これはきっと、2回目の
遠くにうっすらと光る非常用出口のネオン。昼間とは姿を変えた少し寒い廊下。
深夜11時55分。私は学校にいた。
廊下に飾られた大きな鏡は、普段は女子たちがメイク直しの為に場所取りをしては教師達にお小言を言われる活気のある場所である。
それもこんな時間には、少しおどろおどろしい恐怖スポットに姿を変える。
“手順”を確認するなっちゃんと真由子は楽しげだ。
どこか冷えきった空気に少し恐怖を感じて深呼吸を1つすると、それに気がついた真由子はにやりと笑った。
「なぁに奈子、ビビっちゃってんの〜?」
「いやぁ、こういうの良くないって。知ってる?ホラー映画で一番最初に死ぬのは私たちみたいなやつだよ」
「おっぱいポヨンポヨンの美女って事?」
「シャラップ真由子さん、それは洋画だ。私は邦画の話をしてるんだよ」
自分の胸を確認し納得するように頷いた真由子は確かにEカップだ。だが私はそういう事を言ってるんじゃない。
大体私たちって言ってるんだよ。私はAカップなんだよ。悪いか。
「興味本位で噂話に近づいて皆殺しなんて良くあることじゃん」
「やめろ、奈子、ストップ。怪談とかあたしマジで無理なんだよ。季節外れの夜中に急にマジ怖の予告が流れるのがあたしはこの世で1番憎い」
金髪がプリンになっているヤンキーが涙目で私を止めた。1年の教室からくすねてきたマジックペンで不格好な円を画用紙いっぱいに書きながら恨み言を言う。
柄は悪いせいで学校中の誰もが避けて通るが中身は乙女な友人、なっちゃんだ。
皆殺しなんてそうあってたまるか、と口を尖らせている。
「なっちゃん…そのマインドでよくこの時間帯に学校入れたね」
「それとこれとは別だろ?運命の相手とか絶対知りたいじゃん?!」
新鮮な林檎と占う人間の爪を紙に書いた円の上に置き、11本の蝋燭を灯す。そして0時丁度に全身を移すような大きな鏡の前に立つと運命の相手が目の前に移るらしい。
その噂を実践する為に私たちは学校に忍び込んだのだ。
見回りの警備員に見つからないように細心の注意を払って侵入したけれど、今思えばそんなものよりも夜の学校の雰囲気の方が怖いと思う。
じめっとしたジャパニーズホラーの感覚に少し鳥肌が立ち、思わず辺りを見回す。
そんな私を面白がるように、手順が書かれていたメモと睨めっこしていた真由子は私の背中を叩いた。
「奈ー子ー。今日やるのはこっくりさんなんかじゃなくて恋のおまじないだから大丈夫だってえ。奈子たんにもちゃーんとご利益あるからさ」
「わたしは別に誰にも恋なんてしてないっての」
真由子には彼氏がいるし、なっちゃんは他校の真面目そうな男子に片思い中だ。
けれど私は恋には縁遠い。興味がないのだ。正確に言えば、愛される事が苦手だった。それは私の子供の頃のとある経験のせいであった。
恋には興味がない。愛も、嫉妬も、束縛も、全てが苦手だ。
私の残りの人生の目標は、誰の特別にもならないこと。
………もしもこのおまじないがホンモノで、目の前に運命の人とやらが映し出されたら、私はその人を一生避けるだろう。
そんな心情を知らずに、真由子はにやにやと笑う。
「奈子たん、真由子はね、優成と奈子たんの話が聞きたいんだよ」
「は、宮本?別に好きじゃないよ」
「え、嘘、好感度そんなレベル?可哀想すぎるでしょ。優成、奈子にベタ惚れなのにさぁ。セフレから彼氏に昇格してあげないの?」
「別にセフレじゃないよ。1回しかしてないし、処女捨てたかっただけ」
宮本は中学の同級生で、私の初体験の相手だった。
彼氏じゃなかったし、別に好きじゃなかった。でも向こうの好意はなんとなく気がついてたし、都合が良かっただけなのだ。
宮本は頭が良かったからどうせ高校は違うところだと思っていたから、中学が終われば宮本との気まずい関係も終わると思っていた。
それなのに宮本はレベルを3つも落とした私と同じ志望校を受けた。
北高は進学校でもなんともないただの公立だ。なんで北高受けたの?と宮本に受験の後に聞いた事がある。
奈子がいるからと言われて震えた。無理だ、無理すぎる。
なんでだよ。付き合っても無かったし、宮本は女遊びが激しかった。抱いた女その8くらいになりたかったのに。
本気になられても困るのだ。
