第10章 それぞれの在り方4
「……それじゃあ、れん。お前は学園に戻りなさい。私には行かなければならないところがある」
「それは……お父様達のところにですか?」
「いいや、違うよ」
穏やかな口調で、初めて否定の言葉を口にした兄。
その視線の先には禍津姫と呼ばれた女性と平夜さんがいた。
ふと、禍津姫が言っていた言葉を思い出す。
二人は恋人どうしだ、と。平夜さんは認めていない様子だったが、その言葉が本当なのだとしたら今後二人はどうするのだろう。
「禍津姫を〝隠し神〟に喰わせないために、私はずっと禁域の奥深くに身を潜めていた。だが〝隠し神〟がこの身から剥がれた今は……彼女の傍にいてやりたいと思う」
「それって……」
結局、兄は〝こちら側〟には戻らないということだろうか。
兄と禍津姫と平夜さん。
この三人がどんなきっかけで出会い、どんな関係性を築いているのかは分からない。
それでも跡目を継ぐことよりも大切なことなのだと察した。
「こう兄様……」
「お前と戦えて、楽しかったよ」
「はい、僕も……。あの、また逢えますか?」
「ああ、勿論。また逢おう」
クシャリと優しく頭を撫でる手の平は、相変わらず優しい。
今生の別れではない。それは分かっている。
けれどずっと捜し求めていた相手が去ってしまうには、あまりにも時間が短すぎた。
もっと話していたい。もっと姿を焼き付けていたい。
尊敬していた人であり、僕に新たな意味を与えてくれた人であり、これからも追いかけたいと思える人――それが、僕の自慢の兄だ。
「こう兄様」
「うん?」
「いつか、超えてみせます」
「フフッ、楽しみに待っているよ」
穏やかな笑みをその口許に浮かべ、兄は二人を連れてその場から姿を消した。
「…………」
急に訪れた静寂。
つい先刻まで、連続連戦をしていた騒がしさは何処ヘやら――。
リツと僕の二人きりの他には、誰もいない。
禍津姫も〝隠し事〟も……。
身体は既に限界で、後ろに倒れ込もうとしたのをモフッと柔らかい感触が受け止めてくれた。
禁律こと僕の相棒――リツだった。
【安心おし。彼奴もまた逢おうと言っておったろう】
「そうだけど……。いつまた逢えるか訊けなかった」
【彼奴のことだ、きっとまた気まぐれに連絡を寄越すだろうさ。……さあ、流石にお前さんも疲れたろう】
「うん……疲れたなんて一言で言い表せないくらい……色々ありすぎた」
【なら早く帰ってやることだ。きっと、お前さんの身のことを心配している仔らがいるだろう】
「うん。ねぇ……リツ」
【なんだい?】
「リツは僕のこと、ずっと……護ってくれてたんだね」
【なんだい。今更だねぇ】
「……ありがとう。リツ」
【なんてことはないさ】
リツは言った。
【思い出なんてモノはね、ある程度は捨て置くべきなのさ。その仔のためにも】
† † †
「日暮! 無事だったか……!」
「目黒、先生……」
リツがいつもの姿へと変化し、僕の影の中にシュルリと隠れた直後のことだった。
聞き覚えのある声に後ろを振り向くとそこには目黒先生が立っていた。
「生徒、一人を発見……! 他に生存者がいないか捜せー!」
続けて、学園の他の先生達が目黒先生の後ろから現れると散り散りに散開しては何かしらの調査を始めた。
「ついさっき、ようやく禁域内に突入できるようになったんだ」
曰く、夏生と秋葉さんの二人から連絡が入り、そこから僕を捜していたという。
禍津姫らが開いたらしい入口から乗り込んだはいいものの、出口に出るや否や禁域の外へと衝撃破で弾き飛ばされ、挙げ句の果てには教師陣が張ったものとは異なる結界に阻まれ中に入ることすら叶わなかったという。
「……っとに、情けないったらありゃしねぇ……」
「そんなこと……」
異なる結界を張り巡らせていた人物、それは恐らく兄だろう。
けれど、そんなことを口が裂けても言えないし、結界の中で起きたことをどう説明するべきかも正直掴みあぐねている。
色んな事が起きて混乱しているのは、目黒先生も僕も同じだった。
「とりあえず、生命が無事で何よりだ。禍津姫に連れていかれたと訊いた時には肝が冷えたぞ」
「すみません……」
「それで、禍津姫は? 隠し神はどうなった」
「それが……気づいた時には、いなくなっていて……」
「いなくなって……? クソ、またか……」
そう言いながらも、目黒先生の瞳は禍津姫を捜しているかのように周囲を見回していた。
その瞳には寂しさのような、悔しさのような何かが揺らいでいるのだけは分かった。
「それであの……儀式に巻き込まれそうになったところを、助けてくれた人がいたんです」
「助けてくれた人……? 学園の奴か」
「いいえ。違う人でした……。どう、説明したらいいか今は……」
「……嗚呼、そうだな。今はお前も混乱しているだろう。説明は後にして学園に帰るぞ」
内心、三人のことを説明するにも、どこまで話をするかは後で考えようと思考を放棄した。
「千石も秋葉原も、お前のことをとても心配していたぞ」
「あ……」
立つに立てない僕の身体を目黒先生は支えてくれると、禁域から脱出するための出口を開いた。いったいどれ程の時間が経っていたのだろう。出口の先から見える光は鮮やかな白い朝陽だった。
「…………」
出口から禁域の外へと出る直後、ふと黄昏色の街へと視線を向ける。
僕が生み出した心象風景は、相変わらず寂しそうで悲しそうで、遠い昔を思い出しそうになる。でもその度に、僕を助けてくれる人がいた。
優しいその人は、今はまた遠い何処かへと行ってしまったけれど、いつか仲間の二人にも紹介したいと思った。
(こう兄様……)
僕が憧れていた人は、途方もなく強かった。
その強さを、傷みを、四肢の傷が教えてくれている。
(誰かに決められた人生を断って生きていきたい……)
あの時、宣誓した言葉を思い出す。
それにはまだ、僕には力が必要だと思う。
一人で生き抜いてける力。
血筋に囚われない力。
力を求める平夜さんとは異なる力。
それが何なのか、まだ曖昧なところはある。
けれど、学園の皆と――仲間と一緒なら切り開いていけるような気がした。




