終章 彼方からの文
例の『隠し神事件』から半年が経った――。
幾つもの事件が折り重なり、幾つもの思いが交錯していたその戦いは、半年という月日をかけてゆっくりとだが日常の中に溶け込み始めていた。
こう兄様が再び行方をくらませ、禍津姫が姿を隠し、〝殺人鬼〟は殺人鬼ではなくなった。
隠し神も存在せず、神々への虐殺も行われない。
平穏無事と言えなくもない。けれど各々が争い生み出した傷は、方々に深い爪痕だけを残していった。
『隠し神』の代表的な爪痕と言えば、『呪い舎』だ。
彼処には僕達がお札を貼りに行った時、黒白で対を成した蛇がいた。
それは禍津者でもなく、紛れもない『神使』としての位を成したモノだ。そう易々とくたばるような存在ではない。なのに――『隠し神』はそれらを容易く八つ裂きにしていた。
一方、退禍師殺しとして名高い『殺人鬼』――愛宕平夜さん。
その人物は、昔、ある事件を境に愛宕一族をただ一人を残した上で皆殺しにしたという。
大罪人として姿をくらまして以降も、禁域近辺で時折同じ手口での殺人が起こっていたという。退禍師を殺して回る理由は、今も定かになってはいない。
そして、禍津姫。禍津姫に関しては依然として謎の多い存在としてまことしやかに語られている。禍津者の筆頭だとか、百鬼夜行の折に現世へ顕現するなど、噂話に尾びれも背びれもついている始末だ。
「……どうしてるかな。みんな」
その爪痕に触れる度、時折、僕は騒動の中でも生き残った被害者として――中心人物の一人として少なからず関係各所から様々な聞き取り調査を受けた。
何度も行われる、一貫性を問うためだけに行われる質問。
それに何度も、僕は同じ答えを以て回答した。
答えは変わらない。気持ちは変わらない。
正直、話せることは少しだけだ。ほんの少しだけ、自分のこの身で見聞きしたことだけだ。
ただ、そんな中でも決めている事柄があった。
それは――三人の関係性を口外しないこと。それは別に強制されたわけでも、脅されたわけでもない。自分自身で決めたことだ。
こう兄様と禍津姫、そして平夜さん――三人の平穏を少しばかり願ってのこと。
だがそれよりも、僕は三人のことを知り得ていない。憶測だけで物事を語ることは誰にでもできるだろう。それこそ夢物語のような物語を紡ぐことすら可能だろう。
「でも、夢物語は夢物語のままであるべきだ……」
そう、きっとそれが一番いい。
三者三様、悲喜こもごも。
どちらにとっても憶測の域どころか、僕はまだ兄様のことを表面でしか識らない。
どんなことを思い、何を絶って生きてきたのか。
退禍師の筆頭として過ごしていた時、隠し神でいた時、どんなことをしていたのか。
何故、禍津姫と関わりがあるのか。
――何一つ、本当のことを知り得ていない。
平夜さんのことも〝殺人鬼〟としての顔があるのだとしても、どんな理由でその行為に及んだのか聞いてはいない。禍津姫に対してもそうだ。
「…………」
もしかしたら、僕はとんでもない思い違いをしていて、愚かなのかも知れない。
すべての行動に、理由を求めてはいけないのかも知れない。
すべての行動に、原因があるのだと思ってはいけないのかも知れない。
けれど本人達の口からは、何も語られていない。
そんな中でも、兄様を見つけ出すという一縷の望みを叶えるためだけに、尽力してくれたことは忘れられない。だからこそ、あのわずかな時間の中だけで知り得た情報を憶測だけで口外できるほど、僕自身、できた人間性を持ち合わせてはいないようだ。
(殺人鬼が……禍津姫が、どう動くのか少しでも情報を集めたいのかもしれないけれど……もう犠牲者は出ないような気がする)
そんな妙な確信があった。
理由は、殺人鬼と禍津姫の行動原理である――兄様を見つけ出すという目的を果たせたからという一点のみに尽きる。
殺人鬼は、禍津姫と隠し神を護るため。
禍津姫は、隠し神と殺人鬼を護るため。
隠し神は、禍津姫と殺人鬼を護るため。
互いに互いを思いやり、行動していたに他ならないと思うのだ。
その為に、非人道的な行いに手を染めてしまったのだとしたら……。
(僕はどうすれば良かったんだろう……?)
憶測でも良いから、素直に情報提供をすべきだっただろうか。
それとも、もっとあの三人と話をしておくべきだっただろうか。
答えの見えない〝たられば〟の話だけがずっと胸の内に、しこりのように残っている。
隠しごとをする――それは学園に対する裏切りかも知れない。
そして、両親に対する反抗とも取られかねない行為だ。
それでも、決めたのだ。
こう兄様が認めてくれたように。
冥血と魂冥が心を通わせてくれたように。
自分の心に正直に生きようと、そう思えるようにしてくれた人達がいる。
どれを取っても正解でないのなら、せめて、自分の感情にだけは正直に生きていたかった。