「ひっどーい。先生、奈子たんが宮本の心を弄びましたぁ!」
「意味わかんねーなぁ。奈子ってそんなに処女捨てたかったのか?どちらかと言えば早い遅いなんかに執着しない性格だろ」
けらけらと笑う真由子とは対照的に、なっちゃんは不思議そうに首を傾げる。
2年生からクラスが同じになって仲良くなった真由子とは違い、入学して以来ずっと一緒にいたなっちゃんは私の性格を見抜いていたらしい。
「あー、まあ……早急に捨てたかったんだよねー……」
「なんでー?その話、真由子聞いてないんだけど」
「あ、待て2人共。もうすぐ時間になるから奈子の恋バナは後な!」
「りょ」
私だって、好きな人といつかは……なんて夢見てた。
けれどそんな甘い感情なんて犠牲にしてでも私は変わらなければいけなかったのだ。
真由子はマッチを擦った。暗くて寒い夜の学校を明るく灯す小さな炎は何だか不気味なほど神聖だった。
鏡の前に置かれた蝋燭に火を灯していく。ふと鏡を見ると、自分は女の子らしさの欠けらも無い金髪のベリーショートで耳はピアスだらけ、派手な赤い口紅をひいていた。
“あの日”を境に捨てたものはたくさんある。綺麗に伸ばしていたロングヘア、処女、優しさ、いい子の自分、可愛いお洋服。
可愛らしさを捨てて、以前だったら近寄りもしないなっちゃん達とつるんでは補導される日々だ。
そんな明らかな不良少女達がこんな恋のおまじないなんて、随分可愛い事をするものだ。
「一番自分を想ってる人に出会える方法……か。そもそもこんな話、誰が聞いてきたわけ?真由子?」
「真由子じゃないよ。この手の話はなっちゃんでしょ?」
「え、咲じゃん?あたし誰からも聞いてないっての。止めろよ脅かすの」
「私じゃないって。……え?」
蝋燭を灯し終えてしまった真由子が、マッチを片手に振り向いた。私たち3人の顔には明確な恐怖が浮かんでいた。
カチリと誰かの時計の秒針がとびきり大きく響く。
その瞬間、鏡から目を開けていられない位の強い光が指した。
ロウソクに陣だなんて恋のおまじないにしてはやたら本格的な方法、おかしいはずだよ。
嫌な既視感に襲われ、視界が暗転する。
ほんの少しの吐き気と目の回る感覚。懐かしい。いや、これは懐かしみたくない感覚No.1だけど。自分の身体が自分の物じゃないみたいな遠い感覚のあと、意識がするりと身体に入り込んだ気がした。
「……これは一体どういう事だ?ストレンよ」
「これは………驚きましたね」
「ひょっとして、失敗したのではなかろうな」
「まさか。手順は完璧です。少し……確かめる必要はありそうですが」
硬い床を背中に感じながら、頭上で繰り広げられる口論の内容を理解した。
日本語でも英語でも、ママが最近どハマりして良く見てる韓ドラの言葉でもない。
明らかに日本にいた時には聞いたことの無い発音だ。スタッカート混じりの強い言葉。だけど私はこの言葉を知っていたし、ネイティブのようにスラングまで理解する事が出来た。
何故かって?……私の数奇な少女時代の頃の話をしよう。
私は8歳の時、神隠しにあった。地元の小さなお祭りで、ママから離れたほんの一瞬だ。
気がついたら狼の吠える森の中にいて、私は怖くてずっと泣いていた。
どれくらい経ったか分からないけれど、子供の私には永遠に感じられる時間が過ぎた頃、宝石みたいな綺麗な人に出会ったのだ。
自分と同じ黒い髪に黒い瞳。しかし男の人には滅多にいない、長い髪。そしてお医者さんのような、神社の神主さんのような不思議な服。
その人が話す言葉は何一つ分からなかった。容貌は似ていても、日本人じゃないとすぐに分かった。
だけど助けて欲しくて、子供だった私はその人の服を掴んで泣きついた。
服を掴んでは振り解かれる。その繰り返しの攻防ののち、その人は大きなため息をついた。
そして彼は不思議な言葉を呟くとその瞬間、辺りは黒い光に包まれた。
「うるさい」
「っ、言葉、わかるようになったあ……」
「そういう術をかけたからだ。汚い。近寄るな」
「っ、ぐずっ、なっ、にゃ…にゃこ………迷子になっちゃったの」
「……衛兵の監視を潜って、君は何処から来た?イルカエルムからの刺客か?」
「っ、分かんないよ」
「まあいい。……早く出ていって」
