えてきたんですから、これからあなたに輝かしい未来が待ってるって、私は信じています。――さよなら」


 両手を組み、最後にもう一度祈りを捧げる。


(もうすぐ封印が解ける。ギノ様がちょっとでも、優しい気持ちで目覚められますように)


 聖女認定式は明日だ。石像に祈りに来るのも、これが最後になる。ウィンターは自分の声がギノの心に届いていることを信じ、踵を返した。もしもギノの心を動かし、世界の崩壊を止められたら、ウィンターのちっぽけな人生にも意義があったということだろう。


 ふいに顔を上げると、雲間から陽光が一筋差し込んだ。


 そして、石像にピキッ……とヒビが入った。



 ◇◇◇

 


「ウィンター。そなたは聖女を偽称するという許されざる罪を犯した。よって、そなたとの婚約を解消し、新たに――聖女ステラと婚約を結ぶ」


 ウィンターが前世の記憶を思い出してから、半年。とうとう、公開断罪の日を迎えた。数日前の聖女認定式では、乙女ゲームのシナリオ通り、『真の聖女はステラ』という神託が下りた。そして、ステラは儀式を通して神に力を授けられ、聖女として覚醒した。


「そなたは偽物の聖女候補として、多くの人々を混乱させた。その罪は重い。よってウィンター、そなたに――処刑を命じる!!」


 レビンが声高らかに宣言すると、広間にいた人々はざわめき始めた。ざわめきの中で、ウィンターは処刑宣言をただ静かに受け止める。


(頑張ってきたつもりだったけど、結局、何も変えられなかった)


 今日まで心の準備を散々してきたものの、いざ現実になってみると、処刑への恐怖から手足が震えた。全身の血の気が引いていき、ここに立っている感覚すらおぼろげで。

 すると、あちこちから「処刑が妥当だ」という声が漏れ始めた。


「最近は、心を入れ替えて頑張っていたようだけど、聖女を偽称するのは最悪ね」

「神への冒涜を死んで償うのは当然だ」

「若いのに可哀想だが、仕方ないことだろう」


 多少の憐れみの声もあったが、レビンもステラも、両親も神官たちも、この場にいる全ての人々がウィンターの処刑に賛同し、ウィンターが死んで償う結末を望んでいる。


 ウィンターは淑女の礼を執り、冷静に答えた。


「処刑を受け入れます」


 そう答えるしかなかった。ウィンターの返答に、レビンとステラは安心した様子で互いに顔を見合わせている。

 だが、騎士たちがウィンターの腕を拘束し、広間の外へと引きずり出そうとした直後――


『その必要はない』


 広間にいる全員の頭の中に、声が響いた。シャンデリアの灯りが消え、昼間にもかかわらず、外が夜のように暗くなった。突風が吹き、窓ガラスがカタカタと揺れ始める。遠くでカラスが妖しげに鳴き、雷の音がどこかから聞こえた。


「な、なんだ、この凄まじい神気は……っ」

「新たな神託が下りるんだ!」


 強い神気に当てられ、敏感な神官たちは床に倒れ込む。

 そして、低い男性の声が、人々に告げた。


『ラピナス十神序列第二位ギノの名において、ウィンター・エヴァレットをふたり目の聖女として認める。以上』


 ギノは五百年もの間席を外していた、強く偉大で冷酷な神だ。人々は畏怖に押し潰され、息を呑んだ。

 お告げの直後、窓の外の暗闇は明るくなり、シャンデリアの蝋燭も再び灯った。


 どの時代も、どの国でも、聖女はひとりしか存在してはならない決まりがあった。前代未聞のふたり目の正式な聖女の誕生に、一同は騒然とする。ウィンターが神に聖女として認められた以上、もはや処刑など許されるはずがなかった。それこそ、神への冒涜となってしまう。


 神の意思は絶対。それがこの世界の理だ。


 人々の視線が一斉にウィンターに集まる。予想外の展開に驚いているのは、ウィンターも同じだ。「何か言ったらどうだ?」という人々の圧を感じたウィンターは、困ったように眉尻を下げる。


「とりあえず、処刑は無し、ということでいいんでしょうか……?」

「「…………」」


 問いかけてみるが、誰も答えない。すると、ステラが悲鳴のような声を上げた。


「そんなの、認めません……っ! わたくしと彼女が同じ扱いだなんて耐えられないです。それにわたくしは、レビン様のことが……っ」


 ステラはレビンに寄り添いながら、わっと泣き崩れてしまった。聖女がふたりということは、彼女が独占しようとしていた名誉を、ウィンターと分け合わなければならない。納得できないのも当然である。


 レビンは、困惑した様子で言う。


「ここにいる皆が神託を聞いた以上、その意向に従わなくてはならない。断罪は撤回する。そして、私との婚約も継続――」

「待ってください」


 レビンが婚約破棄の取り消しを言いかけたところで、ウィンターは片手を上げて、それを遮った。


「婚約解消は受け入れます。これまで私がレビン様に迷惑をかけてきたのは事実ですから。なので、レビン様の望むお相手と結婚してください。それでは、ごきげんよう。今日はお騒がせして申し訳ありませんでした」


 ウィンターは潔く身を引き、広間をあとにした。


 聖女候補を偽称していたと思われていたウィンターが、序列二位の神に聖女として認められたことに、人々は衝撃を受けている。そして、レビンとステラに対して、疑念を抱く声が上がった。


「王太子殿下は、ウィンター様にこれまでかなり辛く当たっていたと言われている。王族の義務は聖女を敬うことなのに。ステラ様と禁断の恋に落ちていたという噂も本当のようだしな」

「ああ。他人の男を奪う聖女は果たして信用できるのか?」


 ウィンターひとりを悪者として吊し上げようとしていたレビンとステラは、ふたりとも決まり悪そうに顔を伏せる。

 そうして、断罪騒ぎは幕を閉じたのだった。



 ◇◇◇



 パーティーから抜け出したあと、その足で例の森へと向かった。パーティーで神託を告げたということは、ギノの封印が解けたのだろう。


 森の奥へと進み、木々を掻き分けて石像がある場所に足を運んだ。


 石像は崩れ落ち、土台だけが残っている。その前に、これまで見たことがないほど、美しい男性が立っていた。

 艶のある黒髪に、筋の通った鼻梁、薄い唇。陶器のよう滑らかな肌。闇を吸い込んだような黒い瞳……。全てのパーツが完璧に整い、完璧な位置に配置されていた。


(やっと、会えた)


 彼こそ、第二神ギノだ。前世で乙女ゲームをプレイしていたウィンターは、彼の姿を知っていた。


「――ウィンター」


 低くて優しい声に名前を呼ばれた瞬間、爽やかな風が吹き抜け、ウインターの心ごと揺らした。


「はい。はじめまして、ウィンターです。神様……ですか?」


 緊張しながら確認すると、ギノは頷く。ウィンターは彼のもとに駆け寄った。


「よかった……封印が解けたんですね」

「ああ」

「さっきは、助けてくれてありがとうございました」

「他人の罪を背負う必要はない。罪のない人間を裁くことは、神界の掟にも反する。俺は神界の掟に従っただけだ」

「私の話を信じてくれるんですか? 嘘かもしれないのに……」

「嘘?」

「ほら、前世がどうとか、乙女ゲームとか、悪役令嬢が……とか」

「お前は嘘を吐かないと信じている」


 ギノはまっすぐにこちらを見つめて言った。彼は、転生したなんて突拍子もない話を信じてくれているのだ。

 聖女にならなければ、レビンの言う『人々を混乱させた罪』が成立してしまうので、本当に危機一髪だった。


「でも、私は本物の聖女じゃないです」

「お前は世界を救ったのだから、聖女と言っていいだろう」

「じゃあ、世界滅ぼすのはやめたんですね?」


 するとギノは立ち上がり、こちらを見下ろした。


「世界を滅ぼすのはやめた。代わりに、俺はお前の願いを叶えるために存在することにした」

「へっ……!?」

「どうやらお前はかなりの不幸体質らしいからな。幸せにしてみたくなった。お前が幸せそうに笑うところを見てみたい」

「どうして、神様が私のためにそこまで……」

「お前が語りかけてくれて、孤独だった俺は救われていたからだ。お前がいたら寂しくない。むしろ、いてくれなくては困る」

「!」


 自分が必要とされていることが、何より嬉しい。ウィンターはふわりと微笑んだ。


「お役に立てていたなら、嬉しいです」

「これからどうしたい?」

「やってみたいことは沢山あります。ウィンターとして生きていく以上、汚名は返上しないとですし」

「ああ、力を貸そう。他には?」

「ふふ、神様には私の願いを沢山お話したでしょう? 私のことなら何でも知っているくせに」


 いたずらに微笑むと、ギノは身をかがめてウィンターの顔を覗き込んだ。長いまつ毛が縁取る黒い瞳に射抜かれ、心臓が跳ねる。


(ち、近いし……顔が、良すぎる)


 ギノはウィンターを見つめたまま、真剣に言う。


「――恋人がほしいと言っていた」

「い、言いました……けど」


 彼はおもむろにウィンターの片手を取り、手の甲に優しく口付けを落とした。


「ひゃっ……!?」


 唇が触れた場所がくすぐったくて、熱くて、甘い痺れが全身に広がる。

 顔を上げたギノと視線が交錯し、ウィンターはどきどきしすぎて目眩がした。



「なら――候補に俺を入れておけ」

「!」



 もしかしたら、ウィンターはとんでもない相手に捕まってしまったのかもしれない。


「まずは、友達からお願いします……っ。神様」

「ギノでいい」

「ギノ……さ、ま」


 真っ赤になりながら、弱々しく答えるので精一杯だった。


 冬佳の人生で、病床に臥している間に『幸せな人生を生きたい』と神に何度も何度も願っていた。冬佳の祈りは、ウィンターに転生してようやくひとりの神に届いたのだった。

 嫌われ者のウィンターは努力の甲斐があって、やがて聖女として人々に尊敬されるようになる。そして、ウィンターが目の前の神に重たく愛されて幸せになるのは、まだ少し先のお話。


(どうやら、私が死んで償う結末を望まない人がここにいたようです)




 終






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