「や!わたし、お兄ちゃんと行く!」
「おまっ……?!泥だらけじゃないか。そんな不潔な手で……ふざけるな、離しなさい!」
この人に着いていくしかない。そう思った私はお兄さんに飛びついた。そしてその直後、彼は意識を失った。
そして私は彼を探しに来た綺麗なお姉さんによって保護されることになる。
後に知ることだが彼は極度の潔癖症が原因で倒れたらしい。悪い事したと思ったが、多分そうしなければ私は狼に食べられたか魔物に喰われたかで死んでいただろうから四の五の言っていられない。
のちに私は泣きながら呂律の回っていない口で名乗ったことを神様に感謝することになる。真名を異界の者に知られると、下手をすると二度と元いた世界に帰れなくなるからだ。
彼の名前はリディアルム。
私を助けてくれた青年は人間ではなく、魔族と呼ばれるものだった。ついでにリディアルムは魔族の王の部下で、割と偉い人だった。
私は魔物の巣くう城で4年過ごした。
そして色々あって、命からがら家に帰る方法を探して地球に帰ってきたのだ。
目覚めた時、私は病院にいてママは私を見て子供みたいにわんわんと泣いていた。わたしも同じように泣いて2人で抱き合ったのだ。帰って来れたのは本当に奇跡に近かった。
処女は魔が好む為に早々に捨て、リディが丹念込めて毎晩梳いていたロングヘアは何だか怨念がこもってそうでばっさり切った。
そして前の印象とかけ離れた金髪ベリーショートのストリート系に転向した。そして見た目だけは一丁前にギャルになった。
それもこれも全てリディから逃げる為だったのに。
最悪な事に、あのおまじないの先にはこの世界が手招いていたらしい。こちらの世界と元いた世界はどういう訳か少し繋がっていて、ふとした時にその片鱗が見られていたのは確かだ。
夕暮れ時の水溜まりの中にリディの背中を見たこともあるし、地震が起きた時に窓ガラス越しに魔物の姿が見えた事もある。だから怪しい物や行為には出来るだけ近寄らないようにしていたのに……まさかこんな事になるなんて。
冷静に考えれば夜中の学校に忍び込んでおまじないだなんて、普段だったら断っていたのだ。真由子だって、眠いから行かなーい位言ってただろうし、極度のビビりのなっちゃんは行くか行かないか迷っても校門から先は進めないだろう。ビビりだから。
きっともう、既にこっちの世界に引き寄せられていたということなんだよね。最悪だ。
……観念して目を開けよう。大丈夫。帰り方は分かっている。少々集めにくい材料が必要だけど、リディの目を掻い潜ってまた帰ればいい話だもんね。
絶望と諦めの中、ゆっくりと目を開ける。そこには金髪碧眼で黒ずくめの神父のような格好をした青年と、中世の貴族のような高級そうな服を身にまとった中肉中背の壮年の男性がいた。値踏みするような視線を向けられ、少し緊張が走る。
んん……あれ、リディがいない。
彼はちょっと、いやかなり面倒くさい男だ。逃げ帰った私を再び呼び戻した日には、満面の笑みでざまあみろと言いに来るタイプの男である。
意外な展開に少し驚いていると、神父風の青年が上品そうににっこりと笑った。
「にしても、一体現れるはずの聖女が二体……。どちらかは廃棄する必要がありそうですね」
その直後、うーんという可愛い唸り声と共に、私のすぐ隣に白くて細い腕があるのが目に入った。
その少女は艶のある烏の濡れ羽色の髪をはらりと床に落とし、零れそうな位に大きな瞳を瞬かせる。
芸能界にいても不思議じゃないレベルの美少女が隣にいる。しかも華女子───市内にある超お嬢様学校の制服だ。幼稚園からエスカレーター式の女子高で、テレビで特集されていたのを見たことがあるし、なっちゃんとつるんでる男子達がたまたま通りかかった華女子生にきゃあきゃあ騒いでるのを見たことがある。
そういえばリディから逃げる為に文献を探して図書館に入り浸っていた時、異世界に呼び出されてしまう聖女様のラノベを読んだ事がある。
神隠しでうっかり魔族と暮らしてしまった私と何処か共通点を感じながらも、わざわざ行きたくもないのに連れてかれた異世界で人助けをするとか聖女様は格が違うな〜と冷めた目で見ていたのだ。
………もしかしてこれ、そういう感じのイベント、起こってるんじゃないの?